――いつもいつも追いかける
――いつもいつも追いかけられる



――あんただったらどんなにいいか
――あんただったらどんなにいいか




――感傷なんて似合わない
――涙なんていらない






――現実を



――真実を







〜Croton〜
            

ペコー 様



ああ、又此処に戻ってきてしまった。
私の故郷、そして牢獄。
懐かしき温かい思い出と、忌まわしき冷たい思い出。
どちらも私の居場所。
否、もうそれもないのかもしれない。


空は嫌味なほど澄んでいて、
太陽からの日差しはどうしたって避けられない。

あいつらとはもう会うこともないだろう。
船の上での涙を知っているのは、
私と海と空とこの船の羊頭だけ。
あの独白も、全て風に流れて飛んでいった。



アーロンのいつもの持論が聴こえてきた外を覗いてみれば、
毎日目に留め、感触を確めた、肌に馴染んだ色の髪の毛。
もうその顔を、声を、温もりを感じることはないと思っていたのに。



どうしてどうして。
迷惑だ、と心底思う私と。



どうしてどうして。
嬉しい、と心底思う私。

こんな状況なのに。
私は本当に、どうにかなってしまっているのだ。


身体のあちこちから、煮え滾る血の躍動が伝わる。






「何でお前がコイツらと仲良くやってんだ・・・!!」


声が響いて私に届いた。
その歪んだ顔をもっと近くで見てみたい。


「これがテメェの本性か!?」


声が響いて私に溶け込んだ。
その恐ろしい顔を望んでいたわけじゃない。



アーロンが無駄なことを口に出すから、一瞬の動揺が私に広がる。
あんたは気が付くだろうから、表情に出さないようにしたはずだったのに。

「おれは最初ッからてめェがこういうロクでもねェ女だと見切ってた」

そうやって私を真正面から切り捨てる。
そうね、そうしてちょうだい。

その方が、よっぽど楽だから。


それなのに。



水に消えるあんたを見るのは、趣味じゃない。

もう、お願いだから。

私を惑わせないで。







◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ナミが泣いた。

自分の腕に、正確にはあの刺青にナイフを付き立てながら。
漸く見えたあいつの本音。

「助けて・・・」

それだけあれば、俺には充分だ。

オレンジ色が揺れる。
判ったから。
もう、泣くな。



鷹の目の傷は思ったよりも深かったらしい。
ヨサクやジョニーに今更気づいたのか、と怒られた。


島を挙げての祭りは連日続いて、
あのヤブ医者の目を盗んで診療所を抜け出したときも、
酒の量には困らなかった。

エロコックが女漁りに向かったのを横目で見ながら、
少し人のいない方へ歩いた。
此処に来るまで色々なことが短期間にありすぎて、
整理なんて言葉、俺には似合わないが、
それでも喜んでいる人間の傍から正直離れていたかった。



月が見ている。
俺を、只俺を。
何も云わず、何も語らず。



歩いた果てに見えたオレンジ。
無残にも薙ぎ倒されている。
人の手によるものかどうか、そんなことは俺には関係なかった。




潰れた果実の傍の土のシミ。
僅かな甘い香りが誰かを思い出させる。
そうだ、あいつはいつもこんな匂いだった。

何とか木から落ちずにいたそれを、
俺は手にとって頬張った。
そうだ、あいつはいつもこんな味だった。




今ここにいない誰かを思ったときに、
こんな気持ちになるなんて自分らしくないと、笑ってみた。
漏れた乾いた声がどこかに飛んでいった。


なんだか横になりたかったので、畑の近くにあった民家に入ったのは、
何かを予感していたからか。
それとも、この果実が導いたのか。


家に入れば知っている気配だった。
それは少し薄かったけれど、すぐにナミのものだとわかった。


「ゾロ」
テーブルに突っ伏していたナミが顔を上げて声を出した。
「あんた、こんなとこで何やってんの」
おまえこそ、と返せば、自分の家だもの、と戻す。

「傷は」
突っ立ったままの俺に入るように促しながら聞いてきた。
「寝てれば治る」
いつものように答えれば、なんだか急に懐かしい感覚が湧いた。
「そんなわけ、ないでしょ」
呆れたと言わんばかりに溜息をつくから、おまえは、と言った。
外では向こうからの歓喜の声が波の音に紛れてやってくる。
「平気、痕は残るだろうケドね。自業自得だし」
自嘲気味に笑う顔が気に食わなくて、顔を逸らした。



月は見ている。
只俺を、俺たちを。
何も云わず、何も導かず。





「正直あんたには、一番困ったわ」
一昔前のことを言うように言葉を紡いだから、
何のことを指しているのか判らなかった。
見事な飛び込みのこと、付け加えられて漸く理解した。
「ごめんね」
知らなかったとはいえ、思いっきり殴って。痛かった?
笑っているくせに泣いてる顔が気に食わなくて、俺は立ち上がった。


「それに」
ドアに向かって行く俺を見ずに、顔を前に向けたまま。
「あんたには来て欲しくなかったわ」
「どういう意味だ」
「来ると思ってなかったのよ。あんたは絶対自分の意思では来ないと思ってた」
実際船長命令だったものね、責めるでもなく只、言った。
「来て欲しくなかったってぇのは」
「決意」
顔をこちらに向けた。
やっぱり泣いてる顔だった。





今度は逸らさなかった。








「あんたの顔を見て声を聞いたら、今までの決意が全部どうでもよくなっちゃう気がしたから」






「来て欲しくなかったの」


眼光は強いのに、唇が震えている。
月光が影を顔に落としている。




こいつが本音を漸く言ってから、初めて聞く俺に発する言葉。
こいつとのきっかけは、もう今では朧だった。
だからかもしれない。
こいつは俺に対して何かを伝えたことがあっただろうか。


こいつの言葉はいつもわからなかった。
意味を含みすぎて、本来の言葉の意味すら見えなくなるほど。
俺はいつも諦めて、見ようとなんてしてなかった気もする。
そんなことより身体を合わせて、熱を確めて、
それで判った気になっていただけだった気もする。


ナミにとって、小さい頃からの決意は何よりも重かった。
だから何もかも終わろうとした時、泣いた。


頭の回らない俺にだって、
そこまで考えれば、自ずとわかる。






もう答えは出てるじゃねぇか。







「ナミ」
軽く俯いていたオレンジの頭がふわりと動く。
俺の周りの空気が動き、ナミの周りの空気も動いた。


「一回しか言わねぇぞ」

距離、残り少し。

「俺の横で」

距離、残り0。

自分の息でナミの耳元の髪が揺らいだのが見えた。

「笑ってろ」




脈絡を汲んでいないのは重々承知だ。
正直、こんなこと言うのはガラじゃねぇ。
それでも、伝えるべき事はこれしかない。


おい、何とか言えよ。
なんて顔してんだ。
その顔が気に食わなかったから、唇を押し付けた。





「ん・・・っ」
ナミの声か、息か。
俺の声か、息か。

漏れて、溶けた。


顔を離せば一寸潤んだ瞳。
そこに映るのが俺だけだということに血が騒いだ。





「ゾロ・・・」
おまえが呼ぶ俺の名が甘く聴こえる。
耳に残る。
何度も何度も呼ぶものだから、
俺の頭の中でも何度も何度もリフレインする。



月がこちらを見下ろしている。
只俺を、俺たちを。
何も云わず、何も隠さず。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇


出航の日。

ナミは多くの村人、家族に見守られて、
あいつの別れ方で島を出た。

これからは新たな決意を持って。
ゴーイングメリー号を導いて。


口の立つおまえに勝てるとは思ってねぇが、
もうまどろっこしいのは無しだ。


おれは海賊だからな。
欲しいものは、力尽くでも全て手に入れる。


覚悟、しておけよ。







私はみんなに見守られて、島を出た。
全ての悲しみを生み出した場所を。
そして大きな喜びを生み出した場所を。

これからの決意を胸に。
大好きで大切なクルーと共に。



あんたがその中でも特別だと思ってしまうなんて。
考えもしなかったの。
それでも正直に生きるって決めたから。
我慢なんて、しない。

私は海賊だから。
覚悟、してなさいよ。











――海に漂う想いに
――何度も揺られて揺られて


――俺は何を求める
――私は何を求める


――視線が交わればお互い
――視線が絡まればお互い



――さぁ、歩を進めましょう
――さぁ、風を受けましょう





――手の届く先にある温もりも

――まだ見ぬ先にある野望も


――全て手に入れるため
――少しも零さず、全て











――覚悟はもう、



――出来ている




FIN


(2008.07.23)

.


<管理人のつぶやき>
ナミが巧みにゾロから本心を隠していたのは、自分の決意を守るためだったんですね;。ようやく呪縛から解放されて、ナミは本当の気持ちを解き放つことができました。それを受け止めて、ゾロがナミに送った言葉が嬉しいじゃないですかッ><。二人の心の距離が0となり、ああ、よかったねーと心から思いました。そして、全編が美しい詩のようでした^^。

ペコーさんの3作目の投稿作品で、「〜Astrantia〜」「〜Bouvardia〜」の続編に当たります。今作が「〜Croton〜」ですから、タイトルの頭文字がA、B、Cと並んだことになります。実はペコーさんの密かなこだわりだったそうです。気づかなかった!(笑) 素晴らしいお話をありがとうございました!!

 

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