ルーム・シェア  −2−

                                panchan 様

朝。

白いレースカーテンをすり抜ける光ですでに明るんだ室内。
枕に埋めていた顔を少しだけ傾け薄目を開けると、時計はあともう少しで目覚ましの鳴る時間を指していた。

「ハア……」

結局ほとんど眠れなかった……。

壁の向こうのどこかにいるはずの不眠の原因にわざと聞かせるつもりで大きく溜息を吐く。
枕の下から腕を抜いて、枕元の時計に手を伸ばし鳴る前のアラームを切った。
そしてゆっくりと身体をベッドに起こし、うーんと天井に向かって腕を伸ばして大きく伸びをする。


「ふぁあ……」

あぁやっぱり眠い……。

欠伸しながら立ち上がり、キャミワンピの上に緩くパーカを羽織る。
部屋を出ると、リビングダイニングにはいつもの朝の空気があるだけでまだ人の気配はない。
あの人、まだ寝てんのかしら……。
リビングを横切りトイレへ行こうと廊下に出ると、通りかかった洗面所からドア越しに水音が聞こえてきた。
うわ、もう起きてる。
無意識に眉をしかめ、洗面所のドアの前を通り過ぎ、トイレに入ってショーツを下ろして便座に座ったら。

「ひゃっ!」

お尻に当たった冷やりとした感触に飛び上がり、何!?と下を確認する。

「……!」


膝まで下げてたショーツを引き上げ、尿意そっちのけでトイレを飛び出しそのままドスドスと足音を荒げて向かった先は洗面所。

「ちょっと!」

文句を言うため勢いよく洗面所のドアを開けると。

「……ア?」

開けてすぐ目の前にいた男は、なぜか上半身裸だった。

うわっ!なんなのコイツの体?!
腕も胸もお腹もすっごいムキムキじゃない…!

濡れた短い髪や顔からポトポトと水が滴り、タオルで拭きながら横目で見てくるその視線に不覚にもちょっとドキっとしてしまった。
でもそんな自分自身に激しい嫌悪が湧き、すぐにキッと男を見返して言う。

「ちょっと!便座上げっぱなしだったんだけど!」
「……は?」
「トイレの便座よ。使った後はちゃんと下ろしといてよ!」
「…………」

男の眉間にグッと刻まれた縦皺。

「なんでおれがわざわざ下ろさなきゃなんねェんだ?」
「なんでって…私が使う時困るじゃない!」
「知るかンなもん。テメエで下ろせよ」
「はあ?なんで私が下ろさなきゃいけないのよ?!」
「あのな……おれは使う時自分で上げたんだぞ?だったらお前も自分で下ろせばいいだろうが」
「そんなの…!だって、ここには今まで便座上げる人なんていなかったし!」
「じゃあこれから慣れろ。男はな、小便する時便座上げんだよ!」
「っ…!」

言い返そうとしたら急にぶ厚い胸板が目の前に迫って来たので、思わず言葉を飲む。

「オラ……どけよ。出れねえだろ」
「……!」

その近すぎる間合いと迫力につい身を退くと、男がドアとの間に出来た狭い隙間に斜めに身体を滑り込ませた。
そして間近を通り過ぎた体温に男特有の匂いがじわりと滲み出して漂う。

「あ……ちょ、ちょっと!」

何気に今首に掛けたタオル私のだし!
勝手に使ってんじゃないわよ!

リビングへと向かう背中になおも文句を言おうとするが、男は私のことなど無視して普通にキッチンへと入って行った。

「おい、これ借りんぞ」

そう言うと、まだいいともなんとも言ってないのに水切りに置きっ放しにしていた私のオレンジのマグを手に取り、蛇口から水を入れてそのまま喉を鳴らして飲み出す。

「あんた……よく水道水なんか飲むわね」

薬飲む以外で水道水を飲む感覚が自分には無かったから思わず呆れて言ってしまった。

「……喉乾いてんだよ」
「冷蔵庫に入ってるやつ、お茶なら飲んでもいいけど……」

ぐいと口元を拭った姿が多少不憫に思えて冷蔵庫を指差すと、そっちを振り返った男がマグカップをカウンターに置きいそいそと冷蔵庫から2リットル入りペットボトルのお茶を取り出した。

「悪ィな」

言って蓋を開けたと思ったら、なんとそのまま口を付けてゴクゴクと飲み出し。

「あーっ!こらっ!なに直飲みしてんのよっ!」
「あ…………つい」
「ついじゃないわよ!」
「いつものクセで…」
「いつものくせってアンタ!…私それもう飲めないじゃないの!」
「ア?……なんで?飲めるだろ?」
「アンタが飲んだやつなんか飲めるかあ!!」

何食わぬ顔でペットボトルをこっちに差し出した男の顔をビシッと指差す。

「っ……わーったよ。また新しいの買ってくりゃいいんだろ」
「当然でしょ!」

言うと、男は開き直ってもう一度ペットボトルに口を付けてから冷蔵庫に戻した。

「……ちょっと」
「あ?…んだよ?まだなんかあんのか?」

シンクの淵に手を着き、こっちに身を乗り出して来る鍛え上げられた肉体に一体どこを見ていいのか目のやり場に困る。

「その……あんまりそんな風に裸でうろうろしないでくれる?」
「ハア?……んなの別におれの勝手だろ?」
「…あのね、割り切ってるとは言え一応男と女での共同生活なのよ?その辺ちょっと気使ってよね」
「ったくいちいちうっせェなあ……処女か」
「はあっ?なんか言った?」
「……別に」

こいっつ……!

「とにかく!今は時間無いけど、今夜色々と共同生活のルールを決めるから、いいわね!」
「へいへい……」
「それから!言っとくけど私、別に処女じゃないから!」
「……ふーん」
「ふーんって何よ!」
「いや……なんつーか、いちいち反応が過剰だからよ」
「…あのね、誰だって急に知らない男と同居することになって裸でうろうろされたらこうなるわよ?」
「そうか?」

そんなもんか?と納得いかなさそうに自分の裸の上半身を見下ろし首を捻る男。
まったくもう、ホントなんなのよこいつ…!

「そういえばあんたって一体何者よ?身分証とか無いの?」
「身分証って……職質かよ」
「そうね、まさに職務質問よ。怪しい人じゃないかどうか確かめるためのね。だって素性も何も知らないんだもの。それに今の感じじゃリアルに職質された経験もあるみたいだし」
「…………」
「図星ね。……で、何者?」
「……別に。普通の学生だが」
「グラ大?」
「ああ」

グランドライン大学、略してグラ大。
自分も含め、この辺の学生はほとんどこの大学の学生だと言っても過言ではない。
大きな大学のため専攻が多岐に渡っていて学生数も多く、同じ大学であっても授業や部活・サークルが同じなどの接点が無い限りほとんど学生同士知らない場合が多い。
一旦男がキッチンを出て行き、少ししてから部屋から学生証を片手に戻ってきた。
差し出されたそれを手に取って確認すると、間違いなくそれは見慣れたグラ大の学生証。

ロロノア・ゾロ。
生年月日、xxxx年11月11日。
そして右側に貼り付けられた、ギロリとこっちを睨みつける入学時に撮ったと思われる顔写真。

「専攻は体育……」

なるほど、それでこの身体な訳か、ともう一度ちらりとその上半身に目をやって納得する。
体育専攻の人は大抵が高校時代に何かしらの実績を残したスポーツ推薦。
そしてルフィと同じ専攻だとわかったことにもさらに納得した。

「わかったら返せ」

男がさっと私の手のひらから学生証を奪い返す。

「学生証の顔写真、超悪人面」
「うっせェな、それもう今まで何百回と言われてんだよ。そんな顔なんだから仕方ねえだろ」

そう言って男がそっぽを向き対面カウンターから向こうのリビングへと視線をやったので、つられてリビングに目を移しハッとした。

「あ。やだ、もうこんな時間」

ふと目に入った時計に意識が日常に戻る。

「急がなきゃ。今日一コマ目からなのよ」
「あァ?お前もか。おれも今日は朝からだ」
「え、そうなの?」
「ああ」

男の横に立ち急いで食パンをトースターに突っ込む。

「あんた、朝ごはんは?」
「いや……別にいらねえ」

そっぽを向いた男にわざとらしくパンの袋を振って見せる。

「もう一枚あるから食べるんなら焼いてあげるけど?」
「…………」

無言でこっちを見た男にニコリと微笑む。

「コーヒー付きで五百円ね」
「トースト一枚とコーヒーで五百円って……ぼったくりだろ」
「だって女の子が寝起きのままで朝ごはん用意してくれんのよ。それで五百円って安いと思わない?」

言って直後に後悔した。
その私の言葉に、男の視線がすうっと鎖骨を撫でて胸元を滑り、剥き出しになった膝小僧まで下りたからだ。
狭いキッチン内の空気が微妙な湿気を帯びて重い沈黙になり、思わずシンクに目を逸らして下唇を噛んだ。
なに言ってんのかしら私。それじゃあまるで同棲してるカップルの朝を連想させるようなもんじゃないの。
そんな動揺を隠そうとして、男の返事を待たずに勝手にトースターにもう一枚パンを放り込む。

「あ、おい!おれは別に金払ってまで食うとは…!」
「うそよ冗談。今日はついでだからお金は取らないわ。その替わり明日からはもう自分で勝手にしてね」

目を合わせないまま早口で言い、さっと男のそばを離れた。

それからトイレへ行ったり着替えるため部屋に戻ったり洗面所で顔を洗って歯を磨いて髪を整えてメイクをして、その合間にさりげなく男とはタイミングをずらして立ったままで朝食を取った。
身支度を整え肩にトートバッグを掛けて玄関に行くと、さっきまで裸だった上半身に青いTシャツを着た男が、黒いリュックを背中に背負いすでに靴を履いて出かける準備万端の様子でそこに立っていた。

「え、もしかしてカギなかった?」
「いや、持ってる」

ポケットからキーホルダーのチェーン部分だけが付いたカギを取り出し、親指と人差し指で摘まんでこちらに見せる。
そのチェーンに元々付いていたはずのピンクのクマはどうやらすでに引きちぎられたらしい。

「え、じゃあ私を待ってたの?」
「…………」

何も答えないのでなんなのか良くわからなかったが、とりあえず一緒に出て玄関に鍵をかけ、そして特に会話がある訳でもなく行先が同じだからという理由だけでなんとなく下まで一緒に階段を降りた。


「じゃあね」

登校まで一緒はさすがに遠慮したいとマンション前で別れようとしたら。

「あ、ちょっと待て」

呼び止められて渋々立ち止ると、男がさっと軽い足取りでどこかに走って行き、少しして年季の入ったシルバーの自転車に乗って戻ってきた。
それは今時の大学生っぽくない、ところどころ錆びた旧式な自転車(いわゆるママチャリ)。その荷台を、親指で指すと。

「乗れよ」
「はあっ?」
「朝メシの礼に、乗せてってやる」
「…………」

正直引いた。今どき自転車の二人乗りなんてこっぱずかしすぎる。

「いいえ結構です。自分で歩くからいい……」
「いいから乗れって」

言ってひったくりのように無理矢理私の肩からトートバッグが奪い取られ、前カゴにリュックと一緒に放り込まれた。

「ちょっと!」
「ほら、乗ってさっさと大学まで道案内しろ」

……え?
いや、エラそうに言ってるけど、それって……。

「あんた……単にこっから学校までの道がわかんないだけなんじゃないの?」
「っ…!そ、そんなわけないだろ!ただ、あんま時間ねェからと思っておれは……オラ、いいから早く乗れって!」

言われて腕時計を見ると確かに結構ギリギリの時間。

「う〜…………わかったわよ!」

仕方なく、後ろの荷台におずおずと横向きで座った。
一体どこに掴まれっていうのよとサドルの裏を探っていたら。

「飛ばすから、しっかり掴まっとかねェと落っこちるぞ」

グイと手首を掴まれ男が自分の腰へと私の腕を回した。
抗議する間もなく自転車が動き出し、慌てて振り落とされまいとその腰にしがみつく格好になってしまい。

そこから大学に着くまでの道のりと言ったら。

あまりの恐怖と恥ずかしさとで、私はずっと下を向いていた。
男は宣言通り、二人乗りしてるとはとても思えないスピードで自転車を飛ばした。
前半の道のりは何度もガードレールに膝を擦りそうになったりさらに高速で障害物を避けて行くたび振り落とされそうになったりと全く生きた心地がせず、そして大学が近づいてからの後半は列になって歩いて行く多くのグラ大生達に高速自転車二人乗りをじろじろ見られて顔から火が出そうなくらいに恥ずかしかった。
歩いて大学まで行くよりもかなり短時間で着いたはずなのに、ようやく自転車から降りた時の私はまだ起きて一時間くらいしか経っていないとは思えない程、究極に疲労困憊していた。

「ははは!ヤバイと思ってかっ飛ばしたら、結構余裕で間に合ったな」
「は……はははじゃないわよ……!死ぬかと思ったわ!」

嬉しそうに笑ってる男の頭を本気で一発殴ってやりたいと思ったがそんな余力も無かった。

「まあ間に合ってよかったじゃねェか。じゃあな」

まだ口元に満足げな笑みを残した男が軽く手を上げて背を向ける。

「……ちょっと!」

あァん?と顔だけ振り向いた男に、思いっきり叫んだ。

「もうあんたの自転車の後ろには絶対に乗らないからっ!」

その自分の大声に周りの学生達がいっせいにこっちを見た。
男はただぽかーんとしていたが、私と男とを交互に行き来する人々の視線があからさまに興味津々で。
堪らず身を翻し、授業開始に急ぐふりをして急いでその場を走り去ったのだった。




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