明日のダウト  −2−

マサムネ 様




 7月3日、朝。
 船内の食堂では、ナミをのぞくクルー6人が集まり、ナミの誕生日計画の最終確認が行われていた。
 「ロビン、薬の効き目は大丈夫か?」
 ウソップが念を押す。
 「ええ、バッチリよ。航海士さん、気持ちよさそうに眠ってるわ」
 「そうか、それなら良かった。これで準備はバッチリ整ったわけだ。・・・って、そうそう。これを付けるのを忘れるなよ」
 そう言うとウソップは、バッグから変声器を取り出した。
 首輪のような形状で、真ん中に改造したトーンダイヤルが取り付けてある。
 ウソップが言うには、これを首につけてダイヤルを回せば、声を高くしたり低くしたり調節できる仕組みらしい。
 ダイヤルを一回押せばスイッチが入り、もう一度押せば解除される。
 おかげで昨夜は男部屋で、誰かナミの声を再現できないものかと、遅くまで盛り上がった。
 最終的には「変声器が悪い」だとか「調子が良い時はおれが一番ナミに近いんだ」などという意見が出始め、まとまりがつかなくなったため、“ナミの声出し合い合戦”はそこで終わったのだ。

 「そういや、ロビンの変声器使った声聞いてないぞ!」
 昨夜のことを思い出したのか、目を輝かせてルフィが言う。
 「そうだな。とりあえず、試しに何かしゃべってみてくれ」
 当然のようにウソップが乗る。
 ロビンは訝しげに首輪をつけると、「これでいいの?」と言った。かなりのハスキーボイス。マリモの泳ぐ姿が頭に浮かぶ。
 「すげー!ゾロの声だ!!」
 すかさずそう言ったのはルフィだった。
 「ほんとだ!ゾロだ!」
 チョッパーが後に続く。
 サンジは、まさか信じられない!と言った具合に頭をかかえている。
 ゾロは何を言っていいのか分からず、目を泳がせた。
 「そりゃそうだろうルフィ。おれ達だって女の声が出せたんだから、ゾロン、じゃなくてロビンも男の声が出せて当然だ」
 フォローに入ったつもりのウソップだったが、ゾロンはまずかったかと思いつつ、恐る恐るロビンの方を振り返る。
 ところがロビンはそれほど気にとめた様子もなく、「面白い道具ね」と微笑んで言った。
 それもゾロの声だったのは恐いが、気に入ってくれたようだ。

 本番では全員無難な男声に調節してしゃべるように、とウソップが指示したところで、ルフィが突然「あ!」と叫んだ。
 「どうかしたのか?」
 「大事なものを忘れてた。誘拐マスク!」
 「いや、だからそれは必要ないんだって」
 気が抜けた声でウソップが言う。
 「だめだ。あれが無いと始まらないんだ。ちょっと部屋に取りに行ってくる!先に始めてていいぞ」
 止めても無駄だと分かっていたので、そのままルフィを見送ることにする。
 「まったくうちの船長は、変なところにこだわるから困る」
 そう言うとウソップは、テーブルの上のバナナを手に取った。
 チョッパー達も、バナナを手に取る。
 「いいか、最後にこれだけは言っておく。おれ達は紳士な誘拐犯を演じるんだ。ナミに対して危害・セクハラは一切禁物!そういうルールだ。最終的にはナミを喜ばせることが目的だからな」
 「おお!!」
 頼もしい歓声があがる。

 「ロビン!ナミの方はどうだ?」
 「待って・・・。そうね。航海士さん、そろそろ目を覚ましそうよ」
 ハナハナの能力で、甲板の様子を覗いたロビンが言う。
 「いよいよか」
 「いよいよだな」
 「いい一日を、ナミさん」
 サンジはそう言って、食堂のドアに向かう。ゾロやチョッパーも後に続いた。

 ガチャン。

 ドアが開く。
 誘拐犯達のショーがはじまる。


 *****


 ナミが異変に気づいたのは、目を覚ましたときだった。
 目隠しをされ、船のマストを背に、腰を降ろして両手を縛り付けられていた。
 腰にはクッションが敷かれている。
 日差しがキツくないのは、パラソルが添えられているからだろうか。
 「・・・ここは?」
 ナミが第一声をあげた。
 「気が付いたか」
 ウソップが言ったが、変声器を使っているため、別人のように聞こえる。
 「何のつもり?状況を説明して」
 「悪いが誘拐させてもらったよ。寝てる間にな。で、両手を縛って目隠ししてある」
 「誘拐?何が目的でそんなこと・・・!」
 ナミの声は緊張している。
 「もちろん、目的は身代金さ。君が麦わらの一味の航海士、ナミだということは知っている。大人しく君の仲間が要求に従えば、危害は一切加えない。安心してくれ」
 穏やかな口調でウソップは言う。
 「こんな状況で安心できるわけないじゃない!大体、海賊相手に身代金誘拐なんて、バカなことしたわね」
 「威勢がいいな。できれば、あまりこういう事はしたくないんだが・・・」
 そう言うとウソップは、持っていたバナナをナミのこめかみに押し当てる。
 「え!?」
 突然の異物の感触に、ナミは戸惑いの声をあげた。
 それを見ていたサンジ達も、自分もやりたいと、バナナをナミの身体に押し当てた。
 胸には決して当てないよう気をつけながら、肩や腰、手などにバナナの先端を当てる。
 「きゃぁ!!」
 今度は悲鳴に近かった。
 慌ててウソップは、手をバタバタさせて皆を追い払う。バカ!やりすぎだ!!
 みんなちょっと興奮気味だ。
 「そんなに一気に銃を突きつけないでよ!!」
 「お、あ、すまん!」
 思わずウソップは謝ってしまったが、そんなつもりは無かったとは言えない。
 ともあれ、ナミにはバナナをピストルだと思ってもらえたようだ。
 ホッとして振り返ると、早くもサンジ達はそのバナナを美味しそうに食べていた。
 君たち、気が早すぎです。

 ちょうどその時、みかん畑の方から誘拐マスクを被った人間が走ってきた。
 マスクで顔は隠しているが、服装はどう見てもルフィだ。
 「お待たせー」
 小声でルフィは言う。ちゃんと変声器は付けてるようだ。
 「それ被る意味あるのか?ルフィ。」
 そう言いつつ、ウソップはルフィの体からやけに心地よい、みかんの香りが漂っているのが気になっていた。
 ルフィが戻ってきたのは男部屋ではなく、みかん畑の方。
 まさかルフィは、ナミに無断でみかんを食べてしまったのだろうか?
 以前も一度、ルフィはナミに断りなくみかんを食べたことがあったが、結局バレてこっぴどく叱られ、二度と無断で食べないと誓ったはずだった。
 ルフィにその点を問い詰めておきたいところだが、今はそれどころではない。

 「で、私の身代金はいくらなわけ?」
 やや挑戦的にナミが言った。
 ここはウソップとしても、慎重に答えるべき局面だ。
 下手に安い金額を言ってしまえば、ナミのプライドを傷つけてしまうし、払えないほど高すぎると現実味が無くなる。
 息を呑んで答えた。
 「・・・3億ベリーだ。1億の賞金首なら、そのくらい用意できるだろう?」
 そもそもウソップが今回の計画を決断したのは、お宝くじで大金を当てたからだ。
 そのために、事前に3億ベリー用意できることをナミに確認させておいたのだ。
 ナミはしばらく黙っていたが、納得したように頷いて口を開いた。
 「もちろん、うちのクルーなら用意できるわよ。身代金としては、そこそこの額ね!」
 意外とあっさり認めたのは、やはりそのくらいプライドがあったからだろうか。
 ナミはやや満足気だった。

 よし、と心の中で思うと、ウソップは指を立て、全員に合図を送る。
 サンジ、チョッパー、ロビンはすぐに船内に移動する。
 それを確認すると、ゾロは腹巻きから電伝虫を出した。
 電伝虫を扱うのはゾロが担当だ。
 「ここに電伝虫がある。今からナミ、君の仲間にかけるぞ」
 確認するようにウソップが言うと、ゾロは電伝虫にダイヤルした。
 その時だった。

 プルプルプルプル!!

 一番初めに気づいたのはナミだった。
 胸の谷間にしまってあった子電伝虫が突然鳴り出す。
 「あ!」と声を挙げて頭を下げ、肩を動かすが、目隠しをされているうえ、両手が縛られているためどうにもできない。
 ナミの様子を見て、ゾロの顔が蒼ざめた。
 食堂のサンジ達にかけたつもりが、間違えてナミの子電伝虫にかけてしまったのだ。
 慌ててゾロは電伝虫を切ると、子電伝虫の音も鳴り止んだ。
 なぜそっちの子電伝虫にかけたんだ!?という目でウソップはゾロを見る。
 「電伝虫が回線中で迷ったんだ!」
 ゾロは意味不明なことを言うと、もう一度電伝虫をかけなおす。

 プルプルプルプル!!
 
 今度は無事、食堂に通じたようだ。
 「へい、こちら恋するコックさんの恋愛相談所」
 サンジの声が、電伝虫を通じて甲板に伝わる。
 「麦わらの一味か?」
 「誰だ?野郎の相談は受け付けてないんだが」
 「お前達の船に、ナミって航海士がいるだろ」
 「ほぉー、ナミさんに恋をしたのか。やめとけ。ナミさんへの恋のライバルは手強いぞ。おれとかな」
 「いいから人の話を聞け!とにかくその、ナミって女を誘拐させてもらった」
 「なんだと!?さてはお前、ストーカーだな!」
 「あほか!ただの誘拐犯だ!!ストーカーと一緒にするな!」
 「いや、ナミさんは可愛いから狙われやすいんだ。ちくしょう、おれが常にナミさんの側に居れば、こんなストーカー野郎にさらわれることも無かったろうに・・・」
 「それだとお前がストーカーだろうが!!」
 今更ながら、サンジとゾロにこの役をやらせるのは間違っていたと後悔するウソップだったが、もう遅い。
 ゾロの両肩をぽんぽんと叩いてなだめてやる。
 たのむから用件を言ってくれ。
 「心配はするな。危害は加えていないし、手厚く扱っている。」
 「当たり前だ!ナミさんの肌は絹のようになめらかで、焼きたてのパンのように柔らかいからな。指一本触れるんじゃねェぞ!」
 いちいち相手にしてたら面倒臭いと思ったゾロは、事務的に話を進めることにした。
 「ナミの身代金は3億ベリーだ。」
 「ばかやろう!ナミさんを勝手に天秤にかけてんじゃねェぞ!ナミさんはな、お金には替えられない価値があるんだ!そんなのは身代金とは言わん!恋しちゃった金と言え!だがまぁ、ちょうど今おれ達は3億ベリーのあてがある。それでナミさんの笑顔がまた見れるのなら、そのくだらない取引に乗ってやろうじゃないか!」
 「金が用意できたら、3日以内に大海新聞の川柳投稿欄に『閑さや ハートにシビれる ナミの声』と載せろ。確認したらまた連絡する。載ってなかったら、取引の意志なしとみなす。」
 「だめだ!センスがない。それだったら『ハレンチや つわものどもの 鼻血の跡』の方がいい。それに・・・」
 何の話をしているのだ。
 この後ゾロは、ナミの声をサンジ達に聞かせる予定があったが、あまりにサンジがうるさいので、ここで電伝虫を切った。

 ガチャン

 「あのクソマリモ!ナミさんとしゃべらせない気が!?」
 サンジはすぐにかけなおそうとする。
 その様子を見て、ロビンが止めに入った。
 「かけなおすのはマズいんじゃない?こっちは誘拐犯の番号は知らないはずよ」
 「そっか」
 サンジは納得し、少し頭を捻ると、また電伝虫に手をかけた。
 「どこにかけるんだ?」
 今度はチョッパーが聞く。サンジはにやりと笑みを浮かべて答えた。
 「天気予報さ」

 プルプルプルプル!!

 またもナミの胸の谷間の子電伝虫が鳴った。
 反射的にウソップ達はゾロを向くが、かけた様子が無いため、サンジ達からだと分かる。
 「サンジ君からかも」
 ナミが言うが、誰もナミの胸に手を入れようとする者はいない。
 そんな度胸のある者は。

 ウソップは、子電伝虫の鳴る音を聞きながら、昨夜の出来事を思い出していた。
 そういえば昨夜、作戦会議の後でこっそりルフィが誰かと電伝虫で話しているのを見た。
 あの時はそれほど気にとめなかったが、あれもまさか、ナミと話していたというのか?
 さっきはゾロがナミの子電伝虫にかけて、今度はサンジがかけた。
 ありえない話ではない

 しばらくして谷間の子電伝虫が切れると、ゾロはほっと一息ついてかけなおした。
 「ふざけたことをするな!!」
 と言った後に小声で、取れるわけがないだろう!と付け足す。
 「ふざけたのはそっちだろ!ナミさんの声を聞かせろ!!」
 サンジが叫ぶ。もはや演技ではない。
 「分かった分かった。少しだけだぞ!ナミ、仲間に声を聞かせてやれ。余計なことは言うなよ」
 そう言うとゾロは電伝虫をナミに近づける。
 「みんな!心配しないで!私は平気!!ごめんね、こんな事になっちゃって」
 サンジ達を含めて、その場に居たウソップ達までほろりとくる。

 「ナミさん!!待ってて、おれが必ず誘拐犯を捕まえてやるから!くれぐれも無理はしないで、おれを待っててくれよ!?」
 サンジは言い終えると、ロビンに電伝虫を渡す。
 「航海士さんがいない一日なんて、あんこの無いあんまんみたいなものだわ。いいえ、赤いぽっちの無いあんまんみたいなものよ!早く会いたいわ」
 ロビンは電伝虫をチョッパーに渡した。
 「ナミ〜!さみしいぞー!!帰ってきたら一緒に図書館行こう!欲しい本があるんだ!」
 チョッパーが伝え終えると、ロビンはせっかくだからと言って再度電伝虫を受け取る。
 変声器のスイッチを入れた。
 「ナミ、おれだ。」
 電伝虫から聞こえてきたのはゾロの声だった。
 ウソップ達は驚いたが、一番焦ったのはゾロ本人だった。
 嫌な予感がした。
 「知ってたか?おれがいつも昼寝ができるのは、お前が居て安心しているからなんだ。だからお前が居ないとおれは眠れない。ナミ、待ってろ。必ず連れ戻してやる!」
 悪乗りがすぎる。
 ウソップはゾロを見ながら、笑いを堪えていた。

 ガチャン!

 ゾロは電伝虫を切った。
 「このくらいでいいだろう」
 恥ずかさを堪えながら言った。
 
 少しすると、サンジ達は部屋を移動し、甲板に戻ってきた。
 「用件は伝えた。金はあてがあるらしい。用意してくるだろう」
 ゾロがウソップに言う。
 「それは結構。いいチームを持ってるな。ナミ」
 そろそろ本題の、欲しいものを聞き出す時だ。
 「そんなチームなら、ナミを解放した後もうまくやっていけるだろう」
 言いながらウソップはナミに近づく。
 その時―――

 「うおっ!!」
 「きゃあ!!」
 
 最初は何が起こったのか理解できなかった。
 急にバランスを崩したかと思うと、ウソップはナミに向かって倒れ込んでいた。
 むにゅっとした心地よい感触を鼻に感じる。
 目を開けると、ウソップはナミの胸に顔を当てて倒れていた。
 すぐに離れなければ!と思った瞬間、今度はウソップの体が後ろに引っ張られた。
 一瞬、バナナの皮が落ちているのが目にはいる。
 ぐいぐいと背中側に曲がり、完全にブリッジの体勢になった。
 ロビンがクラッチを構えたのだ。
 
 ウソップはその体勢のまま、空を眺めた。
 今の気分を表しているかのような曇り空だった。
 大きな鳥が船の上をぐるぐる飛んでいる。
 心なしか死神が乗っているようにも感じる。
 思えば、短い人生だった。
 ナミの胸、柔らかかったなあ。

 ウソップが完全に死を覚悟していると、ナミが信じられないことを言った。
 「さっきの鼻...まさかあんた、アーロン!?」
 それを聞いて、ウソップはハッと意識を取り戻した。
 頭の中でみるみるシナリオが組みあがってゆく。
 何を思ったのか、ウソップは突然、高らかに笑い出した。
 「シャーッハッハッハ!!!」
 クラッチを構えたロビンの手がゆるんだので、まさしく水を得た魚のように飛び上がって言った。
 「そうともナミ、よく分かったな!今回お前をさらったのは他でもない、また幹部に入れるためだ!」
 ウソップ以外の皆は呆気に取られた。
 明らかに、ダウト!と言いたそうな顔をしている。
 さっき解放した後もうまくやっていけるとか言っていたのは誰だよ、と。
 「そこでだ、ナミ。欲しいものはあるか?何でもいい、言ってみろ。交渉といこうじゃないか!」
 何はともあれ、ようやく本題には入れたようだ。
 ウソップは任せろ!と言わんばかりに親指を立てて見せる。
 雲行きは怪しかった。




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