穴があったら埋めてしまいたいほど衝撃的で羞恥に塗れたあの朝から一週間以上たっていた。別にぼんやりしていたわけでも、うやむやにしちゃおう!と言う訳でもないから。




Name the greatest of all inventors. Accident


                                りうりん 様

scene3


あの日コアラはどうにかして海青大付属高の生徒ではないかと推理して


「あの停留所から海青附属って近いでしょ?夏休みだから私服で部活に行く人もいるし、合宿とかで大きい荷物を持った人も結構いるから生徒か、コーチとかかなあと思ったのよ。それに翡翠色の髪って珍しいから、名前が分からなくても何かわかるんじゃないかな〜と、当たりをつけたわけ」


そのほか諸々の推理の結果がロロノア・ゾロと言う人らしい。学年は1つ上の2年生。私服だったからか大学生くらいの雰囲気だったけどなあ。あ、でもまだ本人と決まった訳じゃないし。3年生にバルトロメオという人も似た髪色らしい。逆に髪は長めで個性的な服装で変な訛りはなかったかと聞かれたけど、話をした訳じゃないからそんなことわかるわけないじゃない。ただ「乗り過ごすところだった」という言葉に訛りっぽいものはなかったと思う。コアラ曰く「要件人間」のサボくんは早々に電話を切っていまい、こうして話している間も思い出しながら、メモ書きみたいなものをSNSで送ってきているみたいだった。「それからね」と言ってからアイスミントティを一口飲んだ。


「その人ピアス、3つ付けてた?」
「ピアスが3つ?」
「うん、左に3つ。それがあれば完璧にロロノアさんが本人確定!なんだけどね」


ピアス…。ピアス…。してたかな?あの時は恥ずかしすぎて顔を上げることもできなくって、覚えているのは頭をかきながらスポーツバックを肩にかけた後ろ姿だけだからなあ。左手でかばんを持っていたからピアスなんて小さなもの、わかるわけないじゃない。
それにうちの学校は基本ピアスは禁止だ。国籍、宗教上の理由とかがあれば、申請をしなければいけない。でもピアスが3つもって…。おかしな人だったらどうしよう。あのバス停を使っていると言うことは、また会う可能性も十分あると言うことじゃない。一気に血の気が引いて青ざめるわたしに


「んんん。でもそんなことないらしいよ」


画面を見ながら形のいい鼻の頭をかいた。


「サボくんの知り合いなの?」


それなら仲裁をお願い出来るかも。そんな期待があったけど「校内で見かけたことがある程度」らしい。送られてきた動画から予想していたけどロロノアさんは剣道をしている。海青附属ってスポーツ強豪高で甲子園も常連だし、インターハイのニュースでもよく名前を見る。そんな学校で剣道部って…やっぱ強いんじゃない?「インターハイ常連だって」と、言う言葉にコアラ。あああ、やっぱり。ピアスを3つも付けた全国レベルの剣道部のロロノア・ゾロさん。きっとすごーく怖い人なんだろうな。ちゃんと謝りにいかないと、すごく怖いことになるんじゃない?目の前が真っ暗になったような錯覚にわたしは天を仰ぐと、大きくため息をついた。


「心配しなくても大丈夫だよ。美少女の胸の中で抱きしめられながら目覚めるなんて、男の夢だよ?パラダイスじゃない。逆にお礼を言ってもらうべきじゃないの?」


それは付き合っている相手ならありかもしれないけど、見ず知らずの相手からなんて頭がおかしいって思われるだけじゃない。下手しなくても変態扱いよ!おまけに程度はわかんないけど、怪我をさせたみたいだし。


「だけど剣道部は今日から合宿なんだって。だからナミちゃんの運命の相手かどうか確認することは出来ないみたい。ま、果報は寝て待てって言うしね」


運命の相手って別に恋愛事に限って使う訳じゃないし、果報じゃないし。


「元気だしなよ!ほら、あんたの好物のオレンジシフォンをご馳走してあげるから」
「アイスティもつけて」
「…じゅうぶん元気だね」


ロロノア・ゾロさん。あれは偶然だったんです。アクシデントだったんです。だから、だから、どうか穏便に!怒らないで〜!!


***


うるさいくらい蝉の鳴き声は遮断され、廊下を大勢の人が行き交う喧騒の中、そっと引き戸から中を窺うと叱りつけるような声に反射的に肩をすくめた。


「寝れば治るだって?野生の動物じゃあるまいし、今どき犬猫だって病院の意味を知っているよ!」


白を基調とした施設は暖かみがなく、いくらフレンドリーにしていても緊張感はぬぐえない。初めてのところではないけれど、知っている顔を見るとほっとする。無機質な診療室のドアの隙間から見える忙しく動き回るスタッフさんたちと一緒にいるお母さんにわたしは声をかけあぐねていた。豪胆で、大胆で、おおざっぱだけど、どれほど忙しい状態でも自分を見失うことはない。今も白いカーテンの向こうで対応している患者さんに怒っているけれど、指先であしらっている感じ。このまま帰ってもいいんだけど、終わったら寄るように言われているんだよね。「ま、いっか」と口の中で呟くと、そっとドアを閉めて廊下の壁にもたれた。


「コーザ。あんたもコーチなら限度ってもんを知っているだろ?!毎回毎回いいかげんにしな!」
「おっしゃるとおりです、ベルメールさん。でもこいつ、ほどほどだと怒るんですよ」


お母さん、声が筒抜けだよ。
付き添いの人なのかな?まだ若そうな男の人の声はお母さんの勢いに押されていた。


「あんたも!寝るより早く確実に治したいだろう?ぐだぐだ文句言わないでおとなしく治療を受けな。まさかそのガタイで治療が怖いとかいうんじゃないだろうね」
「うるせえ!」
「Dr.クロッカスがいらっしゃるまで、いい子ちゃんでいるんだよ。でないと…」
「拘束でもするんですか?師長」


ナースさんの心配そうな声が聞こえる。そりゃそうだよね。


「身動きできないように手足の関節をはずしてやるよ。クソガキ」
「クソガキじゃねえ」
「専門家の指示を素直に受け入れられないはクソガキだけだよ!」


お母さん。お母さん。やり過ぎるとドクハラ(ナースハラメント?)になっちゃうよ。患者のお兄さんもあきらめて。うちのお母さん、防医大卒業してから、ずっと自衛隊で看護師さんをしていていたから、そこらへんにいる男の人よりもずっと喧嘩も強いんだよ。大人しくしていた方がいいよ。

お母さんのむちゃくちゃな対応は患者さんに対する正しい対応とは思えないけど、ちゃんと相手を見る人だからそれが間違ってもいない患者さんなんだろうな。家では家事を放棄してノジコにやらせて寝てばかりだけど、充実して仕事しているんだな。ホント尊敬だよ。


「あらナミ」


深い色の金髪で背の高い男の人がお母さんと診療室のドアを開けた。背は低くないお母さんよりも背が高い。サングラスではなく、濃い色の眼鏡の奥は優しい目をしていた。この人が患者…ではないよね。


「お嬢さんですか?」
「そう。あんたのお嫁さんほどじゃないけど、いい女になる素質はあるよ」


人をくったような言葉に「素質だけですか」と笑いながら言った。


「まだ小娘だしね。先天的要素はバッチリ仕込んであるけど、あとは本人次第ってやつ」


初対面の人にどんな紹介よ。ケラケラ笑うお母さんにどう反応をすればいいのか、男の人も困った顔をしている。そうよね。すいません、こんなあけすけな母で。


「じゃ、ビビによろしくね。ホント診療科が違うと全然会えないんだから」
「無理するなとは言っているんですけどね。なかなか我が強くって」
「もちろん知っているよ。患者とやり合ったことだって数えきれないからねえ」


お母さんだって人のこと言えないくせに。自分のことのように恥ずかしそうに頭をかく男の人に


「だけどママになるんだからね。ほどほどにしておくよう、パパからも言ってやりな」
「はい。ありがとうございます」


優しく笑う様子に本当に大事にされているって感じで、なんかいいな。「ちょっと連絡を」という彼の背を見送り、ゆっくりと出口に向かって廊下を歩いた。


「家だとなかなかゆっくり話すことも出来ないからね」
「ここでだって出来ないよ」
「まあね」


クスクス笑いあいながら肩を並べた。学校にもよるんだろうけど、オープンキャンパスの一環で大学附属の病院での体験実習というものがある。受験生の確保も大事だけど、医療現場も常に人手不足なのだとはお母さんの言葉。「あなたも1日ナース体験!」なんて煽り文句の裏事情というやつだ。


「雑用しかしなかったけど、疲れちゃった」
「雑用って言うんじゃないよ。患者さんのお世話に必要な仕事なんだから」
「うー。それはちゃんと分かってるけどぉ」


明確な意思をもっていたわけではなく野次馬的に参加したオープンキャンパスだったので、ちょっと耳が痛い。


「86,400秒しかない毎日を頑張って勉強していることは知っているけれど、立ち止まって深呼吸した方がいいものが見つかることもあるからね。あんたのことは信用しているけど、どんな進路をとるのかよりも、お子ちゃまなナミちゃんが変な男につかまらないかの方が心配だよ」


その言葉に思わず足が止まりそうになった。


「士長ー!お話し中に、すいませーん!」


ナースが一人、追いかけてきた。病院は忙しいんだ。「じゃあ気をつけて帰りなよ」と小走りで戻っていく後ろ姿に手を振った。

お母さん。あなたの娘は、変な男につかまっていないけれど、いきなり男の人につかまる変な女と思われているかもしれないです。

はあ〜。




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