海の見える丘にて      −4−
            

真牙 様




「あ、あのねゲンさん、違うのよ。このバカ勘違いしてて――」

「勘違いも何も、子供がいるってことに違いはなかろう!? しかもバツイチだと? 女ひとり幸せにできんとは、男の風上にも置けん奴だ。不甲斐ないにもほどがあろう!!」

ゲンゾウにとって“バツイチ”にどんな先入観があるのかは知らないが、その剣幕たるや凄まじいものがあった。

ナミ自身もゾロの事情を知らなかった時、怒りに任せて似たようなことを叫んだ覚えがある。
後になってそれらはすべてナミの誤解であり、あまりにも言葉の足りない男に苦笑するしかなかったのだが。

「大体ひとりの女も幸せにできん奴が、のうのうとまた別の女にちょっかいを出そうという根性が気に入らん! まさかナミの優しさにつけ込んで、弄ぶだけ弄んで都合が悪くなったら捨てる気ではあるまいな!?」

「ちょっとゲンさん、それは言い過ぎ!」

「いいや、ノジコは黙っとれ! ナミは昔から優しい子だった。さり気なく人を気遣えるいい子だったんだ。そのナミがみすみす不幸になろうとしているのを、黙って見過ごすわけにはいかん! それではベルメールに申し訳が立たんじゃないか!!」

「「ゲンさん!!」」

いくらゲンゾウの言葉でも、惚れた男をここまで悪し様に言われてはさすがのナミも黙ってはいられない。
これ以上の悪口雑言を断ち切ろうと叫ぶと、それは偶然にもノジコの声と重なった。

それが綺麗にはもり、あまりにも声のボリュームが上がって驚いたのか、ずっと硬直していたレンがとうとう泣き出してしまった。

「んぎゃ〜〜ッ! マーンマ〜!!」

「ああ、ごめんごめん! 大きな声出したからびっくりしたのね。ほら、ゲンさんが怒鳴ってるから泣いちゃったじゃない!」

「わ、わたしは何も、その子のことを怒ったわけでは――」

「同じでしょ、抱っこしてるゾロに向かって怒鳴ってたんだから!」

横から手を伸ばしてそっとブチ猫頭を撫でると、レンは泣きながら身体を捻ってナミへと縋りついて来た。
こうなるとどうしようもないので、ゾロは黙って小さな身体をナミの方へ移動させた。

「まったく、こんな小さな子に向かって怒鳴るなんて、大人気ないおじちゃんよね〜、レン?」

「ぶー、う〜。んま〜」

豊満な胸にぺったりと顔を伏せ、ナミに抱きしめられて急速に静かになる。手馴れた仕草にノジコは笑った。

「あはは、父より女を選ぶか。将来どんな女ったらしになってブイブイ言わせてくれるのか楽しみだわ」

「わぁ、凄いねナッちゃんママ! あっと言う間に泣きやんだ。パパ駄目だよ、こんなにちっちゃい赤ちゃん苛めたら可哀相じゃない!」

「いっつも人に意地悪しちゃ駄目って言ってるくせに、何でこんなちっちゃい子苛めるの? そんなパパは嫌いだからね! ごめんなさいしないと、今日一緒に寝てあげないから!」

幼い娘たちの援護射撃はまるで容赦がなかった。
相手がゾロだけならばともかく、赤ん坊というところが彼女たちの保護意識に火をつけたらしい。

そう――幼くとも、“女”を敵に回すのは怖いのだ。

ゲンゾウにしてみれば、普段言い聞かせていることが身についているのは良かったが、こんなところで裏目に出るとは思ってもみなかっただろう。


ナミは窮地に立たされて困窮しているゲンゾウに苦笑し、すぐ脇にいたメルに持って来た箱を渡した。

「メル、これゲンさんの前に持って行ってあげて」

「わぁ、おっきい箱! 何が入ってるの?」

洒落たロゴの描かれた箱はふたつあり、小さな手が2回に分けてそれをゲンゾウの前に置く。

「ゲンさん、手土産よ。心行くまで食べて頂だい」

「わ、わたしを食べ物で懐柔しようとしても――も、もしやこれは!」

「隣街って言ったって、ここは有名だから知ってるわよね。けど、いくら好きでも、いい歳したおじさんがこんな物買いに行けないでしょう? しかも半分はこの春の新作よ? 思わず感謝したくならない?」

「ケーキが好きな一番高い砦って・・・ッ」

呟きかけたゾロは思わず噴き出しそうになり、ジロリと向けられたゲンゾウの視線に慌てて口許を押さえた。

(おっさんかよッッ!!)

爆笑したいのは山々だったが、ここはナミとゲンゾウの手前、ゾロは横を向いて大笑いしそうになるのを必死に堪えるしかなかった。

「パパ美味しそうなケーキ! エルも食べたい!!」

「メルも、メルもー! ねぇ、頂だい頂だい!!」

「判った判った。でも、一番はパパに選ばせておくれな?」

(パパ・・・このおっさん面でパパ・・・ッ!!)

二重の我慢に、ゾロは顔が紅潮するのが判った。ナミが幾度となく肘でつつくので、どうにか耐えているといった具合なのだが。

そうして3人はほくほく顔で箱に手を入れ、好みのケーキをがっちりゲットした。

あっと言う間に1個目を胃に収めたゲンゾウを眺め、ナミは清らかな天使の微笑みで小首を傾けた。

「――食べたわね? 感謝の気持ち一杯で食べたわよね? ありがたいでしょ、ゾロの気持ちの籠もった手土産は。今更シラは切らせないからね!?」

「ゲ〜ンさん、『優しくて、さり気なく人を気遣えるいい子』が連れて来た男からの、心尽くしのお土産なんだよ? 美味しいよね? いっつもあたしに買いに行かせるばかりで、自分で店に入れない人が他人をどうこう言えないと思うけどさ」

ニヤニヤした笑みを浮かべるノジコのとどめを喰らい、ゲンゾウは初めて孤立無援になったことを知った。

「お、男がこんなひらひらした装飾の施された店に、どの面下げて行けると言うんだ!」

「あら、ゲンさんてばアンモナイト級の化石な発言。ここは学生の男の子だって、根性入れてひとりでも来るほど人気があんのよ。知らないの? そもそもここのパティシエ、ゾロと同い年の男の人なんだけど」

「まったく、これで激烈な甘党だっていうんだから世話ないよねぇ」

喉の奥で唸るゲンゾウを尻目に、双子の娘たちの食べる勢いは凄まじかった。

何分子供のやることなのでお世辞にも綺麗な食べ方とは言えなかったが、零れたクリームを残さず舐め取ろうと奮闘する仕草はなかなか可愛らしかった。

「エル、メル、美味しい?」

「「うん、とっても! ありがとう、ナッちゃんママ、お兄ちゃん!」」

「――ですってよ、ゲンさん。この素直さは見習って然るべきだわね〜」

理屈だけでは動かない女子供に、所詮口で勝てるはずがないのだ。ゲンゾウは強面の顔を更に顰め、溜息混じりに唸るしかなかった。



「えーと、名前何てったっけ? レンくん? ちょっとノジコさんとこおいで」

別に持って来たパフ・ケーキを貰っていたレンに、何気なくノジコが手を伸ばす。
レンはナミとノジコを何度も見比べていたが、何かが違うと判断したらしくぱっと顔を伏せてしまった。

「う〜ん、手強い。人見知りの時期か。この様子じゃ、ナミも相当泣かれたでしょ?」

「あー、私は別に。最初に強引に子守頼まれた時も、そういや泣かなかったわね。だからレンが、あんなにひどい人見知りだなんて知らなくてさぁ。たまたま私が保育園に送ってったことがあったんだけど、仕事に行こうとしたら正に絶叫レベルで大泣きされてね。担当の保育士も、『ゾロん時の倍泣きやまなかった』って苦笑いしてたわ」

同意を求めるように顔を覗き込むと、レンは天使もかくやの満面の笑みで応えた。

「あー? んま〜」

「――ああ、だからか」

何かが腑に落ちたのか、不意にゾロが口の中で小さく呟く。

「ゾロ、だからって何が?」

「いや、お前が子供もいねぇのに子守上手かった理由がよ。そうか、ここの娘たちの面倒見てたからか」

「・・・あんた、そんな今更なこと、何を今になって言ってんのよ。知ってて私のとこに連れて来たんじゃなかったの!?」

「あん時は時間なかったし、管理人はそこまで詳しいことも言わなかったし・・・もしかしたら隠し子でもいるんじゃねぇかと――」

「いてたまるか!!」

鋭い一閃がひらめき、今日何度目かの拳がゾロの頭にヒットした。

「あははは、既に尻に敷かれてるって感じだねぇ。ま、この娘に勝てるって言ったら、ゾロの場合腕っ節のみと見たね」

遠慮のないノジコのコメントに、ゾロは心底情けない表情になった。




ようやく刺々しい雰囲気も和らぎ、土産のケーキを混ぜた昼食の席は和やかに進んだ。

「ねえねえ、お兄ちゃん力持ちだよね? 後でエルたちと遊んで!」

「うん! 最近パパ、メルたち重くなったって言って、高い高いとかしてくれないの。お兄ちゃんならできるよね?」

「あ? ああ、できるが・・・」

レンがナミの膝にべったりなので、おのずと手持ち無沙汰になっているゾロは、何かとまとわりつく双子の娘たちに少々面食らっていた。

今までの経験上、初対面の相手には必ずと言っていいほど怖がられていた。
鋭い面差しと切れ長の瞳、加えて無愛想な顔。ぶっきらぼうな性格も、それらを助長して憚らない。
ましてや子供は、今まで泣かれた記憶はあっても興味津々に寄って来られた覚えはなかった。

「ふふ、エルたちにまとわりつかれて面食らってるって顔ね」

「自慢じゃねぇが、今まで俺の顔見て逃げなかったガキはいなかったからよ。珍しいっつーか、物怖じしねぇっつーか・・・」

「当然でしょ? このゲンさんの顔を、生まれた時から毎日見て育った娘たちなのよ? ゾロ程度で泣くわけないじゃない」

同じ強面でも、ゲンゾウの顔には更に縦横無尽に走る傷が何本もある。それが、日焼けして歳相応に皺の刻まれた顔に、迫力の輪を掛けているのだ。

面差しが怖いゲンゾウと目つきまで怖いゾロでは、どちらがより有利で不利なのかこの面子では判別はつかなかった。



「むー」

ノジコの料理とパフ・ケーキで満足したのか、レンは次第に周囲に興味を移しつつあった。
初めて来た場所なので、物珍しさも手伝って余計に目がきらきらしている。

「ねえねえナッちゃんママ、エルたちにも赤ちゃん抱っこさせて!」

「う〜ん、そろそろ大丈夫かな。じゃあ、急に抱きついたり引っ張ったりしないでね?」

「「うん!!」」

双子の娘たちは好奇心満々の瞳で、ナミの膝から離れようとしないレンに近づいた。
それに不穏な空気を感じたのか、レンは一瞬怯んでナミの腕にしがみついたが泣きはしなかった。

「ん〜、まだ少し警戒してるみたいね。あんたたちがもう少し気長なら、自分から来るまで待ってろって言いたいとこなんだけどな」

「そういうモンなのか?」

「そうよ? 子供は好奇心の塊だからね、どんなに人見知りの激しい子でもずっと一箇所にいる子はいないものなのよ。だから気にせず放っておけば、そのうちレンの方が痺れを切らしてあちこち這い回って近づいてくはずよ」

「ほぉ、一度ここまで子育てやってる奴の言うこたぁ違うな」

感心しているのか、言うことが変に素直なゾロの言葉に、ナミは笑っていいのか気持ち悪がっていいのか複雑だった。

ふとレンの視線が一点に集中していることに気づく。レンの翡翠色の瞳は、あろうことかゲンゾウの顔をじっと見つめていた。

「どうしたの、ゲンさんが気になるの?」

「わ、わたしは何もしとらんぞ?」

明らかに狼狽するので、ナミは笑ってフォローした。

「んんん、おそらくゲンさんの顔に一杯ついてる傷痕とふさふさの髭が気になるんじゃないかしらね。周りに髭の人いないから」

「髭はともかく、傷痕は見慣れてるはずなんだがなぁ」

何気に不穏当なことを呟いてくれたが、ナミは懸命に髭のことを考えていたので、そのことについては追求しなかった。

そういえばサンジが顎のところに無精髭のようなものを残しているが、もちろんその程度ではゲンゾウに張り合うべくもなかった。

ゾロの顔を見て髭を思い描いてみるものの、若さのせいもあって到底似合うとは思えなかった。

「・・・人の顔見て何笑ってんだよ」

「ん〜ん、あんたの顔に髭を連想したんだけど、どうにも貫禄負けしてるみたいで駄目だわ。もっと歳喰わないと無理ね」

さらりと言ってのける言葉に、ゲンゾウが渋面に更に皺を刻んで呟く。

「――ナミ、それは言外にわたしが年寄りだと匂わせているのか?」

「いえいえ、とんでもない! ゲンさんはナイス・ミドルの渋〜い素敵なおじ様よ。でも、“父さん”て言っていい年齢だってことは確かじゃない?」

「あはは、それは否定しないけどね。それでもあたしが惚れ込んで口説き落とした相手だし、エルたちの父親だってことも間違いないさ」

あっさりと言い放つノジコの言葉に、聞いているゲンゾウの方がうっすら赤面している。
娘ほどに歳の違う相手との結婚を決めた、この男の覚悟やエピソードを聞いてみたいと思うのは、何もナミやゾロに限ったことではないだろう。

「その辺の話は、私も詳しくは聞いてないのよねー。ねえノジコ、今度じっくり聞かせてね♪」

「あたしは別に構わないけど――」

これ見よがしにノジコがゲンゾウに視線を振ると、ゲンゾウは慌てふためきながらノジコの口を塞いだ。

「だ、だ、駄目だ駄目だ! そんな話は絶対にいか〜ん! い、今はお前たちの話だろうが!!」

「私たち? いいのね、私“たち”の話で!?」

「―――ッ! こ、言葉のあやだ、間違いだ、前言撤回だ!!」

待ってましたとばかりのナミの鋭いツッコミに、ゲンゾウは更に慌てて額に噴き出す汗を止められなかった。

ノジコは心の中で呟く。

(『心優しいいい子』に言い込められてりゃ、世話ないんだけどねぇ・・・)

それもこれも、ナミを想うあまりの言動だと知っているノジコは、墓穴を掘りながらも必死の抵抗を試みるこの男に苦笑するしかなかった。 




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(2004.05.26)

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