Baby Rush 2 −8−
真牙 様
(・・・ゾロ? な、何でここに・・・!?)
ナミは驚きの余り固まって声も出ない。
階段をゆっくり上がって来た翡翠色の髪に長身の男は、見紛うことなく子ゾロの父親であるゾロだった。
どうしてここに、こんなにもタイミング良く現れることができたのか、ナミにはまったく想像すらできなかった。
ゾロは一瞬はっと息を呑み、ナミの背後にいる神主に向かって軽く頭を下げた。
「・・・やあゾロ。久し振りですね・・・」
「――すみません師匠、ご無沙汰しています」
そのバツの悪そうな様子から、ゾロが会いに来たのはこの神主ではなさそうだった。
ならば、こんな場所まで誰に会いに来たのか。
ゾロは長い溜息を漏らし、一度目を伏せてから改めてナミに視線を向けた。いつもの、強い眼光を放つ瞳で。
「・・・ナミ、話がある」
それだけ言うと、ゾロはくいっと顎をしゃくって見せた。次いで神主に軽く会釈する。
「師匠、後で改めて挨拶に来ますんで、今日のとこはすみませんが・・・」
「いいえ、わたしのことは気にしないで下さい。まずは己が心に巣食う暗雲を払い去るのが先決でしょう?」
神主は納得した様子で子ゾロの背を撫でた。
ナミは階段の上り口まで移動し、改めてゾロと向き合った。一週間ぶりに見るゾロはどこか吹っ切れたような顔をしていた。
「・・・で、話って何?」
ナミも深呼吸し、きゅっと表情を引き締めてゾロと向き合う。ヘイゼルと翡翠の瞳がぶつかった。
「あー、その・・・この間のことだけどな。その・・・」
「――なぁに?」
「まぁ、何だ。お前にも少しは悪いとこがあるんじゃねぇかと、そう思ってよ」
(・・・一週間考えて、そんな答えにしか辿り着けなかったのか、この男はッッ!!)
ナミの中で微妙に揺れていた感情のバロメーターが、一気に怒りの最高値へと振り切れた。
怒りの余り、声が震えた。
「・・・ロロノア・ゾロ、このバカマリモ! あんたの頭ン中って一体どんな仕組みになってんのよ!? 私のどこが悪かったってのッ? ふざけんのも大概にしなさいよね!!」
怒髪天を突くナミの絶叫に、ゾロは顔を顰めつつもしれっと言い放った。
「そもそもお前が、こそこそ変な隠し事すっからだろうが。別に隠すほどのことでもなかったろうによ」
ゾロの言葉から、ナミは内緒にして目論んでいたことがいつの間にか露見していることを察した。
だが、ナミにとっての論点は既にそこではなかった。
「――親切お節介なサンジくんに聞いたのね。で、それが理屈なわけ!? バッカじゃない。ああいった物は内緒にしてこそ意味があるのよ!? デリカシーのないことばかり考えるから、余計な勘繰りする羽目になるんじゃないの。ああ馬鹿馬鹿しいッ。まったく、つくづくあんたなんかに猶予をあげた自分が愚かだったと笑うしかないわ。子ゾロを預かってひとりにさせてまで、あんたに考えさせる意味なんて全っ然なかったんだものねッ!」
言い始まったナミの口は憤りの噴出孔と化し、止まるところを知らなかった。
散々心配したのに。
自惚れてもいいのかもしれないと、淡い期待さえ抱いていたというのに。
言いながら、ふと気づく。
そうだ、自分は期待していたのだ。ゾロに、女として好意を寄せられているのかもしれない、と。
だからこそ、ナミの想いまでもすべて否定されたようで心底悔しかったのだ・・・。
だがそこまで悪し様に言われては、さすがのゾロも黙って聞いてはいられなかった。
「そこまで言うこたねぇだろうが! そもそもの原因は、お前が紛らわしい真似すっからだろ!?」
「何が紛らわしいのよ!? 私が何をどうしようとあんたにはまったく関係ないでしょ!」
「関係なかねぇ! 第一勝手に人んちに上がり込んで来たのはお前だろうが!!」
「もともと私があんたんちに上がったのは掃除するためじゃない! 何勘違いしてんのよ、ただの厚意に決まってるでしょ! あんな劣悪な環境にしといて、掃除したのが勝手だなんて冗談じゃないわ! 立ち入られたくなかったら、最初からちゃんとしとけばいいのよ! そもそも子ゾロを私に預けたのが間違いだったんじゃないの!?」
売り言葉に買い言葉、困惑する神主を尻目にふたりの舌鋒は止まるところを知らなかった。
(違う――こんなこと言いたいんじゃない・・・!)
(違う――こんなこと言いてぇんじゃねぇ・・・!)
互いの胸にそんな想いが揺れていることなど、双方知る由もない。
怒号は更にエスカレートし、ナミは本気で泣きたくなってきた。
(・・・バカみたい。私ひとり一生懸命立ち回っててバカみたい・・・ッ!)
目尻に涙が浮かぶ。このまま言い合いを続けていたら本当に泣いてしまいそうだった。
ナミはきゅっと唇を噛み締め、目を閉じて踵を返した。
「おい、どこ行くんだ!? まだ話は終わってねぇだろ!」
「こんな不毛な怒鳴り合いのどこが『話』なのよッ!? もうあんたなんか知らない、勝手にしなさい!!」
「待てよ!!」
翻した腕を、いち早くゾロの無骨な手が捉える。振り返ったナミは渋面で佇むゾロを真っ向から睨んだ。
「何よ、痛いじゃない馬鹿力。離して!」
「離せるか! まだ話は終わってねぇっつってんだよ!!」
痣になりそうなほどの力で腕を掴まれ、ナミは痛みに表情を顰めた。
ナミを引き止めようとするゾロの必死の形相は、どこか哀しげでもあった。
「話なんかないわ! そもそも私は赤の他人なんだし、亡くなった奥さんの身代わりなんて真っ平ごめんよ!!」
「な、んだと・・・!?」
刹那、ゾロの瞳に殺気に近い色が浮かぶ。同時に少しだけ手が緩んだので、ナミは渾身の力でその手を振り払った。
ゾロは払われた手を見つめ、再びナミを睨んだ。そこには更なる怒りが渦巻いていた。
「・・・俺が、いつそんなことほざいたよ・・・!?」
押し殺された、静かな声だった。それだけに怒りがゾロの内で激しく猛り狂っているのが手に取るように判った。
「だったら、この間の台詞をそっくりそのまま返してあげる! あんたこそ女なら誰でもいいんでしょ!? 誰でも誘うんでしょ!!」
「誰がいつ、そんなこと言ったよ!!」
またナミを間近に捉えようとゾロが手を伸ばす。ナミは捕まるまいと身を翻すように足を引き――ふと、身体が宙に浮いた。
踏みしめるはずの地面がなかった。いつの間にか階段の頂上部に出ていたのだ。
「え・・・?」
「・・・ッ」
咄嗟にゾロが手を伸ばす。
だが勢いがつき過ぎて間に合わなかった。
「――ナミィッッ!!!」
「きゃあああああっ!!」
ふたりはもつれ合うように参道を急転落した。
「ゾロ!! ナミさん!! 大丈夫ですかッ!?」
蒼白になった神主の叫び声が妙に遠く聞こえる。
激しい衝撃に全身が悲鳴を上げていた。目を閉じたまま身体中に神経を巡らせ、何とか動ける程度には無事そうだと確認する。
ゾロは仰向けの状態で目を開けた。遠く春霞の空が見える。
胸や背中が激しい痛みを訴えていたが、呼吸困難に陥るほどではなかった。
「・・・っつう・・・」
こめかみ付近に鈍い痛みを感じる。何気なく手をやると、掌にべったりと血が付着した。どうやら石段の角辺りで切ったらしかった。
はっとなって身を起こす。
「ナミ!?」
探すまでもなく、ナミはゾロに覆い被さるように倒れていた。ざっと見たところ、目立った外傷はなさそうだった。
「おいナミ、大丈夫か?」
血のついていない方の手で肩を揺すってみる。
――反応はない。
あれだけ怒っていたので仕返しのつもりか。冗談にしては性質が悪い。
ゾロはもう少し荒っぽく肩を揺すった。
――反応はなかった。
ゾロは一気に全身の血が逆巻き、激しい眩暈に襲われた。
心臓の音がやけに近く聞こえ、全身からどっと冷や汗が吹き出す。
「・・・ナミ? おい、聞こえてんだろ? 悪い冗談はやめろ、この状況じゃシャレになんねぇぞ!?」
平静を装おうとしても自分で判る。完全に声が、手が震えていた。
「おい、今なら冗談で笑ってやっから目ェ開けろよ? ナミ、聞こえてんだろ、なぁ!」
ナミは応えない。長い睫毛は伏せられたまま、ピクリとも動かなかった。
「ナミ! おい、返事しろよ、目ェ開けろったら、おい!!」
「ゾロ、頭を打っているかもしれないのですよ!? 揺らしてはいけない!!」
神主の必死の制止も、今のゾロにはまったく届いていなかった。
ゾロを支配していたのは、腕の中でぐったりと力を失ったナミだけ――ただ、それだけだった。
「ナミ! ナミ!! 目ェ開けろ!! 頼むから目ェ開けてくれ!!」
鼓動が、呼吸のリズムがおかしい。
眩暈がして上手く息ができない。
頭に酸素が不足しているのか、ガンガンと耳鳴りがして吐き気まで込み上げる。
手足に力が入らず、膝が震えて上手く立ち上がることもできない。
貧血を起こしたのか目の前がすうっと暗くなる。
何も、見えない。
何も、考えられない・・・。
ともすればナミを失うかもしれないという恐怖に、頭の中が真っ白になって何も考えられなかった。
「ナミィィィッッ!!!」
力を失った身体を抱きしめる。
――ゾロの悲痛な叫び声だけが、空しく参道に響いた・・・。
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(2004.03.16)Copyright(C)真牙,All rights reserved.