魔女の瞳はにゃんこの目・3 −6−
びょり 様
中央広場を飛立った箒は、港を過ぎ湖を過ぎて、紅葉する森の真上までやって来ました。
森の遥か向うには、なだらかな稜線が続いています。
夕陽で真っ赤に染まった山並みは、さながら燃えている様に思えました。
「どうしたのルフィ?珍しく静かじゃない」
後ろを振り返ったナミが、心配気に尋ねます。
市役所を出てから、ルフィはずっと無言のままでした。
日頃元気で喧しい分、異常に思えて仕方ありません。
「出された茶菓子だって残して来るしさ。普段皿まで齧ろうとする、あんたらしくないわ」
訊いても黙って居るのを見て、諦めたナミが首を戻そうとした時、ルフィがぼそりと呟きました。
「…俺…冒険の話は何時も聞いてたけど…シャンクスが何をやってるのかは、全然知らねェ…」
触れてる肌から彼の言いたい事は伝わって来ましたが、ナミは敢えて言葉を待ちました。
「…何で教えてくれなかったんだろ?」
「そりゃ理由は色々考えられるでしょうね。単純に『教えたくなかった』か、或いは『教えられなかった』か、はたまた『あんたなら教えなくとも知ろうとするだろう』…」
「シャンクスは俺が知るのを待ってるのか?」
「あんたが話すシャンクスのイメージと、あんたの性格から思い付いただけよ」
2人が話してるそこへ、ゾロが「おい!」と声を掛けて来ました。
振り返って、彼が指差す方向を見詰めます。
箒の下、森に隠される様に、大きな館が建っているのが見えました。
「此処が『魔女』の住んでるって言う博物館ね!」
カリファから貰った地図を見て確認し、1回ピョンとジャンプしてから、一気に箒を降下させます。
急降下の風に煽られ、体の浮き上がったウソップが、甲高い悲鳴を上げました。
目の前に建つ博物館は、まるで宮殿の様に華麗でした。
赤煉瓦の壁、白い窓、青い屋根。
シンメトリーの佇まいは、指でドレスを抓み、お辞儀する貴婦人を想像させます。
天辺のドームには、金の王冠が飾られていました。
建物正面の庭園には、美しく刈り込まれた芝生が広がっています。
箒から降り立ったナミは、黄金色の夕陽を浴びて煌く建物を、うっとりと見上げました。
「素敵ねー…」
「しっかし教会かと思えば市役所だったり、宮殿かと思えば博物館だったり、外から訪ねて来る人間にとっちゃ紛らわしいトコだな」
「どうせなら王様連れて来て、本物の城にしちまえば良かったのに!」
「あら、らしくないからこそ、洒落てんじゃない!…この建物もあの変態大工が建てたのかしら?考えたくないわー」
「そんな事よりマズイだろ!正門通らず入っちまっちゃ!折角向うが『門を開けて待ってます』っつったのに…」
気配りの人ウソップが、館の主の心遣いを慮って注意します。
「開門されてんなら構うこたないでしょ?大体上から飛んで来る魔女が、律儀に門を開けて通りますかっつの!――あ、薔薇の香り…見て見て!薔薇園が有るわ!」
けれどナミはウソップの注意をバッサリ斬捨て、庭園内に在る薔薇園を見付けると、勝手に足を踏み入れてしまいました。
彼女に呼ばれてルフィとゾロが、ウソップも躊躇いがちに中へ入ります。
そこは彫刻の建つ噴水を中心に、薔薇が二重三重の囲みを造って、園を構成していました。
赤白黄色、ピンクにオレンジ、青に薄緑に紫、様々な色の薔薇が咲き誇っています。
複雑に重なる花弁を観比べていたナミ達を、突然聞き覚えの無い声が呼びました。
慄いた4人が声のした方へ一斉に振向きます。
「市長から連絡を受けて待っていたわ。ようこそ、可愛い訪問者さん。此処で館長を務めている『ニコ・ロビン』です。宜しくねv」
全く気配を立てず傍に寄った女は、そう自己紹介した後、4人に握手を求めました。
身を屈めた瞬間、紫色のスーツの胸元から、薔薇の香水が香りました。
花の様に麗しい笑顔、象牙色の肌、通った鼻筋、艶めく唇、完璧なプロポーション。
カリファに負けず劣らず絶世の美女と握手を交わしたウソップが、逆上せて「ほあー」と口から変な声を出しました。
肩の位置で切り揃えたストレートの黒髪と、闇の色を湛えた瞳が目に入った時、ふとナミの脳裏にカリファが耳打ちした言葉が蘇りました。
――気を付けて…あの女は世界で最も邪悪な『黒の魔女』と噂されているわ…。
握手に応じながら、じっと黒い瞳の奥を探ります。
向い合った彼女も対抗するように、ナミの茶色い瞳を見据えました。
館内に4人を招いたロビンは、陳列されている奇妙で不可解な代物を、順繰りに観せて廻りました。
「この博物館に集められてるのは、全てシャンクスのチームが発見し、彼から寄贈された物よ。古代虫を踏み付けた靴跡、古代の遺跡から出土した水晶製のレンズ、ほぼ正確な球状に加工された巨大石球、千数百年経て尚錆びない鉄柱――ああそこの硝子ケースに入ったダイヤには極力近付かない方が良いわ。傍に居る者に呪いをかけると云われているの――シャンクスは特に『オーパーツ』に興味を持っていたから、この館でも主にそれらを中心に展示しているわ。オーパーツとは『Out of Place Artifacts(場違いな遺物)』の略語、考古学上有得ない古代遺物を指す言葉よ」
豪奢なシャンデリアが淡い光を降らすフロアで、子供達相手に専門的な解説をする彼女は、考古学に根っから強い興味を持っているようでした。
ロビンの話をルフィとウソップは目を輝かせて聞き、目に付いた物を指してはガイドをせがみました。
反対にゾロは眉に唾を付けて眺めるだけで、終いにはフロアに置いてあった長椅子をベッド代りに寝てしまいました。
休館という事で、ロビンと4人の他、館内に人影は見当たりません。
木の床はルフィ達が踏む度に、ギイギイと不気味な音を立てて軋みました。
2階フロアへ続く階段にロビンが足を掛けた所で、痺れを切らしたナミが呼び止めました。
声を掛けるついでに、側の長椅子で寝転がってたゾロを、蹴飛ばして起します。
自分を見上げる険しい表情から悟ったロビンは、彼女が用件を切り出すより早く口にしました。
「御免なさい。ついガイドに夢中になって忘れていたわ。…シャンクスのチームの足取りを記した地図が欲しいんだったわね?」
「持ってるの?」
「ええ、持ってるわよv」
ロビンがにっこりと顔を綻ばせました。
「くれるのか!?」
彼女の言葉を聞き、ルフィが興奮した面持ちで尋ねます。
「あら?ただであげろとは伺ってないわ。私と勝負をして勝ったらって約束じゃなかった?」
自分に注目する顔を見回しながら、ロビンが余裕綽々の微笑を浮かべました。
「勝負ってマホーでか!?マホーで戦えって事か!?」
「よォしナミ!!俺達の為に死に物狂いで戦って来い!!」
「うっさい鼻!!あんまり調子に乗ってると、盾に変えちゃうから!!」
「魔法で対戦する訳じゃないわ。勝負と言っても『肝試し』よ」
そう言って笑ったロビンは、4人を最上階のドームに造られた部屋へと案内しました。
スイッチを入れた途端、降り注いだ光が、ドームの壁いっぱいに描かれた、奇怪な絵を浮び上らせました。
先ず目に付いたのは、金の冠を戴き、黒衣を纏った1つ目の男。
8本の脚を持つ黒くて巨大な馬に乗ったその男の後ろには、黒い甲冑を着た首無
し騎士、骸骨の歩兵、首だけで空を飛ぶ女といった、魑魅魍魎が付き従っています。
おどろおどろしい一群が吹雪の夜空を飛翔する光景を、4人は息を呑んで見回しました。
「この壁画は5年前の開館記念イベントとして描かれた物よ。
来場者を前に、1人の画家が半年間掛けて制作したの。
題は『ワイルドハント』、堕ちた神が、狩った亡者を従わせ、荒れ狂う夜空をさまよう場面を描いたと聞いてるわ」
「たった半年間、しかも独りでこのドームいっぱいの壁画を!?人間業じゃねェだろ、それ!!」
ロビンから説明を聞き、ウソップが驚いて飛び上がります。
「ええ、そう…今思うに、この絵を描いた者は魔女だった。
そして絵が完成して以来、部屋には毎晩化物が現れるようになったの」
「ばば化物ォォォ!!?」
「マジか!?おもしれー!!」
化物が出ると聞いて、ウソップはブルブルと震え上がり、ルフィは目をキラキラと輝かせました。
「どうやら絵に呪いが篭められているらしくて、塗り潰そうにも消えないの。
お陰でドームはオープン後間も無く閉鎖、開館記念イベントとして制作した筈が、とんだ皮肉な結果に終ってしまい、残念で仕方ないわ」
「なら描いた人間捕まえて、呪いを解かせりゃいいだろ?残念に思うくらいなら、何故4年半も放っぽってんだ?」
芝居がかった溜息を吐くロビンに、ゾロが至極真っ当な疑問をぶつけます。
しかしロビンはそんな彼に向い、首をゆっくりと横に振りました。
「ところが壁画を描き終わると同時に、画家は姿を暗ましてしまったの。
不思議な事に、その画家の素性を知る者は無く…何を目的でそんな絵を描いたのか、全ては闇の中という訳」
「それで?私達にこの部屋で何をしろと?」
ナミが本題を話すよう急かします。
ロビンは彼女の方を振向くと、笑顔で勝負を切り出しました。
「この部屋で一晩過して化物と対決する事。
それが出来たら、シャンクス達の足跡を記した地図を渡すわ。
対決と言っても戦う必要は無いの――床の真ん中を見てくれる?」
ロビンに指で下を示され、全員タイルが貼られた床に注目します。
床の中央には、大人が両手をいっぱいに伸ばした位な直径の、古びた銅鏡が嵌められていました。
「その銅鏡は結界になっているらしくって、その中に居る限り、化物に襲われる心配は無いとの話よ」
「……鏡……よりによって、また!……最近どうしてこうも鏡続きなの…?」
丁度中央に立っていたナミが、足下を恨めしそうに見詰めて呻きました。
魔女である彼女は、鏡が大の苦手なのです。
姿を映しても映らず、合わせ鏡の間で魔法を使えば、鏡の中に閉じ込められてしまうからでした。
「という訳でこの部屋に一晩泊まる件は、あんた達に任すわ!」
「おう!任せとけ♪」
「化物と対決たァ、修行にぴったりだぜ!」
ナミに肩を叩かれ頼まれたルフィとゾロが、嬉々として請合います。
ただ1人、ウソップだけは、蒼褪めた顔でヨロヨロと蹲ってしまいました。
「あああ…皆、悪ィ…!俺…実は『肝を試したら死んでしまう病』という持病に罹っていてな…化物と対決出来ねェのは残念だが、ナミと一緒にヌケさせて貰うって事で……」
ウソップが今にも死にそうな弱々しい声で訴えます。
しかしナミは彼にマキノが作った弁当を差し出し、有無を言わさぬ笑顔で迫りました。
「しっかりしろ天才少年!ルフィやゾロの手前逃げ出したら、あんたの男が廃るわよ?」
「気楽にヌカシてんじゃねェェェ!!!自分だけちゃっかり1ヌケなんてズリィだろコノヤロー!!!」
「それじゃあ私と彼女は、この下の部屋で待機してるわね。気絶する事無く一晩過せたら、賞品に地図をあげるから、頑張って頂戴、男の子達v」
ロビンがクスクス笑いながら、ナミを連れて部屋を出ようとした時――
「なァ、おまえがシャンクスを隠したのか?」
――その背中に、ルフィが無遠慮な質問をぶつけました。
忽ち場が凍り付き、4人の視線がロビンに集まります。
扉の前で立ち止まったロビンは、ゆっくりとルフィの方へ振り返り、苦笑して答えました。
「…シャンクスは私を此処の館長に推薦してくれた人よ。そんな大恩有る人を、どうして隠したり出来るかしら?」
「だったら何でアイスのおっさんと協力して、捜そうとしないんだ?」
否定されるもルフィはロビンを真直ぐ見据えたままで居ます。
その強い眼差しに一瞬怯んだ様子を見せたものの、ロビンはきっぱりと己の潔白を訴えました。
「だってあの市長は私を疑っている、そんな人と一緒に組めると思う?
確かに私はシャンクスに或る秘宝の情報を教え、その秘宝を探す冒険の途中で、彼のチームは消息を絶った。
正直責任を感じているわ、だから行方を捜して居るの。
でも私が彼らを消したんじゃない…此処の館長に就いて以来、私は一歩も町から出ていないのよ!
なのに市長は魔女である私なら、離れた場所からでも力を及ぼせると考え、疑いを消してはくれないの…」
一方的に話し終えたロビンは、ランプに火を灯してルフィ達に渡し、ドームの照明を消して扉を閉めてしまいました。
暗闇にすっぽり包まれた中、残された3人の少年は、中央にランプを置き、鏡の円に入って座りました。
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