Baby Rush 2      −4−
            

真牙 様




すっきりしない状況は、ナミのもっとも苦手とするところだ。
グレーゾーンに停滞されるくらいなら、いっそ雨でも槍でも降って白黒決着が着く方が精神衛生上何倍もましな気がする。
とんでもない結末になったら、その時はその時だ。

気になって仕方がないのは事実なのだから、とりあえず一度確認すればいい。それで万事解決だ。

「何だ。そうよ、もっと早くそうすれば良かったんだわ。オールオッケーよ、これですっきりするじゃない」

玄関のベルを押して中を覗いて、元気かどうか様子を見る。元気ならそれでよし、病気ならそれなりに対処する。
手順を一通り頭の中でさらい、ナミは満足げに大きく頷いた。

「うん、オッケー」

ドアの前で一息つき、改めてベルを押す。時間が時間なので、調子が悪いなら眠っているかもしれない。

間を置いてもう1回。すると中から何かが倒れる音がし、ややあってゆっくりドアが開いた。

ドアノブを掴んでいるゾロは、無表情のままいつもより更に低い声で言った。

「・・・何か用か」

どことなく棘を含んでいるように聞こえ、ナミはやや眉根を寄せる。

「えっと、別に用ってほどじゃないんだけど・・・ほら、今日珍しく来なかったから調子でも悪いのかと思って。どうかしたの? また子ゾロが熱でも出した?」

「――別にお前にゃ関係ねぇだろ」

冷然と言い捨てるゾロの言い方に、ナミは少なからずむっと来た。せっかく心配して来てやったのに何という言い草か。

「関係あるわよ、子ゾロの子守押しつけたくせに! 今更でしょ!?」

「今更も何も、お前が行きてぇのはここじゃねぇだろ!? 毎日通うくらいいいなら、とっとと奴んとこに行きゃいいじゃねぇか」

「あんた一体何のこと言って・・・」

そこまで言ってようやく気づく。ゾロから漂って来る、かなりの酒の匂いに。

「・・・ゾロ、あんた子ゾロ放って何深酒してんの。その様子じゃ相当量飲んでるんじゃない? あんたがかなりの酒豪なのは知ってるけど、子供放ったらかしのまま何ひとりで飲んだくれてんのよ!? それに奴って・・・まさか、サンジくんのこと言ってるの?」

「言っちゃ悪ィか。毎日足繁く通い詰めてご苦労なこった。クソコックに口説かれて、さぞいい気分だろうよ」

「や、やだ、見てたの? あ、あれはそんなんじゃ・・・」

どうやら偶然にもしっかり見られていたらしい。やましいことは何ひとつないが、最後まで内緒にしておこうと思っていただけに言葉に詰まる。

その微妙な間を何か別の意味に取ったのか、一瞬ゾロの目がぎらりと剣呑な光を放つ。どきっとしてナミは思わず足が竦んだ。

それを見逃さず、ゾロは畳み掛けるように口の端を歪めて吐き捨てるように言い放った。

「どうせ虫唾が走るような御託並べられて、ふわふわ浮かれてやがったんだろ」

「し、失礼ね! 私がそんなお手軽な女だと思ってんのっ!?」

「じゃあどんな女だ。四六時中周りに色目使いながらへらへらしやがって。男なら誰でもいいんだろ!? 誰でも誘うんだろ!!」

「何ですってぇ!? あんた酔ってるからって言っていいことと悪いことが・・・!」

怒りに任せた怒鳴り声は最後まで言うことができなかった。怒気を孕んだ翡翠色の瞳が間近になり、一気に唇を塞がれていたのだから。


優しさも何もあったものではなかった。
力ずくの、強引なキスだった。
無理矢理口をこじ開けて一気に舌を絡ませる。吐息も何も吸い上げられ、まともに呼吸すらできない。

腕も身体ごと抱き取られ、大地に根を下ろした巨木のような逞しい男は、ナミの僅かな抵抗などものともしていなかった。
散々口内を蹂躙され、下唇を甘噛みする所作に、ナミは背筋が震えるのを止められなかった。
熱い吐息が激しく絡み合い、足から力が抜けそうになるのを必死に堪える。

不意に唇が開放された。ナミは足りなくなった空気を貪るように仰け反った。
そしてそれは、ゾロの思うつぼだった。

身体ごと壁に押しつけられ、身動きできない首筋にゾロの吐息が降りていく。
耳朶から耳元、うなじ、首筋から鎖骨の方へと熱い吐息が這わされ、ゾロの暴挙は止まるところを知らない。

「やっ・・・ゾロ、やめて・・・ッ!」

ゾロは聞く耳を持たず、乱暴にナミのシャツをはだけさせる。
匂い立つような白い首筋から豊満な胸元に、誘われるまま緋色の刻印をいくつも刻みつけていく。
まるでナミが――彼女のすべてが自分のものだと主張するかのように。

背筋を這い上がるぞくりとする感覚に、ナミは改めて全身で悲鳴を上げた。

「やめて・・・やめて、ゾロ・・・いや!!」

ナミの悲痛な叫びに、ゾロの動きがびくりと止まる。その好機を見逃さず、ナミは渾身の力を込めてゾロの身体を押し戻した。

硬直した身体は、意外にも何とかナミの力で退けることができた。

「信じらんな・・・あんたみたいな大バカ、見たことない・・・!!」

瞳に溢れんばかりの涙を浮かべ、乱れた衣服を震える手で掻き戻し、それでもゾロを真正面から睨みつける。
肩で弾む息をどうにか整え、ナミは精一杯瞳に力を込めた。

先刻までの勢いはどこへやら、ゾロは玄関の壁に力なく寄り掛かりながら俯いていた。

「・・・マーンマ〜?」

その騒ぎで目を覚ましたのか、寝ぼけ眼の子ゾロが這い出して来た。
いるはずのないナミを見つけた子ゾロは、ぱっと表情を輝かせて足元に擦り寄った。

それを見たナミは反射的に子ゾロを抱え上げた。

「――子ゾロは暫く私が預かるわ。デリカシー欠損症のお馬鹿さん、ひとりで少し頭を冷やしなさいッ!!」

捨て台詞を残し、ナミは玄関を飛び出した。

子ゾロを連れ出すという暴挙をやってのけたにも関わらず、ゾロが追って来る気配はなかった。




「・・・・・・・」

誰もいなくなったがらんとした室内で、ゾロはずるずると壁伝いに座り込んだ。
重い溜息を吐き出し、頭を抱える。

酔いなどとうの昔に醒めていた。それ以前に、もともと酔える精神状態ではなかった。

「・・バカか、俺は・・・マジで、何やってんだ・・・」

ナミは大きな瞳一杯に涙を浮かべ、微かに震えていた。

あんなことをするつもりじゃなかった。
決して、怖がらせたりするつもりはなかった。
なのにこの手は、考えるよりも先にあんな暴挙をしでかしていた。


ナミが、愛おしかったから――。

誰よりも、他のどんな男よりも、あの金髪の料理人のところへナミを行かせたくなかったから――。


(ああ、そうか・・・)

力を失ってぼんやりとした脳裏に、ふと腑に落ちるものがあった。

この感情を何と呼ぶのか。

――今ならば解る。


狂おしいほどの嫉妬。剥き出しの独占欲。それ以外の何物でもないのだと・・・。




半ば拉致する勢いで子ゾロを抱え、ナミは急いで自分の部屋へと戻った。

鍵を開けて中へ入るなり、ナミは膝の力が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまう。

「あの、バカ・・・いきなり何てこと・・・」

ちらっと視線を落とす。今起こったことが現実だと思い知らせるかのように、ナミの白い胸元には緋色の花びらがいくつも散らされている。

慌ててシャツを合わせ、ぎゅっと左手で握り締める。

心底驚いた。

何より――初めてゾロを怖いと思った。

(・・・怖い? ううん、怖いんじゃなくて・・・)

今更かもしれないが、改めてゾロの中の“男”の部分を強烈に意識したのだ。
自分がどんなに全力で立ち向かっても敵うはずのない、絶対的な意識と肉体を持つ存在として。

胸元が変に熱を持っているような気がして、今頃頬が真っ赤に染まる。

ナミに向かってまっすぐに向けられた感情――あれは、自惚れていいならば、嫉妬ではなかっただろうか。
叩きつけるような粗野な想いだったが、心が剥き出しにされている分、その真意だけはナミの心に直に飛び込んで来た。


心臓ごと、心の柔らかい部分をわし掴みにされたような気がした。


あんなにも激しくまっすぐな想いを正面からぶつけられて、平気でいられる女などいるのだろうか。

(駄目だわ、本気でヤラレたかも・・・)

小さく溜息をつき、本当に今更な気持ちにナミは高鳴る胸を抱えて苦笑するしかなかった。



「ま〜?」

長いことじっとしていたので、子ゾロが何事かとナミの頬にぺたぺたと触れる。
柔らかい感触に、ナミはようやくほっと一息つくことができた。

「・・・大丈夫よ、私は大丈夫。ごめんね子ゾロ、こっちに連れて来ちゃって・・・」

咄嗟ではあったが、ゾロに頭を冷やさせるにはひとりにさせるしかないと思った。

ナミも、ノジコのところで子守をした経験があるので判る。

子育てなどの、自分より優先順位が高いものに常時関わっていると、自ずと自分のことが疎かになりがちになる。
余程のことでもない限り、自分を優先させることはまずない。
男なら、かなり手際のいい者でもなければそれが覆されることはまずあり得ない。

ここ1年近く――ゾロは正にその状態だったはずだ。

奥さんを失っても悲しみに暮れる暇もなく、今までひとりで気を張っていたに違いない。


(時間をあげるから・・・)

座り込んだ膝に子ゾロを抱き上げ、ナミはその髪に頬を埋める。


(私、怒ってるんだから、ちゃんと答えを見つけなさいよね。でなきゃ許してあげないんだから・・・)

「あー?」

ふっくらした幼い身体を抱きしめる。
小さな柔らかい子ゾロから、甘いミルクと微かにゾロの匂いがした。




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(2004.03.12)

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