桜の花の咲く頃に     −6−
            

真牙 様




一夜明けて日曜日――その日は誰の行いが良かったせいか、暖かな上天気に恵まれていた。
ぽかぽか陽気に加えて風も穏やか、絶好の花見日和とは正にこのことである。

「わあ、今日はあったかくなりそうですよー。長袖ならTシャツ一枚でも良さそう」

「・・・そう? 私の体感温度がおかしいのかしら!?」

「どうかしたんですか、ナミさん」

「んんん、何でもないの。きっと気のせいだわ」

早起きしてビビとふたり今日のお弁当を作り終え、ベランダを開放して朝のコーヒータイムはなかなか気持ちが良い。

ビビがシャツ一枚で腕捲りまでしているというのに、ナミは上着が欲しい気分だった。

(いやだわ、風邪でも引いたのかしら)

大したことはなさそうなので、黙っておくことにする。それほど今日の花見は楽しみにしていたのだ。

「ねえビビ、こんな天気のいい日は何かいいことありそうな予感がしない?」

「ふふ、そうですね。きっと楽しいお花見になりますよ」

にっこりとふたりの美女が微笑みあう。サンジなどが居合わせたら、美辞麗句を山ほど並べる光景だ。


しかし、お互いの素晴らしい笑みの下にそれぞれに含みがあることなど、双方共に知る由はなかった。





地下の駐車場に降りると、そこには既にゾロが缶コーヒー片手に車に寄り掛かって待っていた。

「お早うゾロ、レン。早かったのね」

「お早うございます、ミスター・ブシドー。今日はよろしくお願いします」

「おぅ」

「マーンマ〜」

お弁当の詰まったバスケットを渡し、後部シートから転げ落ちそうになっているゴジラ姿のレンを慌てて受け止める。
ナミの抱っこにレンはご機嫌だ。

「あーう」

「物心ついて初めて見る桜でしょ。綺麗だから一杯見て来ようね〜」

「ぶー」

「んじゃ、そろそろ行くから乗れや」

ウソップたちは結局現地集合の待ち合わせとなっている。
楽しげに微笑むビビを尻目に、ゾロとナミの計略はもう始まっていた。





「ホント、いい天気ね〜。お弁当食べたら眠くなっちゃいそうだわ」

窓越しに流れて行く景色を眺め、ナミはすっかり春めいた街並みにうっとりしていた。

春はいい。春は好きだ。どこかうきうきして、何気ない日常の一コマさえ不思議と愛おしく感じられる。

「まー?」

ナミは大きなワゴン車の助手席に陣取り、更にその膝にはレンがスペシャルシートを得て満足げに張りついている。

本来はきちんとチャイルドシートに座らせなければならないのだが、ナミの姿が見えている限りえび反って大暴れし、座ってくれないのだ。
ふわふわ気分が増長されるのは、このふんわりした物体レンにくっつかれているせいもあるかもしれない。

「そういえばあいつは? どこで待ってるって?」

「ああ、奴ならほれ・・・あのコンビニの端に立ってんだろ」

ゾロの車に気づいたルフィは、真っ赤なパーカーに包んだ腕を千切れんばかりに振っていた。

本当に犬っころのような奴だ。ナミはひとり含み笑いした。

「おお〜う、待ってたぞ! なかなか来ないから、心配してたんだかんなッ!」

「時間通りだろうが。って待ってた? てめぇが? ・・・信じらんねぇ。園の催しモンでもいつも遅刻の常習犯だったのに・・・」

「楽しみにしてたかんな。目覚まし5個用意したんだぞ!!」

気合いは充分のようだった。それだけビビに会いたかったのだと思うと、ナミも自然に笑みを誘われた。

「ビビ、こいつがゾロの友人のルフィよ。一度会ってるから知ってるでしょ?」

「おぅ! よろしくな、ビビ! にしししッ!」

「ミスター・ブシドーの友人って、ルフィさんだったんですか!? ああ、保育園で会ってますもんね、なるほど」

以前のことは過去のことと割り切っていたのか、ビビの反応は穏やかだった。上々の滑り出しにナミはほっと胸を撫で下ろした。

「さあ行くぞ! 花見だ、宴だ、宴会だ〜〜〜ッッ!!」

「うるせぇ、静かに座ってろ」

「おうよッ!」

だがそこは後部座席。しっかりちゃっかりビビの隣。とても静かに座っていられるはずなどなかった。



「ふふふ、やだもうルフィさんたら、くすぐったいじゃないですか」

「そっかぁ? いいなー、この水色の長い髪。滝みてぇで涼しそうだし、やーらかくていい匂いだ〜」

どうやら肩に零れたビビの長い髪を一房絡め取り、もじって遊んでいるらしい。

なるほど、身体に触れるのがセクハラでアウトなら、髪程度のスキンシップは余裕でセーフということになる。
まあ、受け取る方の出方次第だろうが、今はおもちゃにじゃれつく仔猫か犬っころといった構図だ。

――それにしても。

ずっと後ろの会話を聞くともなく聞いていたゾロは、ハンドルを握ったままどんどん渋面を濃くしていた。
どうにも聞くに耐えないといった表情だ。

ナミもその変化の様子をつぶさに見ていたのでおかしくて堪らない。

「・・・なあナミ、後ろのふたり、どっかその辺に捨ててかねぇか?」

「――奇遇ね。私も今それを考えていたとこよ」

もともとルフィは人懐こいので、行き過ぎ気味の態度を許せればすぐに打ち解けられるお得な性格だ。

ビビもちょっと見方を変えてその辺を理解したのか――諦めたのかもしれないが――失礼な奴だと連呼していた刺々しさはもうない。

ないのはいいのだが――と、ナミの溜息は長い。

「バカップル丸出しだわ・・・」

「同感だ・・・」

「ま〜?」

極甘のシロップを直接喉に流し込まれたような錯覚を覚え、ふたりは既に気分的にお腹一杯になっていた。





ものの30分ほど走ると、目的の桜山が見えて来た。

先月来た時には気づかなかったが、今の時期になればさすがにこんもりとした山が一面薄紅色に染まっているのが見える。
なだらかな斜面に時折濃い紅色が混じり、不思議なアクセントになっている。
堂々たるその景観は、正に圧巻だった。

「うわ〜・・・綺麗・・・」

それは、今までナミが見て来た数々の桜の中で5本の指に入れていい眺めだった。あまりの景色に言葉が出ない。

その様子を横で見ていたゾロは、ここを選んで正解だったとひとり満足げに小さく頷いた。

「おーい、ナミー、ビビー、こっちこっちー」

「あら、ウソップたちの方が早かったのね」

駐車場に車を止めて荷物を用意していると、既に到着していたらしいウソップが階段の上で大きく手を振っていた。
どうやらカヤと娘を陣取った場所に置いて来て、自分はみんなが来るのを様子を見ながら待っていたらしかった。

なだらかな階段を少し上ると、大小様々な薄紅色の大群が一気に視界に押し寄せて来る。

その一際大きな枝垂桜の下に、カヤと娘はちょこんと座っていた。

「おおっ、これはまたキャプテン・ウソップ様の絵心をくすぐるワンシーン! おう、激写!!」

そう言いながら、ウソップは首に下げていた一眼レフのカメラでふたりの姿をカメラに収めた。

「うわ、凄いカメラ。ウソップってば、そんな趣味があったの?」

「ん〜、独身の頃から興味はあったんだけどな。娘が産まれてから、もうハマっちまってよ〜」

なるほど、娘の成長を追うのと元からの趣味が混在した瞬間、迷わずカメラを手にしていたというわけか。
もともと手先が器用なので、そういった作業はひどくウソップに似合っていた。

「おう、長鼻! こっちも撮ってくれッ!」

「お? いいぞほれ、こっち向いてチーズッ!」

カメラの先には、既に肩を組んでVサインを出しているビビとルフィの姿があった。

それは、ある意味珍しい眺めだった。

もともとビビは初対面の相手に少なからず警戒心を抱くタイプで、すぐに打ち解けられないのがタマに傷だ。
そこに信頼する相手が一緒にいればまだ違うが、それをあっさり看破するルフィもなかなか侮れない性格なのかもしれない。

「おらルフィ、てめぇも少し荷物持てよ」

「おう、悪ィ悪ィ」

レンはナミが抱っこしているので、キーを持つゾロは自然と荷物持ちだ。
お弁当の入ったバスケットと飲み物入りのクーラーを手に、ビビにまとわりつくルフィを睨んでいる。

いや、ゾロ本人はただ見ているだけという場合が多いのだが、如何せんもともと目つきが悪いのでどうしても眼光が鋭くなるのだ。

しかしそんな視線にめげもせず、ルフィはさっさとクーラーボックスを担いだ。
ご機嫌モード全開の今日のルフィに、怖いものなどあるはずもなかった。





時折花びらの舞い散る桜山には、休日ということもあって他にも家族連れやグループが飲めや歌えの大宴会を繰り広げている。

ナミたちも例外ではなく、缶ビールを片手に踊りだしたルフィは既に止めようのない状態だった。

「レンも大概可愛いと思ってたんだけど、女の子ってのもまたいいわね〜。リボンつけてひらひらで」

「そっか〜? そうだろそうだろ、もっと褒めてくれ〜」

子供のことになると親馬鹿になるのはどこも同じようで、ウソップも例外ではなく愛娘を前にでれでれだ。

「でもナミさん、この年頃で着ぐるみのお尻フリフリっていうのも、ぬいぐるみみたいで食べちゃいたいくらい可愛いですよね」

「マーンマ〜?」

「ししし、ゾロ親父の立場ねぇなー。ここに来てからチビ・マリモン、ずっとナミにくっつきっぱなしじゃんよ!?」

「・・・うるせぇ」

ゾロは憮然としてビールを飲んでいる。

シートの上に料理や飲み物を広げて花見が始まってからというもの、レンはナミの周辺から片時も離れようとしなかった。
時折ゾロが奇妙な視線を投げているが、当の本人は痛くも痒くもないからどうしようもない。

「そのくらいの時期って、どうしても人見知りするんですよね。この娘もそうでしたから判ります」

おっとりとカヤが口を挟む。ミルキー・ブロンドの彼女はやはり可愛いタイプで、正直ウソップにはもったいないくらいの女性だった。

(美女と野獣だわ。あ、ウソップは野獣っていうよりもお笑いかしら。野獣は・・・モロにこっちよね)

何気なくゾロを見る。翡翠色の髪を持つ野獣は、黙々と飲んでいた。自他共に認める酒豪なので、ビール程度では水も同然だろう。

「レンは未だに私を『御飯をくれる人』って思ってるんでしょ。だから『マンマ』なんだわ」

「でも、子供にとってそれは本能みたいなものでしょう? ナミさんの美味しい御飯なら誰でも食べたいですよ、ねえ?」

ビビがレンの鼻先をつつきながら、さり気なくゾロを見る。ゾロは一瞬ピクリと頬を動かしたが、何でもないように視線を逸らした。


「そうだ。ミスター・ブシドー、前から不思議に思ってたんですけど、どうしてレンくんていつも着ぐるみなんですか?」

「あ、それは私も思った。それに、どの面下げて買い物に行くんだろうとかね」

「この面以外、他にどの面が行くんだよ。まあ俺が買い物に行くと、レン連れてっても店の販売員はどいつもこいつも揃って変な顔したけどな。あー・・・これだと着せるモンが、肌着以外一枚で済むだろ? そんだけだ」

「「「「・・・はい?」」」」

ルフィ以外の全員が耳を疑って聞き返す。ゾロはしれっとした様子で答えた。

「子供服ってのは、小さくてごちゃごちゃしてて面倒だろ? どんどんサイズ変わっちまうのに、いちいち買い換えるのも鬱陶しくてよ。これなら着せんのも洗濯も簡単だしな。新米親父の俺にしちゃ上出来だろ」

「おう、思い出した! だからお前、生後1ヶ月のチビにぶっかぶかのバルタン星人着せてたんかー、うひゃひゃひゃッ!」

「悪ィかよ」

(こいつの思考って一体・・・)

ナミは笑うに笑えなかった。ここまで突き抜けていると、いっそ褒めたくなってしまうから不思議である。

「ん〜ま〜?」

知らぬはゴジラ姿のレンのみだった。




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(2004.04.14)

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