魔女の瞳はにゃんこの目・3 −10−
びょり 様
最初感じたのは、痛みよりも激しい熱さでした。
じわじわと背中から腹へと伝わる熱がむず痒く、ルフィはその箇所を手探りで確めました。
硬くて薄べったくてヌルヌルした物が、己の背中から腹へと突き通ってるのが判ります。
恐る恐る下を向くと、血塗れの剣が腹からにょっきり伸びていました。
そこで漸くルフィは、自分が黒甲冑の首無し騎士の剣に、串刺された事を自覚したのです。
剣が引き抜かれるのと同時に、ルフィの背中と腹から、血が勢い良く噴出しました。
あたかも噴水の如くビュルビュル噴出したそれは、瞬く間に床を真っ赤に染めてしまいました――ただ結界の円の中を残して。
力無く膝を着いたルフィを、更に5本の剣が、前から串刺しました。
ブスブスブスブスブスと、胸両腕両脚を刺した剣の勢いで、ルフィの体が床に仰向けに磔られます。
「げぼォッ…!!」と呻いたルフィの口から、夥しい血が吐き出されました。
「ルフィー!!!…うあああ…!!!!」
居ても立ってもいられず、ゾロが2本の刀を構えて、円から飛び出そうとします。
ウソップも真っ蒼な顔で、泣きながら飛び出そうとしました。
『待って2人共!!!落ち着いて話を聴いて!!!』
しかし鏡の向こうに居るナミは、円から出て行こうとする2人を制止しました。
「煩ェ!!!この期に及んで何を話そうってんだ!!?ルフィを見殺しにする積りかよ!!?あいつはおまえと違って、死んだらそれきりの人間なんだぞ!!!」
床に転がる鏡の少女に向い、ウソップが厳しく抗議します。
仲間のピンチを前に、冷静で居られるおまえが信じられない。
涙ながら睨み付ける彼の表情からは、そんな不審が読み取れました。
そこへゾロが、ウソップを押し退けて、顔を覗かせました。
首を軽く振って「話せ」と促します。
彼のジェスチャーに力を受けたナミは、焦らず素早く化物の正体を明かしました。
『この部屋の化物は全て幻覚!
攻撃を喰らっても、気をしっかり保ってれば死にはしない!
ルフィの事は私に任せて、ゾロとウソップは私の言う通りに動いて!』
「幻覚ゥ!?んな事信じられっかよ!!ルフィがあんな血を出して苦しがってんのに…!!」
「解った!どうすればいい!?」
説明を聞いて尚ウソップは疑いを消しませんでしたが、ゾロは直ぐに真剣な面持ちでナミに指示を仰ぎました。
ナミが浴槽に浸かった姿勢のまま、2人の背後の壁を指差します。
『壁画に描かれた絵の中に、黒衣を纏った1つ目の男が居たでしょ!?
ゾロ!あんたの刀で、そいつの1つ目を貫いて!!
そうすれば部屋にかけられた魔法は解けるわ!!』
「貫けったって!!…部屋が真っ暗で壁の位置すら掴めねェのに…!!」
『早くっっ!!!でないとルフィが本当に死んじゃうっ…!!!』
訴えるナミの顔から、大粒の涙が零れます。
その瞳は何時の間にか、金色に輝いていました。
――次ハ、右目ヲ潰シテヤロウ…!
ドームに不気味な声が木霊した直後、ルフィが凄まじい悲鳴を上げました。
ハッとして振り返ったそこには、右目を剣で貫かれたルフィの姿。
『ゾロ!!!お願い、早くっっ…!!!』
ナミから縋る様な眼差しで催促されるも、狙い所が判らなくては動きようがありません。
ゾロが躊躇してるそこへ、ウソップが勇ましい声を掛けました。
「『1つ目』の位置が判れば良いんだな!?だったら俺に任せろ!!」
白衣のポケットを探って、ゴーグルとピストルと弾丸を取り出します。
ゴーグルは自作の暗視スコープで、暗闇の中でも目標をバッチリ捉えられる優れ物。
ピストルもやはり自作で、素早く中に詰めた弾丸は、発光弾でした。
装着したゴーグルでターゲットを捕捉、『1つ目』を狙い打ちます。
――パァン…!!!と音を立てて放たれた発光弾は、見事的に当たって位置を明らかにしました。
「っしゃあ!!!」とウソップが叫んで、ガッツポーズを決めます。
「でかした!!!ウソップ!!!」
それを合図に、ゾロが2本の刀を構えて、円の外に飛び出しました。
緑の光を放つ的目掛けて走る彼の周りに、化物がわらわらと集ります。
飛び交う女の生首、骸骨の歩兵、首無しの甲冑騎士を薙ぎ払って進む彼の背後で、再びルフィの悲鳴が上がりました。
「ルフィ…!!?」
『ゾロ駄目っ…!!』
声に気を取られて振り返った瞬間、隙が生まれてしまいました。
背後から――ビュン!!!と空気を震わし、首無し騎士の剣が振り下ろされます。
気付いた時には、ゾロの右腕は肩からバッサリ斬られ、刀を掴んだまま血溜りの中に転がっていました。
「ゾロォォォ…!!!」
円の中のウソップが半狂乱になって呼び掛けます。
一瞬の内に失くされた右腕。
体を駆け抜ける激痛は、幻覚とはとても思えない、リアルな感覚でした。
それでもゾロはナミの言葉を信じ、残った左腕で化物共を斬り倒しながら的を目指しました。
――右目ト左目ハ潰シタ…!
――次ハ首ヲ斬リ落トシテヤロウ…!
円の外側で、無残にも磔の刑に処されたルフィの耳に、不気味な声が尚も囁きます。
首無し騎士が己の首を狙って振り被るのを覚っても、彼には最早抵抗する気は有りませんでした。
ゆっくりと首を円の方へ傾け、必死に自分の名を呼ぶウソップに、胸の中で密かに詫びました。
――悪ィ、ウソップ…俺、死ぬわ。
潰された目蓋に、3人の仲間の笑顔が浮びます。
――ゾロにナミ、おまえが仲間になって、これから楽しくなるって思ったのになーー…
全身を痛みに蝕まれていながら、彼の頬は不思議と緩みました。
悔いを残してない訳じゃないけど、それなりに満足した人生だった。
死の間際にジタバタすんのはカッコ悪い。
そう思い、眠りに就こうとした時です。
光を失くした頭の中で、ナミの声が響きました。
『ルフィー!!!
眠っちゃ駄目!!!
生きるのを諦めないで!!!
化物は幻覚、あんたが受けた痛みも本当じゃない!!!
気を強く保って居れば、死にはしないわ!!!
シャンクスは――シャンクスも昔、あんたと同じ目に遭って、生きて返って来たのよ…!!!』
その声が届いた途端、ルフィの目蓋にシャンクスの姿が浮びました。
自分と同じ目に遭い、シャンクスは生きて返って来た。
シャンクスが打ち克ったのなら、自分も負ける訳にいかない。
ルフィの胸に強い気持ちが蘇ります。
その時――ヒュウ!!!と空気を鋭く斬る音がして、首筋に冷たい物が当たる感触を覚えました。
間を置かず襲い来る、息苦しさとリアルな痛み。
それでもルフィは歯を食い縛って耐えました。
――諦メロ…オマエハ死ヌ…!
闇の中で嘲る様な声が木霊しました。
「死なせねェェェ…!!!」
首が斬り落とされる寸前――間一髪でゾロの妖刀が絵の中の『1つ目』を貫きました。
直後、彼らを取り巻く壁中から、物凄い唸り声が轟きました。
声は呪いの言葉を暫く放っていましたが、次第にか細い啜り泣きに変わり、何時しか部屋は元通りの静寂と闇に包まれていました。
水明鏡が放つ蒼い光の下、確めた床には、血など一滴も残っていません。
起き上がったルフィとゾロが、恐る恐る自分の体を確めます。
切断された右腕は、ちゃんと右肩にくっ付いていました。
貫かれた背も腹も胸も両腕も両脚も両目も首も無事。
体中の何処にも痛みは残っていませんでした。
「………本当に幻覚だったんだなァ……」
放心した様子でウソップが呟きます。
あれほど喧しく暴れていた化物の声も姿も、煙の様に掻き消えてしまいました。
自分達は揃って悪い夢でも見ていたのか?
ゾロがルフィの傍に近寄り、彼の両肩をポンポンと叩きました。
お返しにルフィも、ゾロの両肩をポンポンと叩きます。
「ハハハ…生きてた!」
「ハハハ…生きてるぜ、まったく!」
何度も何度も叩き合いながら、2人揃って笑い転げました。
釣られてウソップも笑います。
ドームいっぱいに少年達の朗らかな笑い声が木霊しました。
『ルフィ!ウソップの足下の銅鏡を、床から剥がして持って来て!』
「どーきょー??」
ナミから言われ、ウソップの足下に有る銅鏡を見詰めます。
結界を張って自分達を護ってくれたそれは、よく見るとシャンクスが残した銅鏡を、6回り位大きくした様な代物でした。
思い起せば、ナミに出会う切っ掛けであり、冒険の発端となった鏡――
彼女に言われた通り床から剥がそうとすると、難無く持上げる事が出来ました。
どうやら嵌め込まれていただけで、元より外せる仕組みになっていたようです。
『…それも勝負に勝って貰える賞品よ…。持って来て…私に見せて…』
そこまで話した所で、鏡の向こうのナミの様子がおかしい事に、少年達は気付きました。
湯から出した顔を窺えば、茹ダコみたいに真っ赤です。
「ナミ…おまえ…ひょっとしてのぼせてるんじゃ…?」
尋ねるゾロの前で緩慢に頷き、そのまま前のめって、ゴボゴボと湯の中に沈没してしまいました。
「お…おい!!ナミ!!?」
「うわァ〜〜!!!ナミがおぼれ死んじまう〜〜〜!!!」
「ヤベェ!!早く助けに行くぞ!!!」
ゾロの号令を受けたルフィが、銅鏡片手にすぐさまドームの扉を抉じ開けます。
そうして彼らは先を争って、ナミが居る階下の部屋に急ぎました。
←9へ 11へ→