Baby Rush 2      −11−
            

真牙 様




(熱い・・・重い・・・)

眠りの世界から覚醒しつつあるナミがその朝最初に感じたのは、3月にも関わらず身体に迫る異様な熱さとウエストに掛かる奇妙な重みだった。

「・・・・?」

うっすらと開いた視界に、小さな翡翠色の頭が見えた。

(ああ、子ゾロの頭か。何だ・・・)

安堵して一度目を閉じる。

――と、ナミはあるはずのない光景に驚いて、もう一度改めて目を開けた。

目の前に子ゾロがいる。
そして――視線を少しずらすと、ナミの頭の下に筋肉質の逞しい腕が無造作に転がっている――!!

「・・・・・・ッッッ!!!」

ナミは驚きの余り声も出なかった。慌てて飛び起きる。勢い、ゾロはセミ・ダブルのベッドから転がり落ちた。

どうやらゾロが、ナミを背後から抱くような姿勢でくっついて眠っていたらしかった。

(だから熱かったのね。って論点はソコじゃないでしょッッ!!)

お互い衣服はちゃんと着ていたので、とりあえず最悪の展開だけは回避したらしいことに少し安堵する。

「ち、ちょっとゾロ! な、何であんたたちがここで、私のベッドで一緒に寝てんのよ!!」

「・・・んあ? おぅナミ、起きたのか」

「『おぅ』じゃないわよ! 説明してよ、何であんたたちがここにいるのッッ!!」

ナミの凄まじい剣幕にまだ思考がついて行かず、ゾロは半分寝ぼけたまま頭をガリガリと掻いた。

「あー・・・玄関開けっ放しにするわけにゃいかんだろ・・・。かといってお前連れ出したら、鍵のありかが判んねぇ手前こっち空っぽにしちまっても無用心だしな。まあ・・・苦肉の策だ、俺にしちゃ上出来だろ」

「く、苦肉の策って・・・上出来って・・・」

ナミは真っ赤になってオレンジの髪をくしゃくしゃに掻き回した。もはやどこにツッコんでいいのか切り口すら見つからない。

混乱した思考を振り絞り、ナミはようやくもっとも優先させるべき作業を思い出した。

「ああもう! とにかく今日も仕事なんだから、とっとと支度しに戻りなさいよ! こんな格好のとこ、誰かに見られたらどうすんの!!」

「そうせっつくなよ、まだ7時前だぜ? こんな時間に早々誰もうろついてなんざ――」

仕方なく子ゾロを抱え、玄関を開ける――間がいいのか悪いのか、そこには管理人婦人が立っていた。

・・・お約束である。(←天のツッコミ)

「お・・・オハヨウゴザイマス・・・」

消え入りそうな声でナミが挨拶する。

パジャマ姿のナミと、タンクトップにスウェットの下だけというゾロ、着ぐるみの子ゾロ――完全に“お泊り状態”の様相だ。
この光景を目の当たりにし、一体彼女の脳細胞にはこの情報はどのようにインプットされたのか。
かなり多量の冷や汗がナミのこめかみを伝い落ちる。

だが管理人婦人は何ら動じるでもなく、何気にとどめの言葉を告げてくれた。

「ああ、今9階に寄ったらいなかったからこっちかと思ってね。昨夜ナミさん、またあたしに鍵開け頼んでたろ? だからこれ、あたしからのプレゼントだよ。ええと、こっちがナミさんで、こっちがロロノアさんね。じゃ、失くさないように」

管理人は呆然と立ち尽くすふたりを残し、爽やかな5月の風のように行ってしまった。

掌に残されたのは、小さな鍵がひとつずつ。

「・・・何で今頃スペアキーなわけ?」

「―――――・・・」

何を思ったのか、ゾロは一度玄関を出てドアを閉めた。――次いで、鍵特有の施錠音。

(何? ゾロ、今私の部屋の鍵を外から閉めた!? ・・・ってことは!!)

「いや――ッ! 何でゾロに私んとこのキー渡しちゃうのよッ!! 何かあったらどーしてくれんのよーッッ!!」

「『何かあったと思った』から、わざわざこんな粋なモンくれたんだろ」

(何かってナニ!? ナニ以外のナニモンよッッ!!)

ゾロはニヤニヤと口の端を上げて笑っている。ナミは真っ赤になったまま叫んだ。

「返して、それは私の部屋のでしょ!」

「やなこった。貰ったのは俺だぜ? こんないいモン、頼まれたって誰にもやらねぇ。それとも、俺がこれ持ってちゃ困んのか?」

「こ、困るに決まってんでしょ!」

「・・・ホントに?」

ふと、伏せ目がちな翡翠色の瞳が間近に迫る。ナミは後退りしながら喉の奥で唸った。

(ずるい、このバカマリモ! こんな時だけこんな目をするんだから・・・!)

切れ長の鋭い瞳をこんな風にされると、妙に艶っぽいことにナミは最近気づいていた。
無意識でも手がつけられないが、意識してやっているとしたらゾロは相当な悪党かもしれない。

ナミは喉の奥で唸りながら、渋々妥協するしかなかった。

「こ、困る・・・けど、持ってるだけなら100歩譲って許してあげるわ。でも! 絶対、勝手に使わないでよ!? もしそうやって不法侵入したら、もう二度と御飯作ってあげないんだからねッッ!!」

「へえへえ、覚えとく」

朝からギガトン級の爆弾を次々と落とされ、ナミは一日が始まったばかりだというのにぐったり疲れきっていた。





2日後、ゾロは仕事の都合で幾度となく通り掛かった店の前にようやくの思いで立っていた。

正直この類の店に、もう二度と近づくつもりはなかったのに。

だが――こればかりは人任せにするわけにもいかない。
よしんば頼めたとして、誰にこんな気恥ずかしいことを頼めるというのか。

だから、仕方なく覚悟を決める。

そして――黒髪の、やたらと人を揶揄するような言い回しをする女性店長を相手に、ゾロは散々翻弄された末ようやく目的の品を手に入れた。
面倒な包装を即座に断り、叩きつけるように会計を済ませて店を飛び出す。

その背中に、

「ふふ、成功をお祈りしているわ。頑張って剣士さん」

と、店長のとどめの一言が聞こえたが、ゾロにしてみれば本気で余計なお世話だった。

仕事で遅くまで残業した時や、剣道で修行した時の何十倍も疲れたような気がして思わず座り込みたくなる。
気力も体力も使い果たしてしまい、もう車の運転すら億劫に感じられてならなかった。

(あぁくそ、もう一生行かねぇあんな店ッ!!)

興奮覚めあらぬ状態で、何度も肩で大きく息をつく。

しかし、それだけの精神的犠牲を払っただけあって確実に収穫はあった。
ゾロは無造作にポケットに押し込んだそれを、外から押さえるように満足げに確認した。





そして、日曜日――何事もなかったかのようにナミ宅のベルは鳴った。
誰何もせずにドアを開ける。目の前に立っていたのは、当然のことながらゾロと子ゾロだった。

「あー・・・今日はちょっと出掛けてぇんで、少しつき合ってくんねぇか? その、子守がてらに」

「私も買い物したいから、そっちもつき合ってくれるんなら別にいいけど。何、どうしたの?」

ゾロは軽く肩を竦め、

「先週神社で会ったろ? 師匠に改めて挨拶して来なきゃと思ってな。込み入った話もあっから、チビがいるとちょっとな・・・」

「ああ、神社の神主さん兼ねてたあの人ね。あんたがやもめなの知ってたから、その辺りも酌んでくれるとは思うんだけど。ま、一年近くも音信不通じゃ積もる話もあるでしょうしね。いいわ、つき合ってあげる」

「ま〜?」

「あんたの父さん、ずっとほったらかしにしてたお師匠さんに怒られに行くんだって。しょうがないわね〜」

「ぶー」

ナミは困ったように笑い、子ゾロの鼻先をつついた。




「――ええ、俺です。はい、ちょっとご挨拶に伺いたいんで・・・はい、道場の方にいてもらえると助かります。はい。じゃ」

簡単に用件だけ伝えて携帯を切り、ゾロはゆっくりとハンドルを握った。

街の中心を離れて行くと、やがて景色は長閑な田園風景へと一変する。
縦長から横長の建物が多くなり、次第に立派な門構えの建物が視界に迫って来た。
重厚な造りの建築様式は年代物で、古き良き時代の面影を色濃く残していた。

「うわ、大っきいお家〜。道場兼ねてるって言っても、もしかして相当古いお家柄なんじゃない?」

「あー、昔そんなこと聞いたな。じぃさんだかひぃじぃさんだかが、この辺りの地主だったか庄屋だったかで・・・」

「何それ? 答えになってなくない?」

「しゃーねぇだろ!? 何せガキの頃に聞いた話だし」

どうやら因縁浅からぬ場所らしい。ナミも心持ち緊張する。

離れの方に道場があるらしく、日曜ということもあって大人から子供まで様々な声が入り混じって響いていた。

ふと、母屋の縁側に目を向ける。そこにはあの神主が、座禅を組んでのんびり春の陽射しを満喫していた。

「――師匠、この間はすみませんでした。改めて、ご挨拶に伺いました。ご無沙汰しています」

神主は瞑想していた瞳を開き、いつもの柔和な笑みで3人を迎えてくれた。

「いらっしゃいゾロ。ああ、ナミさんとレンも一緒なのですね。むさ苦しいところですが、どうぞこちらへ」

そう言って神主は、ゾロを手前の座敷へと招き入れた。ナミは縁側に立ち止まり、神主を見上げて言った。

「えっと、積もるお話もあるでしょうし、私はこの子とその辺りを散歩してますからどうぞごゆっくり」

「あー」

「おや、そうですか。神社ほどではないですが、ここにも見頃の梅がありますから見てやって下さい」

ナミは軽く頭を下げ、ふたりから離れて行った。



「・・・素敵なお嬢さんですね」

「気が強くて、口の減らない女ですよ」

「面倒見も良さそうだし、何よりお綺麗な方だ」

「お節介なだけです」

「お節介なだけであんな年頃の子供を、しかも休日に見てくれる人はいませんよ」

「あいつは特別なんでしょうよ」

「特別、ですか。それはゾロ、あなたにとって――という意味でしょう?」

神主の意味深な微笑に、ゾロは思わず言葉を詰まらせて一度天井を仰ぐ。

ゆっくりと広い庭を散策するナミたちの姿を眺めながら、ふたりは麗らかな春の陽射しに目を細めた。

ゾロは改めて口を開いた。

「――師匠、今まで音沙汰もなくご心配掛けてすみませんでした。稽古はともかく、これからはなるべく顔だけでも出せるよう努力しますんで」

「いやいや、事情はいろいろありますから無理せずとも良いのです。それに・・・近く、結婚するのでしょう?」

「あー・・・それは、その・・・」

ゾロは口籠もった。心は既に決まっていても、それをこの人物に説明するのは精神的に少々辛い。
いくら誠意を尽くして言葉を重ねても、すべて言い訳のように聞こえるのではないかとすら思われてならない。

ここに来て、今更ながら気づく。
悪意のある見方をすれば、今日ナミをここへ連れて来たこと自体が、既にこれ見よがしの作為と取られても仕方がないのだ。

連れて来るべきではなかったのかもしれない。
いや、車で待たせておけばまだ波風は立たなかったか。

その沈黙を何かの困惑と取ったのか、神主は静かに問いかけた。

「何か、まだ迷っていることでも?」

「――いえ、それは。ただ・・・」

偽善も欺瞞もこの相手には通じない。

ゾロは、せめて自分の真意が伝わるように精一杯言葉を選んだ。

「ただ・・・俺はあいつのことを――くいなを忘れたわけでも、裏切ったわけでもないことを、師匠にだけは判って欲しいと思っています。その、自分にとって都合のいい言い草だってのも充分判ってます! けど、それでも俺は――」

神主は苦笑するように視線を庭へ向けた。ナミの背中はとうに見えなくなっている。

神主は静かに口を開いた。

「誰もあなたを責めたりしませんよ。あなたは今という時を、幼いレンと共に一生懸命生きているのですから。・・・人はね、いろんな人との出会いや別れを自分の中に地層のように重ねて行くのですよ。様々な思い出と共にね。だから――くいなと共に過ごした日々もゾロの中にはきちんと収められていて、ちゃんとあなたという人間の糧となり礎となっている。残された者が忘れない限り、逝った者は確かにここで精一杯生きたという証を得て心安らかに眠ることができる。それが死んだ者へのせめてもの手向けだと、わたしは思います。それで・・・いいのですよ。一年近くも、ひとりで人の温もりに餓えていて辛かったでしょう? だからもう、新たな道を探して歩き出していいのですよ・・・」

「――――――――・・・」

ゾロは正座したまま、深々と頭を下げた。
膝に置いた手が小刻みに震える。切なくて、涙が出そうだった。

師匠である彼には、とうの昔に判っていたのだ。

失い、餓え、たまらなく切望していたゾロの心の叫びを――・・・。

(娘を亡くしたのは師匠も一緒なのに。ああ・・俺はまだ、この人の足元にも及ばねぇ・・・!)


新たな温もりがまた胸の奥に溢れる。

ゾロはいつまでも頭を上げられず、神主は柔和な笑みを口許にたたえて暖かな春の庭を眺めていた。




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(2004.03.19)

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