このお話は『ココヤシ医院の事情』『ココヤシ医院の事情2』の続編です。




高速道路のインターチェンジ付近には、ネオンがまばゆいホテルが立ち並ぶ。
街の外れや境界部分にはこの手のホテルがたくさん建っているものだ。
こういうものはできるだけ街の中心からは遠く離れた場所に建てたい―――そういう社会全体の総意がこの立地を選ばせているのだと思う。
それはともかく、俺はそういう辺りで車を走らせていた。
隣にナミを乗せて。
そして、ナミに問いかけたのだ。

“休んでいくか?”と。

ナミはハッと驚いた顔をしてこちらを見て―――




ココヤシ医院の事情3  −1−

                                四条



ドサッと音がするほどの衝撃で目が覚めた。
目の前にはネズミ色のリノリウムの床。明らかに自分とアパートとは違う。大学の研究室とも違う。
身体を起き上がらせて首を回すと、今さっきまで自分が寝ていた、4つ並べたパイプイスが目に入る。反対側に目を向けると長テーブルの上に作りかけの建築模型。窓からサンサンと7月のまばゆいばかりの朝陽を浴びている。
ああここは、バイト先の一室じゃないか。

ようやくそこまで認識した後で、今まで見ていた夢について反芻する。
いやいやいやいや、ありえない。
そう思い、額を手で押さえて俯く。夢の中の自分は自分じゃない。
ナミをホテルに誘うなんてことは、とてもじゃないが自分には無理。
夢の中だからあんなことが言えたのだ。ラブホテルを前にして“休んでいくか?”なんて。現実の自分には口が裂けても言えそうにない。
世の中にカップルは履いて捨てるほどいるのだろうが、男どもはどうやって女をホテルなり自分の部屋になり誘うのだろう。それは永遠の謎だった。自分にはこっぱずかしくてできそうにないように思うのだが。

それにしても・・・・夢の中でナミは何と答えてくれたのだろう?
否か応か。
たかが夢のことではあるが、それだけは気になった。

不意にバタンと部屋のドアが開く。そこに一人の男が立っていた。
金髪髪にストライプの入ったスカイブルーシャツに黒ジーンズ。
サンダルをペタペタ鳴らしながら部屋に入ってくる。両手にはコーヒーの入ったマグカップ。

「お?自分で起きたか。ちょうど起こそうと思ってたんだ。」

サンジが目線を壁時計に投げかける。つられて見ると、時計の針は午前6時5分を指していた。昨夜、といってももう午前2時をとうに過ぎていたが、サンジにこの時間に起こすよう頼んでおいたのだ。
起こす手間が省けたとばかりにサンジが俺にマグカップを一つ差し出す。俺はゆっくりと立ち上がり、それを受け取った。

大学3回生になって、6月からとある建築事務所でアルバイトをしている。模型製作のバイトだ。クライアントへのプレゼン用、コンペなどに出品する用など、製作する建築の模型はざまざまだった。
俺の所属している研究室では、この建築事務所でバイトすることが慣例となっている。うちの研究室出身者がこの建築事務所の代表者だからというのが一番の理由。他にうちの研究室の卒業した人でここの社員になっている人も何人かいる。
もちろん、うちの研究室だけではなく、他の大学の建築科の学生をバイトとして受け入れている。
つまり、俺以外の学生も入れ替わり立ち代りこの事務所に出入りしているわけだ。
サンジもその中の一人だ。俺とは大学は異なるがやはり建築科の学生で、このバイト先で知り合った。
俺はここで働き出してまだ一ヶ月そこそこだが、サンジは違う。1回生の頃から出入りしているというのでもうベテランといってよく、実際のところ、ここでの仕事のやり方などたいていのことはサンジから教わった。
手先が器用で頭もいい。図面作成も模型製作もやたらと上手い。設計事務所のCADソフト(高額)も既に自由自在に使いこなす。当たりが柔らかく人付き合いもよいので、すっかりこの事務所の所員達とも馴染んでいる。ここに就職するつもりなのかと訊いたら、本人は大手のゼネコンを目指しているという。なんでも都市レベルの大型プロジェクト案件に関わってみたいからだそうだ。
そういうものなのか。同じ建築科なのに俺にはどうもピンとこない話だが。
まぁこの就職難のご時勢に、これだけ器用にこなせるのならば、どこの会社でも行けるだろう。大の女好きと重度のニコチン中毒がネックかもしれないが。

「彼女を迎えに行くっつってたよな?」

ぐびっと一口コーヒーを飲んだところでサンジに言われた。
その通り。
今日、夏期休暇のためナミがグランドライン市から、ここイースト市に帰ってくる。
列車で帰ってくるので、駅まで迎えに行くことになっているのだ。

ナミとは、昨年の11月に電話でようやく想いが通じ合った。
それまでお互い意地を張ってしまったというか、ベルメールの策略ともいえる落ち度により、気持ちのすれ違いを余儀なくされたのだが、当のベルメールのとりなしによって、なんとか想いを伝え合うことができた。
しかし、気持ちを確かめ合ったものの、今度は残酷なほど遠く離れた距離が二人の間を阻む。
俺はイースト大生、ナミはグランドライン大生。イースト市とグランドライン市は超高速鉄道でも約3時間の距離なのだ。移動のための交通費もバカにならず、なかなか会えなかった。
俺が一度学会でグランドライン市へ行ったのと、冬と春の長期休暇にナミが帰省した時に会うことができたが、帰ってきてもせいぜい一週間。その間を全て2人で会えるわけでもない。

しかし、この夏休みは違う。
大学の夏休みは長い。優に2ヶ月はある。それだけあれば、かなりの頻度で会えるはずだ。
ナミは今年2回生だが、来年には3回生になり、専門課程が本格的に始まる。医学部の専門課程については何も知らないが、今よりは格段に忙しくなるだろう。俺も4回生になるので、就職活動や卒論で追われるようになるだろう。気持ちの余裕のある状態で会えるのは、今年が最後かもしれない。
だから、この夏に賭ける気持ちは人一倍強かった。
それで・・・・あんな夢を見たのだろうか?

「もうそろそろ出た方がいいんじゃねぇの?」

彼女を待たせるんじゃねーよと、俺よりも俺の予定を把握しているかのように、サンジが今度は携帯をいじりながら呟いた。女のためならば、他人の女であっても親切なことだ。
ここから駅まで車で20分ほど。
ナミの列車の到着時刻が午前7時だから、確かにもうそろそろ出た方がいい。
俺はマグカップをサンジに押しつけると、鞄を引っつかみドアを開けて出て行く。
てめぇ自分で片付けろー!という怒声を背中に浴びながら。



***



朝7時の駅は、早くも多くの人々で喧騒を見せていた。土曜だというのにたいそうな人出だ。
通勤客もいるが、そうでない人――子供達もいる。
そうか、夏休みだからか。

俺は車を駅前にある時間貸駐車場に停車させた。
エンジンを切って一度は車から降りたが、ふと気になってもう一度ドアを開け、中を一通り見渡して、ゴミや変なものが落ちてないか確かめる。
大丈夫なようなのでバンと音を響かせてドアを閉め、駅の改札口へと向かう。

ナミが乗ってくる列車は、グランドライン市とイースト市を一日一本だけ結ぶ夜行列車。グランドライン市を午後11時半ごろに出発し、イースト市に翌早朝に着く。各駅停車の鈍行であるため、超高速鉄道とは違って非常に乗車料金が安い。主に金のない学生が帰省のために重宝する列車なのである。そのため、春、夏、冬などの帰省の時期には、この列車に乗車するための行列ができるほどだ。
この時期、もう多くの学校で夏期休暇となっている。だから、おそらくたくさんの学生達が乗車していることだろう。そうでなくてもイースト駅は総合駅なので、複数の路線が入り込み、乗降客数は半端じゃない。
次々と到着する列車から吐き出される乗客に、改札口は常にあふれんばかりだった。

俺は改札の正面にある駅中のコンビニに入ってナミが出てくるのを待つことにした。
ふとこうしていると、ベルメールによって高3の頃のナミを尾行させられた日を思い出したりした。あのときも、こうして高校前のコンビニの中から、ナミが校門から出てくるのを待ち伏せしていたっけ。
ナミの列車の到着時間をわずかに過ぎた頃、ズボンポケットの中の携帯が震えていることに気づいた。
見てみると、ナミからのメールだった。間もなく改札口へ向かうとのことだった。

タッタッタッと小気味良い駆け足の音がして、顔を向けてみたら、ナミが目の前に満面の笑みを浮かべて立っていた。
ナミは大ぶりのカバンを肩にかけ、白いTシャツ、オレンジのハーフパンツに複雑に編み上げられたサンダルという、すっかり夏らしい出で立ち。今月の3日に20歳になったばかりのナミに、素晴らしくよく似合っていた。
こうしてナミと会うのはおよそ半年ぶり。実に正月以来だった。
ナミは会うたびに綺麗になっているような気がする。
こう思うのは、惚れた者の欲目だろうか。

「待った?」

ナミが傍らに立ち、小首をかしげて尋ねてくる。

「いや、俺もさっき着いたところだ。」
「そっか、よかった!」

ナミがにこっと笑う口元から、白い歯が覗いた。
目を移して、ナミの肩にある荷物を見た。

「荷物、それだけか?」
「あ、うん。」
「寄越せ。車に積み込むから。」
「いいよ、自分で持つから。」
「いいから寄越せって。」
「・・・そう?ありがと。じゃぁお願いするね。」

ナミから荷物を受け取る際、少しだけ手が触れ合った。
それだけのことで、心臓がきゅっと掴まれたみたいになる。
なに緊張してんだ俺。いくら久しぶりだからって。
ふとナミの顔を見てみると、ナミもどこかどぎまぎした表情をしていた。
そのことに少し安心する。この気持ちは俺だけじゃないんだと。

「行こうか。」
「うん!」

ナミが元気よく返事して、共に歩き出す。

「駅前の駐車場に車を停めてあるから。」
「あの〜〜」
「駅前って道を渡ったところ?それとも手前?」
「渡った方だな。手前の方はもう満車だった。」
「ちょっと〜〜」
「そうなんだ。まだ7時なのにね。」
「大きな駅はやっぱ人出が違うな。」

「ちょいと、そこのお二人さん!」

どこかで聞き覚えのある声が。
振り返ると、ナミの背後からのそりと青い髪の女が現れた。
ナミの姉で、ナミと同じくグランドライン市に住んでいる、

「ノジコか。」
「そうですよー!ノジコお姉さんですよ〜〜!ってアンタ、私のことはまーったく眼中に無しかいッ!?」
「ああ、全然気づかなかったな。」
「アンタねぇ・・・・!!」

しれっと俺が答えると、ノジコは恨みがましく睨んできたが、そんなものどこ吹く風だ。
俺の態度にノジコは肩を竦めながらも、すぐににんまりした顔つきを取り戻した。

「いい雰囲気のところを悪いんだけど、私の荷物も運んでくんない?」

と否応もなく荷物を手渡され、俺は両手に荷物を下げて車まで二人を案内することになった。
ノジコは現在、グランドライン市にある航空大学校に通っている。ナミから聞いたところによると、高校の時に空に魅せられて、パイロットを目指しているのだという。
しかももう既に、小さくはあるがコミューター航空会社に就職先も決まっているそうだ。来年から、ノジコはそこでパイロットの卵として始動することになる。

俺にとっては約10年ぶりに会ったノジコであるが、すぐにそんな年月の経過など忘れたように会話をしていた。

「いい車じゃない。どうしたの。自分の車?」
「ああ。」

この車は、昨年末に手に入れた。大学の先輩の車を譲ってもらうことになり、代金は自分のバイト料と親の金で折半した。そのために昨年は必死でバイトをしていたのだ。ナミと想いが通じ合ったのは、まさにその最中であった。

「へぇー、ナマイキ。」

自分用の車を持ってることがうらやましいのか腹立たしいのか、後部座席いるノジコが隣のナミにねぇ?と同意を求め、ナミが少し返事に困ったような顔をしている。
いつもならナミは助手席に座るのだが、ノジコに遠慮してか、ノジコの隣に並んで後部座席に座っている。
その後もノジコは、まさかあんた達が付き合うようになるとは思わなかったわと、あれこれと詮索をしてきた。いつからだとか、どちらが告白したのかとか、どこまでいってるんだとか。もう既にナミから一通りの話は聞いているだろうに、どうも俺の口から言わせたいらしい。のらりくらりとかわしていたが、やがてナミが静かにキレて、

「そういうノジコは、カレとどういうきっかけで付き合い始めたの?」
「航空大学校の元センセイだったよね?」
「10歳年上のバツイチだっけ?」
「ノジコから告白したって聞いたけど?」

ノジコに鋭いツッコミを入れ始め、次第にノジコは静かになっていった。

そうこうしてるうちに、俺たちの車はココヤシ医院に到着した。



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<まえがき>
というわけで、『ココヤシ医院の事情』『ココヤシ医院の事情2』の続編です。
ココヤシのゾロはナミが大好きなので、書いててニヤニヤしてしまうゼ。
あまり起承転結がなく、ダラダラとなりそうな予感・・・(汗)。




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