『Baby Rush』  ―ベイビー ラッシュ―   −2−
            

真牙 様




ともあれ、強引に押しつけられる形で預かった子供だが、慣れれば可愛いものだった。

ナミの経営する小さくても有能だと評判の経理事務所は、幼子にとって見れば絶好の探検場所だった。
今週は仕事も差し迫ったものもなく、余裕があったのが一番良かったのかもしれない。

「しっかしナミ、お前子供もいないくせに妙に扱い上手いな。保母さんの経験でもあんのか?」

堂に入った子供への接し方に、自分も子育て中で経験者のウソップが驚いた様子でしみじみと言う。
子供はナミの膝に陣取り、ストローつきのマグカップで麦茶を貰ってご満悦だ。

「ああ、以前実家にいた時ノジコの・・・姉の双子の娘をよく子守した経験があるからね。
それこそ首の座らない赤ちゃんの頃から、今現在の5つに至るまでね。
双子相手に比べたらひとりの、しかもこの月齢なんて大したこっちゃないわ」

「ふ、ふたり同時か? 凄ぇなぁ、そりゃあ恐れ入ったぜ」

姉のノジコは6年前に、年の離れた交番のお巡りさんと結婚し、無事双子の娘に恵まれて今に至っている。
母の広大なみかん農園を継いで、その一切を切り盛りしているので収穫時期などは殺人的に忙しいのだ。
そんな折、まだ学生だったナミは何かにつけて駆り出され、畑2割子守8割の経験をたっぷりと積んだのだ。

当時はかなり泣きが入ったが、今になれば楽しい思い出だ。
お陰で双子は、今でも彼女を心底慕って“ナッちゃんママ”と呼んでいる。

懐かしい光景に知らず笑っていたのか、膝の上の子供も満面の笑みでナミを見上げていた。

子供は、つかまり立ちもようやくといった具合で、まだ這い回るのが精一杯らしい。
好奇心は人一倍旺盛で、目に入った物はお約束のように口へと直行だ。
ふわふわした柔らかな翡翠色の髪と瞳、愛らしい笑顔。ぷくぷくと肉づきのいい身体。
まるで、DNAはすべてゾロから、母親からは身体を構成する血肉しか貰っていないようだ。
あの仏頂面のゾロと違って、愛想だけは一級品である。

(きっと、性格はお母さんから貰ったのね)

ナミがあのマンションに引っ越したのは半年前なので、時間帯の兼ね合いもあり、親しい近所づきあいは両隣がせいぜいだ。
なので、その下の階の住人であるゾロとは、エントランスやエレベーターなどで立ち話をする程度のものだった。

そういえば第一印象は、やはり“目つきの悪い、態度のでかい不遜な男”だったように記憶している。
だが、あの睨みつけるような鋭い眼光がなければ、かなりいい男の部類に入るだろう。
それはナミも認めてやぶさかではない。

聞けば、電気屋関係の請負業をやっているらしい。
「電話一本いつでも訪問、早い安い丁寧」と、どこかの全国チェーン店のようなキャッチフレーズを謳っているのが、今の御時世失業しないコツのようだ。


「ナミさぁん、この子お腹空いてるみたいですよ。ウソップさんのズボンかじってますけど?」

「やめてくれぇ、カヤに怒られちまう。あらぬ誤解を招かせて、俺の家庭を壊さないでくれぇ」

「幼児に遊ばれて何やってんだか」

ナミと同い年で26歳のウソップは、既に妻も子もある家庭持ちだ。
2歳の娘を溺愛していて、何だか当てられてしまう。
ビビは2歳年下で、ナミ同様独身だ。
既にべっしょりと涎にまみれたズボンを情けない表情で見下ろし、ウソップは子供をナミへと手渡した。

「えーとビビ、そこのバッグ取ってくれる? 今朝ゾロが一緒に持たせてくれたから、一式入ってると思うんだけど」

「あ、これですね。はい」

ビビが取り出したのは、サラダに美味しいノン・オイルのツナ缶だった。

「「猫の子かい!!」」



結局、急いで近くのコンビニへ走り、簡単な雑炊を作る材料を調達する。
戻った時、子供は空腹の余り猛抗議していた。

「お黙り、子ゾロ! 文句なら、離乳食の何たるやも解ってないあのバカにお言い!ったく、せめてレトルトのベビーフードでも入れとけってのよ!」

「子ゾロ? そういえば、この子の名前聞いてませんでしたね。子ゾロ君っていうんですか?」

「ううん、知らないわ。でもあいつそっくりだし、面倒だから子ゾロ。決定! 今日からあんたは子ゾロよ、判ったわね!?」

「んな無茶な・・・」

「何、ウソップ。文句ある? だったらプチマリモでもいいのよ?」

「・・・子ゾロでいいです・・・」

簡易キッチンのドアから覗いていたウソップは、そのまま尻つぼみに退場した。





ゴミ箱をひっくり返されたり、引き出しの書類をぶちまけられたりと、その辺のアクシデントはまだ可愛げがあった。
まさか稼動中のコピー機の電源を、さりげなく落とされるとは思わなかった!
お陰で用紙は詰まるわ、内臓インクがムラになるわ、そんな時に限って飛び込みの仕事が入るわで散々な結果に。

初日としてはなかなかエキサイティングな活動内容だった。


(これを、あと6日間? いえ、もしかしたら10日も続くってこと?)

ナミは想像しただけで一日の疲れがどっと込み上げるような気がした。

「お疲れー」

「お疲れ様でした。また明日」

「おう。これからもう一仕事か。何かあったら連絡してくれ。子育てなら俺も現役だからばっちりだぞ」

「ええ。判らないことがあったらそうさせてもらうわ。じゃあね」


車で10分、ナミのマンションに着く。
事務所の休憩室でたっぷり昼寝もしたので、子ゾロは夕方だというのにますます元気だった。

「あー」

抱っこが好きなのか、はたまたナミの見事に膨らんだ胸の感触が気に入ったのか、子ゾロはしきりに頬をすりすりしている。
これが大人のゾロならセクハラ確定だが、今の相手はいたいけな幼児だ。
目くじらを立てるわけではないにしろ、一言だけ言わせてもらおう。

「あんた、許されるのは今だけだからね」

一応9階に寄ってベルを押したが、まだ帰っている様子はなかった。

「ったく、あんたの父さん帰るのいつなの?」

ぼやいても、返る答えなどあるはずもない。
とにかく一旦自宅へ戻り、最低限破壊されたくない物は隠しておかねばならなかった。 

「さあどうぞ、子ゾロ。でも考えてみたら、あんたよく他人の私にくっついて来たわねー。普通、もう少し警戒しそうなもんよ?」

「あー」

罪のない笑顔で答えるので、ナミも気が殺がれてしまう。
人見知りをしないのはいいが、お菓子を貰わなくてもついて行ってしまいそうで怖い。
ウソップの鼻をかじったことといい、食べ物をちらつかせたらもっと凄い勢いで行ってしまいそうだ。

「いーい? 知らない人についてっちゃ駄目よ?」

「あー?」

目線を合わせたら、抱いてもらえると思ったのか、涎全開喜び勇んで這い寄って来た。

「もー、これお気に入りのカーペットなんだからね。染みにしたらあんたの父さんに請求するわよ!」

少し大きな声を上げたらさすがにむっとしたのか、唇を尖らせてぶうぶうアピールしている。
理解するしないはともかく、ナミとて我が家で遠慮などしていられなかった。

「拗ねるなら、そのまま少し拗ねてなさい。私、お風呂に入って来るから。大雑把には片づけたけど、もし物を壊したりしたらあんたの父さんに請求するからね」

大股にバスルームへと足を運ぶ。
子ゾロはきゃっきゃと笑いながら、さも当然のようについて来た。

「ちょっと・・・まさか、あんたもお風呂入りたいっての?」

「あー」

持っていたタオルと着替えを棚に置き、子ゾロを持ち上げてしげしげと眺める。

「・・・汚いわ」

考えてみれば、いくら掃除をしているとはいえ、土足で歩く場所を平気で這い回っていたのだ。
ふざけて転がったりもしたので、子ゾロの全身はすっかり薄汚れてしまっている。

「本来なら、あんたごと洗濯機に放り込んでやりたいところだけど・・・幼児ってことで、今回は見逃してあげる」

バスルームと子ゾロを等分に眺め、ナミは深々と溜息をついた。
子ゾロはナミの足元で、きらきらと期待のこもった眼差しで彼女を見上げている。

「あんた、もしかして解ってやってんの? 1歳児のくせに」

そのままじっとしていると、汚れた手のままナミのスーツによじ登ろうとする。
決して安くはないスーツを埃だらけにされてはたまらない。
ナミはもうひとつ溜息をついた。

「・・・仕方ない。今日だけよ」

「あー」



・・・10分後。
バスルームに、ナミの絶叫が轟いた。

「きゃーーーーっ! 子ゾロ、あんたどこ触ってんの! って、揉むな、吸いつくなーー! 
セクハラで訴えるわよ! あんたの父さんに慰謝料請求するからね!!」




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(2004.02.26)

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