海の見える丘にて      −10−
            

真牙 様




「・・・いつから気づいてたの?」

内容に加え、隠れてまでそこにいた気まずさから、問い掛ける言葉に自然と力がなくなる。

何気ないはずのゾロの視線が痛く感じられ、ナミは今更のようにいたたまれなくなっていた。

「・・・結構前からここに来てたろ。おっさんの話を立ち聞きするなんざ、ちといい趣味たぁ言えねぇな」

「立ち聞きするつもりはなかったけど、どう考えても私が出て行ける内容の話じゃなかったでしょ」

改めて話の内容を思い出したのか、一瞬ゾロの肩がピクリと反応する。

「あれは――」

「いいのよ。私、知ってたから」

何かを言おうとしたゾロの言葉を、ナミはいち早く遮った。

「あ・・・?」

「ごめんね、私知ってたんだ。ベルメールさんと血が繋がってないってことも、ゲンさんが父さんを快く思ってないことも・・・。そして、ノジコたちがそれを知ってて、私には必死に内緒にしようとしていたことも、ね」

「知ってたのか?」

「前に言ったでしょ? 聞いて欲しいことがあるって。んん、ベルメールさんもここにいるし、丁度いいからちょっと間抜けな昔話、聞いてもらおっかな」

持っていた大手毬の花を墓前に手向け、ナミは気丈な表情を作って振り返った。

ナミの懸命に明るさを装おうとする苦笑混じりの声に、ゾロは息を呑んで言うべき言葉を失った。
それを知ってか知らずか、ナミは淡々と他人事のようにかつての出来事を語り始めた。




「小さい頃はさして疑問にも思わなかったの。ベルメールさんは喜怒哀楽がはっきりしてて、隠し事なんてしない人だったから」

一見大雑把にも見える愛情表現は実は細やかで、そのさり気なさには大きくなってから気づくことの方が多かったのだが。

「最初は、小学校の男の子たちの口さがないからかい文句だったわ。ほら、子供って大人の話を聞いてないようで結構聞いてるでしょ? それを、小耳に挟んでたのね。・・・その子たちは言ったわ。『お前が母さんに似てないのは、ホントの子供じゃないからだ』って」

「それは・・・子供の喧嘩なら、一度は聞きそうな文句だな」

口調の鋭い子供ならではの、単なる挑発文句だったのかもしれない。
実際子供の喧嘩を見ていると、その舌鋒はあることないこと混ざり合い、混乱して辻褄の合わないことの方が多いからだ。

「うん。その子も、大した意味なく言ったんだと思う。実際、実の親だって一度くらい言うでしょ? 
『お前は、ホントは橋の下で拾ったんだよ』なんて類のきっつい冗談。・・・もちろん、ウチではそんなこと一度も言われたことはなかった。――当然よね、洒落にならないんだもの。冗談でした、では済まされないわよね」

乾いた笑みが口許に浮かぶ。
ベルメールが目の前にいたら、苦笑を通り越して渋面になっていただろう顔だった。

「だってこの超鈍感マリモ男のゾロでさえ気づいたことに、他の人が気づかないはずないと思わない?」

「・・・お前、何気に失礼じゃねぇか?」

「まあまあ、的を射てるからってキレないの。ホントのことは、耳が――何より心が痛いからね」

呼吸を整え、わざと冗談を交えて話が重くなり過ぎないよう注意する。
あくまでも過去のことなのだと、自分に言い聞かせるために。

「確かにゾロも言ってた通り、私たちには容姿の共通点はまったくと言っていいほどないわ。髪の色ひとつを取ってもね。好奇心の塊みたいな子供だったら、一度は興味を持たないはずないわよね」

無邪気さを装って執拗にベルメールたちを問い詰めたこともあった。
苦笑したゲンゾウは苦し紛れに言った。お前は、早くに亡くなった祖母に似ているのだ、と。

「ベルメールさんは怒ったけどね。何でそんな性質の悪い冗談真に受けて、下らないこと訊くんだって。自分たちの関係に不満があるのかって。ふふ、そんなものあるはずないのにね。子供なりの意地も手伝って、大アリだって啖呵切って家を飛び出したこともあるわ。行き先はもちろんゲンさんとこでね。ひどいこと言ったって後悔して、後でちゃんと謝ったわよ?」

「お前に、そんな殊勝なことができたのか」

「失礼ね。私だって自分に非があるんなら、ちゃんと反省して謝るわよ。あんたこそその自覚はあるの?」

言葉はとんでもないが、そこに含まれた空気はひどく柔らかなもので、ナミはささくれかけていた心が少し凪ぐのを感じた。

「でも、その件については後日談があってね。ベルメールさんたら、言い出しっぺの男の子んちに単身乗り込んでったのよ。しかも『ウチの娘に文句があるなら、この私を蹴倒してから行きな!』って、拳骨つきの物凄い剣幕だったらしいわ。ホント、とんでもない人でしょ」

「・・・それだけ、お前らが大事だったんだろ」

優しいだけの母ではなかった。
悪いことをすれば、拳骨くらいは日常茶飯事だった。

それでも、その後は苦笑しながら頬を崩し、その両手でしっかりと抱きしめて囁いてくれた。


“大好きよ。私はあんたたちが大好きだから。それだけは何があっても変わらないから。だから、忘れないで。”


それはベルメールの深い部分に根差した、芯となった想いに違いなかった。
何があっても、身体を張ってでもこの娘たちは他でもない自分が守るのだと――。

「だから、暫くはその件に触れるのをやめたの。思いが再発したのは、丁度中学から高校に変わる時だったわ。奨学制のとこだったから、いろいろ揃えなくちゃならない書類があってね。その時戸籍を調べたのよ。あれには・・・ちょっとヤラれたわ。謄本の方だったから、もう一目瞭然よねー。通常なら『次女』って書かれるとこに『養子』だもの」

騙されていた、とは思わなかったが、それでも言い尽くせない憤りのようなものが湧き上がるのはどうしようもなかった。

「それを見て暫く動けなかったけど、心のどこかで『やっぱり』とも思ってた。・・・その時の私、きっと少しどうかしてたのね。勢いで何も考えないまま、ホントの母さんのこと調べようとしたの。でも・・・」

「でも?」

「戸籍って不便よね。住所だけでなく本籍まで移されちゃうと、もうそれ以上役所関係では調べようがないんだもの。――そういうわけだから、父さんの、この町に来る以前のことは何も判らず終い。だから『バツイチ』ってのも通称みたいなもので、もしかしたらそれ以上の経歴があるのかもしれない。そう考えちゃうと、もしかしたらノジコとも血が繋がってないのかもしれない――そんな気持ちも、ないとは言い切れなかったわ」

「――それを、母親と姉貴には言ったのか?」

訝るような口調に、ナミは慌てて否定した。

「な、何でそんなこと訊けるのよ! 伝えられてないこと私が調べてたって言ったら、みんな悲しむに決まってるじゃない! そんなこと、口が裂けたって言えなかったわ!」

壊れるものなど何もありはしないと自負しているが、新たなわだかまりを作ってしまうかもしれないという不安はあった。
ようやく平和に過ごせるようになったのに、今更過去の古傷を抉り出して自らの手で混乱させたくはない。

その傍らでゾロは小さく溜息をつき、軽く肩を聳やかした。
何気ない仕草ではあったものの混乱した気持ちには変に気に障り、ナミはややむっとなって顔を顰めた。

「お前と姉貴を見てて、そこに確固たる絆ってモンがあるのは良く判った。多分、母親ともそうだったんだろうよ。そんくらい、俺でも想像がつくさ。・・・だがな、だからこそ、言うべきだったんじゃねぇのか? お前ひとりが未だに鬱屈してて、それでお袋さんが喜ぶと思うのか?」

「な、何よ! 判ったような口利いて! 私のこと、何にも知らなかったくせに!」

「まー・・・? ぶー」

突然出した大声に驚き、レンが不満そうな声を上げる。
それに思わずはっと我に返り、ナミは深呼吸して改めてゾロを睨みつけた。

「知らないくせに・・・私がどんな気持ちでいたか、全然知らないくせに・・・!」
絞り出すような声音だった。

ゾロはそれを真正面から静かに受け止め、諭すような口調でゆっくりと口を開いた。

「毎日一緒にいたって、お互い心が読めるわけじゃねぇんだ。言ってくれなきゃ判んねぇことの方がむしろ多いだろうが。楽観的に、前向きにって考えようと努力する、その姿勢にすっかり騙されたぜ。お前は、そうしなきゃ立ってられなかったんだな・・・」

「ゾロ・・・?」

一度目を閉じ、再度ナミを捉えるように開く。
そこにあったのは射抜くような見据える視線ではなく、心から慈しむ優しい想いが満ち溢れる静謐な瞳だった。

「悪かったな。今まで気づかなくてよ。俺も、自分のことで精一杯だったから・・・済まなかった」

「な、何でここでゾロが謝るのよ? そんなの関係ないでしょ? これは、過去の私自身の問題なの、今のゾロには接点のないことなんだからね?」

「けど、ひとりで全部抱えて心ン中に押し込んで、それでずっと我慢してたんだろ? ・・・きつかったろうによ」

「だからもう、それは昔のことよ。今はもう――」

平気だから、と言おうとした言葉は最後まで言えなかった。
不意に伸びたゾロの手がくしゃりとナミの頭を撫で、そのまま肩ごと広い胸に抱き寄せられたからだった。

「まー? マーンマ〜?」

レンの柔らかな手がペタペタと頬に触れる。
それがまるで「大丈夫か?」と心配されているようで、ナミは不覚にも涙が溢れそうになった。

「・・・今なら平気な顔して、血なんざ繋がってなくても家族にゃ違いねぇって言い切れんだろうが、そん時は15かそこらだったんだろ? 良く、ひとりで我慢したな。今まで、辛かったろ?」

「つ、辛くなんて・・・」

ふと押しつけられた額に、優しくも懐かしいリズムが響いていることに気づく。
それは、ゾロの生を営む力強い鼓動だった。

とくんとくんと途切れることなく続くそれに、ナミは不意に目尻に溢れた涙を止められなかった。

「もう、ひとりで全部抱えようとすんな。俺が半分、背負ってやるから・・・」

「・・・バカ。そんならしくない気障ったらしい台詞、歯が浮くわよ」

「おぅ。俺もちょっと寒い」

抱き寄せられているので顔は見えなかったが、おそらくゾロは見事なくらい真っ赤になっているに違いない。
泣き笑いのナミの頭を撫でるゾロの手は、小さな子供にするようにひどく優しかった。

ややあって、ポツリとナミが呟く。

「でも――ありがとね。知ってても、やっぱり改めて聞くとね。正直、ちょっと堪えた・・・」

「ああ・・・」


そんなナミの心情を表すかのように、今まで何とか曇天を保っていた空は、ここに来て大粒の雫を落とし始めた。

3人は慌ててみかん畑の中を通って家路を辿ったが、家に着く頃には辺りは土砂降りの雨に包まれていた。





全身濡れ鼠になって玄関へ飛び込んだ3人を見て、とうに戻っていたノジコは呆れたように目を丸くした。

「呆れた。天気を読ませたら百発百中のナミが、こんな天気の変化を予測できなかったなんてやっぱどうかしてるんじゃない?」

「猿も、木から、落ちることも、あるわよ。ああ、しんど・・・」

かなりの勢いで走って来たので、玄関に入ってからもなかなか呼吸が整わない。

ノジコには散々揶揄されたが、ナミはこの雨に感謝せずにはいられなかった。

豪雨とも呼べる量の雨に打たれ、更にここまで走ったことによりナミが泣いた形跡は完全に消されている。
自分が知っていることを、今更この家族に知らせる必要はない。

(その分ゾロが判ってるから、だから――)

だから、もう、いいのだ。これ以上、誰も気を揉んで頭を悩ますことはないのだ。

「あ〜、まー」

ゾロの腕でもぞもぞしていたレンが、不意に大きくくしゃみをする。ノジコは笑って、すぐ脇の洗面所からバスタオルを取り出した。

「あはは。ほらほら、こんなとこで油売ってると、チビ助が風邪引いちゃうよ? さっさと着替えさせてあげなよ。ついでにってのも変だけど、あんたたちもね」

「はいはい、ご忠告痛み入ります」

3人はそれぞれにタオルを被り、着替えを余儀なくされるほどの豪雨に感謝と苦笑の思いを馳せた。

「けど、凄い荒れ模様になったモンね。こんな急に天気が下るなんて思わなかったわ。予想では、あと数時間は持つと思ったのに」

「予報では、この雨今夜一杯止まないらしいよ?」

「うひゃ〜、移動が大変だわ。荷物を車に入れに行くだけでびしょ濡れになりそう」

風は大して吹いていないのだが、叩きつけるような雨量は地面からの跳ね返りでどうしても人間の足を濡らしてくれそうだ。

「・・・もう一晩、泊まって行けばよかろう」

不意に台所の方からゲンゾウの声がする。時折紙を捲る音がするので、新聞でも読んでいるらしい。

「で、でもノジコたちの予定も仕事もあるだろうし、こんな雨くらいで――」

「――この雨だからいやなんだよ。覚えてるでしょ? ベルメールさんが事故ったのが、こんな雨の日だったって」

「あ・・うん・・・」

忘れるはずがなかった。今でも鮮烈に覚えている。


秋だった。

収穫したみかんの出荷に出掛け、その帰り道で大雨にハンドルを取られた大型トラックに衝突され、瀕死の重傷を負ったのだ。

辛うじて、即死だけは免れた。
だが――それだけだった。
命に関わる重傷であることに変わりはなく、ベルメールはそれから数日の後静かに息を引き取った。


それを思い出したのか、外の雨模様とナミたちの顔を見比べるノジコの表情は固い。

レンの身体を拭いてやりながらゾロを見上げると、どっちでもいいという風に肩を竦めたので、ナミはその厚意に甘えることにした。

「わあ、ナッちゃんママ、今夜もお泊りして行くの?」

「わぁい、レンくんも一緒なんだねー。お着替えしたら遊ぼうねー」

「ぶー」

迫りまくられ追いまくられ、かなり豪快な遊ばれ方をされているレンは、未だ自ら双子に近づいて行けないらしい。
当然と言えば当然である。

ナミは苦笑しながら、凄まじい勢いで降りしきる雨を見つめた。


そうして着替えの済んだコアラ姿のレンを放せば、またも双子たちに追い回され、半泣きで逃げ回る姿が何とも哀れだった。

(やっぱり、子供に自分から寄って来るのを耐えて待つのを期待するのは無理か・・・)

娘ふたりという相乗効果も相まって、レンの気苦労はまだ終わりそうもなかった。





「この雨は、明日の明け方まで止みそうもないわね・・・」

ナミの言葉通り、雨足は夜中を過ぎても一向に衰える気配を見せなかった。
大窓に叩きつける雨音にふと目が覚め、ゾロはぐっすり眠るレンの顔を覗き込んで思わず表情を綻ばせた。

何気なく見ると、レンを挟んだ隣にいたはずのナミがいなかった。
腕を伸ばして布団に触れてみる。そこには既に微かな温もりしか残っておらず、当の本人が大分前に抜け出したことを物語っていた。

「・・・・・」

ふと感じた気配に、上体を捻って振り返る。
和室と廊下を仕切る障子の向こう側、大窓一枚分のカーテンを開けて座り込んでいる人影があった。
庭にいくつも設置された外灯の灯りで、その肢体がほんのり闇に白く浮かび上がっているようにも見えた。

(ナミ・・・?)

ナミはぼんやりとした様子で窓の外を眺めている。
今日聞いたことが脳裏に甦り、ゾロは片方の眉を顰めながら声を投げた。

「・・・どうした、ナミ。眠れないのか?」

「――え? あ、ああゾロ。んん、ちょっとね・・・」

「ちょっとって・・・お前、大丈夫か? 何か、顔色も少し悪ィみてぇだし、昼間雨に濡れたから熱でもあんじゃねぇのか」

「んんん、熱なんてないわよ。何でもないから、先に眠ってて」

さっと躱すように視線を逸らす。ゾロはその背中を見て眉目を寄せ、ゆっくりと身体を起こした。

「――もしかしなくても、まだ昼間のことが堪えてんだろ。だから、変なこと考えちまって、眠れねぇんじゃねぇのか?」

びくり、と細い肩が揺れる。
図星だったらしい。

「・・・過去のことは過去のことだ。どう足掻いたって変わりゃしねぇんだ。黙って受け入れて、自分の中の嵐をやり過ごすしかねぇ。だから――今はとにかく休め。そんな顔して考え込んでても、結論なんぞ出やしねぇぞ?」

ナミは黙ったまま動かない。
ゾロは大きく溜息をつき、意識していつものような軽口に切り替えた。

「何なら、レンみてぇに子守唄つきで添い寝してやるか? 聞くに耐えねぇだろうがな」

冗談めかして言ってみる。

すると何を思ったのか、ナミはひどく緩慢な動作で振り返った。
外灯の灯りが逆光になっているので、その表情までは窺い知れなかったが。

「ナミ?」

再度名前を呼んでみる。
それにつられたのか、ナミは吸い寄せられるようにゆっくりとゾロの傍にやって来た。

ふわりと甘い香りが鼻を掠めたと思った瞬間――ナミは自らゾロの腕の中に収まり、逞しい首にしなやかな腕を絡ませていた。
熱い吐息が首筋に当たり、ゾロは自分の奥に密やかな昏い欲望が目を覚ますのを感じた。

「何だ、今日はえらい積極的だな。だから雨が止まねぇのか?」

わざと揶揄するように言った言葉にも、ナミはまったく反応しない。
魂ここにあらずといった様子に、ゾロは訝しげに視線を下ろした。

「・・・ていいよ」

「あぁ?」

「抱いても、いいよ」

突然のナミの言葉に、ゾロは自分の思考が一瞬止まったような気がした。

「私を、抱きたかったんでしょ? 今なら、何をしてもいいよ・・・」

下手をすれば雨音に消されてしまいそうな呟きに、ゾロの腕に強張るように力が籠もった。




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(2004.06.01)

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