桜の花の咲く頃に −16−
真牙 様
「俺は先に戻るから、後は好きなようにやっていってくれ。ロロノアには・・・何も言えた義理はねぇな・・・」
住職は苦い溜息を吐き出すと、持って来た水入りの桶をナミに手渡し、元来た通路を戻って行った。
改めてくいなの墓前へと向き直る。
ここ1年近く、ゾロはここを訪れていない。
なのに、墓石周辺が荒れた様子は一切なかった。
それどころかきちんと花と線香が手向けられ、おそらくはここに日参している者の存在があることを物語っていた。
(多分・・・ううん、きっとたしぎさんね・・・)
推測に過ぎなかったが、おそらく間違いはないだろうとナミは確信めいて思った。
ナミはようやく墓前へと進み、持って来た花と火を点けた線香を手向けて手を合わせた。
サンジに貰った写真を幾度となく眺めたので、目を閉じれば瞼の裏にくいなの顔を思い浮かべることができる。
静かに目を開け、ナミは屈んだままゆっくりと墓石に語りかけた。
今そこに、くいなが座ってこちらを見ている姿を思い描いて。
「・・・こんにちは、くいなさん。初めまして、私ナミっていうの、よろしくね。って、亡くなった奥さんによろしくなんて言えた立場じゃないのかもしれないけど、そこはちょっと目を瞑ってもらえると助かるわ。・・・ホントはレンを連れて来ようかとも思ったんだけど、それはあなたに対してフェアじゃないような気がしたからやめたの、ごめんなさいね。あなたの息子は人見知りだって言われてるくせに、私には良く懐いてくれてるわ。実はこれ、密かに自慢なのよ」
何だか目の前のくいなが、少し拗ねたような気がした。
無論気のせいだろうが、ナミは続けた。
「私はここ半年のふたりしか知らないから、あなたといた頃と比べてどう変わったのかなんて判らないけど。それでも・・・あいつらと同じ時間を共有するようになって、私はとても楽しいわ。たまに、思い切りド突いてやりたくなることもあるけど。その辺はご愛嬌ね。あいつの朴念仁ぶりは充分知ってるでしょ? これでもいろいろ苦労してるんだから、振り回される私の気持ちも同じ女として察してもらえると助かるわ」
どうかしら、と肩を竦めているような気がする。ナミは薄く微笑んだ。
「私もね・・・3年前に母を亡くしてるの。だから、ゾロがあなたを失った痛みは、全部とはいかないまでも理解できると思ってるわ。写真で見たから、直接出会っていなくても私もあなたの顔を思い出すことができるし、話も聞いたから少しはあなたが判った気がするの。・・・図々しいって怒らないでね。でも、これが今の正直な気持ちなの」
とんでもないわ、と首を振っているような気がする。ナミはひとつ頷いた。
「私たちは今生きてる。そして、これからも生きて行かなきゃならない。あなたを忘れないことと、これからも生きてくことは別だから。だから、その辺を酌んでもらえると凄く助かるんだけどね」
ふと、風もないのに水入れに差した花が揺れる。
「――そうそう。ひとつ、文句を言ってもいいかしら!? レンは小さいからまだ許せるけど、あのゾロのセクハラはどういうこと? あんな男野放しにしといたら、世の女性たちに危険が及んでどうしようもないわよ? ふふふ、鎖で繋いでやりたいわよね〜。自ら進んで貸しばかり増やしてくれるから、今に破産宣告されやしないかなかなかやきもきしてるとこよ?」
何気なく花びらを突つく。ナミの無礼な言い草に恥らっているようだ。
「でもね・・・でも、心底いやなわけじゃないの。こんなにほだされちゃうなんて私も思ってもみなかったから、正直自分でも驚いてるの。その辺も解ってもらえると嬉しいわ」
核心に近づくにつれ、ナミの口調が一言一言噛み締めるような言い方に変わる。
ナミはひとつ息を飲み込んで、そっと墓石の表面に触れた。
「・・・私は今でも割と幸せだし、これからも自分だけは幸せになる自信が結構あるの。ね、これってお得でいいことだと思わない? 少なくとも私の傍にいれば、この幸せをお裾分けしてあげることができるんだから。もちろん、その栄誉をあげる相手は選ばせてもらうけど。だからね・・・」
一度目を伏せ、再度開く。力強い、意志を宿したヘイゼルの瞳で。
「だからふたりを――レンを含めたゾロを、私に頂だい。もちろん今のゾロが、あなたの記憶があって成り立ってることを、私は充分知ってるわ。ふたりは私の命のある限り大事にするから・・・あなたの想いも一緒に、抱えて抱きしめてずっと生きてくから。だから・・・ふたりを全部、残さず私に頂だい・・・」
くいなが、溜息混じりに笑ったような気がした。無論、ナミの独りよがりに過ぎないのだろうが。
それでも――言いたいことは全部言った。
(綺麗な思い出になんかしてあげない。あなたもベルメールさんも、いつまでもここに生きてるんだから)
ナミはさも当然だと言いたげに、轟然と逸らした豊満な胸元をぽんと叩いた。
「じゃあ、今度来る時はゾロとレンも一緒だから期待しててね。心配しないで、首根っこ掴んで引きずってでも連れて来るから」
空になった桶を取り、ゆっくりを背を向ける。
――と、不意に背中をとん、と押されたような気がして、ナミは驚いて振り返った。
(くいなさん・・・!?)
くいなの墓標は黙して何も語らないが、言いたいことはすべて伝えた。
そしてまた、彼女の言い分もほんの少し判ったような気がした。
空の桶を返すべく本堂へと回る。住職は本堂内に上がる階段の途中に腰掛け、宙を見つめて葉巻をふかしていた。
「あ、これありがとうございました。お返しします」
「ああ、その辺に置いてくれ。・・・時に、ロロノアは息災か?」
負い目がある手前、よろしくと言えない住職の言い方は自然とそうなる。ナミは苦笑しつつも明るく答えた。
「ええ、豪快な子育てでレンを振り回して、その上態度もビッグなセクハラマリモ大王になってますよ?」
「・・・ほう? お前さんがセクハラされてるのか? まあ、黙っていいようにされるタマには見えんが」
「――ご住職なのに、何気に失礼じゃありません?」
初対面にも関わらずあまりの言われ方に、思わずナミの声が低くなる。住職は梟のようにくつくつと笑った。
「人を見る商売をやってたからな。まあ、今も大して変わらんが」
「転職されたんですか?」
「ああ、つい1年前まで――」
不意に境内の敷き砂を踏む音がし、ふたりは何気なくそちらを見た。
その姿を認めた住職の表情が凍りつき、呆気に取られた口許からは知らず葉巻が落ちた。が、住職はそれすらも気づかない。
ナミも驚いた。今日ここに来ることは誰にも言っていなかったはずなのに――そう思いかけ、ひとりだけ知っていた男を思い出す。
(ルフィ、何で・・・)
話の筋道が見えて来ない。
ナミは言葉を失ったまま、目に前に佇む男と幼子――仕事着姿のゾロとレンを見つめた。
「スモーカー・・・? なんであんたがそんな格好でここでいるんだ?」
たくさんの思いと疑問が交錯していた中、沈黙を破ったのはゾロの的外れな問いだった。
「ああ・・・そうじゃねぇな、久し振りって言うのか。ってナミ、何でお前までここにいるんだ?」
「それはこっちの台詞よ。仕事中でしょうに、何でレンまで連れ出してこんなとこにいるわけ? 今まで月命日なんて来たことなかったくせに」
「いや、俺は忘れモンを取りに来ただけで・・・ナミこそ何しに来たんだ?」
「あんた、バカ? お寺に墓参り以外の何しに来ると思ってんのよ」
正論だが、ゾロが聞きたいのはまた別のことだった。
どれから質問していいのか戸惑っていると、不意に階段に座っていた住職が口を開いた。
「・・・久し振りだな、ロロノア」
「ああ、スモーカーも元気そうで何よりだが・・・それよりあんた、何でそんな坊主姿なんだ? 教職はどうしたんだ? 確か隣町で高校の教師やってたろ?」
過去の情報と照らし合わせるようにゾロが言うと、住職――スモーカーは思い出したように新しい葉巻に火を点けた。
「去年辞めて、こっちを継いだ。もともと親父の家業だ、俺が継がなきゃ寺が断絶して檀家が泣くからな」
あの事故を境にそうしたことは、事情にあまり通じていないナミの目から見ても明らかだった。
スモーカーは何気なくゾロの腕に抱かれたレンを見つめ、険しい目元をふっと綻ばせた。
「大きくなったな。お前さんのとこのは、確か男だったか。ああ、緑の髪と瞳でお前に良く似てるな」
「そういや、あんたのとこはどっちだったんだ? もうとっくに産まれたんだろ? たしぎも元気なのか!?」
ひとつひとつ確かめるような会話が続く。ナミは黙ってそれに耳を傾けた。
「産まれたのは娘で、とりあえず今は両方元気だ。お前さんには、申し訳ないくらいにな・・・」
「もしかして、まだあいつのことを気に病んでるのか?」
何気ないゾロの言葉に、スモーカーの肩は目に見えて跳ね上がった。
「――そうか。俺がもっと早く、ここに来りゃ良かったんだな。たしぎが会いたくねぇだろうって勝手に理由こじつけて、俺が尻込みしてたから」
「いや・・・出向かなきゃならんのは、俺たちの方だった。お前に会わせる顔がなくて、今の今までどうしても訪ねて行けなかった・・・」
どちらも己を顧み、相手を顧み、結果動けなくなっていたとも知らずに。
スモーカーはじっと言いあぐねていたが、やがて意を決したように視線を上げた。
まっすぐにゾロを見つめる。
「・・・人ひとりの命を奪っといて許しを乞えた立場じゃないが、敢えて言わせてくれ。ロロノアよ、俺をどれだけ罵っても殴っても構わんから、せめてあいつを――たしぎを許してやってはくれんだろうか!? 俺たちにとってこれ以上ない都合のいい言い草だが、今だ辛そうな顔をするあれを見るのは忍びない」
「そうか・・・」
「きゃーう」
ゾロは誰にともなく呟き、抱えていたレンの頭を撫でる。レンはご機嫌で声をたてて笑っていた。
その顔をじっと見つめていたゾロは、ややあって呟くように、しかしはっきりとした口調で言った。
「・・・ひとつ、条件があるがいいか?」
「ああ、何でも言ってくれ。俺にできることなら何でもしよう」
「じゃあ、言おう。それは、あいつを――くいなを、忘れないでやって欲しいってことだけだ」
「な・・・に?」
「辛いとか悲しい記憶に引きずられるんじゃなく、共に過ごした優しい時間も確かにあったんだと、その想いをずっと抱きしめていてやって欲しい。俺はもう、大丈夫だから・・・だからもう、これ以上苦しんで思い悩まんでくれ。それが、俺があんたらに望むことだ・・・」
そう言った瞬間、ゾロは今までに見たことのないくらい優しい笑みを浮かべた。
はっきりと言い切るゾロの視線がさり気なく自分に向けられていたことを悟り、ナミは知らず朱が上る頬を止められなかった。
スモーカーは頭を垂れたまま、ずっとその顔を上げなかった。厚く逞しい肩が小刻みに震えているのを見、ナミは掛ける言葉が見つからなかった。
ゾロはまた来るとだけ言い残し、ナミを見て軽く顎をしゃくった。
「それにしても驚いたわ。どういう風の吹き回し?」
境内の敷き砂利を抜け、参道の桜並木まで来ると緊張の糸が途切れ、ナミは大きく息を吐いて疑問を口にした。
本当にそうだ。今までたしぎに会うことを恐れ、ここに来ることを散々躊躇っていたのに。
「あー・・・いろいろだな。俺だって、あれこれ思うとこがあんだよ、悪ィか」
「悪かないけど、はっきり言って気持ち悪いのよ。そういう慣れないことされるとね」
何気に失礼な言い回しだが、よくよく考えてみればルフィの忠告に素直に耳を貸した時点で、今回のこの顛末は決まっていたのかもしれない。
「ま〜?」
「あんたも災難だったわねー、レン。いきなりこんな時間に外に連れ出されて」
ちょいちょいと頬に触れる。レンはくすぐったそうに笑って喜んだ。
ふとゾロの横顔を見上げる。
淡々とした表情を見て、今日ここで聞いたことをそのまま黙っているのもフェアじゃない気がしたナミは、やがておずおずと口を開いた。
「えっとね、ゾロ・・・その、私、いろいろご住職から聞いたの。くいなさんの事故のこととか――全部」
「――そうか」
動揺するかと思ったが、意外にもゾロは静かな表情のまま桜並木を見つめていた。
「それで、いいの?」
「あぁ? 何が?」
「その、スモーカーさんやたしぎさんのこと・・・逆に責めてあげた方が、あの人たちも少しは気が晴れたんじゃなかったかなって思って」
人は本能で、自分より他人に責められた方が楽になれることを知っている。
その時は辛い涙に没することになっても、いち早く立ち直るきっかけを掴むことができる。
それも承知の上で、この男は何も言わなかったのだろうか。
そんなナミの心配を見透かしたかのように、ゾロは半ば目を伏せるように微笑んだ。
「今更、だからな、何もかも。今ここで改めてスモーカーやたしぎを責めても、生乾きになったあいつらの傷をまた抉るだけだ。それに・・・言ったろ? 俺はもう、大丈夫だって。だから・・・もう、いいんだ・・・」
「おー?」
身体を捩ったレンがゾロの頬を叩く。それはまるで、幼いながら懸命に慰めているようにも見えた。
「たしぎには、また日を改めて会いに行こうと思ってる。暇だったらお前もつき合えよ?」
「それもまた失礼な誘い方ね。いいけどね、別に。でも、私のレンタル料は高いんだからね、覚悟してなさいよ!?」
「へいへい、今度は何倍だ?」
ゾロは不思議と心が澄み渡り、揶揄するだけの余裕があっさり出て来たことに少し驚いていた。
そしてそれが、誰のお陰であるのかも不意に腑に落ちたことから解っていた。
(そういえば――)
ゾロも、初めにここに来た時にすぐ感じた疑問を、ようやくナミに投げかける。
「お前こそ、いきなりくいなの墓参りに来るなんて一体どうしたんだ? もしかして、お袋さんの代わりか?」
「それじゃ年齢的にくいなさんに失礼でしょ。んん、セクハラ大魔王な大ゾロ子ゾロをどうにかして下さいってお願いしてたのよ。特に世の女性の敵の大ゾロを、どう迎え撃てばいいかってね」
「・・・あんなこと、誰彼構わずやるかよ」
ゾロはナミの前を歩きながらぼそりと呟いた。
「え? じゃあ何? もしかして私にだけ、あんなにやりたい放題やってくれてたわけ? ちょっと、えらく私のこと安く見てくれたもんだわね。エロマリモの正体ここに見たりだわッ。あんたって思い込んだら、絶対ストーカーに走るタイプでしょ!?」
「別に安く見てるわけじゃねぇし、第一誰がんな面倒臭ェことすっかよ。やるなら正面からやった方が、よっぽど手っ取り早いし効果的じゃねぇか」
肩越しに少しだけ振り向いた横顔がニヤニヤ笑っている。ナミは激昂した。
「ちょっと、今思いっ切りバカにしたわね!? も〜、そんなこと言ってると総額倍増しにして、今すぐ払ってもらうわよッ!!」
「――ああ、判った」
不意にゾロは立ち止まり、軽く肩を竦めてポケットに手を入れた。
その手が何かを掴み出し、そのまま後ろ向きにナミへと放る。両手に収まるくらいの物体を、ナミは慌てて受け取った。
「もうッ、いきなり何すんのよ。危ないじゃな――!」
唐突な行動に文句を言いかけ、掌に収まった「物」を見てナミの思考は一瞬にして止まった。
ゾロが何気なく放って寄越した物――それは、ビロード張りの小さなケースだった。
どきん、と心臓が一際大きな音を奏でる。
頭の中が真っ白になり、今自分が置かれている状況がまったく把握できなくなる。
(何、これ・・・?)
恐る恐るケースを開けて見る。そこには、中央に深い緋色のルビーをあしらった指輪が収められていた。
鼓動が更に高まる。知らず知らずのうちに頬に朱が上り、いつしか顔中が真っ赤に染まる。
「ゾロ・・・これ・・・?」
蚊の泣くような声で何とか呟く。背を向けたままゾロは、意味もなく乱暴に翡翠色の頭をがりがりと掻いた。
「――やる。いらなきゃ捨てろ」
(捨てろって・・・だって、これ・・・?)
心臓の音がやけに耳につく。喉が干上がって、上手く言葉が出て来ない。
ナミは幾度となく、ゾロの背中と手の中のそれを見比べた。
(不意打ちだわ――)
まさかこんな場所で、この無骨な男がこんな手段に出るとは思わなかった。
こくん、と必死の思いで息を呑む。ナミは、いつしか細かく震えの止まらない身体を何とか鼓舞し、ようやくの思いで口を開いた。
「ゾロ・・・これ、どういう意味・・・?」
「だから、その・・・一種の、礼だ」
「――ホントに? ホントに、それだけなの・・・?」
本当に、言葉通りの意味なのか。それとも隠された真意が、ひっそりとそこに存在するのか。
心臓が早鐘を打ち、頭の中が真っ白で何も考えられない。それでもゾロの真意を問い質さずにはいられず、ナミは同じ言葉を繰り返した。
「ねえ、ゾロ! ホントに、それだけの意味なの!?」
目尻に浮かんだ涙のせいで語尾が震える。半ば叫ぶような口調だった。
「・・・あぁ、もうッ!!」
ずっと掻きむしるように頭に手をやっていたゾロは、やがて観念したように一気に振り返った。
そのまま片方の腕でナミを抱き寄せる。
一瞬見えたゾロの顔は、耳はおろか首まで真っ赤に染まっていた。シャラン、と左耳の三連ピアスが鳴る。
ゾロは片腕できつくナミを抱きしめ、耳元に落とした唇が熱い吐息を伴ってその囁きを紡ぎ出した。
短いが、決定打とも言えるたった一言を――。
「ナミ・・・俺と――結婚してくれ・・・!」
「――――ッ!!」
思わず息が止まる。
耳元に熱い声音で囁かれ、ナミは雷に打たれたように一気に全身硬直した。
囁くような声音だったにも関わらず、ナミの耳には大鐘を鳴らすような重みを持って響いた。
(ゾロ、今・・・何て言ったの・・・? 私に、結婚してくれって・・そう言ったの・・・?)
聞き間違いなどではない。
ゾロは、確かにその口で囁いた。
これからの人生を共に歩んで欲しいとの意味を込めた、何よりも重い一言を――。
それはナミの中で、徐々に全身へと広がって行った。
熱く流れる血潮と共に身体中を駆け巡り、いつしかナミは甘い眩暈に翻弄されていた。
不意に笑いが込み上げる。
まったく、これがゾロたる所以なのだろうが、言葉にしても態度にしても受け取る側としては堪ったものではないのに。
「・・・ナミ?」
「――もう、あんたってば段取り省略し過ぎ! こういう時は『好きだ』とか告白して、その上で『つき合ってくれ』って先に言わない? それなのにゾロってば、何で全部省略していきなりプロポーズするかなぁ? それ以前に、私に好きな人とかつき合ってる人がいたらどうしようとかって思わなかったの?」
「あぁ? てめ・・・まさか、そんな奴いたのかよ!?」
「あんた、バカ? あんなに毎晩のように人んち来てて、そんな相手のいるいないくらい判らなかったの? いたらあんたみたいなしがらみだらけの面倒臭い男、とうの昔に門前払いで蹴り出してたわよ。あーあ、まったく・・・。こんなお人好しな女、世界にふたりといないわよねぇ?」
「おいナミ、てめぇ一体何が言いてぇ・・・!」
あまりの言われように、思わずむっとしたゾロがナミの顔を覗き込む。そして、そのまま息を呑んだ。
ナミは、泣きながら笑っていた。大粒の涙を指先で掬いつつも、それは今までゾロが見た中で最高に綺麗な笑顔だった。
「ナミ・・・その、俺は・・・」
「――いいわよ」
しどろもどろになるゾロの頬に軽く触れ、ナミはとびきりの笑顔で応えた。
「あ・・・?」
「いいって言ったの。ナミちゃんは優しいから、ゾロのその努力に免じて結婚してあ・げ・る。でも、粗末にしたら祟るからね?」
照れ隠しに精一杯悪態をついて見せるが、ゾロにはしっかり見透かされていたようだった。
何とも言えない表情で微笑むゾロは、ふとナミの耳元に手を添えてそっと顔を近づけた。
「――ナミ、ひとつ約束してくれねぇか?」
唇が触れるぎりぎりの距離で、不意にゾロがそんなことを囁く。ナミは間近でゾロを見つめ返しながら首を傾けた。
「・・・なぁに?」
「1分・・・いや、ほんの1秒でもいいんだ。絶対、俺より先に逝くんじゃねぇぞ? 遺されんのは、もう二度とごめんだ・・・!」
それは、怖いくらい切なる願いが込められた祈りの言葉だった。
ナミは深く微笑んだ。
「誰に言ってるの? 私は魔女なんでしょ? 魔女が、そう簡単に死ぬと思ってるの? それはお互い様よ。あんたが死んだら、私はさっさと新しい男捉まえて第2の人生豪遊しちゃうからね。だから、あんたもとっとと死んだら許さないわよ?」
無論、そんなことが意味のない約束だと解っている。
人は突然、何の前触れもなく呆気なく死ぬ時があるのだ。
それを知っていて、なおそう言い切るナミの想いの深さに、ゾロは改めて目の前の女を心の底から愛おしいと思った。
艶然とした微笑みにゾロは残りの言葉を呑み込み、静かに、だが深くその唇を塞いだ。
薄紅色の花吹雪の中、ふたりの吐息は甘やかに深く絡み合った。
そして――。
「あー! まー!!」
抱えられていたレンが、ふたりの抱擁の苦しさに堪らず暴れ出し、ゾロの横面にその小さな拳を入れたのは言うまでもない。
<FIN>
《筆者あとがき》
長丁場にも関わらずここまでおつき合い頂き、ありがとうございました。
書けば書くほど伸びるってどういうことよ?(汗)
展開にやきもきされた方も多かったことでしょう。
右往左往しましたが、ようやく落ち着くとこに落ち着きました。
いかがだったでしょうか?
前回の生殺しに、ちゃぶ台その他諸々をブン投げたくなった皆様。
どうかこれで溜飲を下げて下さい(笑)。
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(2004.04.25)Copyright(C)真牙,All rights reserved.
<管理人のつぶやき>
真牙さんの『Baby Rush』『Baby Rush2』の続編でございました。
時は桜の頃。子ゾロこと、レンが生まれて1年。つまり1歳・・・・産みの母くいなが亡くなって約1年です。
ゾロは生後1ヶ月のレンを無我夢中で育ててきました。悲しみを昇華する暇も無く。
しかしナミと出会って、ゾロは急速に立ち直っていく。「俺はもう、大丈夫だって。だから・・・もう、いいんだ・・・」という言葉にそのことが如実に表れてますね。
くいなの事故の原因について語られた15話は泣きそうになった。
「どうして、どうして、どうして!」というたしぎの苦しみが胸に迫ってきました(T_T)。
誰が悪いわけでもないのにね〜。人の死がもたらす爪跡は本当に大きい・・・。
ナミは底抜けに明るくて、図太くて、前向きで、行動力のある人ですね!
彼女がいるだけで場面が100ワットくらい明るく見えるよ(笑)。
ナミがいなければ、ゾロの立ち直りも、スモーカー夫妻との和解もなかったでしょう。
あと、今回大きな存在としてルフィがいました。彼のビビへの想いが原因で嵐を呼ぶことになりました(笑)。でも、よく分かってる男だ!ナミとサンジの件があったときも、ナミがくいなの墓に行くことも、何を言いに行くかも全てお見通し。こんな男に求められてるんだから、ビビが陥落するのも時間の問題だろうね。
プロポースシーンも素敵でした!いつもの貸し借りの話をしてたら突然ゾロがあんなことするんだもん!きゃー!なんか映像として見えたよ、このシーン!
ゾロ、ナミ、結婚おめでとうーーー!(まだ婚約だけどもさ)
さてさて、次は挨拶編らしいですよ。ゲンさん、どんな反応をするのやら(ぷぷぷv)。
みんなで催促いたしましょうね♪真牙さんの筆の進みが速くなるかもです(笑)
真牙さん、書いてくださって本当にありがとう!長編完結お疲れ様でした!!
真牙さんは現在サイトをお持ちです。こちら→Baby Factory様