ライブラリー・ポートレート −2−
糸 様
ナミから連絡があったのは、アドレスを交換して三日後のことだった。
明後日学校帰りに図書館に行ってもいいか、というメールに、俺は二つ返事で了承した。
普段あまり近寄らない大学の図書館。
ナミはその入り口の前で待っていた。格好は制服のままだが、他にも高校生の姿はあり、さほど目立ってはいない。
「おい」
近寄って呼びかけると、ナミは振り向いて笑顔を見せた。
「あ、こんにちは」
「・・・待たせたか?」
「ううん、さっき着いたところ」
言って、足元に置いてあった鞄をよいしょ、と持ち上げている。やけに重そうなそれを見て、俺は眉を寄せた。
「何が入ってるんだ、それ」
「参考書よ」ナミはあっさり答える。「ここ、広い自習室あるし。私一応受験生だし?ついでに勉強して帰ろうと思って持ってきたの」
「・・・本なんか借りたらもっと重くなるんじゃねーのか」
「このくらい平気よ。自転車で来てるし」
俺はため息をついた。
「・・・貸せ」
「え?」
手を出した俺を見て、一瞬目を丸くしたナミは、少し慌てたように首を振った。
「い、いいわよ別に。そこまでしてもらわなくても」
「いいから貸せ」
問答無用だ。
半分ひったくるようにして取り上げた荷物は、予想通りずっしりと重かった。
慌てたように後をついてくるナミを見て、俺は内心ほっとしていた。実のところ、結構緊張していたのだ。
元々俺はがさつだし、言葉遣いも悪い。ついでに愛想というものがない。
この間はルフィやウソップ、サンジといった弁の立つ奴らと一緒だったから、初対面だったこの女とも普通に話せたが、今回は二人だけ。正直、何を話せばいいのか皆目見当がつかなかった。
・・・まぁ、普段はそんなことは気にしないのだが。一応、少なからず好意を持っている奴に対しては、いくら俺でも多少は気にするというものだ。
だが、ナミの方は俺のそんな態度をさほど気にした様子はない。あるいはルフィあたりから何か聞いているのかもしれないが、男にさえビビられることの多い俺にとって、それは有り難いことだった。
図書館に入ると、俺は適当な席に荷物を置いて小声でナミを促した。
「で?どうするんだ?」
「あ、えーとね」ナミは鞄からメモ用紙のようなものを引っ張り出す。
「本はここにリストアップしてきたんだけど、書庫の本って普通には借りられないのよね、確か」
「・・・そうなのか?」
滅多に本など借りない俺が、書庫の本の借り方など知っているわけもない。首を捻ると、ナミはカウンターの方を指差した。
「あそこに貸し出し用紙があるの。あれに本の名前を書いて、司書の人に確認してもらってから書庫に入って探すのよ」
貸し出しだけでなく、読むだけでも同じ手続きをしなければならないのだとナミは説明する。
何でそんな面倒なことを、と思うが。まぁ盗難や紛失を避けるためには仕方がないのかもしれない。
「じゃ、その用紙は俺が書いた方がいいのか?」
「うーん、そうね・・・一応。探すのは勿論手伝うけど」
そう言ってナミは、俺にさっきのメモを渡す。目を落としてみると、およそ俺には縁のない書名がずらりと並んでいた。
『海洋気象学総論:初版』『海流と気候変動』『地殻変動への流体力学的アプローチ』・・・・・・
いや、ちょっと待て。
「・・・おい」
「何?」
「お前、理系志望なのか?」
はっきり言ってこれは、高校生、しかも受験生が読むような本ではない気がする。いくらその手の分野に疎い俺でもそのくらいは分かる。
確かに、ルフィから以前聞いたところによると、ナミはかなり頭が良いということだった。それで進路が理系だというなら、こういう本に親しんでいても何とか納得できる。だから当然イエスの答えが返ってくると思ったのだが。
「・・・違うわよ?」
私、経済学部志望だもん。
「はぁ?!」
あっさり返ってきた否定に、俺は思わず声を上げてしまった。ナミが顔をしかめる。
「ちょっと、声大きいってば!」
「あ、ああ悪い・・・けど、文系の受験生が、こんな本読むのかよ」
「ただの趣味よ。文系って言っても理科も好きだし、興味があるから」
いや、明らかに趣味の域を出ている気がするが。
心の中で突っ込んでみるも、優等生の考えることは俺には分からない。
「・・・て言うか、余裕だな」
考えてみれば、受験生がケーキ屋で忙しくバイトをしているあたりからして余裕だ。
だが、ナミはこれには答えず肩を竦めただけだった。
「ホントに・・・ただ読みたいだけなの。それじゃ、駄目?」
伺うような目つきに、何かあるな、とはっきり感じた。
そもそも、ほぼ初対面で図書館への同行を求められた時点で、どこか違和感を覚えてはいたのだ。こいつは多分、何か隠している。
事情を言いたくはない、けれど本は読みたい。
俺には聞き質す権利はあったと思う。
名前を貸すのはこっちなのだ。俺が協力しないと言えば、ナミは読みたい本を借りることができないわけで。
自分でもそれを分かっているのだろう、ナミの表情は複雑だったが、態度は控えめだった。
だが、俺は息を一つ吐くにとどめた。
「・・・言っとくが、こんなに一気には借りられないぞ」
張り紙に、『書庫の本は一回につき3冊まで』と書かれているのを顎で差すと、ナミはぱっと顔を上げた。
「うん。優先順位はそのメモの上から順よ」
「へえ、ってことは、少なくともあと2、3回は来ないといけないわけだな」
「・・・えーと、やっぱり、迷惑?」
「いや、別に。どうせ本なんか借りる予定ねぇし」
言ってさっさとカウンターに向かう俺に、ナミはまた慌てて追いついてきた。
「あの、ゾロ・・・さん」
「・・・ゾロでいいっつったろ」
「それじゃ、ゾロ」
――ありがと。
何やら、色々含みのありそうなお礼の言葉だったが。
嬉しそうに笑う女を見て、俺の頭の中には「惚れた弱み」という言葉が浮かんだ。
・・・冗談じゃない。柄じゃなさすぎる。
打ち消すように頭をぶんぶんと振ると、隣に並んだナミが「どうしたの?」とでも言うように見上げてくる。
情けないことに俺はそれを直視できず、ますます足を速めるしかなかった。
ああ、全く。何だってんだ。どうしようもない。
悪態をつきながらも、この女に頼られていることを内心喜んでいるのを、いよいよ認めないわけにはいかなかった。
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(2009.09.10)