海の見える丘にて      −5−
            

真牙 様




食事が一段落つき、一息入れたところでナミはゾロを隣室へと促した。
そこには仏壇があり、色とりどりの花と写真立てが無造作にふたつ並んでいた。

「ま〜?」

置いて行かれまいと、レンが必死に2本足で立ち上がる。

「あら、ここまで来れる? さあレン、根性入れて歩いてらっしゃい」

「ぶー。マーンマ〜」

ブチ猫の尻尾を掴んでむっとしていたが、やがてよろよろとナミたちの方へ向かって歩き出した。
右へ左へ大きく揺れるものの、レンの歩みは確実に成長していた。
その証拠に、襖まで直線で歩いたレンは一旦そこで横歩きし、襖が切れた段階でまたナミ目指して歩き始めたのだから。

「ん〜、上手上手! ちっちゃいなりに頭使ってんのね〜」

「何か、変な感じだな。ついこの間まで凄ェ勢いで這い回ってたのに、こうして小技使いながら歩いてるなんてよ」

顎を撫でながら、ゾロが感慨深く呟く。

この月齢の子供が、次に何をやらかしてくれるのか判らないだけに、そのひとつひとつが目新しくも感動的なのだろう。

「これからできることがどんどん増えるわよ。こうなると、待てなんて言ったって止まりゃしないから、道路だけは気をつけないとね」

「おぅ、判った」

肩を竦め、改めて仏壇へと向き直る。一枚は人物像も遠くピンボケだったが、もう一枚にはくっきりと赤い髪の女が写っていた。

「・・・これが、お袋さんか?」

「そうよ。ただいま、ベルメールさん。久し振りになっちゃってごめんね」

ナミはそう言って線香に火を灯し、写真に向かって手を合わせた。ゾロも同様に、レンと自分のふたり分の線香を手向ける。

写真の中のベルメールは、籠一杯のみかんを抱えて満面の笑みを浮かべていた。
丁度秋の収穫期だったらしく、背後にはオレンジ色の実がたわわに実ったみかんの木が、ふんわりとその身体を包んでいるように見えた。

「ふーん・・・どっちも全然似てねぇんだな」

「まあ・・・外見はね。あ、でも性格はノジコがそっくりよ? 気風が良くてお節介で、口喧しいけど情が深いの」

「ナーミィ、文句に困るコメントしないでよねー」

筒抜けだったらしく、やや照れたようなぶっきらぼうな文句が飛んで来た。

「それで似てるってんなら、お前だってそっくりだろうが。更に、守銭奴って項目がつくけどな」

「ベルメールさーん、こんな失礼なコブつきのバカマリモ連れて来ちゃってごめんね〜。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」

こんなはずでもどんなはずでも、ナミがゾロから貰った指輪を嵌めてここに来たこと自体が、既にかれらを受け入れた証拠になるのだが。

「後でお墓の方にも行きたいから、その時はつき合ってね」

「ああ、そうだな。近くで花でも買えるといいんだが」

「坂を上がる前にスーパーがあったでしょ? そこに売ってるわよ」

「花くらい、庭のやつを選んで切って行きなよ。今ならそこの、大手毬の花が丁度いいよ?」

そう言ってノジコが指差した先には、先刻潜って来たアーチ状の真っ白な大手毬の花が満開に揺れていた。

それはナミとノジコが幼い頃、ベルメールが気に入って植えてくれた花だった。
ふたりの成長を見守るように共に大きくなり、今では花の方も、春を迎える度に枝をたわわな花弁で包んでいた。

(ベルメールさん、私は元気だよ。セクハラばかりしてるマリモオヤジだけど、大事なところはちゃんと大切にしてくれる人なの。だから・・・いいよね? コブつきのやもめ男だけど、この人と結婚しても)

不意に入り込んだ風で、しなる枝に鈴なりに咲いている花がふわりと揺れる。
それはまるで、ナミの不安や心配を一笑の下に吹き飛ばしてくれたようにも見えた。

そこに在りし日のベルメールの姿が甦り、彼女は豪快な微笑みでウィンクしているような気がした。

――大丈夫。ナミを信じた人を、そのまま信じてやりな、と・・・。



「・・・ナミ、泣いてんのか?」

大手毬の花を見つめたままぼんやりしていたらしく、ゾロの声に思わずはっと我に返る。

目尻に指をやると少々湿っていたので、ナミは慌ててごまかすようにわざと大きめの声で言った。

「ん〜ん、そんなわけないでしょ。そう見えるとしたら、こんな面倒臭い男に捕まった自分の将来を憂えていたせいねッ」

「そっちかよッ」

ゾロも内心では判っていたのか、言葉の割に口調は穏やかだった。

「あー? まー?」

「ん? レン、何見つけたの?」

部屋の隅で何を悪戯しているのかと思えば、レンはそこにあった玩具の電子ピアノに夢中になっていた。

「ああ、普通に演奏したり、自動演奏でアニメとかキャラクターの曲が入ってたりするやつね。ちょっと貸してもらってもいい?」

「ナッちゃんママ、いいけどそれ壊れてるよ?」

「うん。まだ貰ったばかりなのに、スイッチ入れても音が出ないの。こないだエルが落っことしたから」

「違うよ。メルが蹴ったからだよッ」

「はいはいはい、あんたたちがそれぞれやったんだよ。結果壊れたの。そういった音の出る玩具好きだろうに、悪いねー」

ノジコの苦笑に、ナミも仕方ないなと肩を竦めるしかなかった。
曲にはならないだろうが、指先で物を押すことを覚えるこの時期に、こういった類の玩具は格好の遊び道具なのだ。
一旦気に入れば延々と鳴らし続け、周囲が耳を塞いで逃げ出したくなるほどに。

「壊れたって、まだこんなに新しいのにか?」

何を思ったのかゾロはそれを取り上げ、スイッチを入れていくつかボタンを押していた。案の定、音は鳴らない。

「う〜ん、接触不良でも起こしたのか、それとも不良品だったのかは判らないけどねー」

「――どら、ちょっと持ってろ」

そう言うとゾロは電子ピアノをナミに渡し、一度玄関から外に出た。
乗ってきた車の後部で何かを取り出し、がちゃがちゃと音を立てながら戻って来る。

それは、幅広のベルトにいくつものホルダーを通し、ドライバーなどの様々な工具を差し込んだゾロの仕事道具だった。

「ほれ、寄越せ」

「え? あんた電気関連の仕事って・・・おもちゃの修理もやってんの?」

「いや、これは単なる趣味の延長レベルで、専門で看板出してるわけじゃねぇから治んなくても怒んなよ?」

言いながらゾロは細いドライバーを1本咥え、双子の娘たちの頭を撫でた。

胡坐をかいた膝の上にピアノを乗せ、あっと言う間に裏蓋を外していく。簡単なようで複雑な内部は、とてもナミには判らなかった。

「ふ、ん・・・」

様々な配線を指先で辿り、細かい造りの隙間から覗き込んでいたゾロは、小さく頷いてそこへドライバーを差し込んだ。
何箇所か修正を入れ、最後に電池を一度外して嵌め込み直し、また元通り裏蓋を閉じた。

「これでどうだ」

再度スイッチを入れる。うんともすんとも言わなかったピアノは、再び軽快な音を奏でた。

「「お兄ちゃん、すっご〜〜いッ!!」」

きらきらと尊敬の眼差しを向ける双子に、ゾロは照れ臭そうに口許を緩めた。

「あー、ちと接触不良を起こしてただけだったんでな。何とかなって良かったわ」

「へぇ、ゾロにこんな特技があったなんてねぇ」

「誤解すんな。こっちはあくまで趣味レベルだから複雑な部品絡みだったらお手上げだし、俺の本職はまったく別だぞ?」

照れの入った言い訳は、既に娘たちには届いていなかった。

「凄いねぇ、お兄ちゃんおもちゃ博士だー」

「違うよ、魔法使いだよ」

すっかり心酔しきった二対の眼差しにこそばゆくなったのか、ゾロはナミに救いを求めるように視線を振った。
その様子がおかしくて、ナミはくすくす笑いが漏れるのを止められなかった。

「へええ、器用なモンだねぇ。趣味でそれだけできるんなら、本職はかなりの腕なんだろうねー」

「あー、そんな大したことはないが、一応一通りは何とか」

ノジコのにんまりした表情には、言外に別の依頼を含んでいるように感じられた。

「・・・何かあるんなら、俺で良ければ見るが?」

「悪いねー、催促したみたいで!」

(その一言を待ってたくせに・・・)

この場合どっちに味方したものか、ナミは何となくいいように利用されるゾロに同情を禁じえなかった。




「んむ〜・・・」

「あらレン、お腹が一杯になったからもうおねむ? しょうがないなぁ、パパこき使われてるから私とねんねしようか」

「おぅ、悪ィが頼むわ」

車に乗せっ放しだった小振りの脚立まで取り出し、ゾロは洗面所へと駆り出されているところだった。

(我が姉ながら、初対面の相手にいい根性してるわ)

今でこそナミも何かにつけてゾロを顎で使ったりするが、知り合った当初は本当に世間話をする程度だった。
やはり結婚して子供を生むと、ここまで根性の座るものなのかと、ノジコの態度には別の意味で感心してしまいそうだ。

「ナミ、チビ助眠いのか? 布団用意してやるか?」

「ああ、そこの長座布団2枚くっつけてタオルでも被せてくれればいいわ」

膝に対面で抱き寄せ、縁側に座ってお昼寝の体勢になる。

そこへ、初めてレンに対して気遣いを見せたゲンゾウの態度に、ナミは少なからず驚きとくすぐったさを覚えた。

「どうしたのゲンさん、急に優しくなっちゃって? この子見て、エルたちの小さい頃でも思い出したの?」

「まあ、それも思わんでもないが・・・親の身勝手で迷惑を被る子供に、罪はなかろうと思っただけだ」

ナミの腕にすっぽりと収まったレンは、半ばとろんとした目でじっとゲンゾウの顔を見つめている。

迷いながらもゲンゾウは恐る恐る手を出し、そっと頭を撫でる。レンはくすぐったそうに笑い、照れたのかナミの胸に顔を埋めた。

「凄いわね。この家で一番にレンの警戒心を解いたのがゲンさんだなんて、ちょっと意外かも」

「わたしだって意外だよ」

泣かれなかったことで、逆に困惑の色も濃くなってしまったようだ。ゲンゾウはふと自分の手を眺め、幼いレンとを見比べた。

「こんな可愛い子に寂しい思いをさせるなんて、あの男は一体何を考えているんだか・・・」

「ゲンさん、ゾロを庇うわけじゃないけど、あいつの奥さんの名誉のために一言いい? あいつバツイチって言ったけど、ホントはやもめなのよ。くいなさんて奥さん、1年前に事故で亡くなってるの。もうじき1周忌らしいわ。あいつバカだから、未だにその辺ごっちゃにしてるのよ」

「1周忌って・・・この子供だって1歳くらいだろう?」

「そうよ。1ヶ月のお宮参りの時、事故に遭ったって聞いてるわ。だから、ゾロがひとりなのはあいつのせいじゃないの。――それだけは解ってやってよね」

「――――――・・・」

ゲンゾウは、聞くべきではなかったといったような表情をし、縁側にナミを残して座敷を出て行った。

いつの間にかエルたちの声も聞こえなくなっている。
ゾロがノジコの用事に駆り出されてしまったので、遊んでもらえないと判断して外に出掛けて行ったらしかった。

「みんな、事情も気持ちもいろいろよね・・・」

「ん〜ま?」

ふと、小さな翡翠色の瞳と視線が合う。損得も打算もない純粋な眼差しに、ナミは愛おしさが溢れるのを感じてそっと抱きしめた。




「――と、これで漏電の心配はなくなったが。たまには埃を払わないと、いずれ小火を出す羽目になるぞ?」

「あはは、気ィつけるわ。不精してんのバレバレだね。で、次はこっちを頼むよ。ナミも使える男を見つけたねー。あたしとしちゃ大OKだ」

いいように使われ釈然としないが、これでこの家のゾロに対する垣根が一層低くなるならと、頭の片隅で打算が働く。
娘たちの賞賛の眼差しもなかなか心地好かったので、ゾロはいつもより気分良く仕事に取り掛かっていた。

ふと、先刻までいた部屋が静かになっていることに気づく。
双子とゲンゾウは出掛けてしまい、縁側にはレンを抱えたナミが座っているのみだった。

ただ――そのナミがレンを抱えたまま、静かに歌っているのが聞こえ、その耳障りの良さにゾロは思わず足を止めた。


  When the sun in  the  morning peeps over  the  hill
  And  kissed  the  roses ’round my window sill
  Then my heart fills with gladness when I hear the trill
  Of the birds in the treetops on Mockin’ Bird Hill
  Tra―la―la twittle―dee―dee―dee it gives me a thrill
  To wake up in the mornin’ to the mockin’ bird’s trill
  Tra―la―la twittle―dee―dee―dee
     There’s peace and good will
  You’re welcome as  the  flowers on Mockin’ Bird Hill


  When it’s late in evening I climb up the hill
  And survey all my kingdom while everything’s still
  Only me and  the  sky and an old whippoor will
  Singin’ songs in the twilight on Mockin’ Bird Hill
  Tra―la―la twittle―dee―dee―dee it gives me a thrill
  To wake up in the mornin’ to the mockin’ bird’s trill
  Tra―la―la twittle―dee―dee―dee
      There’s peace and good will
  You’re welcome as  the  flowers on Mockin’ Bird Hill


「・・・へぇ、お前歌上手いんだな」

「――え? あ、やだゾロ、聞いてたの?」

腕の中のレンは既に眠っていたらしく、ナミは小声で囁くように笑った。

「英語の歌とは、随分洒落た子守唄じゃねぇか。いつもそんなん歌ってくれてたのか」

「まぁね。小さい頃、ベルメールさんが良く歌ってくれたのよ。詩の内容はともかく、ワルツ調の曲だから耳に優しいでしょ?」

「あー、何だっけ。そうだ、『モッキン・バード・ヒル』っていったか」

歌の中に出て来た詩を思い出したゾロがそう呟くと、ナミは思い切り意外そうな表情をした。

「あんた、よくこんな歌知ってたわね。どこで覚えたのよ? 明日太陽西から上んなきゃいいけど」

「何気に失礼なこと言ってんじゃねぇよ。園でルフィが歌ってんの、何度か聞いたことがあんだよ。知ってたか? あいつ、見た目はあんなちゃらけた野郎だが、歌は子守唄から演歌まで何でも上手いんだぜ」

「へぇ、あいつがねぇ・・・」

ちょっとどころか、思いっ切り意外な気がする。そんなに上手いというなら、歌で口説くという手も使えそうだが――。

「あんたには、そんな芸当できなさそうね」

「下手、ではねぇとは思うが、確かに上手くもねぇな・・・」

ナミは今度ゾロの歌を聞いてみたいと、一種無謀なことを考えてしまった。




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(2004.05.27)

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