Baby Rush 2      −5−
            

真牙 様




次の朝――案の定、ゾロはナミの家に子ゾロを取り戻しには来なかった。

(昨日の今日で顔を合わせられるほど、恥知らずでもなかったわけね)

当然だとナミは納得する。

なのでナミは、ゾロが出掛けて行ったのを見計らい、わざわざ管理人婦人に頼んでゾロ宅の鍵を開けてもらった。

当分の間使うことになるだろう、子ゾロの身の回りの物を持ち出すためだ。

詳しい事情は言わずとも、以前の誤解が曲解に至って変に納得している様子なので、逆に説明の手間が省けて助かった。

前に部屋の大掃除をした時、おおよそ物の場所は把握していたので、最低限必要な物を持ち出すのにさほど手間は掛からなかった。

「チビちゃんの保育園はここだから、判るかい?」

「ええ、大丈夫です。じゃ、行ってきます」

管理人婦人に簡単な地図を描いてもらい、それを頭に叩き込んで礼を告げた。

「ば〜、あ〜」

“バイバイ”のつもりなのか、子ゾロはナミの肩越しに手をばたばた動かしている。
今日の着ぐるみはむくむく羊で、頭の横についた巻き角の縫い取りが可愛らしさを増幅させていた。

「さて、と」

車に乗り込み、バッグから携帯を取り出す。少し遅れる旨をビビに伝えておくためだ。

「さあ子ゾロ、今日も張り切って行きますかッ」

「マーンマ〜」





子ゾロの保育園は街の中心からやや離れた位置にあり、閑静な住宅街の外れに建っていた。

(私は代理なんだから、堂々と胸を張って行けばいいのよ)

そう幾度となく気合いを入れるのだが、こんな場所にはまったく縁がなかったので変に緊張する。

カラフルな室内装飾に明るい子供の声。きちんと会話の成り立っているものから意味不明の泣き声まで、親と別れる朝の光景は様々だ。

「ええと子ゾロは・・・乳児組になるのかな!?」

入れ替わり立ち代わり人が出入りしているので、ナミは少々面食らっていた。

同じくらいの子供を抱えた母親を見つけたので、とりあえずついて行ってみる。
そして、それは正解だった。

「おー、今日も元気にオッカさんにバイバイしよーなー。ほれ、バイバーイ♪」

一際元気に子供の受け渡しをしている保育士が、ふと視界に飛び込んで来た。

黒髪に黒い瞳、何より満面の笑みが目を惹きつけられる。
何でつけたのか左目の下に一筋の傷があったが、彼の場合だとやんちゃ小僧の勲章に近い印象になる。 

(男性の保育士なんて珍しい)

でも彼にとってその職業は、着ているひまわり柄のエプロン並みに似合っていて、ナミは知らず笑みが零れた。


「あれ? お前誰だ? ここじゃ初めての顔だな!?」

ナミの視線に気づいた男が、子供を室内に下ろして手ぶらでやって来る。近くで見るとますます童顔だ。

「ええ、私は代理なの。この子を預かって欲しくて」

「ああ、ゾロんとこのチビ・マリモンかぁ。ってぇと、もしかしてお前が『ナミ』か?」

「・・・はい?」

いや、この場合、どちらを先にツッコむかナミにとっては迷うところだ。

ゾロや管理人には『チビ』、ナミたち経理事務所の面々には『子ゾロ』、そして頼みの綱の保育士には『チビ・マリモン』。

「そうだ。『マリモ』の子供は『チビ・マリモン』に決まってんだろッ!?」

「ああ、そうね。それもありだわ」


・・・ありなのか? そんな一言で子供の人生決めつけていいのか!? 全員一致で納得済みか!? (←天のツッコミ)

――どうやらこの子供の名前に関する未来は、既に夢も希望も絶たれたも同然のようだ・・・。


「まあそれはともかく、確かに私はナミだけど・・・どうして私の名前を?」

「んん、ゾロに聞いた。俺ルフィってんだ。よろしくな、ナミ」

歯を剥き出して笑う保育士ルフィに毒気を抜かれ、ナミは苦笑しながら子ゾロを手渡した。
思い出したようにルフィは言った。

「お前だろ? ここが集団インフルエンザで閉鎖んなってる間、チビ・マリモン預かってた女って。お前、凄ェよなぁ。この人見知り全開小僧のチビ・マリモン一発で懐かせたんだって?」

「懐かせたってよりも、最初からそんなのなかったから判らないわ」
 
「天然かぁ、ますます凄ェじゃん!! 俺って自慢じゃねぇがガキに好かれるタイプでよ、結構自信持ってたんだけどこいつだけにゃあ正直手ェ焼かされたっけなー。ゾロの奴が出てく度毎朝大泣きされてよ、慣れんのに半月かかったんだ。いんやあれにゃあ参ったッ、ニシシシッ!」

天真爛漫の笑顔は腕の中の子ゾロといい勝負で、どちらが子供か判らない。

ナミは腕時計で時間を確認し、慌てて踵を返した。

「あっと時間だわ。じゃ、夜になっちゃうと思うけどよろしくね」

「おう。んじゃチビ・マリモン、ナミに向かってバイバ〜イ♪」

――その途端に。

「んぎゃ〜〜〜!! マーンマ〜〜〜〜ッ!!」

「え・・・?」

いきなり火のついたように泣き出す子ゾロに、ナミはぎょっとして振り返った。

「うをッ? ど、どうしたチビ・マリモン!? しゃーねぇなぁ、そんなにナミがいいのかー。けど仕事だかんな、お前は留守番! おいナミ、ここは俺が何とかすっから振り向かねぇで行け!」

「で、でも、そんなに泣いてたらルフィが・・・」

「振り返ってっと、泣きゃあ戻ってもらえると思っちまうんだ。だからさっさと行け!!」

「ぎゃ〜〜〜〜っ!! まー! マーンマ〜〜〜〜ッ!!!」

なるほど、ゾロの言っていたのはこのことだったのか。確かに後ろ髪を引かれるが、既に戻っている時間の余裕はない。

「ごめんルフィ、後よろしく!」

「おう、慣れてっからな、任しとけッ!」

ナミは子ゾロの雄叫びを背中に浴びながら、事務所へ向かうべく車に乗り込んだ。 





「あ、ナミさんおはようございます。思ったより早かったんですね」

「ええ、代わりに保育士の人がエライ目に遭ってたけど」

事務所に着いて書類の束を出していると、ビビがお茶を持ってデスクへやって来た。

「でも、何だか不思議ですね。また子ゾロくんに縁があるなんて」

「何だぁ、今朝の遅刻はあのチビ助絡みだったのか。大変だったんなら、またこっちに連れて来りゃ良かったのに」

微笑ましい会話だが、今は決算期の3月。子ゾロが床を徘徊する分には構わないが、またお手軽にデータを飛ばされては適わない。
正直なところ、そんなことをされたら最後、残業確定コースが待っているだけだ。

「これ以上残業したいなら止めないわよ、ウソップ」

「・・・謹んでご辞退申し上げます・・・」

「そういえばナミさん、今日は珍しくスーツの中タートルセーターなんですね。いつもはキャミソール仕立てのシャツなのに」

何気なく言われたので、ナミは危うく飲みかけのお茶を吹き出すところだった。

「あー、その・・・そう! ちょっと風邪気味でね、喉痛めたら大変だから予防なの。特に今は休んでられないしねッ! ひとり暮らしだから、寝込んだら誰にも看病してもらえないし、当然の措置よッッ!!」

「そうなんですか、大事にして下さいね」

「はいはい・・・」

本当の理由など言えるはずもない。

昨夜引き起こされたゾロの暴挙により、ナミの胸元にはちょっと人様にはお見せできない痕跡がたっぷりと刻まれている。
消えるまで時間がかかりそうなので、それまではこうしてごまかし続けるしかない。
まだ寒い日が幾度となくぶり返す時期で幸いと、ナミはとりあえず安堵の胸を撫で下ろした。

そうして用は済んだはずなのに、ビビはまだナミの傍らでお盆を持って立っている。

「――何、ビビ。まだ何か?」

「えーと、その・・・今日は、もうおしまいなんですか・・・?」

「これから仕事するのに、何を終わりにするの!?」

もじもじしてなかなか用件を言わないビビに、内容を察したウソップがポンと手を叩いた。

「もしかして先週散々やった、『ブルー・オール・ブルー』の試食のことか?」

途端に照れ臭そうに笑ったので図星だったらしい。

しかし、ナミはすっぱりと言い切った。

「ああ、あれね、もういらないの。当分使う予定がなくなったから、実験の意味もなくなったし」

「やっぱり実験だったのかよッッ!!」

ウソップの半泣きの叫びを、ふたりは綺麗に無視した。ビビなど、逆に眉を吊り上げてウソップを睨み返す。

「実験だろうと何だろうといいじゃないですか、とっても美味しかったんですもの。美味しい食べ物に罪はありません。ナミさん、また何かあったらどんどん言って下さいね。私、どこまでもおつき合いしますから」

「ありがとう、さすがビビは頼りになるわッ」

「・・・俺には女って生き物が理解できねぇ・・・。いや、カヤだけは別だ、俺の心のオアシスだ! マイ・スイート・ハートだ! OK,負けるな、頑張れ俺ッッ!!」

ひとり盛り上がるウソップをよそに、ふたりは切り替えも素早く仕事に戻っていた。

「もしも〜し・・・?」

誰もウソップの話を聞いていなかった。





仕事を終えたナミが保育園に着いたのは、すっかり日も暮れた7時を回った頃だった。

最後だったらしく、灯りの灯った広々とした室内に子ゾロとルフィだけがぽつんと残っていた。

「こんばんはー、遅くなってごめんなさいね」

「おぅ、お疲れ。こんなんは毎度のことだかんな。それにゾロならもっと遅いし」

「マーンマ〜〜!」

ナミの姿を見つけると、子ゾロはぱっとルフィの手を離れ、ナミの元へと這い寄って来た。

「はいはい、遅くなっちゃったね子ゾロ。でも、ルフィ兄ちゃんが遊んでくれたから寂しくなかったでしょ?」

「シシシ、子ゾロかぁ、ゾロそっくりだもんなぁ。うん、それもありだ」

胡坐を組んだままルフィは肩を揺らして笑う。

「しっかし、今朝あの後凄かったぞー。ゾロの最初の頃は置いてかれて30分で泣き止んだが、今回は1時間だったッ!」

「うわ、それじゃ他の仕事に差し障り出たんじゃない?」

「うんにゃ、論点はソコじゃなくってな。実の親より懐かれてんなってこった。何せナミを呼ぶ時『まんまー』だもんな」

「子ゾロの中では、私イコール御飯だもの。不本意だけどそう呼ばれても仕方ないわ」

溜息混じりに肩を竦める。にやにやしたままルフィがナミの顔を見ていた。

「・・・何? 何か私の顔についてる?」

「いんや、お前ゾロと結婚すんのかと思ってよ。あいつ言葉は少ねぇけど、とにかくいい奴だからさ。それに俺、あいつ好きだし。好きな奴にはやっぱ幸せになってもらいてぇじゃん」

「し・・・知らないわよ、そんなことッッ!!」

「でも、嫌いじゃねぇよな!? ニシシシ、顔まっかっか♪」

ナミは慌てて頬を押さえた。触って判るほど、ナミの両頬は熱を持っていた。

「か、帰るわよ、子ゾロ!!」

「おぅ、また明日なー。ゾロの嫁さんッッ♪」

瞬間ナミの右手がひらめき、下足入れにあったはずのスニーカーがルフィの顔に直撃した。





「まったく、どいつもこいつも・・・」

ぶつぶつと詰りながら、部屋に戻ったナミはタオルと着替えを用意した。当然のように子ゾロもついて来る。

「じゃ、お風呂にしよっか、子ゾロ。もうおいたは駄目よ?」

「あー」

にっこりと視線が合う。1歳近くともなれば、さすがに判っているようだ。



・・・10分後。
再び、バスルームにナミの絶叫が轟いた。

「きゃ―――――――ッッ!! だから子ゾロ、どこ触ってんのよぉっ! こら、胸の間に顔埋めるな、揉むな、吸いつくな! あんたの父さんと同じことしないでったら、それがセクハラだって言ってんのよ! 本気であんたの父さんに慰謝料請求されたいのッ!? そんなに触るのが好きならお返しするからね! ――って、ヨロコぶな〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!」





――その頃。

『ブルー・オール・ブルー』の店内で、まだ来ぬ訪問者を待ち侘びているサンジの姿があった。

「メロリ〜ン、ナミさ〜〜ん。今日は遅いなぁ・・・」

ナミは、店に行かない連絡をすることをド忘れしたこと自体を、すっかり忘れ去っていた・・・。




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(2004.03.13)

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