背の高い翡翠色の髪の人を探すことが、くせになってしまったかもしれない。

日が少しずつ落ちるのが早くなり、紅茶色に染まりつつある街並みを車窓越しに見送る。あの日以来ロロノアさん(仮)に会うことはなかった。それ以前もバスを使っていたのか覚えがないけれど、あの目立つ髪の色と後ろ姿に記憶にないという事は、少なくとも乗り合わせることがなかったのかもしれない。

長いようで、あっという間に終わってしまった夏休み。海青付属に直接の知り合いがいないから合宿がいつ終わるのか知りようがなかったし、それでなくても長い休みである夏休みには練習試合などで、各部とも全国を飛び回るらしい。ナミも夏期講習や生徒会とかがあり、それほど時間に余裕があるわけではない。それに明確な理由があればともかく、他校に行くことって、かなり勇気がいるんだよね。ロロノアさん(仮)がロロノアさんであれば話は違うんだろうけれど。コアラがあっさり目星をつけてくれたことには驚いたが、そのあとは事態がさっぱり進んでいない。


「仕方がないよね」



ひとつ肩をすくめると、近づいてくる面白味も何もない直線で縁取られた建物へのアナウンスに手早く荷物を片づけると降車のブザーを押した。




Name the greatest of all inventors. Accident


                                りうりん 様

scene4


「あの、ゲンゾウの娘ですけど」


ガラス戸を開けた先のフロアに置かれた受付に行儀よく座ったお姉さんたちに挨拶をする。


「はい。どちらの所属か、おわかりでしょうか」
「たしか…」


異動をしたとは聞いていない。だから案内をお願いしなくてもいいんだけど、ここはそういうわけにはいかないんだよね。内線電話で話をしているお姉さんの横で、ちょっと身の置き場がなくて見たこともない芸能人の標語ポスターを見ていた。いくつかのやり取りの後


「あちらの建物にいらっしゃいますので、どうぞお入りください」
「入ってもいいんですか?」
「はい。直接連絡を取ることは出来ませんし、特に問題はございませんので、という事です」


何回か来たことはあるけれど、一人であそこの建物には行ったことがないな。大きな掛け声に力強く踏み込むいくつもの足音が離れたここからでもよく聞こえる。

学校の体育館より一回り小さいと思う。それでも寝泊りすることがあるから広いんだけど。窺うように建物に入ったナミを出迎える何人かの不思議そうな視線に「部外者です。すいません。お邪魔します」的に頭を下げながら、階段の手すりに手をかけた。頼まれごとなのよ、お使いなんだから仕方がないじゃないと、心の中で言い訳する。さっさと用事を済ませて、とっとと退散しようと、うんうんと頷きながら階段を上った。

しかしタイミングが悪く、滑り落ちるような勢いで降りてきた人影と踊り場で危うくぶつかりそうになった。とっさに衝突を避けようとしてバランスを崩し、大きく仰け反る。ぐるりと回る視界に反射的に落ちる!と思った。


「きゃあ!」


悲鳴と固く目をつむったのと同時に、二の腕をしっかりつかまれ、引き戻される感触。


「悪い」


藍染の胴着に目深に絞めた黒手拭。見下ろす鋭い眼光に肩がすくんだ。それをどこか怪我をしたと思ったのか「どこかぶつけたか?」と聞かれ、慌てて首を振った。相手の男は落としてしまったナミの鞄をひろうと、階上から太い声がかかった。


「おい。おれのも買ってきてくれ」


言葉と一緒に振ってきたコインを器用に片手で受け止めると


「アルコール代には足りないっすよ」
「バカ言え。そんなものを買ってきたら逮捕だぞ。おまえの分も買っていいから」
「あざーす!」


そしてもう一度わたしに「悪かったな」と言って鞄を持たせると、また勢いよく階段を下りて行った。お巡りさん…よね?あの人。完璧に速度違反。前方不注意よ。あっという間に見えなくなったその姿に、ナミはむうと眉を顰めた。


「おい、あんた」


先ほどの太い声に階上を見上げると、さっきお金を渡した人がナミを見下ろしていた。特徴のあるひげになんとなく見覚えがあるような気もするんだけど、わかんないな。


「ゲンゾウさんとこの娘さんだろ?地域課の。親父さんに用か?」
「え?」


小さいころはともかく、ここ数年はここには来ていないのに。あっさり身元がバレてしまった。こういうとき、いつも思うんだけど、わたしが知らない(覚えがない)相手にどういう態度を取ればいいのかという事。



「はい。こちらにいると聞いてきたのですが、お邪魔してすいません」


そう言って出来るだけ大人受けのいい愛想を浮かべた。馴れ馴れしくするのもおかしいから、結局ネコをかぶり直すしかないのよね。



***


「剣道」と聞いて思い浮かぶのは、お父さんの職場にある道場での風景。学生剣道とは違う警察剣道の鬼気迫る白熱した様子に、気が弱い人なら道場に入ることも出来ないんじゃないのかな。実践を想定しているから、礼儀よりも勝つことに重きを置いているみたいだし、剣道というより剣術と言う感じだ。

警察署の敷地にある武道場には、とうぜん警察官しかいない。休憩している人もいるけれど、勤務時間の合間をぬっての練習には気迫が半端ない。素人でもピリピリした空気に居住まいを正してしまうくらい。その中を歩く制服姿の女子高生。補導されたわけでもないわたしに無遠慮なちくちくとした好奇の視線を感じる。みなさん、わたしのことは気にしないで練習してください。お願いだから。


「ゲンさん、お客さんだぞ」


壁際で何人かの人たちと談笑していたお父さんと視線が合い、手を振った。


「忘れ物、持って来たの」
「わざわざ持ってきてくれたのか」


「きっと困っているから」というノジコに言われて予備校の途中に寄ったんだけど、お父さんのこの調子なら、そんなに急ぎじゃなかったんじゃない?でも配達料は請求してやるんだから。見世物にもなったんだから、上乗せもしてやる。


「ビスタに連れてきてもらったのか。よくナミだとわかったな」
「小さいころゲンさんにつれられて、よく遊びにきていたじゃないか。それにこんなべっぴんさん、忘れるわけないだろ?」


そうか、やっぱり知り合いだったんだ。ビスタさん…。ビスタさん…。だめだ、全然覚えがない。


「ま、このオレンジ髪が目印ってのもあるけれどな」


豪快に笑うビスタさんに何となく髪を耳にかけた。そんなに目立っているのかしら、この髪。愛想笑いを貼り付けたまま、予備校への時間があるからというわたしに、お父さんも居心地の悪さを感じてくれたらしく


「気をつけてな」


という言葉に「じゃあね」とだけ言って早々に道場を後にした。

階下の練習の汗を拭きながら休憩している人たちの隙間を縫った先に、さっきのお巡りさんがいた。すっごい真剣な顔している…自販機の前で。胴着姿であごに手を当てながら腕組みしている様子は、なかなかカッコいいんだけれど、悩んでいることが飲み物のチョイスなんて可愛いんじゃない?
その姿に小さく敬礼し「お疲れさまです」とつぶやいてドアを押した。

外は熱気に包まれていた道場とは違い、秋の気配を感じさせる冷気が火照った頬を撫でた。昼間はまだ暑い日が続いていたけれど、どこかから聞こえてくる虫の声に夏が終わったんだなと、感じた。


***


「ゲンゾウさんのお嬢さん、超美人っすね!」
「実のお嬢さんなんすか?」
「彼氏は?」
「ええい!うるさい、うるさい!」
「やだ、お父さん。そんなに怒鳴らないで」
「誰が誰のお父さんだああああーっ!!」


竹刀をふり回して野次馬を追い払ったゲンゾウは肩で大きく息をつきながら、普段から強面の顔をさらに険しくした。


「そんなにムキになることでもないだろう」


年頃の娘を持つ父親特有の反応を見せるゲンゾウにビスタは言った。ビスタのところは早々に片付いており、「じいじ」と呼ばれるまでカウントダウン待ちである。


「ムキになどなっとらん!」
「だけど考えてみろ。嫁に行かなければ行かないで心配だが、どこの馬の骨かわからん奴にくれてやるなら、そこらへんにいるよく知った若い奴に預けるのもいいんじゃないのか」
「上のノジコだってまだ大学生だぞ。気の早い話をするな。それに嫁にやるとしても、わしより弱い男は絶対お断りだ」
「あんたに適うような若い奴なんて…」


いまは地域課という署内でも平和な部類になる部署にいるゲンゾウだが、本庁の捜査四課にこの人ありと言われているほど名をあげていたときもあったのだ。警察のいう荒波にもまれているとはいえ、最近流行っている「草食男子」と呼ばれる部類に入りそうな若手の警官など、鼻息だけで震え上がってしまうだろう。

が、「ああ!」と言ってゲンゾウに振り向くと


「いるじゃないか。ひとり」
「なんだと?」
「警官じゃないが、高校生の分際でここにきているやつが」


そういえば小遣いをやったきり戻ってこない。まさか、この道場がある建物のなかで迷子になっているとかいうんじゃないだろうなとビスタは思った。


「あいつか…」


言い淀んでいるところを見ると満更でもないのだろう。思わず真剣に考え始めてしまったゲンゾウはビスタのニヤニヤ顔に我にかえると、羞恥をかなぐり捨てるように怒鳴った。


「尻の青い小僧しか出ない大会で一度や二度優勝したくらいで、娘をやれるか!」


それは世間では十分すぎるほど称賛に値することなんだがなと、ビスタ自身も覚えがある事でぶつぶつ怒っている同僚を、彼から見えない角度から好意的にこっそり笑った。


***


バスの車内で到着するまで予備校のテキストを開いていたナミはふと顔をあげた。

車窓から見える街はポツポツと明かりが灯り始め、窓ガラスには白い自分の顔が映っていた。その顔をじっと見つめ、記憶をゆっくり手繰り寄せる。

階段から落ちそうになったナミをつかんで引き戻してくれたあの警官が、どうも記憶に引っかかってしょうがない。たまにゲンゾウが自宅に若い警官をつれてくることがあるので、その時にでも会ったのだろうか。いやいや。もうちょっと最近に会ったような気がするのだけれど、いくら考えても思い出せない。

背はナミより頭一つは高かった。180は余裕であるだろう。髪の色は手拭いで覆われていてわからなかった。一見鋭い目つきの悪そうな顔だが、笑うとビックリするほど子どもっぽかった。あのぶつかりそうになった距離で感じた空気になんとなく身に覚えがあるようで、ないようで、でも引っかかって…。だけど女子高で、特に親しい男友達がいるわけでもないナミにその距離を思い出せる相手のあてが全くない。


「どこだったかな…うーん。なんとなく出てきそうで…









                                                               ま、いっか」


先ほどの邂逅は記憶の片隅にぽいっと追いやると、ヘイゼルの瞳は再びテキストの文字を追いかけて行った。




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