眠れる森の姫君  −3−

roki 様




すでに日はとっぷりと暮れていた。
窓の向こうに夜空が広がり、星が瞬いているのが見える。
ゾロはひたすら城の天辺を目指して足を進めていく。
ここまでは不思議なほど何もない。それこそネズミの子一匹も出てこなかった。
途中で一度油を足し、この階にも何もないようだと辺りを見渡した。
「警戒されたか……?」
名前を聞いたのはまずかったのだろうか。ひょっとして。
それよりこの姫様は、ひょっとしてとうの昔に起きてるのではないかと思えてきた。
あの何度か姿を現した影とも光ともつかない姿。あれはいったい何なのか……。
「まあ、上に着けば判るか」
着いた時にどうするかは考えてない。だが、やはり眠ってる女を手込めにするのはどうにも気分が乗らない。
そんな事を考えながら歩いていると、部屋がいくつも見える大きな廊下に行き当たった。
ランプを掲げる。どの部屋の扉の作りも立派だ。
重い樫の木で作られた頑丈そうな扉に、細かい彫り物と金の取っ手がついている。
1つ1つ開けようとするが、どの扉も固く閉じられて開かない。
念のため、片っ端から試していく。
これもダメ。これも開かない。これも……これもダメ。くそ、これはどうだ?
バタン。と1つのドアが簡単に開いた。
おっと思ったと同時に、もの凄い突風が中から轟と噴き上がる。
「うおっ!」
開いたドアが風に押されて思い切りゾロの額にぶち当たった。
そのまま後ろに飛ばされそうになるのを、慌てて踏みとどまる。
部屋の中は暗くて、内部がどうなっているのか全く見えない。
「……中に……来いってか?」
風に向かって一歩踏み出すと、再びあの声が響いた。
だが声には妙な逼迫感があった。
『入らないで!』
「……なんだと?」
『その部屋は……ダメ。入らないで!』
「入らないでっても……」
それなら最初から開けなければいいではないか。
拒絶してるんだか、招きいれたいのかよく判らない。
「アンタは何処にいるんだ!」
風にも負けず大声で怒鳴る。だが何か言おうとした声は、ふいに途切れてしまった。
そう言っている間にも、風はどんどん強さを増していく。
ゾロは悩んだあげく、部屋に入ることにした。
ここで立っていても始まらない。悩む前に行動だ。
それに何か手がかりが見つかるかも知れない。
「悪いが、入るぞ!!」
再び大声で怒鳴ると、今にも吹き飛びそうなランプの火を消してやっとでベルトにかける。
轟々と耳元で轟く風に負けないように、一歩一歩足を踏みしめて歩いていった。
入り口に手をかけ、何とか身体を中に入れる。
強風の中、片目を開けて部屋の中を覗くがやはり真っ暗でよく見えない。
すり足で一歩ずつ前に進み完全に身体を中に入れた時、勢いよくドアが閉まった。
途端に風がピタリと収まる。
「…………?」
辺りは漆黒の闇だ。よくは判らないが、部屋の広さと天井の高さを感じる。
(ひょっとして……これが寝室か?)
手探りでランプと火種を探そうとした時。
ふいに白い閃光が天井を走る。
闇に慣れた目に強い光が眩しい。
それとほぼ同時に、凄まじい轟音が辺りに響き渡った。
「!!」
反射的に構える。
ゴロゴロ……という雷鳴と共に、再び闇が訪れた。
そして、静かな声が辺りに響く。
『ここは【裁きの雷】……雷は邪な心を暴き出す……』
再び眩しい光が射した。
辺りを確認する暇もなく、恐ろしい轟音。
先程より間隔が短い。
『邪な思いにかられて辿り着いたのなら……今すぐここを立ち去るか、落雷で身を引き裂かれるがいい!』
天に轟く雷鳴のような厳しい声音が腹の底まで響き渡る。
再び白い稲光が空気を裂き、轟音と共にゾロの近くに落ちた。
衝撃で床が弾け飛ぶ。砕けた石粒頬に当たった。
先程までの試すような空気は微塵も感じさせない。
ただ、己の寝ている隙を狙う男の卑しさを、雷神を持って滅ぼさんとする激しい怒りを感じた。
雷鳴が白い火柱のように突き刺さる。
捲れ上がった床石が無惨に粉砕され、立っていられない程に床は揺れ動いた。
再び風が巻き起こって男の足場を揺るがし、壁に叩き付けようとする。
ここが城の中だということ忘れそうになる。
上空を黒雲が沸き起こり、骨まで砕けろとばかりに光の矢が降り注ぐ。
常人であれば、立っている事も出来ずその場にうずくまるしかないだろう。
だがゾロの心根を焼いていたのは、己が身を雷に射抜かれる恐怖ではなかった。
「……邪な思い……だと?」
ぐつぐつと湧き出てくるのは、静かな怒り。
「俺を昔の盗賊紛いの男共と一緒にするんじゃねぇ!!」
雷に負けじと大声で叫ぶと、それに反応するかのように稲光が走った。
だが男は顔を打つ光にも怯まず、天に向かって叫んだ。
「いつまで1人で閉じこもるつもりだ!いつまで眠りの国で外を見ているつもりだ!!」
囂々と吹き荒れる風に両足を踏ん張る。
「人を寄せたくないなら半端をするんじゃねェ!骨まで砕けろだぁ?ふざけるなっ!それが出来るお前なのか!」
カッと閃光が走り、すぐ足下に今までで一番大きな雷が落ちる。
衝撃で倒れそうになりながら、ゾロは必死で踏みとどまった。
「もし俺がおまえの眼鏡に叶わないって言うなら……いいぜ、俺をお前の力で引き裂くがいい」
さぁ、とばかりに両手を広げ、その怒りを受け止めようとする。
何故、そこまでするのか自分でも判らない。
ただここまで上がってきたのは自分の意志だ。
雷に怯えておめおめと引き下がる訳にはいかない。
そして、夢で逢った女の寂しそうな背中──
「俺を試してみろ、眠り姫!!」
叫ぶと同時に、真っ白な光がゾロを打ちのめした。
































──無茶な男

呆れたような、怒っているような、泣いているような声



──雷で打てなんて言った男は初めてだわ

小さなため息



──せっかく止めたのに



……何故だ?

何故止めたんだ?


──ミカンのお礼に……
──生きているの?


生きてたら悪いみたいじゃねェか……

──あの部屋まで辿り着いた人は、たった3人しかいなかった……
──それでも生きていた人は誰もいない……

試すなと言ったのにな……

──そう……
──なぜ……わかるの?

なにがだ?

──私の思い……見えているみたい

試すなと、いつも言うのは何故だ
誰であろうと無駄に殺したくなかったんだろ?



さぁ……っと風が優しく吹いた




なら何故こんな仕掛けをする?

──さわられたくないもの……
──ただ力だけを欲しがる相手になんか

俺も、嫌か?

──

俺に、触れられるのは嫌か?

──嫌なんでしょ……?

──ただ眠っている女に触れるのは……



いつのまに知られたのかと思いながら、その口調がどこか拗ねているようでおかしくなる




──なにを、笑ってるのよ


気が強そうな声
怒りをもって雷を打つときとは、全く違う趣




変な女だな

──失礼な男ね

怒るなよ

……あんたが、いいなら


──え?


あんたが、それを許すっていうなら俺はいいぜ


──


抱いてやるよ

それで、あんたの呪いが解けるならな……



優しかった空気がざわめいた




──それがどういうことか判っているの?

そのつもりだ

──私が眠ってどれだけの月日が流れたと思う?

──私の身体が……生身の女のように柔らかだと思っているの?



静かな悲しみに満ちた気配が伝わってくる。
だが気持ちは決めてしまった




わかっている

今は、あんたがどんな姿になっていても

それでもいいかと思っているんだ


──なぜ?


さぁ……

あんたに興味が湧いたからかな……



かすかな恥じらいと動揺




──変な男



呆れたような頬笑み





だから、顔を見せてくれよ

名前を教えてくれ

あんたの面影を追いたいから

あんたの名前を必ず呼ぶから

俺の名前はゾロだ


──




ふわりとした光と影が朧の世界で浮かび上がる

顔にかけられたベールがゆっくりと上げられ、
その下に隠された顔が表にさらされる。



私の……












「私の名前は   」




































遠くで鳥の声が聞こえる。
ゆっくりと目を開けた。
部屋の中が少し明るくなっている。
いつの間にか夜が明けようとしているらしい。
真っ暗で何も見えなかった部屋の内部が、まだ薄暗いながらも見渡せるようになっていた。
天井の高い広い広間だ。
だが当然あのような天変地異が起こるような規模ではない。
がらんとした広間を見渡してみると、何処にも雷が落ちた痕が残されていない。
壁も床もどこも壊れた形跡がない。
ゾロはゆっくりと上体を起こして、己の身体を調べてみた。
どこも怪我をしていない……それどころか衣服が破れた様子もない。
せいぜい床にひっくり返ったせいで、埃まみれになったぐらいだ。
深いため息と同時に、やはり……という思いもある。
信じていたというより、知っていた。いや判ってしまった。
あの雨も霧も雷も、最後まで試練を受ければ害を及ぼすものにならない。
自分さえ気をしっかり持てばくぐり抜けられない試練ではなかったのだ。
それすら出来ない男など、最初からお断りということだ。
「300年か」
長かったな。
胸に沸き起こったのは、今まで感じた事のない疼くような痛みだった。
荷をまとめて静かに立ち上がると、ゾロは部屋を見渡した。
ふと、水の音がどこからか聞こえてくる。
それに誘われるように、まだ薄暗い広場を歩き出す。
夢の中で逢った女の、顔と名前がどうしても思い出せない。
もう一度逢いたい。
名付けがたい思いを抱えて、ゾロは道を探した。


普段から人に方向感覚のおかしさを笑われるが、ゾロは自分がそうだと思ったことは一度もない。
本当に辿り着きたいと思っていれば、いつだって迷う事などなかったからだ。
今だって、水の音を正確に辿って複雑な回路を進んでいく。
やがて辿り着いたそこは、城の中に作られた中庭だった。
中央が丸く刳り抜かれ透明な水が溜まっている。
その真ん中に小さな滝壺が作られ後から後から水を溢れさす。
滝壺に絡まるように濃い緑や美しい花が咲き乱れていた。
手を入れればヒンヤリとした冷たい水が実感できる。
試しに一口飲んでみると、渇いた喉がすっと癒されていく。
ふと自分の身体を見下ろせば、汗と埃ですっかり汚れている。
ためらいもせず服を脱ぐと、刀だけを持って水の中に入りなるたけ丁寧に身体を洗った。
冷たい水が疲れた身体に心地良い。
女に逢うのに身繕いなど柄ではないと苦笑しながら、なるたけ綺麗な服を選んで着替えを済ませた。
中庭の奥にはまた別の部屋が続いている。
部屋に入ると、どこからか爽やかな柑橘系の香りがした。
覚えている。あのミカンの香りだ。

今までとは全く違う部屋だ。
壁も床も丁寧に掃除されて、塵一つ無い。
美しいタペストリーもふんわりとした絨毯も、今も使っているかのように色落ちもせず美しいままだ。
巧みな意匠の調度品もさりげなく置かれた装飾品のどれを取っても見事なものだ。
だがゾロの目は、中央奥に据えられた大きな天蓋つきのベッドに吸い付けられた。
柔らかな絹のレースの向こうに、静かに横たわっている人影が見える。
心臓がドクンと鳴った。
その音で寝ている人が起きると思ったほど、大きく感じる。
流行る気持ちを抑えて、一歩、一歩近づいていく。
確かに眠っている人が見える。姿からして女であることも間違いない。
ベッドの横に立つと、自分がえらく緊張しているのが判った。
震えそうになる手を伸ばし、ゆっくりとレースをかき分ける。
「…………!」
思わず息を呑んだ。
上質なシーツの上に横たわるのは、白いドレスに身を包んだ女性。
白いベールは、オレンジ色の頭を包みベッドの上に広がっている。
その眠る姫の美しさ。白磁器のように滑らかな頬に花弁のような可憐な唇。
ほっそりとした首から鎖骨までのラインは艶めかしく、広くカットされた胸元には輝かしい真珠と銀で細工された首飾りが巻かれている。
胸は少しも崩れず豊かに盛り上がり、細くくびれた腰へと続いている。
両手はお腹の上に乗せられ、白魚のような指で固く閉じられていた。
これが300年前から眠り続けている人だとはとても思えない。
だがゾロには、もちろん彼女が探していたその人だと判っていた。
顔を見た瞬間、思い出したのだ。
夢の中で幻のように見えた彼の人は、まさしく彼の女(ひと)だったのだ。
ふと見れば、眠る姫の枕元にはミカンがそっと置かれてある。
その瑞々しさからみても、自分が持ってきたミカンなのだろう。
静かにベッドの縁に腰を降ろすと、寝具は軽く軋みながらもそれを受け止めた。
花のような顔(かんばせ)を食い入るように見つめながら、彼女が自分に名乗ってくれた名を呼んでみる。
「ナミ……」
何故か自分が300年も待たせてしまったような思いに駆られ、そっと頬に手を伸ばす。
「会いに来たぜ」
頬は驚くほど冷たく固かった。
壊れ物を扱うかのように、そっと指で撫で、掌で包む。
唇を指の腹で撫でると、本当にかすかに息をしている気配があった。
「待たせたな」
男は静かに身を屈ませ、冷たい唇に口づけをした。




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