桜の花の咲く頃に     −3−
            

真牙 様




素敵に無敵な暴挙に暴挙で返し、ナミの作った食事で3人は何とか事なきを得た。

今日はさすがにナミの気合いの入れ様が違っていたので、その量もいつもより半端ではない。
3人前は軽いゾロの胃を以ってしても、食卓が空になることはなかった。

「ねえゾロ、先刻気がついたんだけど、あんた煙草吸うの?」

骨つきチキンをレンの目の前にちらつかせていたゾロは、何気ない問いにナミを見た。

「あー・・・苛ついたり、気を鎮めたい時なんかたまにな。臭うか?」

「別に気になるほどじゃないけど、あんたから煙草の匂い感じたのって初めてだったから珍しいと思ってね。ふうん、傍若無人の塊みたいなあんたでも、一応ストレス鎮めるのにそんな方法取るんだ〜、ちょっと意外な感じ〜」

「人の気も知らねぇでよく言うぜ・・・」

「え、何が?」

「・・・何でもねぇよ」

ゾロはそれきりレンの方に向き直り、その話題に触れようとしなかったので、ナミもそれ以上追求しなかった。


あれからレンはまた料理の皿と格闘し、哀れ黒ウサギはクリームと料理の食べかすで完全な斑模様になり果てていた。

「あーあ、せっかくお風呂入ってお着替えしたのに凄い格好になっちゃって・・・」

「ああくそ、もういっぺん洗わにゃ駄目か」

「あーい、ぶー」

散々美味しい御飯を貰ってご満悦なのか、今日のレンは遅い時間になっても妙に元気だった。

「お風呂入れ直すんだったら、もう戻った方がいいんじゃない? 時間も時間だし」

何気なく時計を見ると、既に長針は夜更け近くを差している。ゾロは仕方なしに肩を竦めた。

「お、そうだ。それ、料理余ってんなら少し包んでくんねぇか? 明日の朝飯にすっからよ」

「ん〜? 別にいいけど。ちょっと待って」

ナミは余った料理を大皿にまとめながら、視界の隅にふたりを見ていた。

あまりの汚れ方に、ゾロはなるべく触れないようにレンを抱えている。
なのに、その努力を嘲笑うかのように、レンは無邪気にべたっとゾロの肩にしがみついた。
まんまと斑シャツ第2号にされたゾロは、眉間に皺を寄せて自分とレンとを交互に眺めて大仰に溜息をついている。

下手なコミックショーを見ているようで、ナミは思わず笑みが込み上げるのを止められない。

「ねえゾロ、そういえば何であんた子ゾロのこと、本名じゃなくて『チビ』なんて呼んでるわけ? 犬や猫じゃあるまいし」

「人のこと言えっかよ、お前だって『子ゾロ』なんて呼んでるくせに。まぁ・・・『レン』ってのは、くいながつけた名前だからな。あんま呼びたくなかったんだよ」

「――ふうん」

正直少し複雑だったが、ナミは自然を装って明るく言った。

「ん〜、でもさ、もうこの子も1歳になるわけじゃない? いつまでも変な呼び方してると、そっちで定着しちゃうわよ?」

「そうかぁ? 別にどうでもいいような気もするが・・・」

「良かないわよ、三つ子の魂百までよ? ――うん、決めた。誕生日も過ぎたことだし、せっかくだから今日から本名で呼んだげよう! ね、ゾロ、そうしよ!?」

「・・・しゃーねぇなぁ、呼びゃあいいんだろ、呼びゃあ」

「そうそう。ね、レン?」

ゾロの肩に張りついているレンの鼻先に触れ、改めて本名で呼んでみる。慣れないから、少しくすぐったい気分だ。

「――だとよ。あー・・・レン」

ゾロも一応声を掛ける。ふたりに注目され、レンはきょとんとして翡翠色の瞳をぱちぱちさせている。


「レ〜ン?」

「・・・・?」


「レンくん、お返事は〜?」

「・・・・!?」


「――もしも〜し、子ゾロ〜?」

「あ〜い、マーンマ〜」


「すっかり馴染んでんじゃねーかッ!!」



――どうやら本人にとって、呼び名は既に洒落では済まない段階になっていたようだった。





しっとりと空気が露を含んでいる。

肌に絡みつく気配にふと空を見上げれば、鈍色の雲間から絶え間ない雫が降り注いで来た。

「雨かぁ・・・桜散らなきゃいいけど・・・」

事務所の窓からふと裏通りを眺め、まだ若い桜の並木を見上げる。

「大丈夫なんじゃないですか? まだ5分咲きくらいですし、今週から来週くらいがきっと見頃ですよね」

ナミの立っていた出窓際に、お茶を持ってビビが近づいて来る。湯飲みをナミへ手渡すと、ビビは自分も身を乗り出すように出窓へ手を乗せた。

「ここの裏も、なかなかいい桜並木なんですよねー。ただ人通りがあるから、シート広げて花見ってわけにはいきませんけど」

「そうねぇ・・・」

出窓へ上半身を乗り出すビビの背中に、ポニーテールされた水色の長い髪がふんわりと零れ、ふっくらした臀部に陰を落としている。

ナミがグラマラスな体躯をしているのに対し、ビビは一回り華奢な肢体を持っている。
美人と言うより可愛らしいといった印象が強いが、芯の通った横顔は時折凛々しさすら見せることもあった。

ビビは3年前にこの事務所を開く際、求人広告を出した時に見つけたなかなか掘り出し物の人材だった。

「でも、雨に濡れる桜並木っていうのも、ちょっと乙なもので素敵ですよね!?」

「ん〜、そうね・・・」

生返事を返しながら、無意識に手が動く。その指先は、なぞるようにビビの背中から腰のラインを辿っていた。

「きゃあぁッ! な、ナミさん何するんですかぁッ!?」

一気に真っ赤になって身を翻し、背中を隠すようにナミに向き直る。ナミは冗談めかしてけらけら笑った。

「あはは、ごめんごめん。でも、ビビの後ろ姿見てたら、何だか急に触りたくなっちゃってねー。何となくだけど、ちょっとルフィの気持ちが判ったような気がするわ」

「ルフィ、さん? あの、子ゾロくんの保育士さんの・・・?」

「そう、そのルフィ」

少し思案して、先月されたセクハラの顛末を思い出したらしく更に頬を染める。

「あああ、あの人は、その、とっても失礼な人ですよ! 初対面の女の子に向かって、いきなりお尻触るなんてどうかしてます!!」

「ん〜、それもそうなんだけど、今なら私も触ってみたいかも。だって今ふと眺めてたら、ふわふわピンクのマシュマロみたいって思えちゃって。そういうのって、つい確かめたくならない? 可愛いって思ったら尚更よねぇ」

「ナ、ナミさんッ!?」

お盆で口許を隠し、ふるふると顔を振る。長い髪がふわりと揺れ、ますます可愛らしく見えてしまう。
男にかなり免疫のなさそうなビビは、ナミの言葉にすら目一杯反応してくれる。悪戯心が刺激されて堪らない。

「ビジュアル的にも充分イケてるし、私が男ならまず放っておかないわね〜♪」

「もう、ナミさんてばッ!!」

堪らず、真っ赤になったままビビが叫ぶ。

それを自分のデスクから眺めていたウソップは、視線を逸らすこともできずに硬直していた。

「・・・神よ、これはキャプテンたる俺への新たなる試練か? そうか、そうなのか!? 純情朴訥な俺に禁断の白百合の園を垣間見せて、一体どうしろってんだよぉ〜。勘弁してくれよ〜・・・。い、いや、俺だって充分ビジュアルもイケてるが、ここは家庭と妻子を持つ身、おいそれと誘惑に負けてる場合じゃねぇぜッ。おう、俺は理性と勇気でこれに打ち克つぜ、OK〜、グッジョ〜ブ俺様ッ!!」

「――ウソップ、寝言は寝てから言うものよ? 安心して、あんたの場合は観賞用じゃなくて100%実益で選んだんだから」

聞いていないとばかり思っていたのに、不意に鋭いツッコミが飛んで来る。
ウソップはナミの言葉をゆっくり咀嚼し、厚めの唇をへの字に曲げて口の中でぼやいた。

「ナミの奴、この俺様に何気に失礼なこと言ってねぇか!?」

「褒めてんのよ。中身も外見もからっきしって言われるよりマシでしょ? 正直言うと、ホントはどうしようかと思ったのよね〜。顔はイケてて仕事はペケなのと、外見はペケでも仕事はできそうなあんたのどっちを採用するか。今にして思えば、私の采配は間違ってなかったようだけど。だからウソップ、あんたは私に感謝して然るべきなのよ!?」

(ホントか、ココはホントに感謝するとこなのか!? いずれにしたって、全っ然褒めてねーよ・・・ッッ!!)

もちろん口に出して言えるはずもなく、ウソップは心の中で滝の涙を流した。





昼間降っていた雨は夜には上がり、周囲にひんやりとした夜露の気配を漂わせている。

そのせいか、目の前に見える商店街の街路樹と長い階段参道を持つ神社の桜は、霞を帯びて幻想的な風景画のような眺めになっていた。

ここの桜は種類も豊富で、八重桜もあるらしいので上手くすれば5月まで楽しめそうだった。

「いいなぁ、お花見。行きたいなぁ・・・」

誰にともなくナミが呟く。

ナミの住んでいるマンションは丁度南にある駅を臨んでおり、春先には自宅にいながら花見を楽しめるようになっている。
もっとも、引っ越した時にはそんなことには気づかなかったのだが。

今日の雨で少々足踏みしたが桜の開花は順調で、この陽気ならビビの言う通り今週来週辺りが一番の見頃になるだろう。

「週間予報では今週末天気良さそうだし、これだけ桜があるんだからちょっとくらいお花見したいわよねぇ・・・」

白ワインを片手に、ベランダの手摺に凭れて独白する。
敢えて「誰と」と言わないのは、意識してか否かは判らない。

紺青の空に春霞のヴェールを纏う月が浮かんでいる。

もうじき満月を迎えるいい夜だった。

ほろ酔いの頬に未だひんやりとする夜気が心地好かった。

――なのに。


そんな空気を一蹴する“それ”がやって来たのは、それから間もなくのことだった。


がん!


いきなり玄関のドアのところで、何かがぶつかるような激しい音がして、ナミはぎょっとしたように振り返った。

「・・・何、今の!?」

せっかく綺麗な月夜でいい気分に浸っていたというのに台無しだ。やや眉目を寄せ、訝しむようにドアを見つめる。

暫く見つめていたが、ベルが鳴る気配はない。

どこぞの酔っ払いでもぶつかったか何かしたのだろう。強引に納得し、ナミは再び月を見上げた。

途端に――。


ダンダンダンダン! ゴン!!


時計の針は既に10時近いというのに、近所迷惑甚だしい音が玄関で鳴り響く。

「な・・・何? やだ、こんな時間に一体誰が・・・」

女のひとり暮らしに、この無頼な所業ははっきり言って迷惑以外の何物でもない。
それ以前に、気味が悪い。

管理人を呼んだ方がいいかもしれない。

ナミは不安げに喉をひとつ鳴らし、それでも一応確認しようとそろそろ玄関へと近づいた。

そこに聞こえて来たのは――。

“マーンマ〜〜。”

“ほぅれ見ろ、チビ・マリモンだって呼んでんじゃねーか。”

“やかましい! これはただの条件反射だ、てめぇの出る幕じゃねぇッッ!!”

どこかで聞き覚えのある――いや、あり過ぎる声に、ナミは心持ち身体が傾いたような錯覚に捉われた。

“まー、んま〜? あー。”


かりかりかりかり。


“ほれほれ、必死に訴えてんぞ? 無視するなんてひでぇ父ちゃんだよなー、チビ・マリモン?”

“ぶー。”

“勝手に解釈してんじゃねーよッ! とにかく帰れ! こんなとこまでノコノコついて来やがって、てめぇは新手のストーカーかッッ!!”

“だぁから、ちょこっと教えてくれってんだよぉ。ケチケチすんなよ、別に減るモンでもねぇだろー?”

“てめぇが相手じゃ何だって減るわ! それに俺は知らねぇって何度も言ってんだろうが!!”


「・・・ルフィ? 何でルフィがゾロにくっついてここに来るわけ・・・?」

延長保育でも頼んだのかと思うには、喧々囂々と言い争うその様子があまりにも不自然だ。

しかも、どうしてゾロ宅ではなくナミの部屋の前にいるのか――疑問は尽きない。


“だああ、もう鬱陶しい! 帰れ、今帰れすぐ帰れとっとと帰りやがれッッ!!”

“うお〜! チビ・マリモン、お前の父ちゃん冷てぇぞ〜〜。”

“あう〜、マーンマ〜。”


いつまでたっても止みそうもない論争に溜息を漏らし、ナミは諦めて玄関を開けた。

「・・・いい大人が、他所の部屋の前でこんな時間に騒がないでくれる? 近所迷惑だし、変な評判立つの困るんだけど」

「ああっ! ナミ〜、このでかマリモ説得してくれよ〜。人がこんなに頼んでんのに、まったく取り合ってくんないんだぜぇ?」

「マーンマ〜」

「嘘つけよ! ごちゃごちゃまとわりついてただけだろうが!!」

「あー、はいはい。話は中で聞くから、取りあえず入って。風評被害はごめんよ」

大きくドアを開けて3人を招き入れる。
その際ゾロの顔を掠めた心底いやそうな表情に、ナミは吹き出すのを堪えるのに必死だった。




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(2004.04.09)

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