線 −2−
panchan 様
風で、窓ガラスがカタカタと音をたてる。
嵐の音の中にゴソゴソとナミの動く音が混ざって耳に届く。
目を閉じていてもゆらゆらとキャンドルの灯りだけはまぶたに揺れる。
そのうちナミもゾロから離れた壁際に座り込み、動く気配が無くなった。
ゾロは柔らかい眠気を感じ始めた。
どうせすることも無いなら、このまま眠るか。
眠りの淵を漂っていると、急に「ねえ」と声がかかった。
意識がまたハッキリして、閉じている目はそのまま、「あァ?」と答える。
「あの刀・・・、置いてきたのね。」
ゾロはようやく目を開けて、頭を起こしナミを見た。
壁を背もたれにして座るナミは、やはりまだ寒かったのだろう、
繭のようにシーツを体に巻きつけている。
「ああ。約束は果たしたから、持ち主に返した。」
そうナミに答えた。
ゾロの横に立て掛けられた刀は二本。
「ふーん・・・」
ナミは立てた両膝にあごを乗せ、しばらく黙ってゾロを見ていた。
「出会った時から持ってたわよね、あの刀。」
「・・ああ」
「あんたってさあ・・・・」
そこでまたナミはじっと黙ってゾロを見る。
何を言われるのかと、ゾロもじっとナミを見返すがなかなか口を開かない。
「何だよ?」
ゾロの方が気になって続きを促した。
「あんた・・・・これから、どうすんの?」
ドキッとした。
それはこの旅の間ずっと心にあったが、シモツキを出てからより大きく
ゾロの心に引っかかっていた。
ナミから目線を天井に移し仰向けに戻ると、
「さあな。ルフィが決めることだ。」
と答えた。
鷹の目を探して一人海に出た時、進むべき目的はハッキリしていた。
どこで命を落としてもいいと覚悟していたから、帰るべき場所など無かった。
今、ゾロには”麦わらの一味”という居場所があって、
シモツキに戻った後も、そこへ帰ろうとしている。
自分の野望を遂げ、ルフィを海賊王にすることも果たし終え、
仲間達の夢も見届けて、後一つ、ナミの世界地図が完成すれば、
その後自分達はどこへ向かうのか。
自分は何の目的のために進むのか。
そして自分の進むべき行き先が他人の意志に委ねられていることが、
モヤモヤとゾロの心に引っかかりを作っていた。
「とりあえず、お前にはまだ夢の続きがあるだろ。」
もう一度ナミに視線を戻す。
ナミはじっとゾロを見て、一瞬空けた口を閉じ言いよどんだが、
少しして真剣な顔でまた口を開いた。
「あんたは・・・来てくれんの?」
なぜそんな質問をするのか真意がわからず、ゾロは眉間に皺を寄せた。
「ルフィが行くって言うだろ。そしたらおれも他の奴らも全員、
行くことになんじゃねェか。」
「そういう意味じゃなくて・・・」
「どういう意味だ?」
ゾロにはますますわからなかった。
ナミはまた黙り込み、うつむいた。
外の嵐はさらに激しさを増し、窓がガタガタと鳴る。
ゾロはじっと様子をうかがいながら、ナミが口を開くのを忍耐強く待った。
ゆれるキャンドルの灯りに照らされ、ナミは震えているように見えた。
「もし、ルフィが行かないって言って、私があんたに来てって言ったら、
あんたは来てくれるの?」
うつむいたまま、ナミは話し始めた。
嵐の音に邪魔されながら、ゾロは聞き耳を立ててナミの声を拾う。
なんとか聞き取ったが、いまいち内容が理解できない。
「ルフィはお前のためなら行くだろ。」
ルフィが行かないという状況が、まずありえないと思った。
「だから・・」
いらついたナミが溜息をつく。
「あんたはどうなの?ルフィが行くから?それとも私のため?」
先程よりも随分大きな声でナミが言ったので、今度はハッキリと聞き取れた。
ようやくゾロは、ナミの質問の意味を理解した。
理解したが、次は答えに詰まってしまった。
答えの代わりに質問を投げる。
「行けば同じことじゃないのか?」
「同じじゃないわ。」
キッパリ言うナミに、ゾロは面食らった。
おれにどうしろってんだ。
お前のために付いていくとでも答えさせたいのか?
「あんたも・・・知ってるでしょ。ルフィの体はもう・・ボロボロだって・・」
ナミは震える声で続けた。
「チョッパーが言ってた・・いつどうなってもおかしくないって。
いろいろ大変なことも多かったけど、みんなで旅したあの楽しい時間は、
ずっと終わらない気になってた。
でも、いつまでも続くわけじゃないって、わかったの。
いつかルフィを失うかもしれないと思うと、怖くて・・・。
ルフィがいなくなったら・・・どうなるの、私達。
それでもみんな一緒にいられると思う?
みんなそれぞれに、目指すものや大切なものがあるわ。
ルフィなしでは・・・いつかバラバラになるのかもしれない。
特にあんたは・・きっと・・・また一人で生きていくのよね。」
言ってナミは震える下唇を噛んだ。
シーツに包まった体も、ガタガタ震えていた。
そういうことか。
聞き終わると、ゾロは天井を仰いでハァーーっと大きく溜息をついた。
しばらくじっと沈黙して天井を見つめていたが、突然ガバッと起き上がって座ると、
苦い顔をしてガシガシと頭を掻いた。
そんなゾロをナミはギョッとして見た。
ゾロはおもむろに立ち上がり、ゆっくりナミの方へ近づいてきて目の前に立つ。
眉間に深く皺を寄せてナミを見下ろすと、またガシガシと頭を掻いた。
「お前なあ・・勝手に決めつけんな。」
そう言うとドサッとナミの前に座り込んで、
「ちっ、くそっ!」と舌打ちしながらその胸にナミを引き寄せ、
両腕でしっかりとナミの体を包んだ。
ゾロの突然の行動にナミは焦って抵抗した。
「ちょっと・・!!勘違いしないで!!」
「じっとしてろ!・・・・この方が、寒くねェだろうが。」
「ゾロ・・!」
「お前すげェ震えてんだよ!」
ゾロはナミの体に両手両足を回し、上下にナミの背中を撫でた。
それでも止まらない震えを押さえ込むように、ナミの体を強く抱き締める。
ナミの震えが止まるまで、ゾロは黙ってそうしていた。
ようやく震えが治まり、ゾロの肩にあごを乗せたナミが、
ハァ〜と大きく息を吐いた。
「ゾロって、あったかい。」
「ナミ」
ようやくゾロがナミに声を掛ける。
「おれは、ルフィの代わりにゃなれねェ。」
「・・・わかってる。」
「お前は、おれに来て欲しいのか?」
「・・・わかんない。」
「なんだそりゃ・・・」
「ねえ・・あんたとルフィ、私とルフィにはしっかりした絆があるわ。
でも、初めから一緒だったのに、あんたと私は・・・一体何なの?」
「・・・仲間、だろ。」
言ってゾロはギリッと奥歯を噛んだ。
出会った時から三人だった。
ルフィとナミと、二隻の船で海に出た最初の夜。
ふと目が覚めると隣でルフィが大口開けてのん気に寝ていた。
ナミの船の船室にはまだ明かりが点いていた。
今、自分があっちの船に行き、ナミがまんざらでもない態度なら、
ヤれんじゃねェか、とふと思った。
腹の傷のせいもあった。
だがそれ以上に、のん気なルフィの寝顔を見てると、行動に移す気は失せた。
そのまま、ただ月を見ながらルフィの横にいた。
おれは、ルフィの船に乗ってることを選んだんだ。
それから次々と仲間が増えるに連れ、ナミは大勢の中の一人になり、
自分とナミをつなぐ絆なんて、考える必要も無くなった。
それが今さら。
ナミと二人きりで。
寒さのせいか、ルフィを失う不安のせいか、
震えるこいつを放っておくこともできず。
ナミを抱き締めた自分に強く後悔した。
離れていれば、意識せずに済んだのに。
もうナミの震えは治まってるのに、すでに離れ難くなっている。
手遅れになる前に、早くこの腕の中の温もりを手放さなければ。
ナミの背中に回していた手を、ゾロは離した。
ナミの体から離れようと体を後ろに引きかけて、それができなかった。
シーツの合わせ目から出ている白く細い手が、
ゾロの服をしっかり掴んでいた。
「ナミ、離せ。・・じゃねェと、おれは・・・」
ナミのすぐ耳元で囁くかすれたゾロの声。
ゴクリ。
ゾロの生唾を飲む音が響いた。
「こんまま、ヤっちまうぞ。」
言ってしまった。
ゾロの肩に乗っていたナミのあごが浮き上がる。
ゾロは両腕を自分の膝の上にだらりと垂らしたまま、目を閉じてじっとしていた。
心臓だけがせわしなく動きを早める。
徐々に顔を上げていくナミ。
いつものように、殴るなり蹴るなり口うるさく怒鳴るなり、
何でもいいから早くおれから離れろ。
そうすれば、これはただの冗談で終われる。
ゾロの引き締まった頬に、ナミの髪が擦れる。
ゾロの耳から頬へとナミの鼻先がかすめ、ついにお互いの鼻先が触れた。
ゾロが閉じていた目をゆっくり開けると、丁度ナミの長い睫毛がゆっくりと上がり、
目が合った。
ゾロの真意を探るように、ナミがゾロの片目をのぞき込む。
おれは今、どんな目をしている?
どちらからともなく、お互い引き寄せられるように顔が近づき、
軽く口唇が重なった。
そのまま口唇が触れるか触れないかの距離で、ナミが言った。
「ここにいて。」
睫毛を震わせ、ほとんど声にならないほど小さくナミが落としたつぶやきは、
ゾロの耳に届いた。
ゾロは目を閉じて歯を食いしばった。
もう戻れない。
「・・いいのか?」
ヤケに喉が渇き、また生唾を飲む。
目線を下に落としたナミの長い睫毛を見る。
コクリ。
小さくナミが頷いた。ゾロの服を一層固く握り締める。
「わかった。」
ゾロは腹を決めた。
もうどうなってもいい。
考えることをやめた。
下ろしていた腕をナミの首に回して引き寄せると、
その感覚を確認するように、コワレモノをやさしく扱うように、
ナミの口唇に何度も角度を変えて自分の口唇を合わせる。
目を閉じて、ナミもゾロの動きに応える。
互いの吐息が熱を持ち始め、柔らかな刺激では物足りなくなって
さらに長く深く口付けを交わす。ゾロの腕はさらに強く、
ナミの体ごとを引き寄せ抱き締める。ナミもゾロの背中に腕をまわす。
互いの肌を直に感じたくて、
口付けを続けながら手探りでナミはゾロの衣服を、
ゾロはナミを包むシーツを剥ぎ取っていく。
まだ足りない。もっと近づきたい。
荒い吐息を吐きながら、ひたすら互いの熱を求めた。
外の嵐の音は、もはや二人には聞こえなかった。
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(2011.05.29)