プジョーの男とは、ナミが高3の時、学祭の手伝いでイースト大に通っていた際に、予備校近くから大学まで車で送り届けていた男のことだ。
赤い外車の『プジョー』に乗っていたことから、俺よりも1つ年上のその男のことを、俺とベルメールは多少の揶揄も込めて “プジョーの男” と呼んでいた。




ココヤシ医院の事情3  −5−

                                四条


俺がベルメールに頼まれて、高3のナミが予備校の後に何をしているのか探るための尾行をしていた時、赤のプジョーが現われて、あっという間にナミを乗せて去っていった。あの時まんまと尾行を撒かれてしまった悔しさは、今でも忘れられない。
ナミから聞いたところによると、俺が長らく知らなかったナミのメルアドも入手していて、頻繁にメールのやりとりもしていたらしい。

ヤツがナミに気があるのは明白だった。それは、俺がナミの送迎を取って代わることになった時の、ヤツの落胆ぶりを見ればよくわかった。
今も未練があるのかもしれない、そんな男とナミが一緒にいるところを目の当たりして、こちらの心中穏やかでいられるわけがない。
知らず知らず殺気を放っていたのだろう、ナミに近づく俺に、ヤツの方が先に気づいた。

「お、彼氏が来たか。じゃあな、ナミ。またメールする!」

明るいノリで軽く手を振って、ナミの元からヤツは離れていった。
何がナミだ、気安く呼びやがって。メールももうしてくるな。
はっきり言って、ヤツのことが気に入らない。
ナミを大学まで送り届ける数十分の間、ヤツはナミと車の中で二人っきりになってたわけで。車の中はいわば密室だ。そういう状況にナミが陥っていたこと自体が腹立たしい。俺の介入がなければ、ヤツとナミの蜜月は学祭まで毎日続いたはずだ。そしておそらくヤツには、学祭が終わる頃にナミに告白・・・という魂胆もあっただろうということは、想像に難くない。しかし、それが俺の登場で全て台無しになったわけで。向こうもおそらく、俺に対して良い感情を持ってはいまい。

「そろそろ席に着くぞ。」

ナミに声を掛けた。時計を見ると、9時50分になっていた。10時から講演が始まる。もう席に着いて待機しておくべきだろう。しかし、ナミからは何の返事もない。どうしたのかと思ってナミの方を見てみると、うつむいている。

「どうした?」
「別に・・・・。」

ナミはこちらを見ずに、うつむいたままだ。

「それが別にっていう態度かよ。どうした?あいつに何か言われたのか?」
「・・・・。」

図星か。

「いいから、言ってみろよ。」

なおも口を開かないナミを促した。すると、

「・・・・ゾロ、さっきの女の人とつき合ってたんだって?」

げ!!

ぎょっとしてナミを見た。
思ってもみなかった発言が飛び出してきて驚いた。

なんでそれを・・・・。
ナミは、たしぎのことは何も知らないはずだ。
あれは、ナミと完全に音信不通で、もうナミのことは諦めかけていた頃のことなのだから。

あの野郎、ナミに余計なこと吹き込みやがったな!気に食わない俺への腹いせに、ナミにたしぎのことをバラしたようだ。
咄嗟にプジョーの男を睨み付けてやろうとするも、もうヤツはとっくの昔の人波に紛れて姿が見えなくなっていた。
その間にナミはさっさと講演会場へと入ってしまっていて、慌てて後を追いかけた。

内心冷やかせを流しながらナミの隣の席に腰を下ろした。ナミは講演案内のパンフに目を落としている。チラともこちらを見ない。
怒っている。
いや、怒るとまではいかないまでも、明らかに不機嫌だ。
つき合い始めてから、ナミのこういう表情を見たのは初めてだ。
遠距離であるため会う回数が少なく、そのおかげかこれまで揉めたり、ケンカらしいケンカをしたことがない。
お互い相手のことを探りながらつき合ってきた。めったに会えないから、なるべく衝突しないよう努めてきた。せっかく会えたのに、ケンカして台無しにしたくないという心理が働いていた。けれど、ついにというか、ようやくぶつかる時が来たということか。

「ナミ。」

意を決して声を掛けるも、

「もう始まるから。」

と、にべもない。
話は講演会の後で、ということらしい。
こんなモヤモヤした心境で講演会を聞くはめになるとは、正直思ってもみなかった。



***



針のむしろに座るような心地で聞いた講演は、ほとんど内容が頭に入ってこなかった。
講演終了後も、やはりナミはこちらを見ずに席を立つ。俺も席を立って、とりあえず講演会場を出た。
気まずい雰囲気のまま並んで歩いていた。ナミはこの後の打ち上げにも出ると言っていたので、打ち上げ会場である学食へ向かうようだった。しかし、とてもじゃないが、打ち上げが終わるまでこのままではいられない。誤解を解きたかった。
俺はナミの腕をつかみ、やや強引に人気のない講演会場であるホールの楽屋付近の廊下へと連れ出した。ナミもおとなしくついてくる。ナミも話をつけたいようだ。

「あいつとは、つき合ってないから。」

周りに人がいないのを確認すると、相対したナミに向かっておもむろに切り出した。
そう、たしぎとはつき合ってない。つき合うまでには至らなかった。しかし、傍から見れば、まるでつき合ってるような状態であったことは認める。だから、本人同士の預かり知らぬところでは、どういう風に言われていたかまでは分からない。
プジョーの男も、実際のところを知らぬまま、噂をナミに吹き込んだのだろう。

「あの人とはそうかもしれないけれど、別の人とはつき合ってたんでしょう?」
「・・・・・。」

舌打ちしたくなった。あの男はそこまでナミにしゃべったのか。
悔し紛れか腹いせか。ナミをかっ攫った俺のことが、今でも相当お気に召さないらしい。
あわよくばこの件で俺達の仲にヒビを入れて、ナミに付け込むつもりだったのか。
しかし、ナミとつき合う前に、別の女とつき合ったのは事実だった。ナミとの繋がりが切れたと思い、なのにナミから心が離れなくて。なりゆきまかせに他の女の誘いに乗った。

「ごめん、うっとうしいこと言って。ただのやきもちなの。でも、私にはやたらと他の男の人と何かあったのか、散々聞いてきたのに。」

それなのにゾロの方こそ何なのか、そんなナミの心の声が聞こえてきた。
確かに、俺から一方的にナミの男関係について、根掘り葉掘り聞いていた。とにかく、離れている間のことが気になって仕方がなかったから。
なのに、自分の所業については、何もナミには伝えていなかった。
ナミには面白くないことだろうと自分に言い訳をして、都合が悪いことは隠していた。
ナミが一途に俺を想ってくれていたことを知ってからは、ますます自分の不誠実さが際立って言えなかった。ナミが純粋な分、なおさら言えなかった。

俺の沈黙をどう受け取ったのか、更にナミは自嘲気味に話し続ける。

「私とつき合う前のことだって頭では分かってるんだけど。ゾロと離れ離れになってる間、私ひとりでゾロのことを想っていたんだなって思って。ゾロは私のことどうでもよかったんだなって。」
「どうでもいいなんて思ってない!俺だって、お前のことが忘れられなかった!」

だから、つき合っても長続きしなかった。
心は、いつもナミのところに戻ってしまったから。

「じゃあ、なんで他の女の人とつき合ったりするのよ!」
「他の女とつき合うことで、お前のことを吹っ切れるんじゃないかと思ったんだ!そうしたら忘れられるかと思って・・・・!」

思い余って言ったが、これは失言だったようだ。瞬間、ナミの顔色が変わる。

「吹っ切りたかったんだ!忘れたかったんだ!私のこと、それぐらいにしか想ってなかったんだね。」
「違う!そういう意味じゃない!」
「どう違うの?私のことどうでもいいから、忘れてしまえばいいって思っていたから、ゾロからは何も動いてくれなかったんでしょ!?」

そんなことはない、俺だって何も動かなかったわけじゃない、そう言いたかった。
けれど、ひるがえって考えてみると、ナミがグランドライン市へ行ってからナミからの手紙をベルベールから受け取るまでの約7ヶ月の間、俺は何もしなかったし、何も動かなかった。
自分からは一切ナミに連絡を取ろうとはしなかった。
もしナミからの手紙が無かったら、果たして自分は動いていただろうか。
流されるまま、他の女と別かれを繰り返しながら続けていたのではないか。
そして、そのうち本当にナミのことを過去のことと片付けていたかもしれない。
なぜ自分から動こうとしなかったのだろう。
ナミのことが好きならば、なんだってできたはずなのに。
あの頃の自分は、頑なに動こうとしなかった。

何も言えないでいる俺を前にして、ナミは今度こそ泣きそうな顔になった。
片方の手で顔半分を覆い、叫んだ。

「ばかみたい。私もゾロのことなんか忘れて、他の人とつき合えばよかった!」

バン!

音を立てて、廊下の壁に拳をを打ちつけた。
驚いたナミが顔を上げる。

「だめだ・・・・そんなこと、絶対に許さねぇ。」

ナミの顔を見ていられず、目を伏せて絞り出すような声で言った。
ナミが他の男となんて、想像すら嫌だった。
ナミが誰にも靡かなかったこと、誰ともつき合わなかったことは、俺が手をこまねいていたことへの免罪符だった。
実際、ナミはずっと一人でいてくれた。一途に俺のことを想ってくれていた。そのことがとても嬉しかった。でもそれは、あくまで結果論だ。
もしも、その間にナミが他の男にかっ攫われていたらと想像すると、胸がつぶれそうだ。
ましてやナミを永遠に失うことになっていたら、自分の無為無策を、一生後悔していたに違いない。

ナミの手紙を受け取らなかったら、俺はナミに告白もしていないし、今もつき合っていなかったかもしれない。
待つことに疲れたナミは、いつか俺のことを諦めて、他の男の手を取っていただろう。
俺は俺で、別の女とつき合って・・・。
そうして、俺達の道は交わることなく、完全に別たれていたことだろう。

本当はナミからの手紙があろうと無かろうと、ナミからの手紙をいつ受け取ろうと、ナミが好きならば、ナミを求める気持ちがあるならば、ただ自分が行動すればいいだけだったのだ。
それなのに意地を張って、自ら動こうとはしなかった。

「俺は、ナミが高3の時から、ナミとイースト大の行き帰りを一緒にしていた時から、ナミのことが好きだった。あの時すぐに気持ちを伝えなかったのは、お前が大学受験を控えていたからだ。勉強の邪魔になると思ってできなかった。それに、春になれば・・・お前がイースト大に入学してきたら、いくらでも時間が取れると高をくくっていた。でも、お前はグランドライン大学に行ってしまった。俺に何も言わずに――ナミの手紙の存在を知らなかった時のことだから、そう思い込んでた。離れ離れになったこと、俺に何も伝えてくれなかったことがショックで、俺は意固地になってしまった。いや、違うな。単に拗ねてたんだ。大切なことを伝えてもらえなかったって。俺のことなんかどうでもいいんだと思い込んで。自棄になって、自分からは動くものかとすら思ってた。」

そこでようやく顔を上げて、ナミの顔を見た。
ナミもじっと俺の話に耳を傾けてくれている。

「でも、そのせいでナミが別のヤツとつき合ってたらと思うとぞっとする。もしかしたら、そのまま永遠にお前を失っていたかもしれないと思うと、なんで自分に素直にならなかったんだろうって後悔したと思う。自分の気持ちに正直になる、ただそれだけのことが、あの頃の俺にはできなかった。」

ナミの手紙が無ければ、おそらく俺は動かなかった。いや、動けなかった。
ナミの手紙に背中を押されて、やっと一歩踏み出せたんだ。ナミの気持ちが俺にあると分かって、ようやく動けたんだ。
ナミの気持ちが分からないと動けないなんて、どんだけ臆病者なんだ。
フラれるような負け戦はしたくないなんて、どんだけ卑怯者なんだ。
そのせいで、いたずらに長くナミを待たせて、辛い思いをさせてしまった。
ナミは、俺の気持ちなんて知らないまま、純粋でまっすぐな気持ちを手紙という形で託してくれた。俺の方に気が無ければ、終わってしまうことも覚悟の上で、自分から動いてくれた。ナミの方がよっぽど勇気がある。
ベルメールがナミの手紙を俺に渡すのがもっと遅かったら、それこそ取り返しのつかないことになっていた。俺もナミも。

「ごめん、ナミ。」

もう今となっては時間を戻すことはできないし、謝ることしかできないが。
取り返しのつかないことにならなくて、よかったと思う、本当に。

「ゾロ・・・・。」

ナミが、細い指先で俺の頬にそっと触れてきた。

「ゾロも不器用だったんだね。」

そう言って少し笑って、ナミは俺の胸に額を押し当てた。



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