魔女の瞳はにゃんこの目・2 −17−
びょり 様
激しい攻防の末、ツルツルだった鏡の広間は、見る影も無くズタズタに傷付いていました。
そんな中、解放された魔女が目をギラギラ光らせ、流氷の如くひび割れた床を歩いて来ます。
次いで片腕を血みどろに染めた麦藁坊主が…矢を体中にブスブス刺したハリセンボン剣士が…血濡れの白衣を纏った鼻少年が…少し間を空けて、頭が真っ二つに割れた巨大ロボットが、ズンズン近付いて来ました。
さながら百鬼夜行…迫り来るモンスター達の姿に怯えたスリムッドは、悲鳴を上げて壁に後退りました。
そうして傷が深かった為、逃げ遅れて床に倒れたままの信者達へ向い、大声で喚きます。
「…くく来る!!恐ろしい悪魔の群れが、あたしの命を狙ってこっちへ来るよ…!!――お前達、早くあいつらを1人残らず殺しちまっとくれ…!!!」
しゃがれた声を必死で絞り出すも、何故か信者達は身動き1つしませんでした。
誰も彼も近付く魔女を、目を皿の様にして見詰ているだけです。
「聞えないのかい!!!?悠長に寝てる場合じゃないだろう!!!早くしないとお前達の命だって奪られちまうよっっ!!!」
自分の命令を黙殺されたスリムッドは、カンカンに腹を立てて叫びました。
しかしそれでも信者達は、魔女を凝視したまま無反応で居ます。
「……あの少女の目…金色だ…!」
1人の信者が、ポツリと呟きました。
その言葉を皮切りに、あちこちでささめく声が聞えます。
「…確かに金色だ…陽の光の様に、眩く輝いてるぞ…!」
「…言伝えでは『金の瞳』こそ、『オレンジの森の魔女』である証だろう…?」
「…という事は……あの少女も先生と同じ、『オレンジの森の魔女』なのか…?」
「な…!何を言ってるのさ、お前達!!!騙されるんじゃないよ!!!あいつの金の目は真っ赤な『偽物』、あたしこそ真の『オレンジの森の魔女』に決って…!!!」
「――誰の目が『偽物』ですって?」
己の右目を指差し捲し立てていた老婆の体が、突然宙に浮きました。
次いで「ぎゃあ」と悲鳴が上るより早く、クリンと逆転します。
「…ひ…!ひ…!ひぃぃぃぃ…!!!」
信者の目の前で壁に逆さ磔にされた老婆の顔は、恐怖と屈辱と頭に血が昇るのとで、茹ダコの如く真っ赤に逆上せてしまいました。
そんな惨い仕打ちを自分が受けているというのに、誰1人として助けようとしません。
スリムッドは最早怒髪天を衝く勢いで、がなり立てました。
「何時までボケッと見てるんだ!!!?あたしを見殺しにする積りかい!!!?そんな事したら…世界が大地震に呑まれた時、誰がお前達の身を守ってくれるって言うのさ!!!?お前達、シェルターに入れなくてもいいのかい!!!?」
天地逆のまま、両目をカッと見開いて脅すスリムッドを、信者達は放心の態で見詰ます。
1人がまた、ポツリと呟きました。
「………先生の左目……金色じゃない…!」
「――え!?」
思い掛けない一言に、首から冷水を浴びせられた様な衝撃が走ります。
「……右目は金色だけど……左目は違う色だ…!」
「…そんな……左右で目の色が違うなんて…!」
「…金色の目こそ『オレンジの森の魔女』で在る証の筈なのに…!」
「…だとすれば先生は一体…?」
「…何故右と左で色が違う!?何故先生は片方しか金の目でないんだ…!?」
逆さにされた事で、常に顔半分を覆っていた長い白髪がバサリと床に垂れ、両の目を露にしていました。
右目は確かに金の色。
しかし常に髪で隠されていた左目は――極めて薄い灰色でした。
「その灰色の目こそ、婆ァの実の物。右目は義眼…真っ赤な『偽物』よ!」
老婆を取囲み、その目を覗き込んでいた信者達の後ろから、声が届きます。
気付けば魔女は、自分達の直ぐ側まで来ていました。
逆様になった老婆に向けて、魔女がパチリと指を鳴らします。
途端に老婆は頭から床に落ち、ガマの鳴声に似た呻きを上げました。
「……金の目が偽物って…じゃあ…先生は…!」
「…そう!その婆ァは『オレンジの森の魔女』じゃないわ!本物は――この、私…!」
立てた親指を自分に差向け、威風堂々魔女が名乗ります。
その両の瞳は、老婆の右目よりも尚煌く金の色。
見掛けは極普通の少女で在りながら、漂わせている気は明らかに常人のものではありませんでした。
「う…嘘だ嘘だ嘘だ…!!!そいつの言ってる事は全部出鱈目、このあたしが『本物』の魔女さ!!!皆そいつの言葉を信じちゃいけないよ!!!そいつは世界を滅ぼそうと企んでる恐ろしい悪魔さ!!!あたしの左目はそいつの魔力で灰色に変えられちまったんだ!!!本当は両方とも金色だったのに…!!!嘘じゃない…信じておくれよ…!!!」
「……ええ…そうでしょうとも…先生!…先生が嘘を吐いてる筈がない…!!」
浴びせられる視線に耐えかね、涙ながら弁解するスリムッドに、隣で倒れていた信者が縋り付きます。
その信者は広間に居た中では最も体格の立派な大男で、常にスリムッドの傍に立ち、護衛役に就いていた者でした。
「…先生は……真実『オレンジの森の魔女』ですよね…!?…全てを見て全てを知る、不老不死の偉大な魔女に間違い無いですよねえ…!?……私達を騙してたなんて事……有る訳ないですよねえ…!!?」
傷付いた体を起し、今にも泣出しそうな瞳で尋ねられます。
「……あ…ああ!ああ!も勿論そうさ!!…騙したりなどしてる訳が……」
引き攣った笑顔で返す言葉が、次第に小さくなります。
反対側から、更に縋り付く手を感じました。
もう1本…もう1本…もう1本と…幾本もの震える手が、スリムッドに向け伸ばされます。
「…先生は…本当の魔女ですよね…!?」
「…俺達を災い全てから守って下さる救い主ですよね…!?」
「…今こそ…今こそ私達を…その偉大なお力で守って下さい先生…!」
「…どうかこの恐ろしい魔物達を退治して下さい…!」
「…先生の力でなら出来る筈です…!」
「…どうか助けて下さい…先生…!」
「…私達を救って下さい…!」
傷付いた信者達が、スリムッドの元へズルズルと這いずって来ます。
ひび割れた鏡の床が鋭利な刃となって、その体を更に痛め付けるも、誰1人動きを止める者は在りませんでした。
這いずる度、白い服に付いた血の斑点が、数を増します。
その姿は極楽求めて蜘蛛の糸を掴まんとする、亡者の群れに似て思えました。
「……や…止めとくれ…!こっちへ来ないどくれ…!来るな…!!来るなああ…!!!」
髪に、首に、肩に、腕に、腰に、脚に…救いを求める手は、どんどん増えて行きます。
身の毛もよだつ光景に耐えかね、スリムッドは遂に悲鳴を零し、己の身に縋る手を死に物狂いで振り払いました。
「……いいわよ!なんなら魔女らしく、魔法対決で白黒はっきり付けましょうか!?」
見下ろす魔女が、せせら笑って言います。
広げて見せた両の掌から、火花がバチッと飛散りました。
「…あんたの右目を刳り抜いて、皆の前で偽物か本物か、明らかにしたげましょうか…!?」
火花が強まるにしたがって、可愛らしい少女の顔が、酷薄な魔女の顔へと変貌します。
「許さねーからな、お前…!」
魔女の左脇に立った麦藁坊主が、無傷な方の拳を握り締め、笑って告げました。
「もてなして貰った礼は、きっちり返さねェとな…!」
右脇に立ったハリセンボン剣士が、2本の刀をチャキンと交差して見せました。
「自分が『偽物』だって事を認めて素直に謝れェェ!!!でねェとこのドクターウソップ様がボコボコにしてやっからなァァ!!!」
その剣士の背後から、鼻少年が指だけを見せて啖呵を切ります。
『そうだそうだ!!博士の言うとおりあやまれェェ!!!』
『今までみんなをだましてゴメンなさいってあやまれよ!!!』
『でないとだまされた人達がかわいそーじゃないか!!!』
『フェ〜〜〜フェッフェッフェッ!!!』
天井の高さから見下ろす巨大ロボットの笑い声と、中からスピーカーを通して喋る子供達との声が、喧しく合さって降って来ました。
後ろは壁、周りは這い寄る信者の群れ、そして正面からは恐ろしいモンスター達…絶体絶命四面楚歌の大ピンチに追込まれたスリムッドは、すっかり血の気の引いた顔で押し黙るばかりでした。
――と、俄かに立上り、周りに居た信者を片っ端から突飛ばして、無理矢理退路を開きます。
その老人離れした行動力に、広間に居た全ての者が呆気に取られてる内――老婆はそそくさと扉から出て、1人広間から逃げてしまったのでした。
「なっっ…!!?しまっっ…!!!ああああの婆ァァ何処まで諦め悪ィんだ!!!おのれ逃がすか!!!追うぞOYABIN28号とお前らァァ!!!」
『『『ラジャー!!!』』』
『フェ〜〜〜フェッフェッフェッ!!!』
逸早く我に返ったウソップが、アチョーと無意味なポーズを取って悔しがります。
そうして白衣翻してチビトリオ&OYABINに指令を下すと、老婆の後を追って広間を飛出して行きました。
続いてOYABINが扉からは無理なので壁を――グワッシャンメキドガッッ!!!!と突き抜け、地響き立てて追って行きます。
更にその後から……スリムッドに捨て置かれた信者達が、満身創痍の体を引き摺り、出て行きました。
「…先生…何処へ…?」
「……先生…私達を見捨てないで…!」
「…先生ェ…!」
口々に喘ぐ声が、次第に遠ざかります。
巨大な人型に開いた壁の穴から廊下まで、ロボの足跡と生々しい血の道が、ずっと続いて見えました。
静まり返った広間に残されたのは、ひび割れた鏡…粉々に砕けた槍と弓矢…鮮やかな血溜り…。
そして麦藁坊主と、針山剣士と、金の目の魔女の、3人。
「…で、どうして俺達だけ此処に残したんだよ?」
「早く追っ駆けねーと、また逃げられちまうぞ!!」
右手左手で掴まえられたゾロとルフィが不満を表します。
ウソップ達が広間を出た時――ルフィとゾロも逃げる老婆の後を追って出る積りでした。
しかし何故かナミは、2人の腕を捕えて、その場に残したのです。
「…何も全員で追跡する事もないでしょ。此処はウソップ達に任せとけばいいわ。」
「でもよー、またビックリ仕掛け使って、まんまと何処かへ隠れちまうかもしんねーじゃん!」
「下手すりゃ外に逃げられちまうかもしれねェだろ?そうなったら面倒だぜ。」
「あの婆ァの性格からして外に逃げる可能性は0よ。大丈夫、何処に隠れる積りか、既に見当付いてるから。そんな事より……その傷、早く何とかしろ!!!」
グイッと2人の胸倉掴まえ怒鳴ります。
「まるでゾンビか落武者…見ているこっちが気持ち悪くて倒れそうだわ!!」
ナミの言う通り、2人共まったく酷い有様でした。
左腕の皮をごっそり削げ落とし、血みどろの筋肉を露にしているルフィ。
脳天から爪先まで矢を突刺し、至る所から流血さしてるゾロ。
2人の流した血が床のひびに溜り、幾筋もの血の川を作っていました。
「そんな状態でよく無事に立ってられるわね!?ちょっとくらい死に掛けなさいよ!!」
「…なんか死ななくて残念みてーに聞えるな。」
「それが助けて貰った者の言う台詞かよ、てめェ!?」
「せめて人間らしく貧血くらい起してフラつけって言ってんの!!そんな何時までも何十本と矢をブッ刺して……頭だけでなく、全身之サボテンになる積り!?」
「るせェな好きで刺してる訳じゃねェ!抜いたらそれこそ血がビュービュー噴出して失血しちまうから、仕方なくそのまんまにしてんだろが!」
「うはははは♪サボテン!!!ピッタシじゃねーかゾロ!!!」
「あんたも人の事笑ってられる立場かルフィ!!!」
「痛ェェーーーーー…!!!!」
自分を棚に置き、ルフィは然も愉快そうに、ゾロを囃し立てます。
そんな彼のブラッディーな左腕を、ナミは遠慮無く思い切り引張りました。
忽ちルフィが悲鳴を上げます。
「……痛っっ…!!痛っっ…!!……バッ!!お前っっ…!!本当にちぎれちまったら、どうすんだああーー!!?」
「うっさい!!!!千切れたらくっ付けたげるから、じっとしてろォーー!!!!」
「へ?くっ付ける??出来んのか、おめェ、そんな事…???」
ルフィが泣きながら抗議するも、ナミは腕を掴んだまま離そうとしません。
怪訝に思い見ている内――掴れた手首からジワジワと這い上って来る熱を感じました。
温かく柔らかい金色の光に、患部が包まれます。
驚いてる間も無く、左腕は元通りに再生されました。
「…治療完了!!ちゃんと動かせるか、試してみて!」
言われた通り、腕をグルグル回してみたり、指をワキワキ動かして見せます。
「…良かった!大丈夫そうね!」
問題無く動かす様子を見て、ナミは安堵の溜息を吐きました。
「すっげェ〜〜!!!完っっ璧に元通り治っちまってる…!!ホントすっげェ〜〜!!!」
「はー、まったく凄ェな…医者要らずじゃねェか!」
傷1つ無い腕をシゲシゲ見回し、2人は頻りに感嘆します。
千切れて片っぽだけノースリーブとなったコートに付着する夥しい血痕だけが、
元有った傷の深さを伝えていました。
「次はゾロよ!早くいらっしゃい!」
手招きされて、抜いてた刀を元の鞘に戻し、ナミの前に座ります。
するとナミは、突然ひしとゾロに抱き付いたのでした。
「ななっっ…!?なっっ…!?何だっっ!??急に…!!?」
「誤解しないでよ…!……あんたみたいに傷が全身に渡る場合、こやって接触面積広くしないと、治療し切れないんだもん…仕方ないでしょ!」
予告無く抱擁を受けて動揺するゾロに、ナミはつっけんどんな口調で説明しました。
その言葉通り、触れてる箇所から陽の光に似た温かさが伝わって来ます。
熱は体の隅々まで行渡り、矢で穿たれた穴を塞いで行きました。
体に刺さっていた矢が悉く抜け、バラバラと音を立てて床に落ちます。
サラサラと鼻を擽るオレンジ色の髪。
吸込めばオレンジの甘酸っぱい香り。
伝わるナミの鼓動…喧しく響く己の鼓動。
押付けられる胸の柔らかさに、箒の上で掴んでしまった時の記憶を思い起しました。
「…何思い出してんのよ、スケベ!」
胸にしがみ付くナミが、首を伸ばしてしかめっ面を見せます。
その頬には、ほんのり紅が差してる様に思えました。
「……覗きは止せって言ったろ、出歯亀女!」
答える自分の顔にも、火照りが感じられます。
「見られて困るもんは何も無いんじゃなかったの?」
「…ほんっと根に持つ女だな。」
「見られたくなければ、金輪際こんな大傷作らない事ね。」
見詰る金の瞳が、悪戯っぽく笑います。
「そう言わずに、これからもちょくちょく治療してくれよ。医者に掛かる手間が省ける。」
「都合良く魔女を使おうとしてんじゃないの!……それに……私にだって……不可能な事有るし……」
そう言って微笑む顔に、一瞬だけ憂いが過りました。
「………死んだ命は蘇らせられない……よく覚えておくのね。」
体を包む光が次第に弱まって行き…完全に治まった所でナミが体を離します。
解放され、次第に冷えてく胸の熱を、ゾロは少しだけ惜しく感じました。
「ちぇーーーー…なんだよ………やっぱりひいきしてんじゃねーか…。」
側で胡坐を掻いて治療の様子を眺めていたルフィが不平を零します。
明朗快活な彼にそぐわない、僻んでる様な響きを感じ取り、ナミは苦笑しました。
「くだらない邪推すな!…言ったでしょ!ゾロが負った傷の範囲は広いから、こうするより無いんだって…!」
「あ〜〜あ〜〜…こんなんだったら俺が矢面に立ちゃ良かったなァ〜〜〜!」
「何不謹慎な事言ってんの!?――ほら、さっさと婆ァ掴まえに行くわよ!!」
何時までも残念そうに溜息を吐いてるルフィにデコピンかますと、ナミは2人に先んじて広間を出ました。
「…なー…今度俺が大ケガして死に掛けたら、ゾロの時みたく治してくれるか?」
背中にぶつけられた問いに足を止め、振返ります。
未だ広間に座る2人を見比べた後、ナミは笑って言いました。
「馬ァ鹿!…そう簡単にあんたが死に掛かるか!」
再び暗い廊下を歩き出したナミは、もう2度と振返ろうとはしませんでした。
広間に残された2人は、互いに肩を竦め合うと、立上り、急いでナミの後を追っ駆けました。
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