魔女の瞳はにゃんこの目・2 −10−
びょり 様
「……ナ…ミ…!」
「………ナミ…!」
床に転がったまま、ルフィとゾロは呆然とナミの消えた跡を見詰ました。
「………嘘だろ…消えちまうなんて…」
ウソップも2人の背後で、呆然と立ち竦むだけでした。
蝋燭に照らされた鏡の広間に、老女の勝ち誇った笑い声が木霊します。
「……う…ああああ…!!!ナミを返せェェ…!!!!!」
響く声に反応したルフィが、猛烈な勢いで老女に飛掛りました。
体当たりして床に転がし、戦慄く左拳を顔目掛けて落します。
ゾロも疾うに抜いてた2本の刀を、鬼の形相で構えました。
「良い子にしてないと魔女を本当に消してしまうよ!!」
今にもぶん殴る寸前――ルフィの拳は老女の眼前でピタリと止められました。
馬乗りに敷いた老女を息も荒く睨み付けます。
首を竦ませつつも、老女は意地の悪い笑みを浮べて言いました。
「…床を御覧!壁や天井もね!…あんた達の大事な魔女は、鏡の向うにちゃあんと居るじゃないか…!」
老女を突飛ばして床を凝視します。
ゾロも刀を構えたまま、四方の壁を見回しました。
ウソップは天井を見上げます。
無限に重なり映る薄暗い鏡像の中――ナミの姿は確かにそこに在りました。
床に壁に天井に…怒りに燃える金の瞳で、鏡の檻を叩くナミ達。
「ナミ…!?」
「ナミ…!!」
『ルフィ…!!ゾロ…!!』
2人を呼ぶ極小さな声が、鏡面を震わせます。
「少しでも暴れたら鏡を割ってしまうよ!!そうしたら魔女は2度と鏡から出られないまま、死んでしまうだろうねェ…!」
隙を見て3人から離れた老女が、隠し持ってたハンマーを、正面の鏡に向けて振上げます。
「やめろてめェ!!!!そんな事したらブッ殺すぞ!!!!」
「だったら全員矛を収めて大人しく捕まりな!!!!」
血相変えて喚くルフィに、老女が怒鳴り返します。
ゾロが歯軋りして刀を元の鞘に戻しました。
ルフィも悔しさ噛締め拳を解き、だらんと両手を下げます。
既にウソップはブルブル身を震わせ、お手上げ状態でした。
3人が戦意喪失したのを確認すると、老女は満足そうに頷きました。
未だ鏡の中で老女を罵ってるナミに向い、憐れむ様な声を掛けます。
「オレンジの森の魔女の弱点は『合せ鏡』。鏡の間で魔法を使うと、魔女は鏡に閉じ込められてしまう。昔話で読んだ通りだったねェ…たかが人間と、あたしを侮ったのが、あんたの敗因さ!」
『…婆ァ!!私にこんな真似して、安楽な死に方出来ると思うんじゃないわよ…!!』
ドスを利かせてナミが吐き捨てます。
爛々と輝く金の瞳で射竦められるも、老女は全く怯まずに嘲笑いました。
「あんたこそ、この3人の無事を願うなら、そろそろ口を慎みな!…でないと子供とはいえ、容赦しないよ!」
脅し文句を聞いたウソップが、「ひい!」と泣いて身を縮こませました。
『3人に手ェ出したら本気で殺すわよ!!!!』
ナミの顔色がさっと蒼白に変ります。
必死に鏡を叩く両手に、赤い血が滲みました。
「やれるもんならやってみるがいいさ!…いいかげんに自分の置かれた立場を理解したらどうだい?この子達を無事帰して欲しくば、魔力を封じて黙ってるこった!――そっちの3人も魔女を消されたくなければ、一言だって漏らさず無抵抗で立っておいで!」
老女の言葉に、広間はしんとした静けさに包まれました。
唇を悔しげに噛締めるナミ…その輝く瞳から、次第に光が消えて行きます。
瞳が茶色に戻った所で、老女は角に仕掛けてあった金属管の側に寄り、蓋を開けて信者達を呼びました。
数秒後、知らせを受けた若い男性信者が6人、広間の正面扉から入って来ました。
全員案内の女と同じく、白いパジャマの様な服を着ています。
その内の体格が最も立派な2人は、身の丈よりも柄の長い、大きな槍を片手に持っていました。
目にしたウソップの怯えが、更に強まります。
「如何されました!?スリムッド先生!」
槍を持った1番背の高い男が、老女に声を掛けました。
「悪い魔女に唆された子供達が、あたしの命を狙って入り込んで来たのさ!」
「この子達が!?」
「悪い魔女とは…一体??」
「安心おし!あたしの魔法で鏡に閉じ込めてあるから!」
尋ねる信者達の前で、スリムッドは得意げに鏡を指差しました。
信者がランプで照らしたそこには、幾重にも連なる自分達の像と共に、1人の少女が暗い眼差しで佇んでいました。
驚いた信者達が、一斉に悲鳴を上げます。
見回せば床から天井から四方の壁から…そのオレンジ色の髪の少女は、自分達をじっと睨んでいました。
「…な…なんて恐ろしい!」
「我々を憎々しげに睨んでいるぞ!」
「大丈夫だよ!鏡に閉じ込めとけば、何の悪さも働けないからね!」
「この様な恐ろしい魔女を封じ込めてしまわれるなんて、流石は先生だ!」
「なぁに、あたしの力に掛かれば、大した相手じゃなかったさ!」
信者達から尊敬の眼差しを注がれ、スリムッドは「ふふん」と得意げに鼻を鳴らします。
コツコツと叩いた鏡の向うで、少女の顔が一層険しくなりました。
「さてと…残る問題はその子達だ!悪い魔女に唆されたとはいえ、黙って帰す訳には行かないよ!全く反省してないようだしね!今からどうやってお灸を据えるか考えるから…その間縛って反省室に閉じ込めておくんだよ!」
3人の少年を見回したスリムッドが、冷やかに笑います。
信者達は直ちに指示通り、少年達に縄を掛けて行きました。
「先生!この子刀なんて背負ってますよ!しかも2本!…取上げますか!?」
ゾロに縄を掛けようとした信者が、刀に気付いて取上げようとします。
「俺の刀に触んじゃねェ!!!」
その瞬間、弾ける様にゾロが激しく抵抗しました。
「ゾロ止めろ!!!ナミが消されちまう!!!」
「バ馬鹿お前ら!!!一言だって喋ったら俺達無事帰れなくなっちまうかもじゃねェか〜〜〜!!!」
スリムッドの言葉を思い出したルフィとウソップが、真っ蒼な顔して怒鳴ります。
「放っといても構わんさ!どうせ『子供の玩具』だしね!よしんば扱えたとしても…魔女が此処に閉じ込められてる限り、こいつら何にも出来やしないだろうよ!」
小馬鹿にしたような笑みを向けられ、ゾロの唇が一瞬、何かを言い掛けて歪みました。
信者が刀から手を離します。
縛り終えると信者達は、指示通り3人引連れ、鏡の広間を出て行きました。
出て行く刹那、ルフィが、ゾロが、ウソップが…振返ってナミを見ました。
ルフィが悔しそうに歯を噛締めます。
ゾロもきつく唇を噛んでいました。
ウソップが助けを乞うて瞳を潤ませます。
ナミは…そんな3人の姿を、冷たい鏡越しに、じっと目で追っていました。
「…悔しいかい?」
スリムッドがその視線を遮り、目の前に立塞がります。
白髪の向うから覗く瞳を、ナミは気丈に睨み付けました。
鏡に映るナミの像を、スリムッドの干乾びた指がなぞります。
その表情は何処か陶然としていました。
「…待っていたんだよ。ずっと…あんたが現れるのをさ…。
『魔女の瞳はにゃんこの目
闇夜に輝く金の色
空の彼方を
海の底を
地の果てを
心の奥をも見通す力』
…御伽噺を繰返し、繰返し、聞かされて…
その何でも見える瞳や、何でも聞える耳や、何でも出来る魔法に憧れた…
…だから金の瞳を入れて、あんたになろうとしたのさ。
そしてこうも考えた――
――本当にそんな魔女が居るのなら、捕まえて、あたしの『力』にしたいと…。」
低くしゃがれた笑い声が、指を伝って鏡面を震わせました。
『……どうする事がお望み?』
叫びを堪える唇が小さく戦慄きます。
まるで体に重石を括られて、冷たい湖の底に沈められる様な心地がしました。
「此処に一生居て、あたしの言う通りに『見て』おくれよ。鏡の中に居ても、見たり聞いたりは出来るんだろう?」
『…よく調べてあるのね。』
皮肉を篭めて微笑み返します。
スリムッドが顔を皺くちゃにして、掠れた笑い声を出しました。
「あたしの願いを聞いておくれなら、あの子達を解放したげるよ。」
『…願いを聞かなかったら?』
「どうするかって?…そんな酷い事、心臓の弱い年寄りの口からは、とてもじゃないが言えないねェ。」
さも愉快そうに笑うスリムッドを、ナミは黙って見詰ていました。
「さあ………どうするかい?」
片目をギョロリと剥き出し、弛んだ顔を近付けられます。
歯を折れんばかりに食い縛り、真直ぐ見返してやりました。
『………もう1度だけ、あいつらに会わせて!』
「会わせてやったら、願いを聞いてくれるのかい?」
『………。』
ナミは無言で俯くのみです。
「…明日、陽が顔を出してから30分の間だけ、会わせてあげようじゃないか。…それまでよく回答を考えておくんだね!」
ふんと鼻を鳴らして吐き捨てると、スリムッドは鏡から離れました。
信者が傍に置いて行ったランプを携え、広間に灯した蝋燭を全て吹消します。
そうしてツカツカと歩いて部屋を出ると、扉をガチャンと乱暴に閉めたのでした。
暗闇と静寂の中、独り残されたナミは、声も無く鏡を叩き付けました。
←9へ 11へ→
|