Baby Rush 2      −2−
            

真牙 様




「あ、ナミさんお帰りなさい」

「昼休み車でどこ行ってたんだー? 用事なら、ついでの用があったから俺に言ってくれりゃ良かったのに」

いつもは休憩室でお昼にしているナミが、珍しく外へ出掛けたので経理事務所の相棒たちビビとウソップは首を傾ける。

そのふたりの前に、ナミはにんまりと笑みを浮かべて洋菓子の箱を取り出した。

「じゃーん! これ、な〜んだっ!?」

「それって、『ブルー・オール・ブルー』のじゃありませんか! 何かいいことでもあったんですか?」

「んっふっふー、これからはここに用がある時は私に言ってね。ちょっとしたツテで融通してもらえることになったの♪」

「凄ぇなぁ、新商品とか限定物なんかは予約必要なんだろ? ここカヤも娘も好きでよ、今度ひとつ頼んでもいいか?」

しみじみした口調でウソップが言う。
彼は甘辛両方イケるクチなので、ここの商品は奥さんにつられてファンになったようだ。

「いいわよウソップ。ビビ、後でお茶淹れてもらえる? その時みんなで食べましょ、早生オレンジのシャルロットですって」

「この春の新商品じゃないですか! それをいいんですかー? うわーん、ナミさん大好きですぅ!!」

ビビは長い髪を揺らし、ナミの手をしっかり握り締めて言った。目がきらきらと輝いていた。

彼女もここの大ファンで、特に季節の節目に出される限定物にはもっとも目がなく、何時間でも並んでゲットする根性を持っていた。
なよやかな外見からはなかなか想像できない一面だ。

「よくそんなツテ見つけたなー。けど噂じゃあそこのパティシエ、かなりの女好きで有名らしいが・・・?」

「でしょうねー。この間初対面でいきなり口説かれたわ。何でもゾロの知り合いなんですって」

「ああ、子ゾロくんのお父さんの。意外でした、世の中って結構狭いんですね。でもナミさん綺麗だから、男の人なら誰だって口説きたくなりますよ。私も男だったら是非そうしたいくらい。ねぇ、ウソップさん?」

にっこりと無邪気に話題を振られ、ウソップは目に見えて大きく動揺した。

「い、いやその・・・あー、そ、そうだなっ。見た目だけでは性格は早々バレたりしないもんな。俺も出会ったばかりの頃だったら少〜〜しは考えたかもしれんが、今は正真正銘カヤと娘一筋だっ。そうだ、オンリー・ワンだ! おお、これだけは誰にも譲れんッッ!!」

「・・・ウソップ、午後の仕事追加しとくわね?」

「〜〜〜〜〜〜〜ッッ」

女神もかくやの表情でナミが微笑む。

しかし――目はまったく笑っていなかった。





時計の針が午後9時半を回ったところで思い出し、ナミは階をひとつ降りて玄関のベルを押した。

帰ったばかりだったのか、ゾロは仕事着のままだった。すぐ後を子ゾロがついて来る。

「おぅナミか。どうした?」

「良かった、子ゾロも起きてて。今日美味しいケーキが手に入ったからおすそ分け。しっかり味わって食べんのよ」

ナミの手にある箱のロゴに気づいた途端、ゾロは見るからにいやそうな顔をした。

「俺は甘い物が苦手っつうか、嫌いなんだが?」

「こないだ聞いたから知ってるわ。だからオレンジのシャルロットよ。これ酸味の方が強いから大丈夫だと思うけど」

「まー、んま〜?」

「そうよー、子ゾロ。美味しいケーキよ。あんたの分もあるからみんなで食べよ」

足に縋って精一杯手を伸ばすが届くはずなどない。ナミは笑って子ゾロを抱え、ゾロの脇を擦り抜けて中へ入った。

「と、その前に。あんたたち埃臭いわよ? ちゃんとお風呂入ったの? 不潔にしてると嫌われるわよ」

「うるせぇ、今入るとこだったんだよ。何ならお前もチビも、まとめて綺麗さっぱり隅から隅まで磨いてやっぞ?」

「子ゾロ〜、あんたの父さん何気にエロ親父根性丸出しよ? 教育的指導が必要よねー」

「ぶー」

思い切り同意したように聞こえ、ナミは子ゾロを抱えたまま大笑いした。それが気に障ったのか、ゾロは憮然とした表情になった。

「・・・ホントに洗われてぇのか!?」

「じょおっだんでしょっ。それより夕飯はもう食べた?」

「あぁ? 実はまだだが・・・」

ナミは肩を竦めて苦笑し、子ゾロの頭を撫でて大袈裟に溜息をついて見せた。

「まったくしょうがないわねぇ。いいわ、ゾロはとっとと子ゾロをお風呂に入れてやって。美味しいケーキはさっぱりしてからよ。この間買い物した食材がまだ一杯残ってるから、その間に何か作っといたげる。モチこれは貸しだからね!?」

「自分で言い出したくせに・・・」

「ロロノアさん、何かおっしゃいましたッ!?」

「いや、な〜んも」

ナミは鼻歌混じりにドアの向こうに消えて行った。それを確認してから、ゾロは子ゾロと顔を見合わせた。

「良かったな、チビ。今日は日曜でもねぇのに旨い飯が食えるぞ。ま、俺用のデザートはねぇだろうがな――と、これは内緒だぞ?」

「まー? マーンマ〜」

食は明日への活力、ふたりは目を合わせてにんまりと笑った。




ゾロが食事をしている間、ナミは軽くワインを飲みながら子ゾロの口にいろいろ運んでやった。

「ほら、カルシウムは大事なんだから。一杯食べて大っきくなんのよ。そして怪獣ゾロゴンをやっつけてね」

「誰が怪獣ゾロゴンだ」

「あーら、別にあんたのことだなんて誰も言ってないわよ? ということは、ゾロってば怪獣の自覚あるんだ!? それとも野獣かしらね〜」

ナミはケラケラと笑って、デザートのケーキを子ゾロに食べさせていた。
酸味は少々強めだが、それが逆にムースのコクと相まって食欲を増進させる。さすが職人技だった。

「ん〜、美味しい。食べ物が美味しく感じるのは幸せよね」

「ん〜ま〜」

子ゾロは口元をべたべたにしながら、満足そうにナミを見上げている。
それを見て、ナミはふと思った。

「ねえゾロ、そういえば子ゾロって誕生日いつなの? 勝手に1歳くらいかと思ってたんだけど」

「あー・・・来月、だな。4月生まれだから」

ゾロは背面の壁にあった一年カレンダーを見て、確認するように呟いた。
僅かに苦笑が過り、何か別のものに想いを馳せたように思えたが、ナミはそっと視線を逸らして見なかったことにした。

努めて明るい声で続ける。

「じゃあついでに聞いたげるわ。ちなみにゾロの誕生日は?」

「もう過ぎた。11月だからな」

素っ気なく言われて、少し胸が痛んだ。彼をお祝いしてくれる人はいたのだろうかと。

この無頓着な男のことだ。放っておいたら誰にも何も言わず、考えることすらしないのかもしれない。

それではあまりにも寂しい。
少し思案して、ナミはひとついいことを思いついた。とりあえず、ゾロには内緒で。

「そんなんじゃ、子ゾロの誕生日すら祝ってあげなさそうね。・・・いいわ、優しいナミちゃんが特別にお祝いしてあげる。ついでに遅れちゃったゾロもね。言っとくけどあんたはついでよ、つ・い・で」

「俺はオマケか」

「当たり前でしょ? 子供は盛大に、大人はさり気なく。あ、ちなみに私は7月だから、忘れたらただじゃおかないわよ? 普段の貸しもあるから、プレゼントは当然3倍増しね」

「3倍とはお前らしいがぼったくり過ぎじゃねぇか? 普通3割だろうが。ちなみにお前、いくつんなんだ!?」

そういえば歳は言ってなかったか。女に歳を聞くなんて相変わらずデリカシーがないが、そこはゾロがゾロたる所以だ。ナミは指を折って数えた。

「ん〜と、今年で27になるかな。ゾロは?」

「こないだで28」

「えー? あんたってまだそんなだったのぉ? もっといってても不思議じゃないわよ。っていうか、その歳でその顔は既に犯罪だわ! いや〜ん、お巡りさ〜ん。ここに年齢詐称のマリモマンがいますよ〜〜」

「放っとけッッ!! 大体26も28も、四捨五入すりゃまとめて30の大台だろうがッ」

「うっわ、女性に向かって何てこと言うの!? それこそ余計なお世話! っとにデリカシーないんだからーッ」

ナミはぶつぶつ言いながら、子ゾロの口にケーキを押し込んだ。


ふと見ると、ゾロの分はまだ手つかずになっていた。
せっかく持って来たのだからと見ていると、視線に気づいたゾロは覚悟を決め、苦行に耐えるような表情で恐る恐るそれを口に運んだ。
途端に口元を押さえ、思い切り顔を顰めて横を向く。

「・・・クソ甘ェ・・・」

ふたりの視線に仕方なく口に運んだものの、ゾロにとっては強烈な甘味に感じられるらしい。
差し入れたナミのいる手前あっさり吐き出すわけにもいかず、置いてあったワインで無理矢理喉の奥へと流し込む。

「こんなに美味しいのに〜。甘味って人間の生来の味覚だけど、ゾロってばそれがすっぽり欠落してんのかしら。だからマリモなのねー」

「関係ねぇッッ!! それにこんなモン食わなくたって死にゃしねぇだろうが」

ぶつぶつと詰るゾロの目の前に、ナミはピシッと指を立てて言い切った。

「判ってないわね〜。人生潤いが大切なのよ? 嗜好に合った物を食べるって行為は、自分の欲を満たすもっとも簡単な手段なんだから。自分をケアする手っ取り早い方法なのよ」

「・・・そうだな。そんなモンが簡単に手に入りゃ、の話だが」

不意にゾロの視線がナミに絡みつく。それに気づいたナミはどきっとして思わず言葉を詰まらせた。

「な、何よ? 私何か変なこと言った!?」

「いや・・・確かに旨そうな“デザート”があると思ってよ。それを食っちまってもいいものか、ちょっと迷ってんだが・・・」

ナミは一瞬言われた意味が判らなかった。
ゾロの翡翠色の瞳はオレンジのケーキには一瞥もくれない。視線はあくまでナミに注がれたままだ。

ニヤリと口の端が上がったのを見て、ナミはようやく言われた言葉の意味に気がついた。ナミの頬が一気に赤く染まる。

「それがセクハラだっつーのよッッ!!」

ナミの怒りの鉄槌が、見事ゾロの眉間に決まった。





その日は厄介な仕事が立て込んで、一段落着いたのは夜の8時を回った頃だった。

「お疲れーっ」

「お疲れ様でした、ナミさん、ウソップさん。帰り気をつけて下さいね」

「おう。ふたりとも気ィつけてなー。俺も家族が待ってるぜぃ」

いつものふたりと別れ、ナミは腕時計を見て慌てた。

「やば、時間大丈夫かしら」

急げば間に合うかもしれない。ナミは急いで車を飛ばした。



信号待ちも加え、きっかり10分で目的の場所へと到着する。

店頭に設置されている日除けは、シャッター代わりにすべて降ろされてしまっている。
いつもは明るく点灯されている店のロゴをかたどった看板も、きっちり消されて沈黙を守っている。
それを証明するかのように、入り口には『CLOSE』の文字が揺れていた。

奥の方に微かに明かりが見えたので、ナミは急いで裏口へと回った。

「えーと・・・」

とりあえず軽くノックしてみる。・・・返事はない。

「こんばんはー。怪しい者じゃありませーん。いたら開けて下さーい」

更に声を掛けてみる。もう少し強めにドアを叩いて。

(ここ閉店8時だから、閉めてさっさと帰っちゃったのかな・・・)

時計を見ると8時半。やはり電話1本入れてから来るべきだったか。

諦めて溜息をつき、明日出直して来ようと背を向けた瞬間――不意に裏口のドアが軋む音がした。

「うぉら、押し込み強盗なら一昨日来やがれ!! ・・・って、もしかしてナミさん!?」

「わ! びっくりした。あはは、こんばんはサンジくん。こんな時間に連絡もしないでごめんね!?」

「それは構わないですけど・・・こんなとこでも何だから、とりあえず入って下さい。外はまだ冷えます」

ナミは頷き、サンジに促されるまま店内へと入って行った。

「驚きましたよ、まさかナミさんがこんな時間に来てくれるなんて。もしかして、わざわざ俺に会いに〜?」

「ううん、全然」

「ああっ、そんなつれない君も素敵だ〜〜」

目をハート型にして身をくねらせるサンジをすっぱり無視し、ナミは手前の事務室を見回す。

春の新作ケーキの考案中だったらしく、様々なレシピが所狭しと書き散らかされていた。

「あー、ここは散らかってますから、店頭の方へどうぞ。今美味しいお茶を淹れて差し上げますよ」

「悪いわね、まだ仕事中だったでしょうに」

「いいえ。レディがおいでになってるのに、放っておくなんて俺のポリシーに反しますよ」

『ブルー・オール・ブルー』は店内の半分がティールームになっていて、気に入ったケーキとお茶をその場で楽しむこともできる。
新商品が出ると行列待ちは必至で、とても休み時間内だけでは行って戻ることはできないほどだ。

サンジがカウンターで淹れてくれたのは、ナミも好きなオレンジ・ペコだった。
芳醇な香りに今日一日の疲れが癒されていく。

「ありがとうサンジくん、とっても美味しい」

「いいえ、ナミさんのような美しい方のためならば、どんな手間も厭いませんよ」

軽くウィンクして、サンジも自分の分のカップに口をつける。

「・・・で、今日は一体どうされたんですか?」

サンジの言葉に、ナミは浮かべていた微笑を意識的に3割増にした。案の定サンジの鼻の下がでれっと数センチは伸びた。

「実は、折り入ってサンジくんにお願いがあるの。ううん、これはサンジくんにしかできないことなのっ。忙しいとこ悪いんだけど、私のお願い聞いてもらえないかしら・・・!?」

「んもうナミさんのお願いだったら何なりと〜。あなたという女神に仕える愛の奴隷と呼んで下さ〜〜い♪」

両手を合わせた上目遣いの“お願いポーズ”に、サンジは当然のようにあっさりと陥落した。

ナミは心の中で舌を出し、大きくガッツポーズを取った。





「何であそこにあいつの車が・・・」

たまたま仕事帰りに通りかかった洋菓子屋の前、見慣れた車を発見したゾロは訝しげに呟いた――。




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(2004.03.10)

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