耐え難くも甘い季節 〜もうひとつのMy way
MOMO 様
第八章
「助けてくれた人達にお礼を言わなくちゃ」
とナミはサンダルをつっかけて外へでた。
島のお婆が着替えさせてくれたのは藍色のストンとしたノースリーブのワンピースで、
足の長いナミが着るとちょうど膝丈くらいになっていた。なので深い傷跡がいまだ生々しく目立つ。
「おい、話の途中だろ」
ゾロは突然席を立った彼女を追いかけるように草鞋を履いた。
「なんだ、さっきのは」
「ん?」ナミはもう一度持ってきた芋の葉のお面をつけてみる。
「とぼけるな」
「それはお互い様よ」
「・・・」
ゾロが言葉につまったのを確認すると、「お婆さんの家はどこ?」とお面のままで尋ねた。
「きっと畑にでている。また夕方に顔をだすだろうから、そん時にしておけ」
「そっか・・で、ぎっくり腰のお爺さんは?」
「昨日の朝一番で石垣の病院送りだ。島に居ると無理ばっかりして治るものも治らないからな。
無理やり船に縛り付けて送ってきた」
「じゃあ民宿は?」
「臨時休業だ。ちょうど客もひけてるし」
「そっか・・で、あの子はあんたの子供?」
「あ?」喉の奥がひっくり返る声だ。
陥没した民家の石垣の穴からまるで野生のキツネのようにヒョイと身体をだしたのは日本橋を海に投げた張本人だった。少年のあとには日本橋も穴をスルリと抜けてきた。
お面をつけたナミを発見すると、またゲラゲラ笑いながら逃げていった。まるで小悪魔だ。
日本橋だけは、一度ゾロの足元に擦り寄ると、またどこかへ行ってしまった。
「アホか」
「だって似てるわよ」
「俺だってこの島は久しぶりに来たんだぞ。どこで種つけるってんだよ」
「・・やらしい」面をとって横目で睨む。
「てめぇ・・」
カラカラと笑うナミ。彼女のペースに乗せられっ放しでゾロは苦虫を噛む思いだ。
「ねぇ。昨日の浜に行かない?」
浜に着くと、ナミは再びサンダルを脱ぎ、熱く白い砂浜を歩いたり、波に足をつけて喜んだりした。
それがまるで蒼い服を着た猫のようで、細く締まった足でダンスをするようにゾロには見えた。
「本当にびっくりするくらい綺麗ね!」
「また溺れんなよ・・・」ゾロは観念して、浜に大の字に寝転ぶと小声でつぶやく。
「ねえ!」
「・・・」
「ねえってば!」
「なんだよっ!」
起き上がった瞬間に海水を浴びた。黒いTシャツがじっとりと肌に吸い付く。
波打ち際で仁王立ちして微笑むナミは悪びれた様子など微塵もない。
「わかんねぇ」
「?」
「なんで、お前がここにいるのか」
「・・・・」
「あんなこと言ったのか」
「・・・・」
「なんで俺はずぶ濡れになっているのか」
「そう」
ナミはゾロの視線から逃れることなく立っている。沖縄の強い日差しを浴びて足元の海水がキラキラと光り、それが何かの演出のようにナミを際立たせる。
「憑き物が落ちたような顔しているぞ」
「そうかもしれない。度胸もついた」
「?」
「もう恋人や奥さんもいるかもしれない。少し昔のことなんて、忘れているかもしれない。
不安要素はたくさんあったわ」
「・・・」
「でもね、ここにくるまでの時間はなーんにも考えなかった」
「お別れってのをしにきたからだろ?」
女の心情なんてわかるものかという風にゾロは吐き捨てた。大人しくずぶ濡れで座っているのも情けないので
ジーンズの裾をまくり、波に足をからめながらナミの横に立った。
「・・・そうお別れよ」
「別れもなにも・・」
「今までの私とね」
「?」
ナミは浜を、ゾロは海を見ながら並んで海に立っていた。
「何かに縛られていたと思っていたけど、縛っているのは自分だった。
誰かのせいにしたり、誰かを責めたりしながら生きるのはもう止めたわ。
あのダンクを決めた瞬間、今までの重い荷物がドサッと背中から落ちたのよ」
「・・ああ、見てた」
「・・・うん」
ナミはゾロを下から覗き込み、少しだけ微笑むと再び海へと歩き出した。
「海なんて、ルフィが騒ぐほどのもんじゃないって思ってたけど」
そう言って、膝が隠れるくらまで波を浴びる。藍色の生地が濃く濡れた。
「うーん。不思議なくらい、懐かしい」
「・・・へー」
「なんでだろうね」
「さあな」
「広くって深くって、蒼くて。どこまでも続いてる」
「・・・」
「スカーーーッとするわよね。リセットできそう」
「なに?」
「あいつも同じこと言ってたな」
「あいつ?」
「ルフィだよ」と付け足すとゾロはTシャツを脱いで、海に飛び込んだ。
ナミを追い越して、クロールで水平線を目指すように泳ぐ。
硬く締まった筋肉質の腕がゆっくりと交互に水面から伸び、無駄な水しぶきもなく凪いだ海を進む。
ナミはその姿を瞬きもせずに眺めた。あの季節がもう一度戻ってきたような錯覚に陥る。
そうでなくても、この島は夏の匂いが充満しているのだ。
「ゾロにいーーーーーーーーー!」
「!?」
それはナミの空想をプツンと切るような、子供の声だった。
***
ゾロに似た少年は「ダイ」という名前だった。
ダイは砂浜への入り口で自転車に乗りながら「カイがまた倒れた!」と何度も大声で叫んでいる。
こちらに走ることさえ時間の無駄だと焦っているようだ。
ゾロもすぐに事情を飲み込んだのか、脱ぎ捨てた服も拾わずに砂浜をもの凄い勢いで走る。
「どうしたの!?」ナミは思わず後を追う様に走った。砂が足に食いつくようで走りづらい。
「民宿に戻ってろ!」
「一緒に行くわよ!邪魔じゃなければ!」
「・・・」
「私を助けてくれた子達でしょ?」
ゾロはナミの言葉に返事をしなかったけれど、一緒に走っていくことに何も言わなかった。
ダイは2人を先導するように腰を浮かせたままで自転車を漕ぐ。緩い坂道が続いた。
ナミはその坂の上ですぐに事情を把握する。
道路とサトウキビ畑間のあぜ道に小さく丸まった少年の身体を発見したのだ。
「カイ!ゾロにぃが来たからな!」
自転車から転がるよう飛び降りたダイの呼びかけに、カイという少年は息を荒くして頷く。
「薬はどうした!」
「浜に行くだけだからって家に置いてきたんだ」
「どこへ行くに持って行けって言われてただろ!」
「うん・・俺もそういったけど、カイが大丈夫だって・・」
ゾロは少年を背負うとなるべく振動が負担にならないように走る。その背中をナミと自転車のダイが追った。
「ネエちゃん、足はえー!」
「鍛えてるからね!」
幸運なことにすぐに知り合いの車とすれ違い、軽トラックの荷台に全員が乗ることができた。
玉の汗をかきながら、ゾロはカイをしっかりと抱いていた。
ナミは黙ったまま、風を受けながら海水で濡れたワンピースの裾を手で絞る。
どこまでも続きそうな長い一本道を車は静かに走り続けた。
ダイとカイの兄弟が住む民家に着くと、ナミは外でしばらく待つことにした。
家の中まで自分が入るのは無粋だと思ったのだ。
ーニャア
「日本橋?」
民家の瓦礫の隙間から、また日本橋が顔をだした。それであの兄弟が面倒をみていたことがわかった。
日本橋はナミの呼びかけにも知らんぷりだ。ナミは相変わらず無愛想な猫を少し離れたところからしゃがんで眺める。
「ここはお前の場所?」
低く太い落葉樹林の木陰で涼む猫に問いかける。けれど、なぜかあの試合の前夜にルフィに言われた言葉が脳裏を掠める。
ーここ、お前の居る場所か?
「こいつは涼しい場所をよく知ってるな」
自分の背後から低く涼やかな声が戻ってきた。ナミはそのままの姿勢で「そうね」とだけ答える。
「大丈夫だったの?」
「大したことなかった。暑さにやられたのと、いつもの喘息だ」
「そう・・」
そして2人で帰り道を並んで歩いた。時々、ゾロと挨拶をする村人とすれ違うが、静かな午後の島時間だ。
「親戚なの?」
「それを言えば、この島中親戚だらけみたいなもんだ。
昔俺が住んでいた頃に本土から家族で移り住んできた」
「そう・・」ゾロの草履を引きずりながら歩く音が心地いい。
「ここはな、都会の汚ねぇ空気で病気になった子供を連れて移住する家族が多いんだ」
気づけば日本橋はゾロの後を追うように自分達についてきている。彼がよほどの気に入りらしい。
「生白いモヤシみたいな奴でも1ヵ月も住めば、発症も極端に少なくなるんだ」
「なんとなく、わかる」
「?」
「ここにいると、身体の中の全部が掃除されるみたいな感じがするもの」
「そうか」
ゾロは少しだけ微笑むように答えると、うるさくまとわりつく日本橋を抱き上げて肩に乗せた。
兄弟の家で借りたらしいTシャツがたまたま藍染めのものだったので、なんとなくナミとペアに見える。
けれどそんなことはあまり気にならなかった。きっと服よりもこの島の景色のほうが勝っているのだ。
「けどな、働く場所もままならないし、皆長くは続かない。島社会ってのも
思っている以上に難しかったりするもんらしい。都会に慣れちまうとな」
「村中が親戚っていうのが?」
「ああ、気がつけばあの兄弟の家族ともう2組ぐらいになった」
「そうなんだ・・」
「んーー」
ゾロは大きく背伸びをしたので日本橋が驚いて、地上へと飛び降りる。ドンくさい猫だが、見事に着地した。
「短期間でもいいんだ。例えば夏休みとか。いい空気と海と暮らせる施設があれば
もっとこの島を好きなってくれる奴が増えてくれると思う」
「なんだ。校長先生になるんじゃなかったんだ」
「アホ。俺は資金集めと建設が目標だ。ここで教師をやりたいっていう物好きは結構いるんだ」
「ふーん」
「海外にはそういう施設も多い。レポートを作って、沖縄中のお偉いさんと交渉したりしてる。
中には頭の硬い爺いもいるが、結構太っ腹もいるからな」
「じゃ、建てたらまた旅にでるの?」
「・・・」
最後の質問にゾロは無言だった。きっと決めていないのだとナミは思った。
けれどそれが彼らしいとも思うのだ。
「どうすんだ?」お返しとばかりにゾロが尋ねる。
「ん?」
「これから」
「んー、そうね。お腹すいたかな」
「・・そういう意味じゃ」
ゾロのいつもの渋面にナミは「知ってるわよ」と言って、青い空に広く伸びる雲を掴むかのように両手を高く上げた。
「戻るわよ。あの場所に」
「・・・」
「でもきっと、あの場所じゃなくても私は自分の好きなバスケを続けていける。どこででも。死ぬまで」
「・・・じゃあなんで」
「借金があるの」
「ん?」ナミの意外な告白に益々ゾロの顔が渋くなる。
「渡米代と手術費、リハビリ費、その他もろもろ・・再起にかけたお金・・合計500万ちょい」
「嘘だろ・・」
「本当は所属チームの企業がバックアップ費として寄付してくれたものだけど。
寄付じゃなくて借金って形にしてもらったの」
ゾロの少し先を歩きながら、ナミは民宿へと曲がる角に大きな岩を見つけてよじ登る。
その岩の上に立つと360度島の風景が自分を中心に周る。夕暮れ時は観光客が集まる場所だった。
「ひゃー!気持ちいい!」大きな建物も何もない、広大で素朴な風景にナミは本当に清々しい顔で笑う。
「落ちんなよ」
「落ちたら受け止めてよ」
「やなこった」
そう言って、休憩とばかりに隣にあった小さな岩に腰掛ける。
「そのお金が私とチームの契約書。そして太い鎖みたいなものなの」
「・・・」
「利子をつけてキッチリ返して、そしてチームを何度でも優勝させてやるわ」
「広告塔になるのか?」
「あのチームを選んだのは私だから。でも操り人形にはならない」
ナミは遠くに見えた青い海の直線を真直ぐと見つめる。まるで船の先に立っているように。
「自分で縛った鎖だから、自分でブチ切らないとね」
「そうか・・」
「ありがたいことに今季リーグのMVPになったの」
「?」
「賞金は100万。それで利子分くらいになるかと思ってマネージャーに渡してきた。
来年も賞とって渡すって約束してね」
「とんでもない女だな・・」
「全部返金できたら、そこがまたスタートよ」
「どうすんだ?」
「そうね・・そうだ!ルフィと一緒にやってあげてもいいかな」
「?」
「海賊」
「・・・そりゃ儲かりそうだな」
「仲間に入れてあげてもいいわよ、用心棒で」
「なんでお前を守らなくちゃいけねぇんだよ」
ナミはカラカラと笑うと、風に流されるオレンジ色の髪を手でまとめる。
ゾロも笑いながら、腰をあげるとナミを見上げた。
「降りて来い。いいもん食わせてやる」
『日本最南端の食堂』
ナミはその看板を無言で眺めながら、さっさと中へ入ってしまったゾロを追いかける。
内装はなんてことのない、ごく普通の食堂だったが聞きなれないメニューばかりが紙に書かれて
壁にびっしりと貼り付けられている。
「ナ、ナベラーって?」
先にカウンターに座っていたゾロにコッソリと聞く。
「ヘチマだ。味噌炒めが美味いぞ。でも今日はやめておけ」
「?」
ナミがキョロキョロしていると、厨房からかっぷくのよい中年女性が笑顔で丼を2つ運んできた。
「約束だからな」
「・・・」
「忘れたか?」
「・・・んなわけないでしょ」
「いっとくが、俺も忘れてないからな」
「・・・」
麺の上に豪快にのっている分厚い豚の三枚肉をゾロは一口で平らげる。
その横顔をナミは真直ぐに見つめた。また心臓のあたりがギュっとなって思わず深呼吸をする。
「お前が帰国したら、顔をだしに戻ろうと思ってた」
「・・・言い訳はいいわよ。どうせ旅先で迷子になってたんでしょ」
「・・・」
「嘘・・マジで?」ちょっと笑いを堪えているナミをゾロが睨んだ。
「タイミングを逃しただけだ」
男の言い訳っていつも情けないと呟くと、それからナミは黙々と沖縄ソバを食べ、もう1杯おかわりをすることになった。
その間中、ゾロはナミの食べっぷりをまた笑うのだった。
気がつくと店の客はゾロとナミだけになっていて、厨房の女性は裏口の扉のむこうで何か野菜を洗っていた。静かな店内にナミの汁を啜る音が響く。
「美味しかった」
「だろ」ゾロはどこか満足げだ。
「うん。この島に来てよかった」
「・・・」
ナミはグラスに残っていた氷を口に頬張ると、カリカリと歯で割って喉に流し込む。
大切な言葉を言う前の儀式だ。
「肝心な時に本当のことを言わないと、人生どこかでくずれて戻れなくなってしまう」
見つめ合った。
というよりも、ナミの強い視線にゾロが捕えられた。
「そんな気がする」
「・・・」
「好きよ。多分ずっと前から」
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