耐え難くも甘い季節 〜もうひとつのMy way
MOMO 様
第六章
「やらない後悔ほど最低なものはない」
低く擦れた声。変わっていない。
「あいかわらず偉そうね」
「あたっていたろ?」
「・・・まあね」
「綺麗に飛べてたなぁ」
ゾロは懐かしそうにバスケットコートをブラブラと歩く。
ルフィ同様に日に焼けた肌だが、夕暮れの光のなかではわかりにくい。
ただ学校で働いていた頃の彼とは別人のような、逞しくて自由な感じがする。
仕草や表情も。
「今度はどこに行くの?」
コートの真ん中で向かいあうように立つ。夕焼けが眩しすぎてゾロの顔が暗い。
「どこに行こうか」
「?聞いてんのは私なんだけど」
「どこに行きたい?」
「・・・どういう意味?」
突然、腕をつかまれた。あまりの力強さに「わ」っと声がでてしまった。
「!!!ちょっ!」
グっと抱きしめられて、首筋にキスをされる。
「・・・こう」
「!」
ーまたあの言葉!?
そう思った瞬間。
立っていたはずの足元が真っ暗になり、ガクンと空から落ちるような感覚になる。
「大丈夫?」
それは整体師であるロビンの声だった。
ナミは長く深い溜息をつくと、そのままボーっと和室の天井を眺める。
和紙でできたランプシェードからオレンジ色の優しい電球の光が見えている。
何度も見た天井だ。ロビンの治療院は相変わらず、静かだけど子供達の声が遠くで聞こえる。
いつのまにか治療が終わって、例のごとく寝こけてしまったらしい。
「私、なんか言ってた?」
「いいえ?でも・・」
「でも?」
「・・・」
ロビンはビワ茶と握り飯ののったお盆をそっと畳の上におくと、いつになく優しい表情で笑った。
「にやけてたわ」
「・・・あ・・そ〜」
肩の力が抜ける。きっと顔も赤いに違いない。自分の夢を見透かされたような気がしたから。
あんな夢をみるなんて、自分の脳みそに呆れる。彼があんなことをするはずがないのだし。
ナミは1人でブツブツ言いながら起き上がると壁掛けの時計をハッと見て固まった。
「やっばい!」
***
時は一日前に遡る。
リーグ優勝を決めた後、散々祝賀会で酒をつがれ、あらゆるジャンルのマスコミに追いかけられ、たまらずに逃げるように我が家へ戻った。ノジコからビールとつまみを用意して待っているというメールも届いていたし、長い一日の終わりは自分のベッドで寝たかったのだ。
けれど玄関をあけた時に嫌な予感がした。
見たことのあるようなボロボロのバスケットシューズにエナメルの靴に健康サンダルが散乱していたのだ。
「よお、ナミ」
「こんばんわvvナミさん」
「お疲れさん」
「あら、みんなお揃いで・・・って!なんなのーー!あんたらーーー!」
ナミは俵級のリュックをすでに酔いどれのルフィに投げつける。
けれどルフィがうまく反り返ったので、隣のサンジの顔面にヒット。
ナミにとってはどちらにぶつかっても構わなかったのだけど。
「お前が遅いからよ、先に食ってたんだ。ノジコの料理久しぶりで美味すぎるからな」
「っていうか呼んでないし!」
「いやあ、ナミさんも素敵だけどお姉さまも捨てがたいね〜、でもナミさん一番!」
「選ばれる必要ないしっ!」
「ルフィよおっ!てめーは未成年だが、今日のナミのダンクに免じて許す!ガハハハー!」
「私のせいにすんなっ!っていうかコーチまでーーー!」
「まあまあ、みんなアンタを祝いに来てくれたんだからさ」
仁王立ちのナミの後ろから山盛りのから揚げをもってノジコが現れる。
ほれほれと皆に促されるままに座布団に座らされて(しかもなぜか3枚重ね)、ガラスのコップに透明な液体をたっぷり注がれた。
「んじゃ!カンパーーーイ!」
「おい!ルフィ!誰もてめえに頼んでねえぞ!」
「いいんだよ!カンパーーーーイ!」
隣で笑う相変わらずのルフィにナミも諦めて、一気に酒を飲み干した。
「お!」とゲンが叫んだと同時にナミは物凄い勢いでむせかえった。
てっきり日本酒か焼酎だと思っていたのに、あまりの強さに目眩さえ起こる。
「な、なにこ・・れ・・エホっ!」
「ナミさん、それ泡盛だよ。沖縄の酒さ」
「さ、最初に言ってよ!」一気に身体中の血が熱くなっていく。
「ゾロの手土産だ」
「・・・」
ゲンの一言で心臓のあたりがギュウっと締めつけられて、座布団からよろめく。
きっと泡盛のせいだと自分に言い聞かせる。
「本当はな、奴も来る予定だったんだがな〜」
「へ、へー」
「お前の試合を見た後に急用とやらで沖縄に行っちまったんだ」
「へー・・」
「よろしくって言ってたぞ」
「・・・へー」
「ナミ」とノジコに声をかけられて、初めて自分で注いでいたビールがコップから溢れて床まで流れていることに気付く。
周囲が「あーあー」と雑巾やらタオルやらで畳を拭いている時もナミはなんだかボーっとしてしまっていた。
何がよろしく、よ。
何がよろしく、なのよ。
何がよろしく・・・
「何がよろしく、だーーー!!」
最後は声にでていた。ビール瓶をダンっとテーブルを割るかのごとく置くとスクと立ち上がった。
「やばい」と思ったのはノジコだ。よほどのことがない限り、酒に飲まれないナミだけどいつもと様子が違う。
「なーにーが、よろしく?よ!なんにもよろしくないっつーの!」腰に手が添えられる。
「ナミさん・・」サンジが慄く。
「あんな無愛想な男!あんな方向音痴!あんな猫にしか好かれない男!」
「いいぞー!ナミー!」
「そこの猿!」応援していたはずのルフィの首根っこをもちあげる。
「え?俺?」
「あんたもあんたよ!ビビの気も知らないで!ホイホイと旅にでたりして!」
「でも言ったぞ」
「「「「え?」」」」一同凍りつく。
「忘れ物はお前だって言った」
「ルフィ・・あんた成長したのね・・」荒くれていたナミも感動する。
「でも引っ叩かれた」
「ビビに?!」
「いやあ、俺も遠くで見ていたけど見事なビンタだったね。そういうことだったのか〜」
サンジはナミの両肩を優しく押さえて座布団へと座らせる。
「あいつさ、俺のとこに来る時は自分の意思で行くってよ」
「ビビが・・?」また聞いてしまうナミ。
「んー。だから勝手に帰って来て勝手に人攫いすんなって」
ビビからは「おめでとう、明日も研修なのでお祝いは今度ね」とメールがきていたけど、そんなことはちっとも打っていなかった。
ナミはその様子を想像すると少しだけ可笑しくなって、また泡盛をロックで飲みなおす。
日本酒も焼酎も苦手だけど、なぜだかこれは癖になる香りだった。「古酒」とラベルに記されている。
「でも嬉しいって言ってたからさ、まあいっかって思ってさ。
あいつー・・なんか強くなったよなー」
「ビンタが効いたな」とサンジがからかう。
違げぇよと言いながらルフィもナミから泡盛の瓶を奪うと自分のコップに注ぎ始める。もう誰も止めはしなかった。
「離れるってのも悪いもんじゃない」
最後の一言はルフィの独り言だった。ノジコが新しい料理を持ってきて、テーブルに歓声があがったからだ。
それでもナミの耳にはしっかりと聞えていた。けれども答えることはしなかった。
「もう一杯いけるかな?」
すっかり酔いつぶれて、畳に倒れているルフィとゲンを踏み潰しながら、サンジは泡盛ロックを片手にナミが座っていた縁側に腰を落とした。もうすぐ夜明けだ。少しだけ遠くの空が明るい。
朝から仕事があるノジコには先に休んでもらった。
「いいお家だね。いまどき縁側なんて珍しいし、庭の手入れも行き届いてる。あれは蜜柑の木?」
「亡くなった母の残してくれたものよ。家も蜜柑の木も」
「そうなんだ」
ナミはカランとグラスの氷を鳴らすと空を仰いだ。まだ朝晩は冷え込むので押入れから毛布をひっぱりだし畳の上の死体達とサンジにも掛けてやる。そして自分も軽いブランケットに包まってチビチビと飲む。
「会っていけって言ったんだ」
唐突なサンジのセリフには主語が抜けていたけど、それが誰だかは聞かなくてもわかる。
「でも波照間で世話になっていた爺さんがぎっくり腰になっちまって民宿を手伝う奴がいないんだって」
「そう」
「・・・ナミさん?」
サンジに呼ばれたけど聞えないふりをした。
彼がサンジに自分のことをどれくらい話したのかは分からない。
もしかしたら、サンジ特有の勘で自分達に起きたことを感じとったのかもしれないし。
たぶん、ロッカールームのある廊下ですれ違ったのがゾロだったのだろう。
あの時、引き返していたら何かが変わっただろうか。
自分の中に埋め込んで土をたくさんかぶせていた箱を開けられただろうか。
それでもやっぱりあの時は、会えないような気もしていた。
会って「なんのことだ?」という顔されたら、試合どころではなくなってしまっただろう。
「もうどんな声かも忘れたわ」
「・・・」
「無責任よね。人に飛べ飛べって言っておいて。教師面してさ」
「・・・だね」
「・・あー。今のは嘘。私は私が飛びたいから飛んだの。誰の責任でもない・・」
「・・・かな」
サンジの声はすぐ側から小さく優しく聞えてきた。
泡盛の香りにもすっかり慣れて、スルスルと喉を通る。
まるでこれがゾロそのものであるように、しっかりと両手でグラスをにぎりしめた。
「お前、どうしたいんだよ」
え、と振り向くと、うつぶせになっていたはずのルフィが顔をこちらにむけてパッチリと目を開けている。
「なによ・・急に」
「どうしたいんだよ」ルフィは1点を見つめて動かない。
「・・・」グラスをグッと握る。サンジは黙って煙草に火をつけた。
どうしたい?
そんなの決まってる。
「あたしは・・」
「俺はその肉が食いてぇんだよ〜」
「は?」
「だからお前はそっちの野菜でも食べてろよ・・むにゃ」
「む、むにゃ?」
サンジがブホっと煙にむせながらククっと笑った。
ルフィはまた目をつむって安らかな寝顔にもどる。すぐに地鳴りのようなイビキまでかきはじめたのだ。
「・・・ぷ」
なんだか可笑しかった。だからサンジと一緒に笑ってしまった。
サンジはそのまま何も言わないで宴会の片付けをしはじめる。ある意味職業病だと本人が呟いていた。
再び、夜明けの空に目をやる。冷えた空気をグンと肺に吸い込んで、毛布から脱皮するかのように立ち上がる。
天から地へ、空のグラデーションが綺麗すぎて目を細めた。地平線は見えないけれど、きっと太陽はもう顔を出し
始めている。
長い長い暗闇が消えようとしている気がした。
あのダンクを決めて着地した時に感じた右膝への重みは一生忘れない。
目をつむり、3回大きく深呼吸。
吐き出した息は泡盛の香りだ。
開けた視界に太陽の光が飛び込んできた。
夜明けだった。
***
「待ってー!待っててばー!そこのタクシー!!」
ナミは2車線の一方通行の道路に立っていた。交通量が激しくてなかなか、手を上げていることに気付いてもらえないのだ。
これで5台目だった。腕にはめたG-ショックは何度みても同じ時間を刻んでいる。
出発までが時間があったのをいいことにロビンの治療を受けたのが裏目にでてしまった。
「送る」とロビンは言ってくれたけれど、患者の予約があることも知っていたし自分の責任だから気持ちだけありがたくもらっておくことにして、医院を飛び出した。
「あー!もーっ!」
地面に落としていたリュックを背負い込むと、進行方向へと走り出す。まるで車達と競争しているかのように。
その足の速さとナミの形相に車内から振り返る人々が多い。けれどそんなことは気にしていられない。
奇跡的にとれたチケットだ。これを逃したら次は何時に飛べるかも分からないのだ。
「ちょっとっ!こんな可愛い子が走ってんだから誰か止まって声かけなさいよっ!」
空車マークの赤文字を探しながら悪態をついた。と同時に細い脇道から中型バイクがナミの前に走り出てきた。
危うく轢かれそうになって、ナミは思わず尻餅をつく。運転手も「アブネー!」と溜息をだした。
どこかで聞いたような声だった。
「うぉ!何やってんだお前!」
「ぎゃー!ウソップ!」
「ってなんでわかんだよ!」
それはどこからどうみても同級生のウソップだった。
バイクのメットからはみ出ている長い鼻は他のだれのものでもない。
「ラッキー!」
ナミの笑顔にウソップはひきつった。
きっと自分はアンラッキーなんだと思ったのだ。
←第五章へ 第七章へ→
(2005.11.02)Copyright(C)MOMO,All rights reserved.