桜の花の咲く頃に     −13−
            

真牙 様




次の日の朝、いつもの時間にナミが出勤すると、珍しくビビの方が先に来ていた。

事務所のドアを開けるなり、ビビは正に泣きつかんばかりの勢いでナミにしがみついて来た。

「あああ、ナミさんごめんなさい! そんなつもりじゃなかったんです! ただちょっと酔ってて、つい・・・」

「おはよう、ビビ。ああ、昨夜のことね。まあ、ちょっとやってくれたかなーって感じかな、今回は」

おっとりしているかと思いきや、意外にこんなところで行動力があったりするので、この娘はなかなか侮れない。

「・・・つい、ルフィさんに話したのがまずかったんですね。ふたりきりの時のミスター・ブシドーがそんな顔してるのか見たいって、野次馬なこと言い出してくれて・・・」

「――そう、言い出しっぺはルフィなの・・・」

どっちもどっちだが、これでふたりに対する報復は決まった。
当然の帰結だと、ナミの中の良心はちっとも痛みを感じなかった。

「ま、過ぎたことは仕方がないわ。今回のことは、とりあえず水に流してあげる。でも、いくらビビでも2度目はないからね?」

「は、はい! 肝に銘じます! それで、あの・・・」

先程までとは違い、急にもじもじした様子になる。それにピンと来たナミは、デスクに肘をついてにんまりと笑った。

「ん〜? なぁに?」

「その、今日から来るって言ってたアレ、なんですが・・・」

「ん〜? アレってなぁに? はっきり言ってくんないと私判らないし〜」

言いにくそうに口籠もるビビに、あくまで素っ気ない態度を取り続ける。ビビは観念した。

「デザートデリバリーですよぅ。もしかして私・・・除外、ですか?」

ビビの瞳は、最初にナミに謝った時よりも更に目尻に涙を溜めて潤んでいた。
ナミの怒号を真っ向から喰らうよりも、手に入るはずだった美味しいデザートを逃がす方が怖いらしい。大した根性である。

「正直どーしよっかなーとも思ったんだけど・・・毎日無料で来る物なんだし、別に除外するつもりはないわ。そこまで意地悪しないわよ」

「ああ、ナミさん! もう2度とこんなことしませんから! ルフィさんにもきつく言っときますから!!」

「ん〜ん、それは私の方で対処するからいいわ」

「ナミさ〜ん」

それでようやく本当に安心したのか、ビビはナミの首筋にきゅうっと抱きついて来た。苦笑して、その細い肩を撫でる。

「おはよーっす! 今日も元気にこのキャプテン・ウソップ様は――」

自分を鼓舞して仕事モードに入るウソップは、朝っぱらから事務所で抱き合うふたりを見た瞬間、笑顔のままフリーズした。

「おはよう、ウソップ。どしたの、顔が変よ?」

「・・・ナミ、俺に時間をくれ。少し世間の風を浴びて、俗世の垢にまみれて来るぜ」

言うなりウソップはスーツの上着を放り出し、街路樹の歩道を猛然と走り去って行った。

「変な奴――いつものことだけど」

小さく独白するもそれは一瞬のことで、デスクに視線を戻した時にはもう仕事の段取りを考えていた。



その頃ウソップは――。

「うおおおおッ! カヤ、俺は白百合の園になりつつある事務所で、良識ある社会人として生きて行けんのか、これも試練なのか!? 誰か教えてくれぇ、人生の航海は後悔の連続なのかぁ〜〜〜〜ッッ!??」

切ない心の雄叫びを垂れ流しつつ、真っ白になるまで街中を走り続けていた。





昼休みの時間になると、まるで計ったようにサンジが事務所へと訪れた。

「は〜い、んナミすわぁ〜ん、ビビちゅわぁ〜ん、そしてその他約1名! 愛のデザートデリバリーですよ〜♪」

軽快な声音とともに、事務所にやたらとテンションの高い男が入って来る。言わずと知れたサンジだ。

「本日は花見の時に好評だった、三色トリオのチーズスフレをお持ちしました」

「はい、ご苦労さん。早速約束を果たしてくれたのね。ありがとう、律儀な男って好きよ」

何気ないナミの言葉にサンジは有頂天になり、お得意のフラダンス紛いのダンスを踊っている。

「ね〜え、サンジくん、ちょっといい?」

軽く手招きして、サンジを事務所の隅に呼び寄せる。サンジは鼻の下を伸ばしてナミに近づいた。

「何でしょう、ナミさん。もしかしてデートのお誘いですか〜?」

「ううん、あり得ないし。あのね、いいこと教えてあげる。ビビはね、サンジくんとこのお菓子に思いっ切り目がないの。彼女をイメージした新作なんて作ったら、感激してサンジくんのポイント急騰間違いなしだと思うわ。是非頑張ってみる価値ありよ?」

「ええッ!? そんなに俺のことを〜? いや、ナミさんもいるのに俺はひとり・・・ああ神よ、いっそこの身をふたつに引き裂いてくれぇ!」

「はいはい、いくつに裂かれてもいいからデリバリーだけは欠かさないでね?」

盛り上がるサンジの肩をとんとんと叩き、本来の頼みごとを口にする。

「で、つかぬこと聞くけど、サンジくんてゾロとつき合い長いの?」

意外な話題にサンジは一瞬奇妙な表情をしたが、すぐに苦笑するように肩を竦めた。

「ええ、反りが合わねぇと思いつつも、中坊以来ですから15年来のクサレ縁ですね。昔っから武道バカでマリモで、今と何ら変わりませんが」

「じゃあサンジくんは、当然くいなさんを知ってるでしょ? 写真、持ってない?」

その質問にはさすがにきょとんとする。聞く相手が違うだろうと言いたげに。

「筋違いだとは思うけど、あいつくいなさん関係の物全部実家に返しちゃったって言うから、何にもないのよ。かなり強い女流剣士だったっていうから、ちょっと興味持ってねー。で、どうなの、持ってる?」

「結婚する前のだったら、確か何枚かありましたかね。いいですよ、明日お持ちします」

「そう、ありがと! あいつにくれてやるかもしれないから、どうでもいいやつ1枚でいいわ。是非お願いね!? で、サンジくんの印象としては、彼女どんな女性だったの?」

「くいなちゃん、ですか? あー、骨の髄まで武道に生きる人でしたからねぇ、凛々しいって言い方が一番想像しやすいでしょ。手加減してゾロが油断してると、奴をも叩きのめす豪快な女猛者でしたから。黒髪にきりっとした黒い瞳の、理知的な美人でしたよ。あれ、でも、彼女に良く似た女性がいたはずですが・・・」

兄弟姉妹だろうか。記憶を辿っていたが、その情報はサンジにしては珍しくぽっかり抜け落ちていた。

「ああっ、俺としたことがレディの情報をインプットしそびれるなんて一生の不覚、7代先までの恥ッッ!」

「はいはい、判ったわ。じゃあ明日お願いね」

「判りました、ではまた明日」

デザートを届けるという名目に加え、写真を持って来る口実もできたサンジの足取りは見るからに軽やかだった。





その夜、昨日の煽りを喰らってやや遅い時間での帰宅になったゾロは、約束通りナミ宅に夕飯の請求に立ち寄った。

夕方に小腹を埋める物をあまり食べていなかったのか、レンの食欲は凄まじかった。
カップを両手でわし掴み、淵に思い切り歯まで立てている。まるで小皿まで食べ尽くしそうな勢いだった。

「ああもう、タオル掛けといてったら」

ナミがレンの首と衣服の間にスポーツタオルを押し込み、周囲への被害を最小限に止めようと努力する。
それを面白がって引っこ抜くので、いつまでたってもいたちごっこだった。

「もう! ゾロも笑ってないで何とかしなさいよ。カーペットに被害が出たら、あんたに請求が行くこと判ってんでしょ?」

「そりゃ判ってんが、そう意地になってるモン無理じゃねぇの?」

「あんたはあっさりし過ぎなのッ!」

自棄になり、とうとうレンの首の後ろで一結びしてやる。どんなに引っ張ってもこれでは取れるはずもなく、レンはとうとう諦めた様子だった。

「ぶ〜〜」

「ふ・・・勝ったわ!」

「同レベルかよ」

「何かおっしゃいまして、マリモパパ?」

「別にな〜んも」

知らん振りをしながら、ゾロは黙々と食事を続けている。
今日は仕事内容もハードだったのか、いつもの1.5倍は軽く胃に収めている。
見事な食いっぷりにナミは驚きを隠せない。

「そんなに皺寄せが来るほど忙しかったんなら、無理して花見誘ってくれなくて良かったのに。何か却って悪いことしたみたい」

「別に気に病むこたぁねぇさ。俺も思うところがあったしな」

後半を口の中でもごもご言い、ゾロは視線を逸らした。

(思うところって、あの、言い掛けた『何か』のこと? まったくセクハラ大王のくせにはっきりしないんだから)

ナミの不満はもっともなところにある。
聞いてすっきりしたいが、どうせ聞いても答えてくれないだろうし、ならば聞くだけ無駄で不毛なだけだ。


ふと日中のやり取りを思い出し、ナミはそれをゾロに告げた。

「そうそう、サンジくんがね、くいなさんの昔の写真持ってるんだって。多分あんた込みじゃないかな? 明日届けてくれるっていうから、楽しみにしててね。何か、独身時代の頃のだって言ってたわ」

「ああ? 何であいつがわざわざ届けに来んだよ。まさかと思うがここにか?」

「ううん、私の事務所に。この間の狼藉に慰謝料請求したの。毎日3人分デザートデリバリー3ヶ月間&限定物優待権つきを見事ゲットしたわ♪」

それを聞いたゾロは、ぽかんと口を開けたまま呆気に取られてナミを見た。苦笑が意地の悪い笑みに変わる。

「そりゃあいつにとって災難だったな。この魔女にかかったら、骨までしゃぶり尽くされるぜ?」

「何気に人聞きの悪いこと言わないでよ。でも、これでくいなさんの顔が拝めるわ、私的にはOKよ」

どうして今になってそんなにくいなに拘るのか、ゾロには少々不思議だったが、女心とはそういうものなのだろうと無理矢理納得することにした。

「まぁ、そんなに見てぇんなら・・・赤の他人で親戚でもねぇのに、気持ち悪ィほどそっくりな女はいるぜ?」

「あ、何かサンジくんもそんなこと言ってたわ。いるの、そんな人!? あー・・・でもそんなに似てたら、ゾロの方が会いたいんじゃない? それとも、逆に会いたくない? 会いにくい、かな」

口籠もるナミの口調に、ゾロは何となく外に視線を向けた。神社の桜参道と楕円の月がぼんやりと霞んで見えた。

「俺自身、会いにくいってのもあるが――それ以前に、おそらく向こうが俺に会いたかねぇだろうよ」

「どうして?」

思わず反射的に問い掛けてしまった疑問に、ゾロは意外にも淀みなく答えた。

「その女自体が、くいなの事故原因に思いっ切り関わっちまったから、だな。そいつも小さい頃から剣道やってたから、以前は道場でしょっちゅう見掛けたモンだったが、それが原因でもう1年近く会ってねぇや・・・」

「あーう? マーンマ〜?」

満腹になったレンがゾロの膝に上がろうとしがみつき、ゾロを苦笑させる。

「けど、来月にはもう1周忌だしな。いい加減踏ん切りつけねぇと、師匠にもド突き倒されちまうだろうよ」

「・・・もしかして、月命日にも行ってなかったの?」

「行けっかよ。その女、くいなの墓のある寺の隣に住んでんだぜ?」

なるほど、偶然にでも会うのを恐れているのか。

会えば、くいなの事故に関わった責任の有無を問い質してしまうかもしれない。
それとも逆に、心に深い傷を負ったその女性に、少しなりとも気を使っているのだろうか。

真実はゾロの胸の奥だ。相当深くまで切り込まないと届きそうにない、未だ生々しい痛みを訴える記憶なのかもしれない。

それでも――。

(聞いてみたいって言ったら怒るかな。放っといてくれって無視するかな)

躊躇いがナミの表情を曇らせていたらしい。それを見たゾロは溜息をつきながら、手の甲で軽くナミの頬を叩いた。

「んな顔すんなよ。・・・そのうち行くさ、このまんまってわけにもいかねぇのは充分判ってんだからよ」

吟醸仕立ての酒は極上のワイン並みに甘いはずなのに、肴代わりの話題のせいで少々苦味の深い味になってしまった。





「は〜い、今日も爽やかに愛と食の伝道師サンジが、天上の女神たち&その下僕に愛のデザートをお届けに上がりました〜」

次の日の昼、無駄にテンションの高いサンジの登場に、ウソップは肺が潰れるのではないかと思われるくらい長い溜息を吐いた。

「ああ、ナミさ〜ん。写真こんなんでいいですか?」

不意に差し出された1枚の写真を両手でそっと受け取る。
それは川原をバックに、ひとりの女性が両手に男ふたりを捉まえて得意げな顔をしている、見るからに元気溢れる写真だった。

「これはあいつらが結婚する1年くらい前に、道場仲間に便乗してバーベキューやった時のだから、今から3年前のですね」

「25歳のゾロとサンジくんか、さすがにちょっと若いね」

「ひどいなぁ。今だって充分若いでしょうに?」

くすくす笑って写真に見入る。なるほど、黒い髪を肩の上で切り揃え、快活そうな印象がそこかしこから感じられる。

これで子供の頃からの知り合いならば、ゾロに言いたい放題だったというのも充分頷ける気がした。

(これが、くいなさん。お腹を痛めてレンを産んだお母さん。そして、ゾロの奥さんだった人・・・)

レンの顔を思い浮かべ、類似点を探す。よくよく見れば目元に面影があるようにも思われるが、どうやらゾロのDNAの圧勝だった。

「ちなみに、命日は来月なのよね?」

「ええ、5月の半ばです。葬式行ったから覚えてますよ。月命日なら、今度の土曜がそうですよ?」

「あ、そうなんだ。うん、ありがとう。手間掛けて悪かったわね」

「いいえ、それほどでも」

サンジはやや苦笑気味に静かに微笑んだ。


「うわあ、今日のは何ですかぁ?」

届けられた箱を前に、ビビは今にも涎を垂らしそうな勢いでわくわくしている。

以前、桜山へのデリバリーを頼んだ時に散々口説かれて困ったが、目の前に美味しそうなスイーツを見せられては猫に鰹節である。
フェミニストのなかなかイイ男ではあるが、ナンパで軽い性格に翻弄されはしまいか、ウソップの老婆心はしくしく痛い。

「ではお嬢様方、今日のスイーツをご覧あれ」

そう言って箱から取り出したのは、パイとムースの生地をベースに敷き、そこに澄んだ水色のゼリーをドーム状に被せた逸品だった。
しかも、そのゼリーの中には貝などを模った色違いの細工が細かく散りばめられ、夏に向けての力作だと想像できた。

それを見た瞬間、ナミは吹き出しそうになるのを必死に堪えなければならなかった。

抜け目のない男である。昨日の今日で、もうイメージ品を作り上げて来たのだ。その人並外れた根性には感服である。

「うわ〜、綺麗ですねぇ。まだ春だっていうのに、まるで夏の新商品みたい」

「テーマのベースは“夏”ですからね」

「でも、こんな商品店頭にあったかしら。私新商品は全部ゲットしてるから、取り残しはないはずなのに・・・」

自分の知らない商品がお目見えして、ビビの表情は少々複雑だ。それを宥めるように、サンジはさり気なくビビの肩に手を回した。

「ご存知なくて当然でしょう。これは、今日ここへお持ちするのに作った最新版のスイーツ。生まれ立てゆえ、名前すらないベイビーなんです。これをビビちゃん、あなたのために捧げます。どうぞ召し上がって、イメージのまま命名して頂けると嬉しいですが」

「サンジさん、ナミさん、私感激です! 命名権を貰えるなんて、こんな幸運一生に一度あるかないかだわッ!」

ビビの瞳は既にハート型に染まり、周囲にはきらきらと星が飛んでいる。

無論、目の錯覚だ。

その姿を目の当たりにし、ナミは苦笑しながら頭を掻いた。

(あちゃー・・・。変なツボにキマっちゃったかな〜・・・)

軽いお灸のつもりが、しっかりと厄介ごとの種へと成長していたらしい。
ちらりと脳裏をルフィが掠めたが、これも試練とすぐさま切り替えて、ナミは静かに手を合わせた。

合掌・・・。




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(2004.04.22)

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