緋焔 −2−
こざる 様
匠の町でも随一の刀専門店と聞いたが、思ったほど大きな店構えではない。
引き戸をガラガラ音を立ててあけると、二人は店に入った。正面の露台に人気はない。
店内はひっそりと落ち着いていて、武器屋と言うより工芸品の店と言った佇まいだ。
扉が開いていたのだから、店はやっているのだろう。
奥にでも行っているのだろうと、勝手に見て回ることにした。
(〜ん、ピンからキリまでいろいろね。あまり値が張るとキツイわ。)
ナミは心の中でこっそり溜息を付く。
必要経費だし、安物買いの銭失いなんて論外、ましてやなまくら刀のせいで怪我でもされては寝覚めが悪い、と言ったのはもちろん、本心なのだが。
大体、アイツの刀って1000万ベリーは降らないって代物よね。
そのレベルを求められたら流石に辛いかも。
ナミの思惑を知っているのか、ゾロはゆっくり値踏みするように店内を回っている。
時折足を止めるが、手を伸ばすには至らない。
ナミの目にはどれも差異は感じられない。
大体、鞘に入った状態では何も判らないだろう、と思うのだが…。
ほぼ店内を一周し終えた頃、ふとゾロが顔をあげた。
一呼吸置いて奥から店主と思しき大柄な老人が奥から現れた。
その手には二振りの刀がある。
「いらっしゃいませ」
と、かけられた野太い声にも応えず、ゾロは店主の持つ刀に目が釘付けられている。
一つは綺麗な朱塗りで鞘の螺鈿細工も繊細で美しい。
他方は珍しい白漆の飾り一つない鞘に納まっている。
「それ、見せてもらえっか?」
ゾロの声はその刀に魅せられたかのように微かに掠れていた。
店主は黙って緋色の刀を差し出した。
ゾロはそのまますいっと引き抜いた。
そして、刀と睨み合いでもしているような厳しい目を向ける。
刀を暫く睨みつけていたが、やがて小さく息を付くとそのまま鞘に収め、店主に返した。
店主は受け取ると、「気に入らんか。」と問うた。
「オレがそいつを気に入らないんじゃない。そいつがオレを気に入らないんだ。」
ゾロの応えにナミは首を傾げたが、店主は薄く笑みをはいた。
「じゃあ、こいつはどうだ。良業物だ。」
と、最初に手にしていた刀とは別の刀を差し出した。
露台の裏にでも有ったらしい。
黒漆塗りの鞘も柄も、潔いほど簡素で却って質のよさが窺える。
ゾロは殆ど表情も動かさず、無造作に鞘から引き抜いた。
「物は良いんだろうが、覇気がないな。」
と、即座に店主に返す。
今度は大きく笑みを浮かべると、店主は最初に持っていたうち残った一本、白い刀を差し出す。
「こいつは売り物ではないが。」
売り物ではない刀を見せてどうするのだ、とナミは思うが、ゾロの考えは違うらしい。
受け取った刀をゆっくりと鞘から引き抜く。
そのまま静かに刀を見つめる姿に先ほどの張り詰めた気配はない。
「気に入った。」
と店主に言い切った後で、ナミを振り返って「いいか?」と目顔で問う。
(決めてるくせに聞いて、ダメって言ったらどうする気よ。ってかそれ売り物じゃないって言ってるじゃない?)
ナミがツッこむ前に店主の声をかける。
「白夜(びゃくや)は売れん。既に持ち主が決まっているからな。が、あんたはいい目をもっている。
白夜を打った鍛冶は奥の工房にいる。会ってみるか?」
それは、暗にその鍛冶の他の刀を見せてもらえ、と言っているのだろうか。
店主の真意は良く判らなかったが、薦めに従って会いに行くことにした。
店の裏手に鍛冶場がいくつか有るようだ。
手前の鍛冶場ではいかにも親方然とした男が若い衆に何やら怒鳴っていた。
件の鍛冶は奥まった鍛冶場にいるらしい。
店から見える鍛冶場には寄らず、そのままずんずん進んでゆく。
やがて、怒鳴り声も槌の甲高い音も小さくなった頃に、前方から別の槌音が聞こえてきた。
木立の陰になって他の鍛冶場からは見えない場所にポツンとその鍛冶場は建っていた。
「リン、客だ。」
入口で店主はベルを鳴らし声を張り上げたが、槌を振るう人物は振り向かない。
それを気にも留めず、店主は店から持ってきた二振り、赤と白、の刀を入口の刀掛けに置くと、踵を返して出て行こうとする。
「あの?」
ナミは不安になって声を掛けた。
「一段落するまでは、リンは手を放さん。もうすぐ終わるから、暫く待っててくれ。」
ナミが気になったのはそんなことではないのだが、店主から説明をする気はないらしい。
そのまま、店の方に戻って行ってしまった。
入口から続くスペースは客と打ち合わせのための場所だろうか。
簡素な長椅子と机が置いてあり、机の傍らには刀掛けが有る。
ガラスで仕切られた向こうに鍛冶場があり、入口からも作業の様子が見える。
鍛冶は背を向けているので、顔は見えない。
それでも、真剣な様子は窺えるので、仕事の邪魔をする気にはなれない。
ナミは傍らに有る長椅子に腰掛けて、気長に待つことにした。
肝心のゾロはと言えば、既に床に座り込んで壁に寄りかって眠っている。
(ったく、誰のためにココにいると思ってるのよ。)
緑頭に拳を落としたくなったが、無粋な騒ぎを起こすのも気が引けたので我慢する。
何より、鍛冶の様子が気になりその背を見つめた。
炉に入れるために立ち上がったり、刀をかざして様子をみたり、何くれと動いている動きの軽やかさからかなり若い鍛冶と見受けられた。
頭は汗や髪が落ちるのを防ぐためだろう、白い布で覆われている。
店主の言葉から名前が「リン」と言うことだけは判っている。
(はっきりは見えないんだけど…)
打ちはほぼ終わっていたようで、直に砥ぎに入った。
シュー、シュー、と言う音がする筈だが、甲高い槌音と違いガラスに遮られその音は殆ど届いて来ない。
聞こえてくるのは外の木立を渡る風の音だけ。
静かな葉擦れの音にナミもいつしかまどろんでいた。
不意に、大きな手に肩をたたかれナミは目を瞬いた。
鍛冶がちょうど仕事を終えたところらしい。
先ほどまで手にしていた刀を鞘に収め、こちらを振り向き軽く会釈した。
ゾロは先に目を覚ましていたのだろう。
立ってこれも軽く頭を動かす。
鍛冶はその様子を見て、奥のドアを潜ってこちらにやって来た。
「お待たせして申し訳ない。」
と、ゾロに声を掛ける。
そのまま、少し身を屈めると、その腰元に向かって更に声を掛けた。
「お初にお目にかかる。」
(…?それって刀に声を掛けてるの?)
刀鍛冶とはそういうものなのだろうか、と思って傍らの剣士を見上げれば、こちらも少し驚いている様子である。
「紹介して頂けようか?」
屈んだ位置から上を見上げるようにして、リンはゾロに声を掛けた。
無愛想で古めかしい話し方が刀鍛冶、と言う肩書きに似合っているが。
少し掠れ気味の声は、低くはあるが明らかに女性のものだ。
そう、この刀鍛冶は女性なのだ。
(確か、鍛冶場には女は入ってはいけないんじゃなかったかしら?)
ナミは複雑な想いを抱きながらリンを見つめた。
リンは背筋を伸ばすと頭部を覆う布を外し、額の汗を拭った。
抑えを失った長い黒髪がはらりと流れ落ち、広い背を覆う。
女性としては肩幅の広いしっかりした体つきだ。
背も高くゾロと大差ない。
アゴの細い顔立ちで、すっきりとした切れ長の目は目尻が少々切れ上がっている。
そして、翡翠を思わせる色の薄い緑の目。
綺麗な弧を描く眉と長い睫が黒いので、余計に瞳の薄さが目立つ。
表情も豊かとは言いがたく、瞳の薄さと相まって随分と険のある冷淡な印象の女性だった。
年齢も良く判らなかった。
一人前の鍛冶なので、相応の年の筈だがそこまで年がいっているようには見えない。
(ロビンと同じくらいかしら?フランキーより年上って感じではないわよね?)
ナミはリンの横顔を見つめ続けた。
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(2008.08.08)