海の見える丘にて      −8−
            

真牙 様




(何で、また重いの・・・)

朝、寝場所が変わったせいかいつもより早めに目が覚めると、例の感じ慣れた感覚にナミは嫌な予感を覚えた。

恐る恐る目を開けると、すぐ間近に逞しい首筋が見え、筋肉質の腕がナミを包むように伸ばされている。
夜中にいきなり抱きしめられたら驚いて目覚めそうなものだが、何度かされているうちにいつしか違和感を覚えなくなっていたらしい。
これでいいのだろうかと、ナミは半分寝ぼけた頭にツッコミを入れたくなる。

「ちょっとゾロ」

早朝なので少しは遠慮し、レンを起こさないようにと囁くように声を掛ける。
もちろんそんなボリュームで目覚めるはずもなく、微かに身動ぎしたゾロは伸ばしていた腕を丸め、ナミの身体を抱きしめた。

(こ、こいつぅぅ! 私は抱き枕じゃないってばッッ!)

寝不足で倒れたあの晩のように、その仕草はさり気ないくせに有無を言わせない。
何より、その状態で包まれていることに安堵感を覚えてしまう自分に困惑してしまう。

(も〜、こんなことしてる場合じゃないの、問題は他に大アリなんだからッ)

抱きしめられて密着していた胸の間に腕を捻り込み、何とか隙間を作ってうっすら無精髭の漂う顎を押し上げる。

「こらゾロ、何でここに来てまであんたが私の方の布団に潜り込んでんのよ!?」

忌々しさに思わず眠っているゾロの鼻を思い切り摘み上げる。
いくら何でもの痛みに、さすがのゾロも目を覚まして鬱陶しげにゆっくりと目を開けた。

「・・・朝っぱらから何しやがんだよ!?」

「それはこっちの台詞よ。何でちゃんと布団があるのに、わざわざ私の方に潜り込んで来んのよ? まさか変なことしてないでしょうね!?」

「・・・しゃあねぇだろ? そっちの布団見てみろよ」

欠伸をしながら頭を掻き、枕にうつ伏せるゾロの肩に手をやって上体を起こす。

昨夜の寝入り際には、ややナミ寄りの位置にレンが眠っていたはずだった。
なのに、今は堂々と隣の布団の真ん中を陣取り、更にそれを挟むように双子の娘たちが眠っているではないか。

「エルとメル・・・? 何でここに寝てんの・・・」

「昨夜何時頃だったか、いきなりこいつらが来てな。俺をさっさと蹴り出してこの位置に収まっちまったんだ。だからこっちに入れてもらったんだよ。別に慣れてんだから今更だろ?」

(な、慣れてるって、今更って・・・そんなんノジコに聞かれたら、思いっ切り誤解されるじゃないのよ)

がっくりと肩を落とす。

「まったくどいつもこいつも・・・」

呆れて開いた口が塞がらない。
『今更』になるほどそういった状況を作り上げてくれるゾロにも困るが、なぜ夜更けに娘たちがわざわざここへ来たのかが判らない。

考え込んでいると、不意に障子越しに遠慮がちなノジコの声がした。
まさか先刻のゾロの言葉を聞かれたのではないかと一瞬焦ったが、どうやら通り掛ったのは今らしい。

「ナミ、起きてる? ちょっと聞きたいんだけどさ、もしかしてこっちにウチの娘たち来てない?」

「ノジコ? 何らしくなく遠慮してんのよ。開けても大丈夫だってば」

「何だ、大丈夫なのか。一応濡れ場になってたら困るだろうなって遠慮したのに。ちょっと惜しかったわ」

(聞いてたわけでもないのに、朝から何てこと言ってんのよッッ!!)

とうに起きていたのかすっかり身支度も済んだノジコは、腕組みをしながら障子戸を開けてにやりと笑った。
そこに双子の娘たちを見出したノジコは、苦笑しながら大きく肩を竦めた。

「ほら、そっちの布団の中。レンを真ん中に思いっ切りサンドイッチになって寝てるわ」

「まぁったくウチの娘共ときたら。あれだけあんたたちの邪魔すんなって言い聞かせたのに・・・」

「じ、邪魔って、そんなことされなくたって何もないわよッ」

やや声高になった声を遮るようにノジコが唇に指を立てる。
ナミもはっと思い出して慌てて自分の口を塞ぐが、3人は川の字に並んで未だ夢の中を彷徨っている様子だった。

「ごめんごめん、起こして悪かったね。確認したかっただけだから、もう少し休んでて構わないよ?」

「ううん、私はもう起きるわ。ゾロはもう少しレンたちに添い寝しててやったら?」

「いや・・・謹んで辞退させてもらうわ。寝起きのチビ共にまとめて掛かって来られたら堪んねぇし」

真理である。
ナミは苦笑して起き出し、ゾロもそれについて部屋を出た。少し外の空気でも吸おうと思ったのか、ゾロはそのまま玄関へと向かう。

「でもあの娘たちったら、何で昨夜私たちのとこに来たのかしら? もしかしてノジコたち、いつもは下で寝てるの?」

「ううん、そうじゃなくてね。あのチビちゃんが気に入ったから、一緒に寝たいってずっと騒いでたのよ。あの娘らしつこくして泣かすから、チビ助のためを思うんだったらやめとけって言ったんだけどね」

小さな子が珍しく、ままごと感覚で添い寝もしてみたかったらしい。

だが、それはあくまでも双子たちの都合であって、未だ彼女らに警戒心を抱いているレンにとっては迷惑極まりない出来事かもしれなかった。

(そりゃそうよね。朝起きて見たら、隣にはゾロや私じゃなくてちぃ姉ちゃんたちが寝てるんだから)

もしかしたら絶叫レベルで泣くかもしれない。そうなったらすぐに宥めてやれるよう、近くにいるに越したことはない。
そう思うと外にも行けず、ナミは身支度を整えて朝食の用意を手伝うことにした。




そうして1時間近くが経過し――。

「んぎゃ〜〜〜ッ! まー! マーンマ〜〜〜〜ッッ!!」

「あー、よしよしレンくん、泣かないでぇ」

「ほら、べろべろば〜。お姉ちゃんいるよ〜?」

不意に目覚めて周囲を見回し、見慣れない光景に見慣れない娘たちの添い寝では、レンにすれば度肝を抜かれる出来事の連続だっただろう。

「うあ〜〜、ぎゃ〜〜〜ッ!」

慌てて布団から這い出して必死の思いで逃げ出したのか、レンはそのまま障子戸に思い切りぶつかった。
ぼすっと小気味良い音がし、ふと台所から廊下を覗いてみると、閉め切った障子戸から可愛らしい腕が1本生えているのが見えた。

「・・・あ〜、ごめんノジコ。レンの奴、せっかくの障子にトンネル開通してるわ」

「はは、あれっくらいは仕方ないね。エルたちもよっぱらやったモンだったし――」

「あはは、やっちゃったの〜? エルもやるぅ」

「メルも、メルもー!」

ぼすぼすぼすぼすッ!

「――ノジコ、何気に腕の数が増殖してるんだけど」

「こら――ッ! あんたたちは姉ちゃんでしょ! お手本見せるどころか、チビの真似してどーすんのッッ!!」

レンの泣き声と双子の歓声、そこへノジコの雄叫びが重なり、もはや家の中はある意味怒濤の興奮に包まれた。

「こらこら、朝から喧しいぞ。一体何の騒ぎ――おおお、年末に張り替えたばかりなのに〜〜ッ!」

寝ぼけ眼も一気に開き、ゲンゾウの嘆きも切実だった・・・。





賑やかな朝食も終わり、お茶で一服する段階になってからナミは思い出したように口を開いた。

「ああゾロ、午前中のうちにベルメールさんのお墓参りにつき合ってね。ついでに、ちょっと聞いて欲しいこともあるし」

「珍しいこともあるモンだな。まぁ、墓参りは別に構わねぇけどよ。で、肝心の墓はどこにあるんだ、近いのか?」

「うん、この裏手に広がってるみかん畑のその向こう――丘状になってる高台の霊園の中よ」

「ベルメールさん、生前の行い良かったんだね。お墓のあるとこは、霊園の中でも結構見晴らしのいい場所なんだよ」

「ふーん」

ゾロは台所のテーブルに肘をつき、ナミとノジコが片づけをしている様子をぼんやり眺めている。

レンはゾロの周りのテーブルや椅子の足元を這い回り、双子たちの追撃を躱そうと必死の形相で逃げていた。

「あ〜、レンくん待て〜〜」

「こっちに来たな〜、メルが相手だぞ〜」

「うあ〜〜!」

捕まったら最後とでも思っているのか、幼い顔は半ば混乱に引きつっている。これでは当分懐かれるのは無理かもしれなかった。

「なあナミ。思ったんだが、何でお前ら姉妹揃って母親のこと名前で呼んでんだ?」

何気ないゾロの問いに、思わずナミとノジコは揃えたように振り返った。
普段鈍感で人の話などろくに聞いていないくせに、こんな時だけ妙に言葉尻に鋭かったりするから苦笑してしまう。

「あ〜、それは半分ベルメールさんの希望でもあったのよ。何せ私、彼女が22の時に生まれたから」

「で、あたしが18。妊娠期間考えたらとんでもなく若いでしょ? 『母さん』なんて、照れ臭くてこそばゆいだけだって言ってね。気が向いたらそのうちってことだったけど、結局名前のままで通しちゃったね」

「へえ、女ってのはそういうモンなのか?」

「人それぞれでしょうけどね。ベルメールさんはそっちの方が良かったみたい」

ふうんとひとりごち、ゾロはゆっくりと湯飲みを啜った。

「ぎゃー、マーンマ〜!!」

「ああ、どうしたの、レン? ちぃ姉ちゃんたちと遊んでもらってたんじゃないの?」

「な〜んか遊んでたってよりも、追い回されて恐怖に引きつってるって顔だよ?まったくあんたたちと来たら・・・そんなしつこいと嫌われるよ? そんなんじゃ、今回ここにいるうちに懐いてもらえないからね!?」

両手を差し出したナミにしがみつき、涙で濡れた瞳が必死に何かを訴えている。
ナミは苦笑してそれを見つめ、そっと抱きしめながら小さな背中を何度も撫でてやった。

「ナッちゃんママばっかりするいよ〜、エルも抱っこしたいのに〜」

「メルもだよ〜。遊ぼうよ〜、レンく〜ん」

「いぎゃ〜〜ッ!」

「あははは! 駄目だこりゃ、ふたりともいやだってさ。期待は次回に持ち越しだね。だからあれほど言ったのに。しつこくしたらチビ助には思いっ切り警戒されて嫌われるって」

大笑いするノジコの采配により、今回のレンVS双子の勝負はレンの完敗に終わったようだった。
いや、『懐かせられなかった』という意味ならば双子の負けかもしれないが。

いずれにせよ、子供同士の華麗なる戦いは今後も続きそうだった。





昨日とは打って変わり、その日の空はどんよりと鈍色の雲を垂れ込めて今にも雨の雫を落としそうな様相だった。

「ん〜、まだ天気は大丈夫かな。できればみかん畑眺めながら、歩いて行きたいんだけど」

「いいよ。ついでだから、あたしも畑の様子を見に行くよ」

「エルも行くーッ」

「メルも一緒に行きた〜い。みかん畑でかくれんぼするの〜」

思惑をそれぞれに、ナミたちはノジコ自慢のみかん畑を眺めながら、ようやくベルメールの墓参りへと出掛けた。
庭先でナミがノジコに勧められるままにたわわな大手毬の花を切っていたので、レンは自然とゾロが抱いて行くことになった。

家の裏手には私道が作られ、トラックなどの車が行き来できるように整備されている。収穫などの重労働を思えば当然の措置だ。

そこから広がる高低様々な枝に咲き乱れるみかんの花は、可憐な白い花びらを広げて精一杯今を謳歌していた。

「ふうん、今年の花はつきがいいのね」

「だろ? これなら多少の雨にも耐えられるよ。風が一緒に来られると怖いけどね」

当然の心配に目を細め、そっとその花に顔を寄せる。
微かな優しい香りに懐かしい日々を思い出し、ナミは胸の奥に甘く切ない思いが湧き上がるのを感じた。

「まー?」

「んん? なぁに、レン? どうかしたの?」

ゾロにしがみついたまま、レンが顔だけを向けてじっとナミを見つめていた。
円らな瞳は瞬くことも惜しむように、ただただナミを見ている。
そして、何を思ったのか、ゾロまでもレンに倣うようにナミの様子を窺っていた。

「なぁに? 私がどうかしたの? ほら、どうもしてないでしょ」

「ぶー」

何でもないと念を押すように鼻先をつつかれ、レンは唇を尖らせて不満を訴えた。

「あはは、でもまだこれくらいの方が判りやすいよねぇ。もう少しして下手に言葉を喋るようになると余計混乱するからさぁ」

「ああ、それは言えてるかも。して欲しいことと逆のこと言ってみたり、中身がとんちんかんだったりね」

かつての娘たちの言動を思い出したのか、にやにやした笑みが双子の方へと向けられる。
それを心外に思ったのか、エルたちは思い切り頬を膨らませた。

「ママ失礼だよ! エルそんなことしてないよ!?」

「メルもだよ! ちゃんとママとお話してるでしょ? 変なことなんて言ってないよ!」

((今はね))

ナミとノジコは同時にそんなツッコミを入れていた。



「あーっと、あたしはこっちの西側の畑を見て来るから、あんたたちは先に行ってていいよ?」

「「ママ、エルとメルがお手伝いするね!」」

「あ、そう? じゃあ私たちは先に行って――」

そう言ってふと視線を道の先にやった時、そこに佇んでいた人影にナミは一瞬言葉を失った。

「ゲンさん? 出掛けてたと思ったのに、こんなところで何してるの?」

「・・・ナミは席を外してくれるか。その若造に話がある」

淡々とした低い声で行き先を遮られ、怖いほど真剣な眼差しがまっすぐゾロを捉えていた。

「ゲ、ゲンさん? 一体何を――」

「話をしたいだけだ。何もしやせん」

憮然とした口調で言い切り、ゾロについて来いと言わんばかりに肩を聳やかす。
ゾロは妙に納得した様子で小さく肩で息を整え、無表情のまま黙ってゲンゾウの後について歩き出した。

「ちょっと、ゾロってば」

「あぁ?」

「話すだけだけだからね? 何言われても、逆上してゲンさんを袋叩きにしたりしないでよ? 仮にも相手は年長者で、ノジコの旦那で、私の父親同然の大事な人なんだからね? 粗雑に扱ったら許さないわよ」

「そんくらい判ってるって。俺だって早々何もしやしねぇよ。心配なら、コイツを保険代わりに連れてくからそれでいいだろ?」

言いながらレンの背中をポンと叩く。心外なのかレンは一瞬表情を顰めたが、その程度でゾロの意思が覆ることはなかった。

「・・・いいわ。レン」

さり気なく近づき、ナミはレンの柔らかな髪をそっと撫でた。

「ここはあんたに任せたからね? 危なくなったら、しっかり仲裁すんのよ!?」

「おー」

「頼もしいお返事だねぇ。将来は大物になりそうじゃない? 親としちゃ非常に楽しみだね」

ナミたちが見送る中、ゲンゾウに導かれるままゾロはあっと言う間にみかんの木立の中に見えなくなった。

「もう、ゲンさんたらここに来て何考えてんのよ」

軽く頬を膨らませながら文句を言うと、ノジコは苦笑しながらぽつりと呟いた。

「逆に、今だからじゃないのかな・・・」

今だから――逆に今でなければ告げられない、語れないことがあるというのか。

(ゲンさん・・・?)

ふと、風もないのに抱えた大手毬の花がふわりと揺れる。
それはナミの心を表すように、目に見えない何かに動かされつつも、一本芯の通った流麗な線を描いて咲き誇っていた。




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(2004.05.30)

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