ルーム・シェア  −9−

                                panchan 様

結局、ルフィからビビに電話があったのは真夜中になってからだった。
どうやらルフィはあまり事態を深刻に捉えていなかったらしく、ビビがいないことも夕食の買い物に出掛けているのだろう程度にしか考えていなかったらしい。
そのルフィの呑気な天然っぷりは普段の小さな喧嘩であれば呆れて怒りも収まる方向に作用したのだろうが、今回はビビがかなり本気だったがために、全く逆の効果を発揮してしまった。
ビビの本気を真剣に受け取らなかったルフィに、ビビは愛想を尽かし、はっきりとルフィと別れることを決意したのだ。
電話の向こうでルフィが今から迎えに来るみたいなことを言ってたようだったが、ビビはそれを冷たい声できっぱりと断っていた。

こんな夜に一人はさみしいからと、その夜ビビは私の部屋に来て一緒にベッドに入った。
甘えるように話し続けるビビに相槌を打ちながら、頭の片隅ではずっとゾロのことを考えていた。
私をベッドに押さえつけたあの腕の力と切羽詰まった表情。そしてじっと私を見下ろしていたあの熱の籠った瞳。
思い出すだけでドキドキして今でも体の芯が熱くなる。
ずっと我慢してただなんて……。
本当だったのだろうか。
私がノーブラタンクトップに短パンでソファの隣に座っても、お風呂上がりにバスタオル一枚でリビングを横切っても、全くなんでもないみたいな涼しい顔でいたくせに。
でも実はそれはなんでもないフリをしていただけだったって言うの?
もしそれが本当なら……私達は一体、何のためにお互い意識してないフリなんかしてたんだろうか。
本当にもっと早く言ってくれてれば……あんなギリギリじゃなくて、もっと違う状況でだったなら……あの情熱的な口付けも、あの熱くて大きな手も……私はきっと、喜んで受け入れていただろうのに。

「……さん?……ナミさん?」

ビビに呼びかけられ、はっと意識が現実に戻った。

「あっ……ごめん」
「大丈夫?」
「うん……ちょっと眠くなってきちゃって」

さすがに他のことを考えてて聞いてなかったとは言えず、小さな欠伸をして誤魔化した。

「そっか……ごめんねナミさん。今夜は急に帰って来て迷惑掛けちゃって、その上遅くまでたくさん話も聞いてもらって、本当に悪かったと思ってるわ」
「ビビ……今更なに言ってんのよ。あんた達カップルがはた迷惑なのは、別に今に始まったことじゃないでしょ?」
「え?」
「だから、今更そんな気を使わなくてもいいのよ」
「え……じゃあ私、もしかして今までナミさんにいっぱい迷惑掛けてたの?」
「そうよ」

今までハッキリ言う機会はなかったけど、この機会にと、一応キッパリと言ってみた。

「ええ〜!そうだったの〜!ごめんナミさん!私、今まで全然気付かなくて……!」

まあ確かに色々迷惑掛けられまくりだったけど、でもビビ達が居なければゾロと同居することもなかった訳だし。

「もう気にしなくていいってば。そんなの気にしてたら、ビビらしくなくて逆に私心配しちゃうわ」
「も、もう……ナミさんたら!」
「あはははは!」

私が笑ったのにつられてビビも自嘲気味に笑顔を見せた。
少しだけ元気が出てきたようなその顔を見て、ホッとする。

「もう寝よっか」
「うん」

サイドテーブルのライトを消し、真っ暗な中並んで仰向けになり寝る態勢になった。

「ねえ、ナミさん……」
「ん?」
「ナミさんって……あの人と何もなかったの?」
「えっ?」

急な問いかけに暗闇の中閉じかけていた瞼がまた全開に開く。

「あの人って?」
「あの人よ。さっきここを出て行った、緑髪の彼」

密かに頭の中を占めていたゾロのことを聞かれ、焦った。

「なっ……何もないわよ?だって……ただのルームメイトだったんだから……」
「ふうん…………何もなかったんだ?」

ビビが妙に含みを持たせた言い方で聞いてくる。

「な、何よ?なんでそんなこと聞くの?」
「だって……一緒に暮らしてたらやっぱりなんとなく情が移っちゃうんじゃないかな〜と思って……ナミさんみたいな可愛い人が家に居るってのも、男の人にとってはきっと堪らない状況だったと思うし……」
「そっ……そんなことないわよ、うん。ないない」
「うーん……でもさっきあの人が出て行った時の二人の雰囲気が、なんて言うか……すごく親密そうな感じがしたって言うか……だから実は何かあったんじゃないかって思ったんだけど……私の勘違いかしら?」
「…………」

ビビったら……。鈍感そうなくせに、案外鋭い。

「何かあるように見えた?」
「うん。……え?やっぱり何かあったの?」

期待するように身を起こしたビビには申し訳ないけど。

「ざ〜んねん。何も無かったわよ、私達」
「ホントに?」
「ええ」

結局は、ね。
もしビビが帰って来なかったら何かあったかも。なんて言ったら、ビビは私に対してさらに申し訳ない気持ちになるだろうから、言わないけど。
だけどそれは、あくまでその可能性があった、って言うだけの話。
結局私とゾロは、最後まで同居人の枠を越えることは出来なかった。


翌日から、何事も無かったようにビビが出て行く前の生活に戻った。
ビビの部屋のドアにはまたあのピンクのネームプレートが返り咲き、洗面所には洗濯用ピンチに吊るされたピンクや白のレーシーな下着が華やかに踊る。
以前と変わらぬ女二人の気楽な生活。
でも。

「お待たせ。じゃあ食べよっか、ビビ」
「うん、いただきます。……って、ナミさん?」
「なに?」
「これって……二人で食べるにはちょっと多過ぎない?」

テーブルに出した料理を見回してビビが目を丸くする。

「あ……」

しまった。
感覚で料理すると、まだつい多目に作ってしまう。

「えっと……お腹空いてたからちょっと作り過ぎちゃったかしら」

ビビと二人で食べるにはかなり多めの量。
残ったら明日に回すわ、と笑って誤魔化し取り分けていると、ふと対面に座るビビが淋し気な笑顔を浮かべた。

「そういえばルフィさんも……よく食べるからこの位の量を毎日作ってたのよね」

そう言ったビビを見て、私もつい頬を膨らましガツガツ美味しそうに食べていたゾロの顔を思い出す。
あいつ……ちゃんと食べてるのかしら。
って、私はお母さんか。
そんなの心配しなくても自分でなんとかしてるわよ。たぶん。
でも正直、私もビビも、戸惑っていた。
ただ元通りの生活に戻っただけなのに、ふとすると気付かされる、ぽっかりと空いた穴のようなものに。
洗面所に入る時、もう裸の男と鉢合わせすることなんか無いのにわざわざノックしてたり。
朝は目覚ましが鳴らなくても、ゾロがバイトから帰って来てた時間に勝手に目が覚めてしまったり。
トイレに行ったら、上がってるはずのない便座をつい目で確認したり。
そして有るはずも無いのに、毎朝冷蔵庫を開けてはそこに半額シールの付いたスイーツが見当たらないことに、一人勝手に落胆している。

そんな風に、そこかしこに空いた穴に慣れることが出来ないまま、一週間が過ぎた。

「ビビ、私今日はバイトの飲み会だから、帰り遅くなるわ」
「あ、そうなのね、了解よナミさん。私も実は今日、夕方からルフィさんと会う予定なの」
「え、そうなの?」
「うん……一応会ってちゃんと話しようってことになって。残して来てた荷物もあるし」
「そうなんだ……」
「そんなに遅くはならないと思うけど……またナミさんが帰って来たら、話聞いてもらえると嬉しいな」
「了解よ……たっぷり聞いてあげるから、ちゃんとルフィと話してくるのよ」
「うん」

そしてその夜。
久しぶりに参加したバイトの飲み会は結構遅くまで長引き、11時過ぎてからようやくお開きの空気になった。

「ナミちゃん。遅くなっちゃったし、送って行くよ」
「え……」

声を掛けて来たのは、前から気さくに話しかけて来てくれてるバイト仲間の男の人。

「別にいいわよ。一人で帰れるから」
「いやそう言わずにさ、送らせてよ。こんな時間だし、心配だから」

心配だから送ると言い続けられて、時間も時間だしと仕方なく受け入れた。

「ナミちゃんってさ、最近全然飲み会来てくれなかっただろ?なんで来なかったの?」
「ちょっと……最近色々忙しくて」
「そっか。おれ、ナミちゃんいないからさみしかったんだよな〜」

今日は結構酔っているのかその人はいつもより饒舌によく喋った。
そして話しながらやたらと距離を縮めて来る。

「ねえ……ナミちゃん」
「……なに?」
「ナミちゃんってさ、今彼氏いるの?」
「え……」

なんか話の流れ的に嫌な予感がして来た。

「いない……けど」
「そっか……いないんだ」

すると、その人が私の顔を覗き込み。

「じゃあ好きな人は?」
「……!」

そう聞かれた瞬間、すぐに顔が浮かんだことに、自分でも驚く。

「あ…………もしかして……好きな人、いた?」

私の反応に、複雑な笑みを浮かべて残念そうに言った彼。
彼にはすごく申し訳なかったが、その時、私の中で不思議となにかが吹っ切れた。
清々しい気持ちでまっすぐに向き直ると、両手をパチンと顔の前で合わせ、言った。

「ごめん!私、急に寄らなきゃいけないところ思い出したから、ここで。さよなら!」
「え……あ、ちょっと!」

さっと踵を返し、彼を残して反対方向に駆け出した。
後ろからナミちゃん!と呼ぶ声が聞こえていたが、無視して走り続ける。
ちゃんと確認したことはないけど、思い当たる場所はあった。
たぶん、あそこで間違いないはず。

それから二十分程歩き続け、気付くと、暗い夜道で一際明るさを放つ蛍光灯の灯りに、足が吸い寄せられていた。
見覚えのあるあのロゴの看板。
前でたむろしている学生達にじろじろ見られながら、そっと大きなガラス窓に近寄り、やたらと明るい店内を覗き見る。
やる気無さそうにレジを打っているのは、黒髪ロン毛でチリチリパーマの若い男。異様に鼻が長く、その長さはつい二度見してしまう程だ。
さらに店内を見回してみたが、他に店員らしき人は見当たらない。
間違いなく居るだろうと思って来たのに、まさか今日休みかしら。
せっかく来たのにがっかりなような、でもちょっとホッとしてるような。
ここまで来たのだから、とりあえず店内に足を踏み入れてみる。

「いらっしゃあせ〜」

あのレジの店員がやる気のない声で私を迎えた。
出迎えたのは彼の声だけ。
やっぱり休みなんだわと思い、じゃあ何か買い物だけして帰ろうとカゴを取って腕に掛けた。
雑誌コーナーの前を通り過ぎ、ペットボトルの飲料が並ぶ冷蔵庫前を通り過ぎて、店の一番奥、スイーツがありそうなコーナーを探して棚を曲がると。

「……あ」

いた。
見慣れた短髪の緑髪。
スイーツコーナーの前、通路にしゃがんで商品に次々黄色いシールを貼り付けている。
なんか……意外。ちゃんと仕事してるんだ。
制服の上着姿初めて見たけど、真面目な横顔のせいもあって不思議とカッコ良く見える。

こんなに……カッコ良かったっけ?

ドキドキ跳ねる胸を抑え、そっと近づいた。
向こうは作業に気を取られてて、まだ私には気づいていない。
タイミングを見計らい、今まさにシールを貼ろうとしたところで、サッと手を伸ばしそのプリンを横から奪い取った。
貼りかけた商品を取られて、怪訝そうにこっちを見上げた顔。
取ったのが私だと気付いて、その顔がパッと驚きの表情に変わる。

「うおっ……ナミ!」
「元気そうね、ゾロ」

目を見開いたゾロが慌てて立ち上がった。

「お前……なんでここに?」
「うん……なんか……ここのスイーツが無性に食べたくなっちゃって……」

ニコッと笑ったら、鼻の奥がツンとして泣きそうになった。
当たり前のようにあったものが無くなって、無性に恋しくなったのはスイーツだけじゃなかったから。

「ゾロにも…………会いたかったし」
「…………」

ゾロは何も答えず、驚いてただ立ち尽くしている。
その後方から、レジに並ぶ人達に追われる鼻の長い店員君がチラチラこっちに視線を送って来ているのに気付いた。

「あ……ごめん。仕事の邪魔だったわね」
「……え?」

私の視線を追ってレジの方を振り向いたゾロは、鼻の店員君の視線に気付き、了解とばかりに手を挙げて応える。

「忙しいのにごめんね、これだけ買って帰るわ」
「いや……ちょっと待ってろ。すぐ戻るから」

そう言ってゾロはレジに走って行き、数人の客のレジを済ました後、鼻の店員君とこちらを見ながら何やら話してから、ようやく戻って来た。

「悪ィ、待たせたな」
「ううん」
「お前、一人か?」
「うん」
「欲しいの、それだけでいいのか?」
「え?……うん」
「じゃあ貸せ」

そう言って私の手からプリンをサッと奪い取ったゾロは勝手にレジに持って行ってしまい。

「え?ちょっと」

レジの方へ行くと、プリンはすでに鼻の店員君の手で袋に入れられている。

「それ、お金は?」
「あ、いいのいいの。こいつに払わしとけばいいから」

鼻の店員君がニヤニヤしながら言った。

「あんただろ?こいつが柄にも無くせっせとデザート持って帰って渡してた相手ってのは」
「え……」

うん。と、答えていいのだろうか?

「なるほどね〜。確かに持って帰るのわかるぜ」
「おいっ、余計なこと言うなウソップ!」

ゾロは鼻の店員君を肘で小突くと、プリンの入った袋を手に、制服を脱いでレジカウンターの中から出てくる。

「じゃあ、頼んだぞ」
「おう。今度奢る約束忘れんなよ」
「わーってるよ」

二人のやり取りをぼーっと見てたら。

「おいナミ、行くぞ」
「え?……行くって……あんたバイト中でしょ?」
「こんな時間にお前一人で帰らせるわけにいかねェだろ。家まで送ってく」
「え……いいの?」

ただ、急に思い立って会いに来ただけだったのに。
ゾロが先を行きドアを開ける。
続いて店を出たら、あざ〜した〜と妙に元気な声に後ろから送られた。




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