部屋の中に入って、まず目に飛び込んだのが布団。
6畳一間の真ん中を占領している、敷きっ放しの布団だった。
ゾロはぎょっとしたが、ナミは特に気にした様子もなく、素早く靴を脱いで上がりこむ。
兄妹 −2−
四条
「お邪魔しマース。」
「待て待て待て待て。」
今にもちょこんと布団の上に座りそうなナミを引き止めた。
こんなところに居られたら、いくら理性があっても追いつかない。
強引に布団の片側を捲って折りたたみ、抱え上げては足で押入れを開け、その中に布団を押し込んだ。
開いた畳の上に、いつもナミが来た時に敷いているクッションを出してやり、そこにナミを座らせる。
ゾロは背後の台所に行き、冷蔵庫を開けて舌打ちした。何もない。
そういえば、さっきここで飲み会をしようとコンビニで買い込んだ飲食物は、全てサンジが持ち帰ってしまったのだった。
「悪いな、水しかない。」
「お構いなく。」
無造作にコップに汲んだ水を持って、ナミの前に胡坐をかいて座り、自分とナミの前に置いた。
「さぁ、話してもらおうか。」
ナミは畳の上に置かれたコップを両手で取り上げて、目の前まで持っていった。
しかし飲もうとはしない。汚れでもついてたか?とゾロは思う。
しかもそのまま時間が過ぎること数分間、なおもナミは口を開こうとはしなかった。
「なんだよ、ここなら話せるだろ。」
「なんか・・・・ゾロ、こわい。」
「はぁ?」
「なんでそんなキツイ言い方するの?いつものゾロじゃない・・・・。」
そう言われて、確かに尋問のような口調になっていることに気づく。
声にも苛立ちが混じっていた。
早く、手早く終わらせて、ナミを帰さなくてはという焦りがそうさせた。
「悪い、気をつけるから。とにかく、話してくれなきゃ、俺はどうすればいいのかサッパリ分からねぇ。」
「うん・・・ごめん、そうだよね。実はね・・・・、」
その時、ゾロの携帯が勢い良く振動し始めた。
またエースからだった。
出るべきかどうか考えた時、すっと俺の携帯を持つ手にナミの手が添えられた。
見ると、ナミ大きな瞳でじっとこちらを見つめて、首を横に振っている。
出るなということだろう。
仕方なく、振動が途切れるのを待った。
鳴り終わってからもゆうに5分は経っただろうか、ようやくナミは口を開いた。
「実は・・・・私、ホントの娘じゃないみたいなの。」
「は?」
「だから、パパとママの子供じゃなくて、他所の子らしいの。」
どこの国のおとぎ話だ?
「私はパパともママともエースともロビンと血が繋がってなくて、」
「ああ、分かった分かった。」
「ちゃんと聞いてよ!」
ナミが大声を張り上げたので、思わずゾロは黙り込む。
見てみると、ナミは目に涙をためてゾロを睨んでいた。
ゾロは少し態度を改めて、聞く姿勢をとった。
ナミが言うことには、ナミと両親は最近、進路のことで揉めていたのだという。
ナミはロビンとエースが通う某国立大学へ進学したいと考えていたが、両親は無理をするなといってワンランク下の大学を勧めてきた。
両親はもちろんナミのことを想ってそうアドバイスしてきた訳だが、その気遣いはナミの心を傷つけた。
期待されていない、自分はそんなにデキがよくないと両親に想われている、と思ってしまったのだ。
反発して、両親と口も聞かない日もあった。
そして今日、学校から帰ってきて、たまたま居間での両親の会話を立ち聞きてしまった。
(どうしてあんなに頑固なのかしら。やはり血が繋がってないから・・・・時々、あの子のことが分からなくなる。)
(それもあの子らしさだね。それに、たとえ血が繋がっていなくても、これからも俺達の子供であることには変わりはないさ。)
一瞬、二人が何を話しているのか分からなかった。
でも、頭の中で意味を租借して理解した時、目の前が真っ暗になって、ナミは家を飛び出してきた。
「私、やっと分かったの。どうして私だけ一人デキが悪いのか。ロビンもエースもあんなに何でもできるのに、私だけできないのか。」
姉のロビンは優秀で、ナミが志望する大学を主席で卒業、その後大学院に進み、現在は博士課程の3年目である。
エースもまた、勉強でもスポーツでも、その他あらゆることで神童の名をほしいままにしてきて、現在はロビンと同じ大学の3回生だ。
3人兄妹のうち、ナミだけは平凡だった。そんなに飛び抜けた能力も才能もなく、可もなく不可もなく。ただ可愛らしさを褒められるだけだった。
「確かに、ロビンにしろ、エースにしろ、どっか突き抜けてるつーか、すごいもんな。」
少し憧憬の篭った目をしてしみじみとゾロは言う。
幼い頃から近くで一緒に育ったので、彼らのスペシャルなところは身にしみている。
「そうね。なんせゾロの初恋の君だって、ロビンだものね。」
「!」
ナミの唐突な発言に、ゾロは顔を赤くする。図星なのだ。
そして、男にはなぁ、ああいう年上の、ロビンみたいな女に憧れる時期が必ずあるもんなんだよ!と、しどろもどろに言い訳のようなことをするのだった。
「でもまぁ俺の場合、すぐに手が届くような女じゃないって悟ったっつーか。」
「それで仕方なく、見劣りする私を選んだってわけね。」
「そんなこと誰も言ってねーだろ!」
そうなのだ、昔から、みんな優しくて賢くて綺麗なロビンのことが大好きで。
もちろん、私もロビンのことが大好きで。
いつもロビンは私達の中心だった。
面倒見がよくて、幼い私達の相手を根気よくしてくれた。
でもいつの頃からだろう、大人びて、少し私達と距離を置くようになったのは。
大学に行ってから研究室に篭ってしまうことが多くなった。
もともと歳が一人だけ離れていることもあるし、学業が忙しくなったのだろうけど。
(お姉さんが継がれても、お兄さんが継がれても、将来が楽しみですね)
近所の人達がいつも両親に言う言葉。
ナミの実家は事業をやっていて、その後継者として取沙汰される姉達。
でもナミはそんな期待をかけられたことがない。
二人も上がいれば、ある意味当然かもしれないが、何も期待されてないようで悲しかった。
「お前、そんなこと考えてたのか・・・。」
「そうよー、こう見えてもいろいろ悩んでるんだから。でもこれでよく分かった。私はあの家には必要ない人間なんだ。」
「・・・・・。」
「パパとママには優秀な子供が二人もいるんだし。ましてや私は他人なんだし、もうあの家に私の居場所なんてない。私は出て行くしかないの。」
そこまで言い終えるとナミは一息ついたようで、その後は唇を噛み締めて押し黙った。
ゾロは大げさに溜息をつく。
「言いたいことはそれだけか?」
「え?」
ナミが顔を上げたので、真っ直ぐにその目を見据えて言い放つ。
「バッカじゃねぇの?」
「!」
「何イジけたこと抜かしてやがるんだ。今のお前見てたら、俺が親でも愛想尽かすかもな。」
ナミの顔がカッと朱に染まる。
何か反論したげなのを遮って、ゾロは畳み掛けた。
「親兄弟の絆ってのは、そんなものなのか?血の繋がりが全てか?」
「お前らは誰がなんと言おうと、何があっても、親子だ。兄妹だ。たとえ血が繋がってなかったとしてもだ!」
「生まれてこの方18年間、ずっと家族でやってきたんだろうが。その絆は、昨日今日じゃ切れやしねぇよ。それに、その耳で聞いたんだろ?『血が繋がってなくったって、あの子は私達の子供だ』って。」
「キレイな服を着せてもらって、うまいもん食べさせてもらって、好きなだけ勉強できて。今まで一度でも苦労したことなんてあったか?親から苛められたことがあったか?」
ナミはフルフルと首を振る。
「無かっただろ?愛情をかけて健康に真っ直ぐ、大事に育ててもらったんじゃねぇか。親が他人だなんて、疑いもせずに生きてきたんだろ?」
「それにだ、たとえもし本当に血が繋がってないのだとして、これから一生を懸けて今まで受けた恩を返していこうってんならともかく、それすらもしないで、てめぇの勝手で出て行くなんざ、見当違いもいいとこだ!分かったか!!」
ナミは驚いたようにゾロの恫喝を聞いていたが、しばしの後、目を静かに閉じて小さく頷いた。
ゾロの言う通りだった。
生まれてこの方、不幸だなんて思ったことがない。
ロビンとエースという兄姉がいて、あの家族の中で育って、幸せだった。
「分かったんなら、さっさと帰れ!おら!」
ゾロは立ち上がり、ナミの腕を掴んで強引に引っぱり上げた。
それに吊られてよろよろとナミも立ち上がったが、顔は伏せたままだった。
そのままみるみるうちに肩が震えだし、そして、
「うわーーーーん!」
泣き出した。
大声で、一気に、体の中に溜まっていたものが弾けて、ほとばしり出たように。
大粒の涙が次から次へと、瞳からこぼれ落ちていく。
片方の手の甲で目を覆い、耳を真っ赤にさせて、声の限りを尽くし泣いている。
ゾロは大きく息を吐きだした。
そして手を伸ばし、ナミの身体を腕の中に閉じ込める。
「悪かった、言い過ぎた。」
ナミも両腕をゾロの背中に回してしがみつく。
胸に顔を押し当てて、尚もヒックヒックとしゃくりあげる。
「ショックだったんだよな?」
小さくコクリと、腕の中でナミは頷いた。
それはそうだろう。
実の親子じゃないかもしれないなんて、自分の存在の根底を覆すような事件だ。
動揺しない方がおかしい。
ゾロはナミが心のうちに秘めていた葛藤を今初めて知った。
一言で言えば劣等感。
優秀な姉と兄を持つ者の悲哀。
そんなものを抱いていたなんて。
今までそんな素振りも見せたことがなかった。
ナミはすこぶる明るくて屈託がなくて、ロビン達兄妹の中でも一番のムードメーカーだった。
そんな妹を、二人の姉と兄がこよなく愛していることは、他人のゾロには痛いほどよく分かっていた。
だからこそナミと付き合う時、彼らに一言入れたのだろう。大事な妹さんを貰い受けますのでと。
やがてナミは腕の中で静かになった。落ち着いたようだ。
身体を少し離して、ナミの顔を見た。
目元を赤くして、少し照れくさそうにしてる。
「大丈夫か?」
「うん。」
「じゃぁ帰れるな?」
「・・・・。」
「どうした?」
すると、ナミが再び顔をゾロの胸に押し付けて、ひしっとしがみついてきた。
「これから私、どうしたらいいんだろ。今まで通りパパ達と接する自信がない。」
「今まで通りでなくてもいいんじゃねぇの。でもまずは、事実かどうか確かめることだ。それで、とことん話し合えばいい。」
「うん・・・・。」
「まぁきっと、元のさやに収まるだけだろうと俺は思うけどな。」
「どうなっても、ゾロは変わらないでいてくれる?」
ゾロの胸元から顔を上げ、不安そうにゾロをひたと見つめる。
そんなナミに、ゾロは思わず苦笑いして頭を撫でてやる。
「アホか。そんなん当たり前だろうが。」
「よかった・・・・。」
「さぁ帰るぞ。送っていく。」
「なんか・・・・余計に帰りたくなくなっちゃった。」
そうポツリと呟いて、ナミはどこか困ったように微笑んだ。
おいおいおいおい・・・・なに可愛いこと言ってくれるんだ。
「あのな、ナミ、今夜は無理だから。みんなが心配してるだろ。」
「・・・・そうだね。」
ナミもそれはよく分かっていたのだろう、とても聞き分けがよかった。
もういつものナミだ。
今夜は無理だが、いつかきっとそう遠くない日に、なんとかエースの目を誤魔化して―――などと考えていた時、部屋の扉が蹴り破られた。
扉の向こうに、エースが立っていた。
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