海の見える丘にて      −6−
            

真牙 様




「――もしもし、ナミです。ええ、ご無沙汰してました、お元気でしたか? ああ、先生も相変わらずで何よりですね。マキノさん怒りますよ? ええ、今日はこっちに遊びに来てまして・・・まあ、その辺はいろいろありますから。え? 何でそんなこと知って――はぁ? こっちに来る? ちょちょ、ちょっと待って下さいよ、普通こっちが挨拶に・・・って気にするな? しますよ、私は! いいい、いいです、来なくて! はい? もしもし!? ――切れた・・・」

ナミはレンが眠っているうちにと、携帯を取り出して1件連絡を入れたのだが、挨拶に行くつもりがとんでもない展開になったようだった。

「どーしよ・・・いっそ逃げようかしら・・・」

人望があって人情に厚く、豪快な人柄が周囲を惹きつけるのはいいのだが、軽い口調が黒髪の笑顔魔神ルフィを連想させ、ナミはぐったり脱力するしかなかった。

「ナミー? 何ひとりで騒いでたんだい?」

「どうしよう、ノジコ。先生に挨拶に行くつもりで連絡入れたら、逆にこっちに来るって・・・」

「ああ、独立する前にいた事務所のあのお軽い先生ね。いいんじゃない? あいつの品定めしてもらえば」

「だから困るのよ〜。そんなんゾロにばれたら、血を見るに決まってるじゃないのよぉ」

のらりくらりと人を翻弄するのが得意な男なのだ。ゾロのような融通の利かなそうなタイプでは、軽くあしらわれるのがオチだろう。
もちろん、そうされたゾロが黙っているとも思えないが。

(それにしたって、何で今日ここにひとりで来なかったこと知ってんのよ)

根本的な問題はそこに尽きるのだが、ばれてしまった以上仕方がなかった。

(ええと、とりあえず無難に無難に・・・)

「どうした、何騒いでんだ?」

あまりにナミがわたわた取り乱しているので、見兼ねたゾロが声を掛けて来た。

「えーと・・・ちょっと、以前勤めてた事務所の先生が遊びに来るって連絡があって、それでどうしたもんかと・・・」

「ああ、独立する前のか。いいんじゃねぇのか、別に。今更緊張するタマでもねぇだろ」

(だから、話題が自分のことならこんなに焦ったりしないのよ!)

せめてあの男が、ゾロを挑発するような言動にだけは走りませんようにと、ナミはただひたすら祈るばかりだった。





それからものの30分で、玄関先で客の来訪を告げる声が上がった。

「おーう、こんちわー。ナッちゃん帰ってるって?」

「ああ、先生お久し振りです。すみません、こちらに来て頂いちゃって」

「いやいや何の何の。ナッちゃんに会うためなら、仕事半分でも飛んで来るって」

不意に台所の方で、何が細かい物でも落としたようながしゃん、という音が響いた。
ナミは一瞬ぎょっとしてそちらを見たが、廊下の陰になっていて確認のしようがなかった。

「しっかし、ナッちゃんが俺んとこから独立してからウチも寂しくなっちゃってな〜。野郎ばかりになったモンだから、これまた鬱陶しいったら。何度か女の子採用したんだけど、どうにも居ついてくれなくてねぇ」

「そんなことしなくても、お家に帰れば優しい綺麗どころが待ってるじゃありませんか」

「あ〜、それはそれでね。でも8年もふたりきりでいると、なかなか新鮮味がなくなるんだよな」

そうは言っても今だ仲良し熱々な夫婦であることはナミも熟知している。
赤い髪に軽い性格は人懐こく、あっと言う間に会った者を懐柔してしまう不思議な魅力に溢れている。
それでいて締めるところはきっちり締めるやり手なので、ナミは仕事の師匠と仰いだのがこの男で良かったと感謝していた。

(どっかの誰かさんとは、正に正反対よね)

くすくす笑ったナミは、とりあえずと中へ促した。

「玄関先でも何ですから、上がって下さい。事務所のみんなは元気なんですか?」

「ん〜、じゃあ少しだけ邪魔するわ。ベンたちは全員元気だよ。男所帯でむさっ苦しい限りだけどな。ああ、それにしてもナッちゃんが独立しちまってから3年もたったんだなぁ。そっちも順調そうで何よりだよ」

「先生の事務所にいる間に、あそこのノウハウは盗めるだけ盗ませて頂きましたもの。私、こう見えても抜け目ないんですよ?」

「おお、そりゃ一本取られたわ。あ〜、だから最後の1年はあんなに喰いつくように仕事に取り組んでたのか〜」

何気なく座敷に入りかけ、その片隅に小さな人影が転がっていることに気づいて頬を緩める。

「ああ、これが例のチビ助ね。こんなんいると、さぞや家ん中が賑やかだろうなぁ」

「って先生? 驚かないで何気に言ってますけど、今日のことどうして知ってるんです?」

「ああ、こんにちは先生。その節は、ナミは散々世話になったね」

お茶を運んで来たノジコに、彼はゆっくりと手を上げて挨拶する。視線はレンに注いだままだ。

「ん〜ん、お構いなく。今日は夕方マキノと食事に行く約束してっからねぇ。さっさと帰んないとどやされちまうんだ」

「あ、そういえば、今日結婚記念日でしたよね? おめでとうございます」

「ははは、8年もたつと今更って気もするがね。けど、ここをうっかり欠かしたりすると、女は後まで忘れてくんないからな〜。ナッちゃんもそういうとこ意外に厳しそうだから、旦那になる奴は気をつけないといかんだろうな、うん」

誰に言い聞かせているのか、最後の部分がやや声高になっていたように思われた。

「で・・・先刻の話ですけど、どうしてですか?」

「髭のお巡りさんが、NTT回線で迷子になっててね。ちょっとお家に送って、赤ずきんちゃんの顔でも見て来ようと思ってさ」

(ゲンさんてば、何考えてんのよ・・・)

どうやら何がどう心境に変化をもたらしたのか、思わずこの男に電話を入れてしまうほどゲンゾウも揺れていたらしい。
ここまで来て、反対され続けても困るのだが。

「けど、仕事一筋バリバリのキャリア・ウーマンで通すと思ってたナッちゃんがねぇ。マキノがいなかったら、俺も狙ったんだけどなー」

ガタガタガタッ!

台所の方から、おそらくは脚立を蹴倒したと思われる音が響いた。

「シャンクス先生! そんなこと言ってると、マキノさんに言いつけますよ? 怒らせると怖いんじゃなかったんですか?」

赤い髪をわしわしと掻き回し、シャンクスは歯を剥いて破顔した。

「ははは、だからこれはオフレコでね。だけど、もし今俺が独身で意気込み満々でナッちゃんを口説いたとしても、今更って笑っちゃって口説かれてくんないでしょ? こうして・・・結界張ってるもんねぇ?」

そう言ってシャンクスは、軽く片目を瞑ってナミの左手を取った。
そこには、『私はこれをくれた人を受け入れた』としっかり自己主張する、薬指の指輪が優しい光を放っていた。

「そうそう。あたしも結構心配してたんだよねぇ。つき合った男はそれなりにいたのに、この娘ったらお堅くて全然進展しないんだからさー」

(それをここで暴露してどーすんのよッ!)

ナミは背中にいやな汗が流れるような気がした。

おそらくは、ここでの会話は隣にいるゾロに筒抜けになっているだろう。
それを人質ならぬ言質に、後で詰られたらどうしてくれるのか。

「やめてよふたりとも! そ、そういう話じゃないでしょッ」

「しー。おチビちゃんが起きちゃうよ? どれ、ちょっとだけその幸運なヤローの顔を拝んで帰るか」

そう言ってシャンクスは腰を上げ、廊下に顔を出して辺りを確認した。

「・・・ゾロ、諦めて出て来れば? どうせずっと聞いてたんでしょ?」

照れ隠し半分でややぶっきらぼうな口調でナミは声を投げた。
ゾロも挨拶くらいはと思っていたらしく、渋々ではあったが意外に素直に顔を出してくれた。――かなり複雑な表情ではあったが。

「あー・・・初めまして、ロロノア・ゾロです」

「おお、君か! このシャンクス様の事務所の花形だった紅一点の姫をかっ攫った大悪党は」

「先生!!」

何て言い方をしてくれるのか、ナミは顔から血の気が引く思いでそっとゾロを見上げた。意外にもゾロは無表情だった。

「ふ〜ん・・・」

シャンクスは、とても初対面とは思えない無遠慮さでしげしげとゾロの顔を眺めた。
右に左にためつすがめつ、観察と言って憚らないレベルの眺め方で。

「ちなみに、あの子は君のおチビちゃん?」

「まあ、一応・・・けど俺は、バツイチでガキがいることをハンデだとは思いたくないし、チビがいなかった方がいいなんて微塵も思ってないっすよ?」

シャンクスの口許は愛想良く微笑んでいたが、ゾロの翡翠色の瞳に向けられた目はまったく笑っていなかった。
それは真っ向から挑み、相手の力量を推し量ろうとするシャンクスの“やり手”の顔だった。

「あああ、先生、誤解しないで! こいつったらバカだから、未だに“バツイチ”と“やもめ”がごちゃ混ぜなんです! ホントは――」

「ああ、大丈夫だよ、ナッちゃん。ちゃんと判ってるから」

ナミの慌てぶりに毒気を抜かれたのか、シャンクスはふっと肩の力を抜いて元の笑顔に戻った。

「まったく、何が心配だったんだかねぇ。そんなモン差し挟む余地ないでしょうに。ノンちゃん、今度旦那に老眼鏡勧めといて」

「判った。よおっく言っとくよ。もちろん、老眼鏡の件は先生からの進言だってしっかりね」

「おう。文句があるなら、いつでも掛かって来いって言ってくれや。んじゃ、俺はもう帰るから」

今来たばかりなのに、という表情でゾロが顔を顰める。
ナミはそれを宥める意味で、その唇に左手の指先を当てて黙らせた。

「文句なら後でいくらでも聞いたげるから、今はとにかく黙ってて! そっち、ノジコに頼まれた仕事残ってんでしょ? 私は先生を車まで見送って来るからッ」

「――おぅ」

渋々ではあったが一応納得はしたのか、ゾロは肩を竦めて溜息を漏らした。
再び台所に入って行く背中を眺め、ナミは慌ててヒールを履いて庭先に出た。シャンクスはボンネットに凭れ掛かって一服していた。



「――せーんせぇ、一体ゲンさんに何吹き込まれて来たんです?」

半眼になったナミの視線を見たシャンクスは、軽く頭を掻いて悪戯小僧の笑みでウィンクした。

「別に大したこたぁ言われてないさ。ただ、“父親”の愚痴ってやつを聞いただけだよ」

「そりゃまあ、気分はそうかもしれないけど・・・」

2歳で父を亡くしているナミにとって、ゲンゾウは確かに“父親”なのだ。
そしてナミがそう思っている以上に、ゲンゾウにとってもナミは愛しい“娘”なのだろう。

誰よりも幸せに、誰よりも愛されて、苦労など微塵もして欲しくはないと願って止まないほどに。

だからこそ、まっさらな男と結婚して欲しいと思う。
子守ならば双子の娘たちで慣れているが、育てるとなれば話は別だ。成さぬ仲という事実を背負い、思い悩む日が来るかもしれない。
それだけが気掛かりで、何より心を痛める要因なのだろう。

「そんなこと、心配するまでもないのに・・・」

ナミは遠い目で苦笑した。
脳裏に、豪快な微笑みを浮かべる母ベルメールの顔がうかぶ。
一緒にたくさん笑って怒って泣いて、そして抱えきれないほどの愛情を貰った。

ベルメールは命の灯火が消えるその瞬間まで、残さざるを得ない娘たちの行く末を案じ、「いつも、いつまでも愛している」と繰り返した。

(だから、大丈夫――)

一度目を伏せ、ナミは澄んだ微笑みでシャンクスを見た。

とうに覚悟を決めた透明な笑顔に、シャンクスは紫煙を燻らせながら苦笑混じりに手招きした。

「ああ、俺はもう心配してないよ。ゲンさんも、きっと判ってはいるのさ。未だ心に残っているのは、“娘”を盗られる“父親”の嫉妬心だけさ。そこだけは、判ってやっておくれよ? あいつがどんなにイイ野郎でも、ゲンさんとはまったく別の次元なんだからね」

「・・・ええ、判ってます。ノジコと結婚する時も、散々変な葛藤抱えてたみたいだし。まあ、それとはまた違うんだろうけど。それでもレンのことを心配してくれたから、もう一押しで陥落できますよ」

「ははは、ナッちゃんには敵わないなー」

ちらりと母屋に視線を振ったシャンクスは、ふと立ち上がって内緒話をするようにナミの耳元に唇を寄せた。

「なっ・・・先生ッ!?」

「一見無愛想の上憮然とした無表情野郎のように見えるけど、その実かなりの焼きもち焼きっしょ、あの男。こんなトコ見たら、かなりキレるよねぇ?」

ガターン! ゴツッ!

にやにや笑いで囁いたのとほぼ同時に、台所の方から椅子でも蹴倒したかのような派手な音が上がった。

・・・台所にはシンクの奥に出窓がある。そこから身を乗り出せば、ここ玄関先の様子は何とか窺える程度には見える。
そしてシャンクスの取った行動は、そこからなら丁度頬にキスしているとも取れる体勢だったのだ。

「せせせ、先生〜〜ッッ!!」

「餞別兼、ちょっとした牽制球だよ。これでがっちりナッちゃんを放さないでおくようにってね」

「牽制どころか、これじゃ大暴投ですってば――ッ!!」

もしかしたらどころではなく、十中八九見られただろう。しかも、大いなる誤解つきで。

(もぉ、どーしてくれんのよ。矛先は全部私に向かって来るのにぃぃ〜。恨むわよ、先生・・・)


そして案の定、家の中に戻ったナミは、ゾロの嫉妬心丸出しの視線に晒されることになるのだ。





夕方になる頃には出掛けていた3人も戻り、とうに昼寝から目覚めたレンを交えて賑やかな団欒風景になった。

半日もいればようやく周りの雰囲気にも慣れ、ナミが視界にいればレンも少しは周囲に移動し始めた。

双子はレンを『動く、ままごとの赤ちゃん人形』の延長ぐらいに思っているらしく、抱きしめようと向かって行く勢いは凄まじかった。
なので助けを求めて必死に逃げ、結果ゲンゾウにしがみつくといった怪我の功名にも出会えた。

「ぶー。うー」

「あ〜、パパずるいよ、エルも抱っこしたいのに〜」

「そうだよ。メルの番だよ、レンくん抱っこさせてよぉ」

「これこれ。そんな勢いで行ったら、赤ちゃんはみんなびっくりするんだよ。もう少しそおっと来なさい」

小さなレンにしがみつかれ、ゲンゾウの顔は困惑しながらも満更ではなさそうだった。
子供は概ね女親に先に懐くものだが、ここではもっとも強面であるゲンゾウに真っ先に助けを求めてくれたという、一種の優越感が親としての自尊心をくすぐったらしい。

もちろん意識してできることではなく、ゾロも内心では大きく安堵した様子だった。

「良かったわね。レンが一番最初に懐いたのがゲンさんだって事実は、意外に一番効果的だったかもよ?」

「あー、そんなモンなのか、親父ってのは」

「ふふ、そうよ。案外そんなモンよ」

くすくすと含み笑う視線の先には、双子の追撃を逃れたレンがゲンゾウの肩まで齧り上がっているところだった。

「子供に懐かれて、いやな気分になる人はそうはいないでしょ。特に、あんな強面のおじさんなら尚更ね」

微笑ましいでしょ、と言わんばかりに指を差す。
双子からの追撃を逃れようと必死になったレンは、必死になり過ぎてどこまでもゲンゾウの身体によじ登った。
手を掛け足を掛けで上りまくり、終いには掴む物がなくなったレンはふさふさの髭を豪快にわし掴みしてくれた。

「ぬおおおおおッッ!!」

油断していたところの暴挙に、ゲンゾウは半ば本気で悲鳴を上げた。

「・・・で、これは心証を落としたことになるのか?」

「さあ・・・」

ゾロの呆然とした問いに、ナミは引きつって強張った笑みで答えるしかなかった。




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(2004.05.28)

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