桜の花の咲く頃に     −15−
            

真牙 様




途中コンビニに寄って道を確認し、ナミは園を出てから30分ほどで目的の場所に到着した。

そこは夜桜見物に行った神社のような高低差のない平坦な地に造られた、古いが代々続いている由緒ある寺だった。

参拝客用の駐車場は、彼岸を過ぎた今訪れる者もなくひっそりとしていた。

寺の本堂に向かって続く石畳の両側には見事な桜が咲き誇り、墓参りに来る人々の目を楽しませていた。
そろそろ盛りを過ぎたものもあるのか、時折吹く風にはらはらと薄紅色の花吹雪が舞い踊っている。白い石畳は半ばピンク色だ。

ナミはトンネルのように続く桜並木を堪能しながら、ゆっくりと本堂の方へと向かった。

案内板によれば、整然と整えられた墓地は本堂の裏手に造成されているからだ。

やがて境内に入ると石畳は敷き砂利に変わり、踏みしめる音は思い出を噛み締めるそれに似ていた。

ふと耳に、低い声で淡々と綴られる読経が届いた。どうやら、この寺の住職は未だ朝の務めの最中らしい。

邪魔をしてはいけないと思いつつ、大きく開け放たれた本堂への入り口から中を垣間見る。
大柄な住職がこちらに背を向け、木魚を片手に低いが良く通る声で朗々と読経を綴っている姿が見えた。

「――ああ、誰だ?」

不意に読経が止み、住職が上半身だけ捻るように振り返る。

「あ・・・ご、ごめんなさい! 邪魔するつもりはなかったんですけど、ちょっとお墓の位置を聞きたかったもので・・・」

「ああ、少し待ってろ。すぐ終わるから」

ナミはその住職の風貌を見て、内心かなり驚いた。

坊主の外見などそれこそ人様々で、それが剥げ頭の老人でなければならないという規約やこだわりはどこにも存在しないのだが。

それでも――ナミが目の当たりにした住職は、通常思い描く“僧侶像”からはあまりにもかけ離れた風貌だった。



「待たせたな。こんな時期に墓参り客とは珍しくてな」

「お忙しいところすみません。急にちょっと思い立ったもので・・・」

そう言いながら、ナミは草履を履いて本堂内から下りて来た住職を改めて見上げた。

険しい顔立ちの、かなり大柄な男だった。身長だけならゾロとほぼ変わらないのに、その身体の厚みが更に凄い。
ゾロも相当逞しい身体つきをしているのだが、この男は1歩間違えばプロレスラー並みの肉体派だ。

白とも見紛う銀の髪を無造作に撫でつけ、僧侶特有の袈裟姿だというのに何かのポリシーだろうか、なぜか口の端に葉巻を咥えている。

およそ住職らしくない住職だった。ガテン系の職種だと言われた方がまだ納得できるような気もした。

ぱっと見の歳は30代半ばに思えたが、厳つい顔立ちを考えると20代後半から40代のどこでも通用しそうな雰囲気である。

そんなナミの思惑も知らず、住職は話を促した。

「で、誰のとこだ?」

「ええと、くいなさんて方のお墓なんですけど」

「くいな・・・?」

一瞬、住職の切れ長の目がぎらりと光り、ナミを射抜くように見下ろす。それを正面から見返し、ナミは首を傾けた。

「・・・何か?」

「ああ、いや・・・お前さんは彼女の友人なのか? もしや、今日が月命日と知ってここへ?」

「月命日のことは知ってますけど・・・う〜ん、恥ずかしながら正直彼女のことは、写真で顔しか知らないんです」

それを聞くと、住職は何とも言えない複雑な表情になった。大きく吐いた溜息が煙となって立ち上り、その存在を和らげる。

「もしや、ロロノアの方の知り合いか!?」

「ええ、まあ。まったく月命日にも来ないなんて、とんでもない男ですよね。よおっく言っときましたから、来月の1周忌にはおそらく来るとは思いますよ? こんな不実な旦那はいないって、くいなさんきっと草葉の陰で泣いてるでしょうね」

ナミの苦笑に、住職は天を仰いで長い息を吐いた。

ややあって再びナミに視線を戻した住職は、きゅっと口許を引き結んで真摯な顔をしていた。

「違ってたらすまんが・・・お前さん、ロロノアの新しい女か?」

唐突な言葉に、ナミは一瞬呼吸も言葉も詰まっておずおずと住職を見上げた。

(お、お坊さんのくせに何て生々しい聞き方すんのよ、もうッ!)

ナミは暫く考え、ようやく無難な言い方で告げた。

「あー・・・正直微妙なトコなんです。肯定はできないけど、否定するのもちょっとって位置かな? あああ、これはここだけのオフレコにして下さいよ? こんなことあいつに聞かれたら、何言われるか判ったモンじゃないから」

「・・・判った。約束しよう」

住職は厳つい顔ながら、ふと困ったように苦笑した。そうすると、少しだけその面差しが和らいで見える。

「こっちだ、ついて来い」

そうしてゆっくりと墓石の間を縫うように敷かれた石造りの通路を行く。大小様々な墓碑は、物言わぬ魂の依代となって林立している。

住職はいくつもの角を曲がり、ようやく目的の墓石の前へとナミを案内した。

朝一で誰か先客がいたのか、墓前には真新しい花と線香の燃えカスが残されていた。

すぐ隣に置かれた墓誌には寺で貰った称号の下に、「くいな享年28歳」と刻まれている。

「ああ、くいなさんてゾロのひとつ上だったのね。来年誕生日来たら、私まで何気に追いついちゃうわねー」

少し冗談めかして呟いてみる。住職は固い表情のまま、かの墓石を見つめている。

考え過ぎだろうか。くいなの墓石を見つめる住職の瞳は一檀家の仏を奉るそれではなく、どこか沈痛な面持ちが感じられてならなかった。

その疑問が、躊躇う心を後押しする。ナミは不意に浮かんだ疑問を、何も考えずそのまま口にしていた。

「あの・・・もしかしてご住職は、くいなさんの亡くなった原因をご存知なんですか?」

何気ないナミの問いに、住職の横顔が自嘲気味に揺れた。

「ああ、知ってる。そうだな・・・お前さんには、知る権利があるだろう。いや・・・聞いてもらえると助かる」

「――是非、聞かせて下さい」

ナミはきゅっと表情を引き締め、住職の横顔を見つめた。

住職はもう一度天を仰ぎ、白く立ち上る煙の行方をじっと眺めた。ふっと目を伏せ、再度墓石へと視線を落とす。

「あいつの――女房の前ではこんなこと口が裂けても言えんが、正直くいなは俺たち夫婦が殺したようなモンだ」

「え・・・?」

衝撃的な告白に、ナミは一瞬頭が真っ白になった。

そんなナミの様子もお構いなしに、住職は淡々と過去の因縁話を語り始めた。





今日は土曜のせいか、いつもよりは仕事の段取りにも余裕があった。

お陰で、いつもならまずあり得ない午前中の休憩などというものにありつき、ゾロは缶コーヒー片手にのんびり縁石に腰を下ろしていた。

そこへタイミングを計ったように携帯のベルが鳴る。

「――はい?」

『おう、ゾロかー? 俺だ、俺俺ッ!』

「・・・最近巷で流行の“オレオレ詐欺”なら間に合ってんぞ、ルフィ。バレてちゃ匿名性の意味ねぇだろうが」

珍しい時間の電話に、ゾロは眉目を寄せた。何かを暗示しているのか、そのすぐ横でレンが大泣きしているのが聞こえる。

『んなつれないこと言うなよー。大事な用なんだからよー』

「だったら下らねぇ御託並べてねぇでさっさと用件を言いやがれ。でなきゃこのまま切んぞ!?」

『だから待てって。ほれほれチビ・マリモン、泣くな泣くな。えっとな、今日の昼休み抜けられっか? できれば早めに』

出し抜けに、これまた珍しいことを言う。すぐ隣で泣いているだけに、レンに何かあったのかと勘繰ってしまいたくなるが。

「レンがどうかしたのか?」

『うんにゃ、どうもしねぇぞ?』

ゾロはこめかみにひとつ、青筋が浮かんだような気がした。これで仕事中だったら即行電話を切っていたところだ。
空いている方の手を握り締め、何とか怒鳴りだしそうになるのを堪える。

「・・・なぁルフィ、この電話は冷やかしなのか? 俺が普段忙しいこと知ってて、わざわざ茶々入れんのに掛けてんのか!?」

『まぁまぁ落ち着けって。そうじゃなくてだな、今日の昼休み、チビ・マリモン連れて忘れモン取りに行った方がいいと思ってよ』

「あぁ? 何も忘れたモンなんかねぇぞ!? これ以上ふざけんなら切んぞ!」

『1年前、寺に忘れて来たモンでもか?』

不意に真摯な低い声が耳元に届き、ゾロは一瞬どきりとした。

「・・・俺が、何を忘れたって?」

『そりゃいろいろだな。笑う方法は取り戻したけど、自分の根っこにあるホントに大事なモンは、まだあそこに置きっ放しじゃねぇの?』

「・・・・ッ!!」

ゾロは咄嗟に声が出なかった。

ふと脳裏に、桜山で見たまっすぐで真摯な射抜くような黒い瞳を思い出す。

普段何も考えずに本能のみで行動しているような男なのに、どうして不意に相手の根底を揺るがすようなことを見抜くのか。

『どうすんだ? ここで行かねぇと、またずっと宙ぶらりんのまんまだぞ?』

「――判ってる」

そう――判っている。何が大切で、今後どうすればいいのか。

ゾロの心は、とうに決まっているのだから・・・。





住職の語りは、どこか他人事のように淡々としていた。
いや、だからこそそこに隠された痛みは、未だじくじくと血を流しているようにも思われた。

「くいなとたしぎは――ああ、これは女房の名前なんだが――血も繋がってないのによく似ててな。本人たちも双子のようだと笑ったもんだった。同じ道場で剣道やってたし、それまでのつき合いは長かった。結婚したのは俺たちのほうが早かったが、なかなか子供に恵まれなくてな。結局、後からまとまった奴らの方が先に孕んだってわけだ。まあ、その後すぐうちも授かったんだが・・・」

相槌を差し挟むことすら惜しい。

ナミは一言たりとも聞き逃すまいと、耳をそばだてて住職の話に聞き入った。

「隣町に、安産で有名な神社があるんだが・・・ここに、4月にガキが生まれたあいつらは、生後1ヶ月を祝う宮参りに来てた。当時たしぎは9ヶ月の臨月寸前の身重で、安産祈願のお守りを貰いに行ったんだ。でかい腹抱えてな。俺に一言言えばんなモンいくらでも取りに行ってやったのに、どうしても初めての我が子のために自分の手で受け取りたいって言い張ってな。それが、5月の『あの日』だ・・・」

住職は一度長く息を吐き、墓石を見つめた。そこに、くいなの面影を見出そうとするかのように。

「『あの日』は、5月にしては珍しく汗ばむほど蒸し暑い日だった。連中は丁度参拝を終えて、帰るとこだったらしい。そこへ入れ違うようにたしぎがやって来た。そのままだったんなら、あいつらとは擦れ違っていてこんなことにはならなかったのに。なのに・・・一度駐車場まで行ったくいなが、何を思ったのか取って返して本堂にいたんだ。そして、本当に帰ろうと思ったとこにたしぎが来て――貧血で倒れた」

(まさか・・・)

過去の記憶が触発され、自然に鼓動が早くなる。

「それって、まさか階段の――?」

「――そうだ、察しがいいな。参道を登りきった一番上・・・そこで、気が緩んだんだろう。たしぎはそこで倒れ、結果――落ちた。丁度帰ろうと境内を歩いていた、くいなの目の前でな。くいなも夢中だったんだろう、持ってたモン全部放ってたしぎに組みついたが・・・」

「間に合わず、一緒に転落した」

「・・・そうだ。剣道やって鍛えてるったって、所詮は俺らとはまったく違う女の細腕だ。そんな細腕で、身重の身体を受けきることなんざできるはずもなかったのに・・・理屈じゃなかったんだろう」

ナミは意識して息を吐いた。

ゾロがあんなにも動揺したのは、これと重なったからなのだ。

一度大切な人をこんな形で亡くしていたから、またも同じような場面に出食わして、全身の血が逆流するほどに恐れ動揺したのだ。

(だから、ゾロは・・・)

ナミの脳裏に、狂わんばかりに動揺したゾロの姿がありありと甦る。


“死んだかと、思った。・・・あいつみてぇに、また俺の目の前から消えちまうかと思った・・・。”


“俺は、あいつを守れなかった・・・気づいた時には、もう遅くて・・・間に合わなかった・・・。俺は、あいつを庇ってやることすらできなかった・・・。”


一度だって辛いのに、二度もそんな思いを抱かされ、ゾロの叫びは正に魂の慟哭だった。
ナミは目を閉じたまま、きつく胸元を握り締めた。

「・・・外傷はなかった。綺麗なもんだった。なのに、くいなの命はあの手を擦り抜けて逝っちまった」

「奥さん――たしぎさんは?」

「あいつは、辛うじて助かった。だが、母体に加わった衝撃がでか過ぎて、ショックでそのまま早産した。子供は何とか無事産まれたがな。だが、たしぎは病院のベッドから起き上がれるようになるまで、悠に2ヶ月以上かかった。途中で『事件』の顛末を知っちまったからだ」

おそらくそれは、ナミにとってもたしぎにとっても察するに余りある真実だったに違いない。

彼女は何度も自分を責めただろう。心の底から己の浅はかさを恥じ、幾度となく罵っただろう。


どうして身重の身体を推して出掛けたのだろう。
どうしてあんなところで貧血を起こしてしまったのだろう。
どうしてくいなが身代わりに死ななければならなかったのだろう。
どうしてくいなが死んだのに、自分がのうのうと生きているのだろう。


どうして、どうして、どうして――!


泣いても悔いても、流れ去った時は戻りはしない。枯れることのない涙に没し、たしぎは日々を呪ったに違いない。

責めて欲しかっただろう。指を差して大声で罵り、男の力で殴られることすら厭わなかっただろう。

なのに――。

「なのに、ロロノアは俺たちを責めなかった。いっそ思い切り責めてくれりゃ、たしぎも少しは救われたんだろうが・・・。それどころか奴は、自分自身ばかり責めてやがった。何でひとりで行かせたのか、何で一緒にいて庇ってやれなかったのか、とな・・・」

ナミは全身の震えを押さえるように、目を閉じて両腕で身体を抱きしめた。

「境内には、鞄と一緒に交通安全のお守りが落ちていたそうだ。おそらく、奴に渡すつもりだったんだろう・・・」

忙しく仕事に飛び回るゾロを案じた、くいなの思いやりの気持ちだったのだろう。

ゾロも生まれたばかりのレンと車で待ちながら、そんなことになるなど夢にも思わなかったに違いない。

「葬式には、顔を出せた義理じゃなかったが俺が行った。ロロノアは、目の前にいた俺を見ていなかった。いや、俺だけじゃなく周囲にいた者すべてが、あの時の奴にとって何の意味もなさなかったんだ。自らの痛みに気づけないほど、身も心もボロボロだったから・・・。それが、最後だ。以来、奴には会ってない――」

(誰が悪かったわけでもないのに・・・)

ナミは切なくて涙が出そうだった。
それが誰に対する涙なのか、ナミには判らなかった。




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(2004.04.24)

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