ルーム・シェア −3−
panchan 様
男に免疫が無いってことはないと思う。
今まで付き合った人数は6人、20という年齢ならわりと平均的な数のはずだ。
でもひとつあるとすれば、幼い頃に父を亡くした私は高校卒業までずっと母と姉との女三人暮らしだった。
そして大学に入ってからは今度はビビと二人暮らしで。
よくよく考えてみると、今まで自分が男の家に泊まったことはあっても、男が自分の家に居るって状況を私は経験したことがない。
彼氏がいた時でも、ビヒとの間で異性は泊めないってルールがあったから家には一度も呼ばなかった。
と言うか、実際にはルームメイトが居るからというのを口実に、家に来たいと言う男の頼みを体良く断っていた節がある。
男と付き合っても3ヶ月以上続いたことがなく、自分の家に呼ぼうと思う前に嫌になってサヨナラしてしまうケースばかりで、ビビとルフィみたいに、あんな風に四六時中一緒に居たいとまで思えるような相手ははっきり言って今まで一人もいなかった。
図書館でレポートの資料集めをしていたらすっかり日が暮れてしまった。
借りた本でずしりと重くなったトートバッグとスーパーで買い物した袋を下げ、マンションの階段を3階まで上り、ようやくドアの鍵穴に鍵を差し込む。
違和感を感じてそのままドアノブに手を掛けると、玄関のドアは難なく開いた。
開けてすぐ目に入ったのは男物の黒い靴。
無造作に脱がれたそれは履き込んだハイカットのスニーカーで、紐のほどけた左足が外側に倒れ、玄関のたたきを半分ほど占領してしまっている。
ため息をひとつ吐き、後ろ手にドアを閉めて黒い靴の手前で自分の靴を脱いで中に入った。
「ただいま」
なんとなく習慣でそう声に出しリビングに入ったが、意外にもそこには誰も見当たらず、ただベランダに出る掃き出し窓が全開に開かれレースカーテンの端が風に揺れている。
あれ?あいつ部屋かしら?
部屋に籠っててくれるのならそれに越したことはない。
同居してても顔を合わせずに済むのならそっちの方が私も助かるというものだ。
なんたって、同じ同居人でも親友だったビビとは全然違うのだから。
なぜベランダの窓が開けっ放しなのか気にはなったが、とにかくやたらと肩に食い込んでいたトートバッグを床に下ろし、そしてスーパーで買った食材を冷蔵庫に入れようとキッチンに向かった。
そこでふと目に入った、シンク横に置かれた空のコンビニ弁当の容器。
中身はきれいに無くなっているが、蓋がちゃんと閉められておらず、使用済みの割り箸が横に乱雑に転がっている。
そしてさらに、シンクの中には潰されたビールの空き缶が2本。
「なによ……自分の食べたものくらいちゃんと片付けなさいよ」
思わず声に出して溜息をつき、食材を冷蔵庫に放り込みながらちゃんと片付けるよう後で文句を言おうと考える。
それからキッチンを出てリビングを横切り、ベランダの窓を閉めようと近づいて行くと。
ん?
何、あれ?
ベランダの柵の向こうで上下する肌色の物体。
あれ?
ここって、確か……3階、よね?
よくよく目を凝らすと、ベランダの柵に足を引っ掛け、人が逆さにぶら下がっているではないか。
「って、キャアああ!ちょっ、何やってんのよアンタぁ!!」
「ア?……おう、帰ってきたのか。……おかえり」
「おかえりじゃないわよっ!!」
ベランダの柵の向こう側、両手で頭を抱えるように持ち上げ上体を起こした男が柵越しにこっちに顔を覗かせてくる。
「そんなとこぶら下がって何やってんのよ!」
「何って…………腹筋、だが?」
「はあっ?!」
柵に引っかかった男の足の横から下を見下ろすと、下の方に小さくマンションエントランスの植え込みが見え、ここより低い位置にある街灯に照らされた灰色のアスファルトをバックに、空中のあり得ない位置に男の顔がある。
「ちょ、落ちたらどうすんのっ!」
「は?落ちねえよ」
「いや、ここ3階よ?!落ちたら死ぬわよ?!」
「大丈夫だろ」
「大丈夫じゃないわよっ!!!」
もうこの状態で会話してるってこと自体にまず頭が混乱してきてヤバい。
大体こんなとこに逆さにぶら下がって腹筋するとか、どう考えてもマトモな頭の人のすることじゃない。
「ここのベランダすげェいいな。腹筋と懸垂やるのに丁度いい」
なんだか知らないけどここを気に入ったらしい逆さぶら下がり男の満足げに腹筋を続ける様子に激しく目眩が襲う。
「イヤもうマジやめて頼むから!……ご、ご近所に通報される……!」
必死で頼んでなんとか止めてもらったが、軽々起き上がって来た男は物足りなさそうに柵からひょいと私の隣に裸足で着地し、ベランダから中に入ってまた上半身裸のまま室内をうろつき始める。
「ちょっともう、だから裸でうろつかないでってば」
「ァア?あっついんだよ」
背中を汗の筋が流れ、近くに寄ればモワッとした熱気を感じるから暑いのは分かるが。
「汗かいてるんならシャワー浴びてくればいいじゃない」
「……めんどくせえ」
言ってキッチンに入ると、勝手知ったる様子で冷蔵庫から2リットルのスポーツドリンクを取り出し、当然のようにゴクゴクと喉を鳴らして口飲みする。
「そのうち汗引くし、そしたら服着るからいいだろ?」
グイッと手の甲で口元を拭い、カウンター越しにこっちを見る上目遣いの視線。
その視線にあっさりドキッとしてしまった自分の胸が嫌で、キツく眉をしかめる。
「もう……私今からごはん作るんだから、さっさとキッチンから出て行ってよ」
「あ?」
「でもその前に、その食べた後の残骸」
カウンターを覗きこみ、シンク周りに放置されたものを指差す。
「置きっ放しにしないでちゃんと片付けてよね!そういう、燃えるゴミはそっち。あと、空きカンは洗ってからそこのカゴに入れる。わかった?」
「…………おう」
案外言われた通り素直にゴミを片す男。
その素直さに妙に拍子抜けして、そして後ろを向いてゴミ箱にガサガサとゴミを突っ込む背中の筋肉の動きについ目を奪われた。
鍛え上げられた広い背中。
しっかり筋肉の筋が浮き上がる背中は、単純に凄くて……。
「これでいいか?」
「え?……あ、うん」
振り向いた男の顔から思わず目を逸らす。
な、……何してんのよ私?!
男の背中に見惚れてたなんて、恥ずかしすぎるんだけど……!
これじゃまるで男好きの欲求不満な女みたいじゃない……!
いや、て言うかそもそもこんなムキムキな裸を見せびらかす、あいつが悪いのよ!
内心大きく動揺しているうちに、男はスポドリを冷蔵庫に戻し、キッチンからこっちへ出て来た。
「あ、そう言や、お前に返す麦茶もちゃんと買って来たぞ」
親指で冷蔵庫を指して言われ、あっそう、とわざと素っ気なく答えて入れ違いにキッチンに入る。
冷蔵庫を開けると、さっきは気づかなかったが確かに新しいお茶のペットボトルが入っている。
「…………」
意外と、律儀なやつ。
「なあ、テレビのリモコンどこだ?」
「…………テレビの横」
「おう、あったあった」
とはいえ、態度は昨日ここに来たばかりとは思えないくらい遠慮の欠片も無いけど。
「あ!ちょっと!汗ベタベタでソファに座らないでよ!」
「ちっ……いちいちうっせェな」
「はア?なんか言った?」
「…………」
遠慮が無いと言うよりもコイツって無神経なんだわ。
ソファから男が無言で立ち上がり部屋へと消えて行く。
気分を害したのかも知れないが、そんなの知ったこっちゃない。大体が、自由に振る舞いすぎるあっちが悪い。
気にせず料理をしていたら、案外すぐに男は戻って来た。
見ると上に白いTシャツを着ている。
「なあ、ポットってねえのか?」
「ポット?」
「ああ」
「……無いわ」
「じゃあ、湯、沸かしたいんだが」
そう言ってキッチンを覗いてくるので何かと思って見ると、その片手にはカップラーメンが握られている。
「…………アンタ…………ご飯って、いっつもそんなのとかコンビニ弁当とかばっかり食べてるわけ?」
「?……そうだが?」
「…………」
こいつって、無神経って言うよりも、天然??
「今、料理してるし……後にしてよ」
そう素っ気なく答えたものの。
15分後。
「おお…………すげェ……」
テーブルに並んだ料理を見て、椅子に着席した男がゴクリと唾を飲む。
結局、なんだかんだで食事を二人分用意してしまった。
無視して一人分だけ作れなかった自分が憎い。
だってあんなタイミングでカップラーメン持って来られたらお腹空いてるのかなって思うじゃないの。
そしてごはん食べてる横でカップラーメンずるずる食べられたりなんかしたら自分がすごく意地悪な人間になったような気がしてごはんが不味くなりそうだったし。
何より、いまだに抜けないこの二人分の量を作ってしまう癖が、別に食べさせてあげてもいいかも、なんて甘い対応を生み出す結果になり、完全にあだになった。
「お前あの短時間でこんなに…………すげェな」
「そう?」
おかず二品とお味噌汁と御飯だけなのだか、男の純粋な感動っぷりを見てなんだか気恥ずかしくなる。
「んじゃ、いただきます」
「……どうぞ」
手を合わせて食べ始めると。
「んおっ、うまい!」
目を見開き、嬉しそうに頬張る顔。
自分の作った料理を食べて喜んでもらえて、もちろん悪い気はしない。
頬をパンパンに膨らませながらもりもり食べるその様子が、ふと何かに似ていると思った。
あ、そうだ。
確か実家の隣のゲンさんが昔飼ってた犬、あの犬がエサを食べる時、こんな風にガツガツ食べてたっけ。
なんかこの人、あの犬に似てる。
そう思うと、妙な懐かしさと親しみが湧き、思わず笑いが漏れてきた。
「そんなにおいしい?」
「おう」
「ごはん、おかわりあるけど?」
「おう、食っていいか?」
嬉しそうに言うその顔はやはりどことなく犬っぽい。
「手料理って、すげェ久しぶりだな」
「へえ、そうなの?」
以前は食べさせてくれる彼女とかいたのかしら。
「前は住んでたアパートの大家の婆さんがよく食わしてくれてよ。あと住人に料理好きな野郎がいて、そいつもたまに気が向いた時には食わしてくれたりな」
「……ふうん」
野郎?ってことは、男よね?
あとお婆さん、ってことは、彼女に食べさせてもらってたわけじゃないんだ……。
「あ、そう言えばアンタって、住むとこなくてルフィの所に転がり込んでたんでしょ?」
「ああ」
「じゃあそのアパートはどうしたの?」
「燃えた」
「はあっ!?」
驚きで危うく口の中のものを飛ばしそうになった。
「もっ……燃えた?」
「ああ。おれ深夜コンビニでバイトしてんだが、明け方帰って来たら、全焼してた」
「……マジ?」
「おう」
淡々と言うから全然大したこと無いように聞こえるけど。
「え……それって、結構な大事件じゃない?」
「あー、まあそうだな。部屋にあったもん全部燃えて無くなったからな」
「…………」
まさかそんな事情があったとは。
「火種はなんだったの?」
「さあな。タバコとか……そんなんだろ、たぶん。ボロいアパートだったからな」
「たぶんって……誰か亡くなったりとかはしなかったの?」
「ああ。全員逃げて無事だったらしい」
「そうなんだ、よかった。でも……大変だったのね」
「ま、いきなり住むとこも部屋にあったおれの荷物も灰になっちまったからな」
「それでルフィの所に転がり込んだんだ……」
「まあな」
でもその転がり込んだ先のルフィが、ビビと二人で住みたいからということで彼をこっちに厄介払いして来たのかと思うと、突然住む所を失ってしまった野良犬みたいな彼が少し憐れに思えてくる。
「ごっそうさん。すげェうまかった」
「あ、うん」
片付けようと食器を持ってキッチンに立つと、彼も席を立ち残りの食器をキッチンまで運んで来てくれる。
「あ、そういや、お前共同生活のルールがどうのって、言ってなかったか今朝?」
「あっ……そうそう、ルールね」
食器を洗いながら、とりあえず以前ビビとの間で決めていたルールを一つずつ彼に伝えて行った。
一、家賃、光熱費、水道代は折半にすること。
ニ、共有部分の掃除は交代ですること。
三、お互いの部屋には無断で立ち入らないこと。
四、帰りが夜12時を過ぎる時、もしくは外泊する時は、一言連絡を入れること。
「それから……」
言いかけてなぜか一瞬言い淀んでしまった。
「それから?…………なんだよ?」
泡だらけのスポンジで皿を洗う私の隣に立ち、ステンレスの調理台に手を着いて顔を覗き込むその距離が、やたらと近く感じる。
「えっと……異性は、連れ込まないこと」
そのルールを口にした直後、思わず彼の反応を見る前に目をそらしてしまった。
「あー…………」
それだけ言って、彼が黙る。
そして僅かだけど身体が引かれ、微妙にさっきよりも互いの間に距離が空く。
「まあ……それは外で適当にするから……問題ねェが」
横からそんな答えが返って来て、それってどういう意味?と考える。
何それどういう意味?とさらっと聞けばよかったのだろうが、何となく聞くに聞けないで躊躇していると。
「じゃあ、おれ、バイトに行ってくる」
「ぇえっ?」
急に言われて、驚いてやけに大きな声を出し自分より少し高い隣の顔を凝視してしまった。
「明け方に帰って来るから。じゃ、ごっそうさん」
「あ……うん」
笑顔でぽんと私の肩を叩き、背を向けて軽く手を上げキッチンから消えて行く後ろ姿を唖然と見送る。
「…………」
ん?
て、あれ?
今……さり気なく触ったわよね?あの人。
あいつ……私には絶対指一本触れないとか言ってなかったっけ?
もし触られたら、警察に通報するって言った。
今すぐ警察に……って…………。
まあ別に……もういいか。
それから少しして、彼は本当にバイトへと出掛けて行った。
その夜、私はひどく寝不足だった筈なのに、モヤモヤしてなかなか寝付けず。
その日の色んな彼の表情や言葉がずっと頭の中をぐるぐる回り続けて。
ベッドで一人、何度も寝返りを繰り返したのだった。
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