夏陽炎 −2−
びょり 様
あんたが行って直ぐだから……もう1週間になるわ。
ずっと家に引籠ったままなの。
あのルフィがよ…信じられる?
理由を訊こうと家へ行っても、会ってくんないの。
おばさんの居る時狙って、中入れて貰ったりしたんだけど…
――ナミ帰れ!!お前とは顔合せたくねェ!!!
……って…部屋に閉籠って、絶対私と顔合せようとしないのよ。
何が何だか解らない……。
話し終えて、しょんぼりと俯く。
体はいっちょまえでも、中味はまるでガキだ。
「…嫌われるような事、言ったりしたりした覚え、無いんだけどなァ。」
「今更ちょっとやそっとの事で嫌いになるとは考え難いしな。」
「何その含みの有る言い方?」
顔を上げて、キッと俺を睨む。
…元気じゃねェか。
「男同士、あんた相手なら、話してくれるかもと思って…私の代りに、会って話聞いてくんないかなァ?」
…ああ、成る程…話が漸く見えてすっきりした。
反面、急に苛立ちが襲って来る。
頭をガリガリと掻いた。
「放っときゃ良いんじゃねェのォ。」
「放っといたら、ずっと引籠ったままよ!不健康じゃない!」
「後1週間もしたら新学期始まるんだ。そうしたら嫌でも外へ叩き出されて来るさ。」
「引籠ったまま夏休み終えさせろって言うの!?そんなの可哀想でしょ!!」
「可哀想ったって、本人が出たくないってんだから。…あのな、心配しなくても、男は皆、そうなる時期が有るんだよ!」
「…そうなる時期?……何それ??」
「第二次性徴…つまり『性の目覚め』だ。」
「性の目覚め!?ルフィがァァ!??」
鳩に豆鉄砲食らった顔して、ナミが叫んだ。
「話聞いててピンと来た。ルフィはお前を女として意識して、それで逃げてんだよ。」
「……そんな…まさか…有得ないわよ!」
「何で有得ないんだ?あいつだって立派に男だぜ。」
「…そりゃそうだけど…けど今更、私を女として意識だなんて…あいつと私は、小学校高学年まで、一緒に寝たり、お風呂入ったりしてたのよ!」
「…言っとくが、もう2度とすんじゃねェぞ。」
「何よ、あんたとだって、ちょくちょく一緒に寝てたじゃない。」
「まァ、だとしてだ…個人の性の問題に他人が口出せるもんじゃねェ!!ルフィ本人が自力で片付けるまで、お前は黙って待ってろ!!」
さっきより更に強くテーブルを叩いた。
上に置かれてたグラスが、ガシャンと派手な音を立てて跳ねる。
2つのグラスの底には、融けた氷が水になって溜っていた。
俺の剣幕に圧されたのか、ナミは暫く黙って俯いていた。
「……でも……折角の夏休みなのに…」
グラスの縁を撫でながら、口を開く。
「…プールの券も…映画の券だって…まだ残ったままなのに……後少しで、夏休み終っちゃうのに…」
言葉が途切れて、静寂に包まれる。
クーラーの排気音だけが、耳に届いた。
オレンジ色した短い髪が、クーラーの風でそよそよと揺れる。
俯けた頭の真ん中に、つむじが見えた。
剥き出しの肩や胸元に目が行く。
幼い仕草に不似合いな、大人の体…。
急に、息苦しさを感じた。
「…解った。今からルフィに会って、話聞いて来てやるよ…だから――もう2度と、勝手に俺ん家入るんじゃねェ!!!」
肩で息して怒鳴る俺を、ナミは両手にグラス抱え、きょとんとした顔で見詰た。
――ドドドン…!!
「ルゥゥフィィィー!!!ルゥゥフィィィー!!!」
――ドドン…!!ドドドドン…!!
立て続けにノックして怒鳴るも、ドアはうんともすんとも言わず。
「…居ないんじゃねェの?」
「居るわよ!!ドア触れてみなさい!気配がするから!」
言われて、触れてみる。
…成る程、鉄のドア越しに、息を潜めて居る気配が伝わって来た。
天才的に隠れるのが下手な奴だ。
「あんにゃろ、鍵開けて入って来れないよう、チェーンまで掛けて篭城してんのよ…!――こらルフィ!!居るの解ってんだからねっっ!!いいかげん投降しろっっ!!」
――ドドドドドン…!!!
それでも一向に天の岩戸は開かれようとしない。
「…まったくもう、毎日心配して来てやってんのに…!」
「そりゃ近所も毎日迷惑してるだろうなァ…。」
「ルフィ!!!聞いてるんでしょ!?ゾロが合宿から帰って来てるの!!それで久し振りにあんたの顔が見たいって!!私は場を外したげるから、ドア開けて入れたげて!!…解ったァーー!!?」
エコーが治まり、廊下にしじまが戻る。
ドアは変らず沈黙したままだ。
ほう…っと諦めの溜息吐いて、ナミが言った。
「…見ての通り、私とは絶対顔合せようとしない構えなの。だから、後は任せたわ。…私は一旦場を外して、1時間くらいしたら戻って来るから。」
「んな事言って、俺まで入れて貰えなかったら、どうすんだよ!?この熱い中、ずっとドアの前で待ってろってのか!?」
「私が居なくなったら、ドア開けて入れてくれるわよ、きっと!嫌われてるのは私だけなようだから!」
そう言って、にっこりと皮肉を込めた笑みを零す。
「…じゃあねルフィ!!!ゾロ置いて、私行っちゃうから!!!…早く中入れてあげなさいよ!!!でないとこの暑さじゃ、10分もしない内に干からびちゃうかもしれないわ!!!」
そう言い残して、ナミはくるりと反転し、エレベーターホールへ向った。
後姿が見えなくなり、エレベーターの開閉音が響く。
閑けさの中、遠くから蝉の声が聞えた。
暫くすると――ガチャリと鍵を開ける音がして、ギィィ…と扉が3pだけ開かれた。
隙間から覗いた目が光る。
「……行ったか?」
「ああ…怒って行っちまったぞ。」
「…行ったふりして、どっか隠れてるなんて事無ェ?」
「そんな訳無ェだろ」と言い掛けて、背筋に悪寒が走る。
つい振り返って、廊下の四方隅々まで確認を取った。
…いや、あいつなら有得そうで。
「大丈夫だ。少なくとも、もうこの階には居ねェよ。」
「……そうか。」
それでも安心出来かねるのか、ルフィは3p以上開こうとしねェ。
「……あのよ…外、熱ィから…取敢えず中入れてくんねェか?」
「……。」
「おめェと話しねェと…俺、自分家に居られねェんだわ…迷惑な事に。」
覗いた目が逡巡してる様子で、キョロキョロと動く。
少々の間を置いて、ガチャガチャとチェーンを外す音が届いた。
団地なんで、間取りは俺ん家と変らねェ。
玄関開けると直ぐ台所で、左は便所に洗面所。
台所に続いて六畳の居間と、狭いベランダ。
居間の左の四畳半が、ルフィの自室に充てられてる。
贅沢にもクーラー付の部屋は、足の踏み場も見当んねェ程、ゴミでぎっちり埋められていた。
寝る時は何処に布団を敷いてるのか?…皆目見当付かねェ。
「相っっ変らず汚ェなァ。部屋中がゴミ箱じゃねェか。」
「ゴミじゃねェって!皆必要なもんだぞ!相変らず失礼な奴だな、お前!」
「俺にゃ全部ゴミにしか見えねェよ。」
「ゾロの部屋こそ、物無さ過ぎで、さっぷーけーじゃねェか!」
「すっきりしてると言ってくれ。」
兄貴が居た内は、まだ片付いてたんだが…今春卒業して外国行っちまってからは、最早野放し状態だ。
こないだの衣替え直前、ナミに無理矢理掃除しに入られて、泣く泣く全部棄てさせられたらしいが。
適当な場所を足で払って、見えた畳の上、胡坐を掻く。
ルフィも俺の真向いに、同様にして胡坐を掻いた。
「それにしてもゾロ…お前、メチャクチャ日に焼けたなー!」
しげしげと人の顔を眺め、感心したように言う。
「1週間ずっと外駆けずり回ってたからな。…おめェこそ、真っ黒焦げだぜ。」
「しししっ♪毎日プール行ったりして、遊びまくったからな♪」
「けど、此処1週間は部屋引籠ってたそうじゃねェか。」
途端に視線を逸らして黙った。
「おめェらしくねェって…ナミのヤツ、心配してたぞ。」
Tシャツの袖を捲り、肩をペリペリと剥き出す。
「まァ、そうしてる理由は、何となく察しが付いてるが……スケベな夢でも見たか?」
貼って暫く経ったセロテープの様な皮が剥けた。
「ナミとヤる夢でも見たんだろ?……それで、顔合せ辛くて逃げてるのか?」
剥けた皮をフッと吹いて、俺の方寄越す――汚ェなっっ。
「………夢なんかじゃねェよ。俺は…ナミと……ヤッた。」
くぐもった声で、ルフィは告げた。
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(2006.09.11)Copyright(C)びょり,All rights reserved.