『Baby Rush』  ―ベイビー ラッシュ―   −5−
            

真牙 様




あまりの惨状に片づけは午前中で終わらず、ナミの腕を持ってしても結局一日がかりの大仕事になってしまった。

その甲斐あってか、ロロノア家は見違えるように綺麗になった。

「お、綺麗になったな。ご苦労さん」

「ホントにご苦労さんだわ。何やってんだろ、私・・・」

ぐったり壁際に座り込み、捲っていた袖を下ろす。
せっかく上天気の日曜日だったというのに、とんだ用事で時間を潰してしまった。

「まったくゾロ、この貸しは10倍にして払ってもらうからね」

「何言ってやがる。勝手に自分でやったくせに」

「何か言った!?」

「・・・別にな〜んも」

ようやくナミにかまってもらえそうだと、子ゾロが嬉しそうに這い寄って来る。

「マーンマ〜」

「はいはい。子ゾロ、人の住む家らしくなって良かったわね〜・・・」

相手をする気力はないが、追い払う気力もない。今日はさすがのナミもひどく疲れていた。

それを見たゾロも少しは考えたのか、珍しく殊勝なことを言い出した。

「悪かったな、せっかくの休みに。今日の夕飯は俺が奢る。出掛ける気力もねぇだろうし、角の寿司屋の出前でいいか?」

「もちろん特上、でしょうね!?」

「・・・おぅ」

「やった! 特上なんて奢りでもないとなかなか食べられないもんねー。儲け〜♪」

途端に元気になるナミを見て、ゾロは一層眉間の皺を深くした。

「マーンマ〜?」

「あ、そうだ、あんたがいたんだったわ。しょうがないから、家で何か見繕って来てあげる。えーと、何があったかな。初めてあんたの父さんが奢ってくれるって言うんだから、今日だけはあんたは簡単な物でも我慢するのよ。どうせまだ生物は食べられないんだし」

「そうか? こないだ刺身やったら食ったぜ?」

「食わすな!!」

ミュールをつっかけていそいそと出て行く背中を見て、ゾロは思わず青筋を立てて叫んでいた。

「元気じゃねーかっっ!!」

そんなツッコミは右から左へさっと流し、ナミは鼻歌混じりにエレベーターに乗った。




「あー、美味しかったー。ご馳走様っ」

「あぁ」

久し振りの寿司は特上で、しかも奢りとくれば尚更美味に決まっている。
適度な疲労と満腹感、そして隣の子ゾロの体温に眠気を誘われ、ナミはいつしかソファに寄りかかってうとうとしていた。


「――ナミ? ・・・信じらんねぇ、寝てやがる」

疲れているせいもあるのだろうが、男の部屋で少々無防備過ぎやしないだろうか。

ここ一週間、遅くまでナミの部屋で散々くつろいだ時間を過ごし、冗談も応酬してかなり気心が知れた。
子持ちのせいもあって信用されているのかもしれない。

それでも。

「おい、判ってんのか? 前に言ったろうが、挑発すんなって。その気があんだかねぇんだか思いっ切り無意識のくせに、誘ってると勘違いさせるような真似ばっかすんじゃねぇよ・・・」

子供がいるとはいえ、今のゾロは28歳の独身男も同然の状態だ。

しかも、相手は極上の美女ときている。口の悪さや厚かましさを差し引いても、だ。

「・・・・・・」

飲んでいた吟醸酒のグラスをガラステーブルに置き、ナミの隣へと移動する。

何度も迷った挙句、そっとそのオレンジ色の髪に触れる。頬にほつれかかった一房を梳くように掻き上げる。
想像していたよりも柔らかな感触だった。白い肌に優美な鼻梁。ふっくらと形のいい唇は甘い吐息を期待させる。
薄手のセーターを押し上げる双丘も申し分なく豊満で、目の前の男を魅了するには十分だ。


今更ながら自覚する。

彼女は――ナミは、綺麗なのだ。

口が裂けても言えるはずなどないが・・・。

眠っているのをいいことに、大胆に頬に触れる。そのまま親指の腹で唇をかすめる。

ふ・・と息が漏れた。
ゾロの中で何かが弾けた。

頭で考えるよりも先に手が動く。
膝を立て、身を乗り出す。ナミの耳元に手を添え、そっと口づける。
思った以上の甘い感触にもう少し欲しくなり、舌先で軽くナミの唇をなぞる。
更なる欲望が自分の中で頭を擡げるのが判った。

(やべぇ・・・!)

その時。

「ん・・・」

ナミが微かに身じろぎし、ゾロは我に返って弾かれたように身体を起こした。
慌ててそこから後退る。

その際足でもぶつけたのか、いきなり子ゾロが泣き出した。
さすがにそこまでけたたましい声を上げられては、ナミも眠りの中にはいられず、長い睫毛を震わせて目を覚ました。

「ん〜〜・・・あれ、ごめん。私寝ちゃってた?」

「お、おぅ、ほんの少し、な・・・」

半ば夢現で目を擦り、ぼうっとしたまま泣いている子ゾロの背を撫でる。

ふと視線を上げ、ナミはだんだんはっきりしてくる視界に耳まで真っ赤になっているゾロを見つけた。

「・・・どしたの、ゾロ。熱でもあるの、真っ赤よ?」

「な、何でもねぇ! あ、熱いだけだ!!」

少し声のトーンがひっくり返っていたが、酔ったのかと深くは追求しなかった。

「じゃ、私は帰るから。どうせ明日も早いんだろうしね。丁度起きたんだから、今日の子ゾロのお風呂はちゃんとゾロが入れたげんのよ」

「あ、あぁ・・・」

ナミは自分の使ったグラスだけ片づけると、じゃあねと手を振って部屋へと戻って行った。

しばらくの間ゾロはナミの消えたドアを見つめていたが、やがて肺から長い溜息を絞り出した。

ぐったりと脱力し、たった今自分のしでかした行為に思わず頭を掻きむしる。

「ったく、勘弁してくれよ。これじゃただの欲求不満のオヤジじゃねぇか。・・・何やってんだ、俺は・・・!」

左耳に揺れる三連のピアスがダウンライトに煌めき、シャランと澄んだ音をたてた。




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(2004.02.26)

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