Now Or Never!


                                りうりん 様

Act2


ミーン、ミーン、ミーン

                                                                           …ミーン、ミンミンミン

                             …ミーン、ミーン、ミン、ミン



「あっちーな…」


校門につながる緩い坂道がツラいわけではない。まだ朝と言ってもいい時間なのに、すでに刺すような熱を帯びている太陽を忌々しく見上げた。セミの一声で体感温度も上がりそうだった。視線を下げた先には海青大付属高等学校という青銅の板に掘られた文字。近隣に呼び声の高いスポーツの強豪校だが、赤毛が印象的な豪放磊落な理事長の影響もあってか、学校全体の上下関係は心配になるほど緩い。緩いが、お互いへの敬意を忘れない自立と常に自己を見つめる自省を促す教育は自発的な心身の鍛錬へのつながり、常勝校という結果になったのかもしれない。小さいころから剣道は好きだったが、前時代的な狂気じみた連帯感で強くなれるとはとても思えないゾロの通学可能圏内にこの学校があったことは幸運だった。

額にかかる汗を肩先で拭うと見慣れた校門の前を通り過ぎ、賑やかな野球部の掛け声の横を聞きながら、グランドの彼方から手を振る陸上部の友人たちに手を上げて挨拶を返した頃、深緋色の屋根が建物の隙間から見え始めた。適当な場所から助走をつけることなく、大きなスポーツバックを下げたままフェンスの上部に飛びつくと、そのまま体を引き上げて身軽に乗り越えた。長身であるためリーチもあり、そのうえ身体能力も高かったので剣道以外のスポーツで声をかけられることもあったが、すでにゾロの掌は竹刀の柄皮が馴染んでしまっていた。

彼の人となりを知る人間は口を揃えてやめろと言うが、こちらから入った方が武道場へ近道なのだ。勝手に目印にしているキジ虎のネコが暑そうに常緑樹の根元で長々と寝そべっており、いつもどおり「よお」と挨拶すると、うるさそうにこげ茶色の目でゾロを見上げた。木陰に入ると幾分か暑さは和らぐ。ネコがいるところは快適ということを知ってから、時間を見つけてはこのネコを探しては共に一睡していた。柔らかい毛並みを撫でながら木々の隙間から派手な塗装のバスを確認すると、「じゃあな」と最後にのど元を撫でてやった。いくつかの小枝が折りながら植え込みから出ていくと他の部員たちが「おはようございます」「またそんなミラクルなとこから出てきて!」「ちゃんと時間どおりたどり着けましたね」などなど好き勝手なことを言って出迎えた、が


「せせせせ先輩!」
「ちょ、救急箱!マネージャー、早く!」
「どこのだれを葬ってきたんすか!」
「コーザ先生呼んできて!」


一転して阿鼻叫喚、上を下への騒ぎになった。救急箱を抱えたマネージャーのリカが顔面蒼白でとにかく座れと言い、部活動が停止になるんじゃないかと話す部員もいる。


「これから出発ってときに、何やってきたんですか!!」
「何って…別に普通に」


怪訝にいつもどおりの通学経路を思い返すゾロにだまって鏡を手渡した。覗く鏡の中には、見慣れた顔の額からじわりとにじむ赤い痕。


「うお!?どうしたんだ、おれ!」


見れば肩先にも血がついているが、どこでどうしてついたのか身に覚えがない。首をかしげるゾロに「兄貴、方向音痴の上に、夢遊病もあったんすか」と言った後輩のジョニーには蹴りをいれたが、やはり心当たりはない。消毒薬が用意されたが一見して大したことのなさそうな傷に「放っておけばいい」と言ったが


「でもこの季節にですよ?手拭いも巻くし、防具もつけるのに放っておくんですか?膿んじゃいますよ。長引いちゃいますよ。そうなるとめんどくさくなりますよ。嫌じゃないですか?」


反論のすきを与えない、たたみかけるマネージャーの意見はもっともなものであり、それ以上逆らうのもバカらしく、おとなしく治療を受けた。ていねいに傷口を拭きながら


「でも、先輩。血は出ているけど、もう乾いちゃっているし、そんなに酷くないですよ。どこかで引っかかったような感じですね。何かにぶつかりました?」


家を出てから学校までケガをするような何かがあっただろうか。顎に手をあて、記憶をたどっていたが


「そういえば」


今朝はおかしな目覚め方をしたせいもあり、バスの中で(も)寝ていたゾロを驚愕させる起こし方をした女子高生がいた。身に覚えがある感触だったからとは口が裂けてもいえないが、非常に気まずい危険な状況であることは覚醒と同時にわかった。そしてヘタなことを言わずに、なるべく顔を合わせないようにした方が得策だと瞬間的に判断した。ちょうど降りる停留所だったこともあり、そそくさと降りてきたが、自分は何と言って降りたのだろうか。「寝過ごした」とかなんとか間抜けなことを言ったような気もする。相手もオレンジの髪と同じくらい耳を赤くして俯いていたから、ゾロのうわごとなど聞こえていなかっただろう。制服を着ていたから校章でもひっかけたのかもしれない。

その程度で酷いことになるはずもないのだが、状態によっては見かけ以上に血が出ることもある。


「たいしたことねえんだろ?」
「そうですね。傷自体は深くないけれど、長く引っかけたって感じですね」


そのうえ額にジワリとくる感触に汗と勘違いしていたから血を塗り広げたのかもしれない。


「ぶつかった時、ピアスに引っかからなくてよかったですね」


左耳につけられた三連のピアスが陽光に照らされながらチリチリと音をたてて風に揺れた。表面に龍を模して彫られたそれはゾロの家の家紋でもあり、父親が愛用していたものでもある。さすがに練習中などでは外しているが、何となく付け始めたそれは、いつのまにかゾロのトレードマークになっていた。確かにいくら体力自慢であっても、耳を引っ張られることは勘弁してほしい。簡単な処置だけで出番が終わった救急箱を片づけながら、「ピアスっていえば」とリカが楽しげに肩を揺らした。


「コビーが言っていたんですけど、このあいだまた他の学校の女子たちが来たそうですよ。モテますねー、先輩」


専門誌や全国紙のスポーツ欄を飾ることが増えるにつれ、ゾロを見たいという人間が増えてきた。対戦相手としてなら大歓迎だが、うるさいだけの連中はごめんだった。


「わたしは見ていないんですけど、『緑の髪でピアスしている人を連れてこい』って、先輩が嫌いそうなタイプだったそうですよ」


自分が嫌いなタイプとはどんな女だ。ゾロには世間が騒ぐ女のレベルというものがよくわからない。頭蓋骨に皮が1枚の話じゃないか。普通にパーツがそろっていれば特にいうこともなく、注文をつけるとすれば『手ごたえがある』だろうか。そのあたりは今朝のハンコックの条件とかぶるかもしれないが、そんな意見しかないゾロはジョニーたちは「生活環境による不感症っすね」と言うことらしい。それはそれで自分に欠陥があるように思えて面白くないのだが。


「練習で忙しい先輩の迷惑になっちゃいけないって、バルトロメオ先輩へ案内したそうですよ」
「…そりゃ、お気遣いどーも。つか、いいのかよ、ニワトリにそんなことさせて」
「いいんじゃないですか。『敬愛するゾロ先輩のお役に立てるなら!』って逆に喜んでると思いますよ」


たしかにゾロと同じ『緑の髪でピアス』をしているバルトロメオだが、剣道部ではない。バスケ部である。バリアーを張っているのか思えるほど長身を生かした鉄壁のディフェンスを誇るバスケ部の主将だ。だが、どこで何をどう勘違いしたのか年下のゾロを「先輩」と呼び、盲目とも言える崇拝ぶりには正直なところ、かなり真剣にうんざりしていたが、自分を見に来たというその女たちが今現在ゾロの周りをうろついていないという事は、コビーたちといっしょにうまく追い払ってくれたのだろう。


「今年も優勝!目指せ、連覇!ですよ。合宿中もたくさんオニギリ作りますからね。頑張りましょうね」


いつも部の運営に心を砕いているリカの働きぶりは、よく知っている。ズボンの埃を払って立ち上がると


「あいよ、マネージャー。よろしく頼むな」
「はい!」


黒髪のお下げを揺らして笑う声に、「兄貴ー!出発しやすよー!」と叫ぶヨサクの声が重なった。




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