耐え難くも甘い季節 〜もうひとつのMy way
MOMO 様
第九章
「言ったの?!」
あまりに甲高い声に周囲の客達が一瞬、彼女達に視線を送った。
「・・・そうよ」
「ナミが?」
「・・・そう。ちょっと静かに喋ってよ!」
「ホントに?」
「ビビ・・、しつこいわよ」
スターバックスの店員が「アラビアンモカ」の試飲を薦めに来たが
ナミは笑顔で断ると、皿に残っていたスコーンの欠片を口に投げ入れた。
「で、先生は何て?・・って言うか、じゃあなんで戻ってきたの?」
いきなり小声になったビビにナミがプッと笑う。
「練習あるから」
「は?」
「これでもプロだからさ。がっちり稼がないとね」
「ええ?」
ビビは小さい口をポッカリと開けて、目の前ですっかり季節はずれの日焼けをした親友を見つめる。
ふられたのか、結婚の約束でもしてきたのか。きっとどちらかなのだと心の中で思う。
だからそれ以上は色んな意味で怖くて聞けなくなってしまった。
それぐらいナミの笑顔は何かが終わったような、始まったような晴々としたものなのだ。
ちょうどタイミングよく、テーブルの上に置いたビビの携帯がメール着信バイブで揺れた。
ビビは動揺をかき消すように、すぐに手にとり画面を見つめる。
「ルフィ?」
「うん。・・また文字化けだけど」
「出発前には会えたんでしょ?」
「会えたよ。空港でやっぱり連れてくって私のこと担ごうとしたけど」
「殴っておいた?」
「もちろん」
2人でクスクスと笑いながら席を立つ。背後からナンパの匂いを漂わせた男達が寄ってきたからだ。
自動ドアを抜けると空から紙吹雪のような桜の花びらが散り落ちていた。街路樹の桜が満開なのだ。
「そうだ、ナミ知ってた?サンジさんのお店のあった所、いい感じのカフェができたんだよ?」
「へえ、今度行こう!」
「ただ一つ問題があるのよね」
「?」
ビビはちょっと苦笑いをしながら、そのカフェのショップカードを財布から取り出してナミに手渡す。
『カフェ・ウソップ』
「・・・」
「家族と一緒にやるみたい」
「そっか・・あいつは喫茶店のマスターが夢だったもんね、じゃあ花束持っていこ!」
「?」
「あいつには借りがあるからね」
「そうなの?」
「・・・そう、あの飛行機に乗れたのはウソップのお陰だし」
「?ナミ、わかるように話してよ〜。さっきから・・」
含みのあるナミの言葉にビビは不満があるらしい。けれどナミは「また今度ね」とG-ショックに目をやる。
桜吹雪は、春風にのって天へ舞っていく。ナミはその風に乗るように駆けて行った。
ビビも花びらを眺めながら空を仰ぐ。
ー快晴 雲一つない青い絨毯のような空を
***
「いいの、伝えたかっただけだから」
短い告白のあとにナミはそう言い足した。
ゾロの口が開こうせずに硬く閉じているのを確認してから。
それに彼に饒舌な言い訳など求めてもいなかった。沈黙に堪えるられず、カウンターの椅子から立ち上がる。
背後でゾロが「勘定ここに置くよ」と告げているのを聞きながら店を出た。
民宿へと戻る道。日差しの強い午後は人影も少ない。きっと夕方にはまた観光客がのんびりと歩く姿が見られるのだろう。
ナミは早足で歩きゾロと距離をとる。そうせずには居られなかった。
大誤算だったのだ。
気持ちを伝えてしまえば、たとえ返事がどんなカタチであれ構わないと思っていた。
それで自分はスッキリと、また東京に戻れると。本当にそう思っていたのに。
ーこの心のざわつきはどうなっているのだろうか
彼の草履の音が距離を離れることも近づくこともなく聞えてくる。
それがナミにはどうしようもなく辛かった。自分の奥底にあった自惚れを見られいる気がして。
かっこいい言葉を並べてサバサバとした風に見せていても、どこかで信じていた。
「俺もだ」という返事がすぐに返ってくると。
だけど彼の横顔はいつもの難しそうな顔で、口は1ミリも開かなかった。
自分が描いていたドラマには、ほど遠い結末だったのだ。
この島に来たことさえ自分の自惚れだったように思えてきて、全身が火照って赤くなっているのではないかと不安になる。
そんな風に悶々としているうちに民宿の前まで来てしまった。狭い島であることを恨めしく思う。
「ちょっと浜に行ってくるわ」いい忘れたとばかりに立ち止まる。背中をむけたままで。
「・・・」
「へ、平気よ。もう溺れたりしないから。・・それで夕方の船で帰るわ」
「・・・」
「だから・・」
「無理だ」
「・・・え?」
「今日の便はもう終わってる」
「・・・じゃあ明日帰る」
「今夜」
「え?」
「今夜、時間空けといてくれ」
「・・・」
どういう顔をしているのかと、思い切って振り向いた時にはゾロは民宿の中だった。
それで全身の力がズシンと抜けて、思わず腰を抜かしてしまった。情けないことに。
「あれまぁ、そんなとこに座って」
そんな腑抜けのナミに背後から声がかかる。隣の家から出てきた小さな身体の元気な老婆だ。
藍色のモンペに生成りのTシャツ、足にはゾロと同じ草履。大きな麦藁帽子からのぞく顔は日焼けして皺だらけの優しい顔だ。ナミはすぐに自分を介抱してくれた張本人だと察して、立ち上がる。
「もう元気になったかね」
「ありがとうございました」
「泳げんのに、海に入るなんて、よっぽど海が好きさね〜?」
「・・はい、あの本当にお世話になりました」
どうにも歩く道は1本だし、2人で並んで歩くことになる。
「それ、なんですか?」
ナミは会話を見つけようと、老婆が手にたくさん握り締めていた野草を指差す。
「これ?延命草とゆうね。カイに持ってってやるのさ」
「ああ、あの子」
「知ってるかね?」
「ええ・・さっき喘息で倒れたって」
「ああ、ゾロに聞いたね?そうそう、あのモヤシっ子に煎じてやらなぁいけないの」
老婆は涼しい風が海から流れてきたので、帽子を背中に回す。綺麗な白髪のお団子が姿を現した。
道の並びにあった商店の奥に何か沖縄の方言のような言葉で声を掛けて、また歩きだす。
きっと自分にはわかりやすいように話しかけてくれているのだろう。
「あなた、ゾロのお嫁さん?」
「・・・全然違います」
「そうなんかね?あんた、浜で倒れた様子みてさ、あの子血相変えて抱き上げとったよ。
だからさ、みーんなでゾロの嫁が溺れたって笑ってたさ。」
「血相かえて・・?」
「あんたがイビキかいとったから説明してやったら腰抜かしておったさ」
老婆はちょっと笑うと、ナミの顔をまじまじと眺める。
「あんた綺麗だねえ」
「・・・そんな」
「ゾロをよろしくね」
「・・・」
島を囲むように出来ている大きな一本道にでると、
老婆は浜とは逆の兄弟の住む家の方向へと歩き出した。
ナミは何度か行き来して見慣れた道を1人、海へと向かって歩く。
真っ青な絨毯が視界に広がり、浜で泳いでいる観光客をぼんやりと眺める。
ーもう一度あの夏に戻りたい
そう心の中で呟いた。
意地を張らずに、もっと彼のことを真直ぐに見つめていれば
もっともっと話をする時間を作っていたら
彼が学校を去ったとき、諦めて心に蓋をしなければ
もっともっともっと・・・・
「ヤナカーギー!」
またも同じ声で現実に引き戻される。
気がつくと、浜に着いて砂浜を歩いていたのだ。
ダイを先頭に日本橋を引き連れた悪がき達が再びナミの尻を次々と触って横を走り去っていく。
さすがにカイの姿はない。その変わりとばかりに連れてこられたらしい日本橋が犠牲者になっていた。
再び海へと投げ込まれている。ゲラゲラと笑い、次々に海へと飛び込む子供達。
「・・・」
「「「やーい!ヤナカーギー!!」」」
「・・・この・・」
ナミはサンダルを脱ぎ捨てると、子供達のもとへと走り出した。
波で濡れた砂に足を取られ、何度か転ぶ。それをまた笑われた。
「この・・・クソガキーーーーー!」
子供達に飛びかるように海へダイブする。それがスタートの合図だったかのようにナミを残した全員が海へと、浜へと逃げたした。日本橋だけが、優雅に浅瀬で漂いながら泳いでいる。
「ぎゃはははーー!ブスは足がはえーぞー!気をつけろー!」
「逃げろー!」
「つかまったら喰われるぞ!」
「ぎゃはははーーー!」
「なめんじゃないわよ!私を誰だと思ってんの!?プロのバスケット・・ぎゃーー!」
いつのまにか背後に回られて濡れたスカートをめくられる。
「あったまきたーー!」
それからどれだけ夢中で走っただろう。どれだけ転んだだろう。
どれだけ笑って、叫んだだろう。
気がつくと全員を捕まえて浜へと投げ倒し、自分も大の字で倒れこんだ。
髪も服も海水と砂だらけで。
「わ」
乱れた呼吸のままで天を仰いだ。
視界全てが空で、身体は砂の中に埋まってしまいそうなほど地に密着していた。
「姉ちゃん、なかなかやるな」
「うん、すげえ」
「ああ、やるな」
ダイに倣うように子供達が笑う。
つられてナミも笑った。けれど涙もでた。だから誤魔化すように腕で目を覆う。
何か心の中にあったモヤモヤしたものが流れ落ちていく気がする。
「ありがと」
「え?」
「これでよかった」
「は?」
「うん、よかった・・」
「・・・姉ちゃん、走りすぎておかしくなったか?」
ダイが心配そうに覗きこんだ。
その顔がゾロに見えて、ナミはまた泣き出しそうになったのだけど。
***
「またやられたのか」
夕方、砂だらけで戻ってきたナミを玄関でゾロが出迎える。
頭には手ぬぐい、腰にはくたびれた感じの1枚布をエプロン変わりに巻いている。
まるで東京で流行っているラーメン屋の主のようだった。
台所からはいい香りがしてきていて、思わず自分の家のように「ただいま」とナミは言ってしまった。
ずぶ濡れの猫のように小さくなっているナミをゾロは緩い笑顔で迎えた。
けれど当の本人は彼の顔をまともに見ることができない。
「おやま、はやく風呂に入ってきなあ」
台所からはもう1人、さきほどのお婆が同じく白い手ぬぐいを巻いて顔をだす。
ナミはなんだかホッとしてしまう。本当に家族のような温かい言葉だったから。
大人しく先に風呂に入らせてもらい、自分で持ってきた黒のタンクトップに生成りの短パンに着替える。
鏡に映っている自分は、なぜか間抜けな顔だった。柔らかくてフニャフニャとしている。
両手で頬をグイっと持ち上げてみたけれど、どうしても間抜けだ。
よくよく考えてみると、試合を終えてから今までじっくりと自分の顔を眺めることがなかった。
一体いつからこんな顔になったのだろうと首をかしげる。
「何してんだ」
後ろを通り過ぎようとしたゾロがギョっとしている。
「なんか・・顔が間抜け」両手はまだ頬に。鏡越しに告白以来見れなかった顔を見る。
「ああ、目のつり上がってんのがとれたんだろ」
「そんなに・・つり上がってた?」
「学校にいた頃はもっと酷かったぞ」
「うそっ・・」
「はやく来い、飯だ」
「・・・」
自分が告白した男は、何事もなかったかのようにそのまま食堂へと消えていった。
お婆とゾロが用意してくれた夕食は沖縄料理と呼ばれるものと泡盛で、ナミはどれもこれも美味しくて、いちいち感想をはさみながら豪快に食べた。
お婆は泡盛を飲みだすと、得意の踊りを踊りはじめ、
ナミとゾロをも巻き込んで、テーブルの周りを踊りまわる。
沖縄の居酒屋ではよくある光景なんだとゾロもお婆にせっつかれて踊りながら苦笑した。
そのうち、お婆の歌声を聞きつけた近所のお爺、お婆たちに観光客の学生までもが集まり座敷での宴会へとなだれ込む。踊りと歌に三線が加わっていつの間にか大宴会になっている。
「いつもこうなのー?」ナミはお爺に肩をもまれながら踊らされていた。
「こんなもんだ」
ゾロは老人達に泡盛を注ぎながら、歌にかき消されないように大声で返事をする。
踊りながらナミは笑いが止まらなくて、涙さえ流れる。
この島にきてから自分はどうしてしまったんだろう。
海に、この島にどんな力があるのだろう、と思うのだ。
ゾロに連れ出されたのは、しっかりと日が暮れた夜だった。
軽トラックに乗り込み、「すぐに着くから」と発車した。
「飲酒運転」
「そんなに飲んでない。今日は見逃せ」
それだけ話すとしばらく沈黙のままに車は夜の道を進む。
暗くなった海は黒い絨毯のように静かで、ナミはしばらくその景色を眺めていた。
ガコンッ
ブレーキがひかれ、本当にすぐに到着した。きっと島の何処へ行くにもすぐに着いてしまうのだろう。
ゾロは先に車を降りると、白いコンクリートで出来た2階建ての建物に近づく。そこに誰か待っていたようだ。
ナミも後を追うように車から飛び降りる。
「悪いですね、休館日なのに」
「いいって、おまえの嫁の為だ、仕方ない。看板のお礼もあるしな」
「だから嫁じゃないって・・」
「戸締りだけよろしくな」
ナミとすれ違いで男はブラブラと歩きながら暗闇に消えた。この建物の主なのだろう。
ナミは建物の入り口にあった木の板看板の達筆な太文字をそのまま読んだ。
「天文部?」
「お前の高校にあった看板だぞ。
廃部になって倉庫に眠ってたやつを頂戴してきた。いい味があんだろ?」
ゾロは施錠をいじりながら笑う。
「ああ、これを探してたの?体育館の倉庫で」
「・・まあな。本当は天文台なんだけどな。何もないよりはいいだろ」
昔ゾロが住んでいた頃に村の青年達と一緒に建てたものだという天文台は簡素だが、台風にも負けないしっかりとした造りで、きちんと大きな望遠鏡まで設置されている。
「島に来た客や子供たちが観測できるようになってるんだ」
「へー」
そのまま最上階の広い屋上まで鉄のはしごを上った。
するといきなりゾロが大の字に寝転ぶ。
「な、なに?酔っ払ってんの?」
「寝てみろよ」
「・・・」
「騙されたと思って」
「・・・」
言われるがままなのが悔しいが、理由が知りたくて隣に寝転ぶ。
そこでナミは信じられない光景を見た。
「・・・・うそ」
どうして、ここに来るまで気づかなかったのだろう。
夜空は満天という言葉しか当てはまらないほどの、星たちで埋め尽くされていた。
黒い部分よりも、無数の星で作られる白い雲のような塊の面積のほうが遥かに多いのだ。
目が慣れてくると余計に星の数が増え、プラネタリウムの100倍以上の星の数に圧倒される。
自分が今どこにいるのかさえ、わからなくなる。
「これ・・星!?」思わず間抜けなことを言ってしまう。
「都会の空がどんだけ汚いかわかるだろ」
「・・・信じられない」
「・・・・」
ナミはしばらく呆気にとられたまま、吸い込まれそうになる夜空を見つめた。
冷たいコンクリートの床も気にならない。自分の存在さえもが、星に飲み込まれそうなのだ。
時々流れる星も、大きく輝く星も何から何までよく見えて、詳しくもない星座もよくわかる。
「星座っていうのはな、小さく光る星たちの中でひときわ目立つ星で作られた形なんだ」
「そっか・・昔の人が見ていた空はこんなだったのかな・・」
「かもな」
「・・これを見せてくれる為に?」
「・・・」
ゾロは少しだけ黙った後に大きく深呼吸をして口を開く。
「見せてやりたいと思った」
「・・・」
「旅をしながら、いろんな風景を見るたびにそう思ってた」
ナミは黙ったまま、星を見つめている。
「何も忘れてない。プールで会った時からのことは。
久しぶりにバスケをする姿見て鳥肌がたつほど嬉しかった」
「・・・」
「お前のプレーにはそういう力がある」
「・・・」
「だから続けていけ。どんな場所ででも」
「これって・・別れの言葉?」ナミは呟いた。
「・・違う」
「じゃあ何?」
「・・貫くってのはすげぇ勇気がいる・・それがどんなことでも」
「・・・」
「俺はお前も自分も騙したくない。お前を好きでいる自分は本当だが
今は・・近くにいることも守ることもできない」
サラリと言った。
それが本当に悔しくて、ナミの目には涙がたまる。
「一緒に歩こうって言ったでしょ」
「・・・言った」
「歩けないってわかっていたのに」
「そうだ」
「反則ね」涙が顔をつたいながら床に流れ落ちた。
「反則だな。悪かった」ゾロの声が優しい。
「ひどい奴」
ナミはそう呟きながら、起き上がるとゾロの視界を遮るように彼に馬乗りになった。
そうして両手でゾロの顔をしっかりと押さえて、キスをした。
ゾロは驚きもせずにそのキスに応え、彼女の涙も何もかも一緒に全部抱きしめる。
「守ってくれなんて頼んでないわよ」
「だろうな」
「またもっとカッコイイ男に出会ったらすぐに忘れてやる」
「なかなかいねぇぞ」
「あんたこそ」
「・・・」
「あとで後悔すんのよ。捕まえとけばよかったって」
「ああ、それはない」
「・・・」お返しとばかりにナミの小さな顔をゾロの両手が包む。
「大人しく捕まってる代物じゃないだろ?」
「ほんと・・お互いにどこまでも憎まれ口で・・笑えるわ」
涙が止まらないけど拭わないで
草原のような香りのする彼を抱きしめて、抱きしめられて
また先へ進める
道は分かれているけれど
ーいつかその道はまた1本になるから
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