ファーストキス   −3−
            

ソイ 様




ゾロは両手に刀を抜き放ちつつ、その小柄な身体を一陣の疾風に変え、霧の中に飛び込んでいった。
「ちょ・・」
ナミの声を聞く暇もなく、そのまま黒い影は白い空気の中に沈む。

次の瞬間。

グォオオオオン!

鼓膜を震わすような地の底からの咆哮が、大気をびりびりと震わせる。地面が揺れたかのような錯覚にナミは足すら取られそうになった。そのまま両手で傍らの竹を支えにして、何とか転倒をこらえる。

キンッ!

刃と刃がぶつかり合う鋭い音が、耳に飛び込んでくる。聞き覚えのある、ゾロが振るう刀の音だ。

地面に重いものが落される音。
厚手の靴の底が地面を蹴る音。
荒々しく葉を揺らす竹の悲鳴。
唸る獣の呼吸に少年の雄叫び。

白い幕が降ろされた向こう側から聞こえてくるそれらの音に、ナミは必死で耳を傾ける。

と。

「ぐ・・! この野郎!!」

突然の絶叫。反射的にナミは大腿部の天候棒を瞬時に組み立てた。
次の瞬間。
ベールを引き裂いて飛び出してきたのは、黒い少年の影と、黄を通り越して金色に輝く毛皮を持った、巨大な・・大虎だった。


虎というものをナミは書物でしか知らない。が、その大きさはそんな知識を優に超えている。
体長は5メートルを超え、50センチはあろうかという長さの牙をぎらりと光らせながら、ゾロを地面に叩きつけ、両肩に爪を立てるようにのしかかっていた。
知性さえ感じる深い黒の両眼は、飛び掛ってきた目の前の少年に対する怒りか、はたまた野生の闘争本能の故か、赤く血走り、鼻息荒く押さえつけたゾロに今まさに牙を向けようとしている。

「ゾロ!」

「離せ!」

ゾロはとっさに大虎の腹を両足で跳ね上げる。大虎は鈍い奇声を上げて宙に舞うが、その勢いのままさらにゾロの上にのしかかった。それを振り払おうと、身をよじる。
じりじりと地面の上で這うように、戦いの主導権を求めての攻防が続く。
一瞬右手が自由になったゾロが、大虎の右肢の付け根に手にした刀で一撃を叩き込む。と、それをまともに受けた大虎の身体が横に倒れかかる。だが次の瞬間、倒れこんだ大虎は急な斜面にバランスを崩した。
ゾロがとっさに身を引こうとする。しかし大虎の爪はゾロを離さなかった。

もつれるように斜面を滑り落ちる一人と一匹の影を、ナミは夢中で追いかけた。
サンダルのヒールに苦戦しながらも、生えている竹を足場代わりに降りて行く。底の方で、激しい水音が響いた。斜面の下は、沢になっているらしい。
ようやく底が見渡せるところまでたどり着く。沢は水の流れのせいか、幾分霧も薄くなっていた。浅い川の真中で全身をずぶぬれにしながら、まだもつれ合うゾロと大虎の影がおぼろげながらも見える。
川面に血の赤みが混じっているのがはっきりと分かった。

不意をついて、大虎の下から這い出たゾロは、返す一撃で大虎の頭を狙った。
だが、それを予測していたかのような突撃の頭突きに、刀を手から弾き落される。
ゾロは飛び退り、三本目の刀を抜こうとした。が、間に合わない。
強烈な体当たりに弾き飛ばされて、岩が剥き出しの川面に背中から叩きつけられた。
沢に生える赤い藪の刺に肩を掠める。
「ぐっ・・!」
背中に感じる強烈な衝撃。が、それ以上に火で焼かれたような鋭い痛みがゾロの右肩を襲った。

一瞬の意識の逸れ。

頭上に輝く牙に気づいた時、全ての時が止まったような気がした。


「・・サイクロン=テンポ!!」

左からのわずかな衝撃に、大虎の動きが一瞬止まる。
ゴゥという、風音が耳を打った。
と、次の瞬間、弾き飛ばされるように大虎の巨体が舞う。目も開けられないほどの旋風がゾロの上を通過し、大虎をゾロの右、先ほど肩を掠めた、不気味な赤黒い藪の中に突っ込ませた。

ゾロはしばし呆然とし、すぐに跳ねるように立ち上がって川岸に向かって叫ぶ。

「・・てめえ、邪魔するんじゃねえ!」
「ちょっと、助けてもらってその言い草は何よ!」
ブーメランのように戻ってきた二本のタクトをキャッチしながら、ナミも負けじと叫び返した。が、すぐにゾロの様子がおかしい事に気づく。
「・・あんた・・?」

「・・これは、俺の・・、試練だって言っただろ・・」
ゾロの声が震えた。
徐々に荒くなる呼吸を自覚した。息を吸い、吐き出すたびに、身体の奥が悲鳴をあげるような苦しさを自覚する。
目の前が、霞んだ。

・・なんだ?
どこか、悪いところに一撃をくらったんだろうか。

ゾロはそれでも三本目の刀を抜き放ち、藪の中でもがく大虎に焦点を定める。

チャンスだ。今、あいつは藪に肢をとられて身動きができない。
じりじりと間合いを詰めて、一瞬の隙を狙おうとする。
が、気づくと、足が一歩も踏み出せていない。

「ゾロ! どうしたの!?」
岸からの悲鳴のような声も、遠くの出来事のように耳に届くのに時間がかかった。
両膝が、がくがくと震え水しぶきを上げて水面に折れた。
力が、入らない。

大虎は、徐々に藪からその身を這い出してきている。

・・早く、討たないと・・。

・・また逃げられる・・。

・・はや・・く・・。


「ゾロォ!」

小さな水音が、静寂の中に響いた。
ナミが意を決して沢に飛び込んだ時、藪を抜け出した大虎は対岸に身を隠し、そのまま霧の白さに溶けていった。

川面に倒れた、ゾロを一人残して。





何とか沢から引き上げたゾロを、そのまま滑り落ちた斜面に引っ張り上げた。
瞳にかすかな光を宿しているものの、ゾロは荒い呼吸を繰り返して、全身の力がぬけたようにぐったりしている。
どこか、大きな怪我をしたんだろうかと、ナミは訝しんだ。
チョッパーがいればいいんだけど。
そう思うが、それでもかの船医が乗船するまでは、自分が仲間達の怪我の治療を行っていたことを思い出す。医療知識は素人だが、血気盛んな男たちのおかげでその辺りの経験や度胸はついていた。
ずぶぬれになった胴着に苦労しながらも、ナミはゾロの全身の怪我の具合を一つ一つ確かめていった。小さな切り傷やかすり傷はあるが、出血量はそう酷いものではない。ゾロなら一晩寝れば傷痕も消えてしまうような小さな怪我ばかりだ。
と、服の右肩が酷く裂けているのに気づいた。
「なに・・、これ・・」
息を飲むと同時に、思わず口に出してしまった言葉。
先ほどの赤みがかった藪に突っ込んだ時の痕だろうか。かぎ裂きに破れた黒い布の下に、薄く血がにじんだような小さな傷がある。その周りの皮膚が赤黒く腫れあがり、触れれば酷く熱を持っている。
「・・ぐっ・・!」
触れた瞬間に、荒い息を告いでいたゾロが弾かれたように跳ねた。

ナミは沢の中の、赤い藪に目をやる。
少し離れていても、その藪にびっしりと生えた大きな刺が目に付いた。

植物性の毒・・?
もしそうなら、かなり急性で、かつ毒性の強いものだ。

ナミは迷わず、破れた肩の布を引き裂いた。
その小さな傷に口をつけ、強く吸い上げる。
「・・がっ!」
触れた感触と吸い上げた痛みにゾロが跳ねる。だがナミは容赦なく叩きつけるようにゾロを地面に組み敷いた。
口の中の血を一度吐き出す。
もう一度、吸う。
そのたびに暴れ出そうとするゾロの上半身に馬乗りになり、頭を押さえつける。
「辛抱しなさいよ・・!」
何度も傷口を吸い上げ、濁った血を吐き出す。反射的にナミを引き剥がそうとするゾロを、殴りつけてでも言うことを聞かせる。
そのうちに、吸い上げた血の中にある何かの欠片に気づいて、ナミはそれをそっと口から取り出した。
あの赤藪の、刺の一部だ。それを捨てて、また何度も毒を吸い上げつづける。
次第にゾロの抵抗が少なくなって、腫れあがった皮膚の赤さも少し取れてきたようだ。それを見取り、ナミは血に染まった口を手の甲で拭って、ようやくゾロの身体から離れた。沢の水で十分に手や口内の吸い上げた血を落す。
「・・おまえ・・」
ぐったりと横たわったままのゾロが、ぜいぜいと息を苦しそうに吐いている。
「苦しい?」
駆け寄ったナミに、「見れば分かるだろ」と言わんばかりの鋭い目を投げかける。だがその瞳も濁って、視線にも力がない。
そっと触れた額の熱さに、ナミは思わず手を引いた。
「あんたすごい熱・・」
おそらく吸引が間に合わなかった毒素が、身体を駆け巡り始めたのだろう。それに抵抗するための発熱が、ゾロの肌を赤く染めている。
ゾロはそれでも何とか一人で起き上がろうと、頭だけを持ち上げたが、それ以上身動きがとれそうにない。
「バカ! 何やってんの!」
慌てたナミにさらに一発パンチを食らって、全身の力を失ったかのようにその場に崩れ落ちた。


子供とはいえ、人一人の身体だ。しかも意識を失っている。ナミの細腕では担いで這い上がることなどできず、泥にまみれながらかなりの時間をかけて斜面を引きずり上げ、ようやく元の道にまで戻ることができた時、すでに霧の中の竹林は日が暮れて真っ暗になっていた。
「・・はあ・・、まったく、自分の想像力を恨むわ・・。夢の癖に・・重たい奴・・」
あの藪の刺がまだ服に残っているかもしれないため、ナミはゾロの服を上半身だけ全て脱がせていた。夜になり気温が下がった中、さらに酷い発熱の状態で肌を晒させるのは可哀想だったが、他に着せられるものもない。
「・・、夜が更ける前に、なんとかその猟師小屋とやらに行かないとね・・」
ゾロが後生大事に懐に入れていたこの竹林の地図を開く。竹林の中の目印に、この沢が描かれていたことをナミは思い出していた。
沢の場所から、猟師小屋の印まではそう距離がない。
ふう、とナミは一息ついて、ぐったりと力を失っているゾロの腕を取った。





それから30分くらい歩いただろうか。
ゾロを背負ったナミは、風が流れて霧が薄くなったせいで現れた月明かりを頼りに、地図を見て猟師小屋にたどり着いた。
その小屋は強いて言えばメリー号のキッチンほどの大きさだ。不ぞろいな板を張り合わせて作ったような簡単な作りだが、風雨をしのぐには十分だろう。ゾロを背負っているために両手がふさがっていたナミは、やや体当たり気味に足でドアを押し開けた。
「・・はあ、ふ・・、お、重かった・・。まったく・・」
乾いた板の床の上に、悪いとは思いながらも落すようにゾロの身体を降ろす。どすん、という音を立てて転がるゾロは、それでも意識が戻る様子がない。
荒い呼吸はますます酷くなっている。ナミはゾロの剥き出しの首筋に手をやった。熱はどんどん上がっているようだ。背負っている間も悪寒と戦うように何度も身体を震わせていた。
何か着るものを、と小屋の中を見渡す。灯り取りの窓からもれるかすかな月光を頼りに、手探りで辺りを窺った。
「何もないわね・・」
部屋の中央に囲炉裏と、その横に敷きっぱなしの薄い布団があるだけだ。壁際の棚は埃を被っていて、なにか役に立ちそうなものがあるとは思えない。とりあえず、その布団の中にゾロを引きずるように入れると、ゾロはがたがたと震えながら、無意識のままかぶった薄い毛布にしがみついた。
「あ、ちょっと待ちなさい」
ゾロの足を捕まえて、靴と、まだ濡れたままのズボンを引っぱって脱がせる。起きていたらまた「変態!」だの何だの罵られそうだが、別に変な意味でやっているわけではない。
ナミは下着だけを残したゾロに、丁寧に毛布を巻きつけやった。

「しかしまあ・・、重いし、冷たいし・・。夢がリアルな人は感受性豊だって言うけど・・」
リアルすぎるのもどうかしら。
ふう、と一息つくと、履いていたサンダルを放り投げた。自分も濡れたゾロを背負っていたためか、湿ったTシャツとスカートが寒さを誘う。囲炉裏に火を入れたいが、暗さのあまり火種が見つからない。
「寒む・・」
ナミは自分の身体を抱きしめるようにして腕を擦ってみるが、もちろんそんなことで暖まるわけはない。
「さ・・み・・」
かたや、毛布に包まってがたがた震えているゾロは、真っ赤な顔で何度もそううわごとを言っている。
そんな薄い毛布では、なんの防寒にもならないのだろう。

何か、もっと、身体を温めるものを・・・。
と、ナミは部屋中をぐるっと見渡し、震えるゾロの赤い頬を見て、最後に、自分の身をかえりみた。

・・えーと。
ナミの頭にふと浮かんだ考えは、慌てた自分自身によってすぐに否定された。

・・いやいやいやいや。
何を考えているのか、と心の中で突っ込みを入れる。

・・その発想は、いくら夢とはいえベタな展開過ぎる・・。

「・・そうよ、たとえ夢の中って言っても、それはちょっとあまりにも・・」

うっすらと頬を赤らめて、頭に浮かんだのは、恋しい男の、自分だけに向けたあの表情。
あの男以外に、そんなことをしてあげたと知られれば・・。
そんな夢を見たと言えば、意外にやきもち焼きで、独占欲の強いあの男がどう思うか・・。

ナミはぶんぶんと頭を振って、先ほど浮かんだ自分の中の考えを打ち消そうとした。
が、ふと目に飛び込んでくる、震えるゾロの幼い顔が、ナミを我に帰させる。

・・でも、こいつもゾロなのよね・・。

少年ゾロは噛みあわぬ歯を軋ませるように奥歯を食いしばり、熱によってもたらされる苦悶に耐えているようだった。
額にそっと手を触れると、また熱が上がっている。毒素が全身をめぐっているのだ。

「死んじゃうかな・・このままだと・・」

むしろそれは、自分に言い聞かせるような呟き。

・・ああ! もうしょうがない!

「・・そんな夢見たって、言わなきゃいいのよ!」

・・そもそも言えないわよ! 欲求不満だって思われちゃうわ!

意を決したナミは、手早くTシャツとスカートを脱ぎ捨てると、そのまま滑り込むようにゾロの毛布に入り込んだ。





熱い。
燃え立つような熱を持った肌に、ナミは全身を沿わせた。

毛布で二人分の身体を包み直して、ゾロの頭の下に腕を入れる。短い逢瀬の合間に、いつも大きなゾロにしてもらう腕枕を、自分がすることにナミは少し可笑しくなって微笑んだ。そのまま横向きにゾロの身体をしっかりと抱き寄せる。
直接触れ合う肌は、幼さの象徴のように柔らかくすべすべで、その分、悪寒が押し寄せるたびに痙攣する様子が可哀想でならない。
「よしよし・・」
宥めるように背に回した手で擦ると、無意識のまま、ゾロはより温もりを求めてナミに擦り寄ってきた。
ナミがゾロから感じる熱さの分、酷い寒気がゾロの内面を責めているのだ。
自分の温かみが、ゾロを少しでも包んでくれるよう、ナミはさらに身体を密着させる。
「・・ぁ・・」
ふと、吐息にも似たゾロのうわごとがナミの肩口をくすぐる。
「・・ん? なあに?」
「・・・・あった・・けぇ・・」
熱い呼吸を繰り返しながら、ゾロはさらにナミの胸元にもぐりこむ。
ブラジャーで半分隠れているとはいえ、剥き出しのナミの胸の谷間にそのまま顔を埋めて、さらにその手はくびれたナミの腰に回された。
その動きに、ナミの心の内面が騒ぐ。

・・女の抱き方、もう分かってる・・。

その突っ込みはむしろ19歳のゾロに向けたものだろうか。
なんとなく面白くないような気持ちにもなったが、ゾロの柔らかい髪を撫で、背を擦る手は止めることがない。
ゆっくりとした呼吸でリズムを取りながら、ナミは自分より早く鼓動を打つゾロの心音を全身で感じていた。





霧の中のくすんだ朝日を、ゾロは瞼の裏から感じた。
この竹林は昔からこの季節は霧が濃くなる。彼がこの猟師小屋に詰めてから、すっきりと晴れ渡った空など見たことない。
いつも景色は乳白色の、柔らかな光の中に溶けているのだ。

うっすらと、瞳を開ける。
視界に広がる、温かみのある白い色。・・霧は今日も晴れていない。ゾロはもう一度まどろむ瞳を閉じた。

・・晴れて、いない・・・。

・・晴れて、いないけど・・・。

・・温かい・・。

・・温かい・・?

もう一度、ゆっくりと瞼を開ける。目の前を包んでいるのは、霧のような捕らえどころがないものでなく、しっかりとした弾力ととろけそうなほどの柔らかさを持ったものであることに気づいた。
くすぐったいような、心地いいようなその肌触りの正体を探るように、唇と頬を探るように動かすと、少しずつ頭の奥が覚醒していくのが分かる。
覚めていく意識とともに、自分の手も、とても柔らかい物に触れていることを感じる。
いや、触れているのは手だけではない。全身を包み込むように絡められた、霧と同じ色をした、温かな、人肌が・・。

・・人肌!?

がばっと起き上がったゾロは、今まで自分を包んでいた毛布の中に、おそるおそる視線を落す。
そこには−−。

「ん・・、ゾロ・・?」

「!! ーーーーーーッ!!」

ドカッ!
ガタガタ、ガタンッ! ドォン!

声にならない叫びを発して、ゾロは毛布から弾き飛ばされたかのように飛び出し、四つんばいのままその勢いで壁に激突した。
「・・な、な、何やってんだ! おまえ!!」

「った・・、痛ぁい・・! ゾロ、あんた蹴ったぁ・・、いや踏んだでしょ!?」
そのゾロとは対照的に、もそもそとまだ目の覚めきらない身体を起こしたナミは、太腿を擦りながら恨めしげな声を上げた。
少し寝癖のついた髪を手櫛で整え、ずり落ちていた白いブラジャーの紐をゆっくりと直す。
「ん・・、朝か。おはよー・・」
「あ・・お・・まえ・・」
まだ目の前の現状を受け入れきれていないゾロは、パクパクと口を動かしているものの、とても意思疎通が図れそうな言葉をつむぐことができない。ナミはすらりとした手を伸ばして「う〜ん」と伸びをした後、そんなゾロを見て小さく噴出した。
「熱は?」
「・・あ、あ・・?」
「熱よ。どう? 身体は?」
「ね・・ねつ・・?」
「あーもう」
ゾロは布団から一番離れた壁際に背を預けて、腰を半分浮かせながら、座ったままばたばたと足を動かした。それ以上後ろには行けないのに、まだじりじりと後退しようとしている。さらに、そんなゾロを面白そうに見て膝立ちの姿勢でゆっくり近づいてくるナミの、その揺れる胸元に視線が集中してしまい、頭の中は混乱する一方だ。
「どうよ?」
スローモーションのように徐々に目の前に迫ってきたナミから目を離すことができなくて、気づいた時には鼻先が触れ合わんばかりの距離に顔が近づいていた。ナミは自分で前髪を掻き分けた額を、ゾロの額にこつんと当てる。その感触に、ゾロの意識は一気に沸騰した。
「だーーー! 離れろ!!」
とっさにその肩を押しやろうとするが、手のひらに伝わるしっとりと吸い付くような感触に、力など入れられる訳はない。そのまま押すことも、さりとてなぜか退くこともできずに、ナミの両肩を掴んだゾロの手はそのまま固まってしまった。
「熱は・・もう引いたわね。よかった。寒くない?」
「さ、寒い・・?」
その言葉に、ふっとわが身を省みれば、腰に巻きつく下着以外は素っ裸だ。
「お・・おまえ何したんだ・・?」
「んー。何もしてないわよー。あんたが寒い寒いってすがり付いてくるから、湯たんぽ代わりになってあげただけー」
ナミはいくぶんからかい気味に微笑み、近すぎる距離にあるその柔らかい頬を両手ではさみこむ。
「あったかかった?」
ゾロの頬が一気に紅に染まった。
着替えの有無を問われて、ゾロはようやく壁際の棚の一角を指差す。昨夜ナミが暗い中探したときには見つけられなかった、黄ばんだ麻のずた袋が、乱暴に放り込まれていた。
「あの中?」
くるっと振り返ったナミの白いショーツが、突然ゾロの目の前に晒される。
「・・おまえっ!」
「ん?」
「・・おまえが先に何か着ろよーー!!」
涙混じりの絶叫の中、昨夜の高熱よりさらに熱いものが、ゾロの全身を真っ赤に染め上げた。


昨夜脱ぎ捨てた服は、一晩の間になんとか乾いていたようだった。怒鳴りながらも懇願するように「服を着ろ」と騒ぐゾロを十分に楽しみながら、ナミはゆっくりとそれに袖を通した。それを見て、ほっとしたように幾分静かになったゾロは、ごそごそとずた袋から自分の服を取り出そうとする。が、背後に立ったナミが「傷はどうなのよ?」とか、「体痛くない?」などと言いつつ、意味なく触れ、あまつさえ抱きついてこようとするので、その手を払うのに慌てふためいて、真っ赤な顔のままひとしきり暴れた後、部屋の隅まで逃げ出し頭から毛布をかぶってしまった。

「ごめん、ごめん。悪かったってばー」
「おまえの『ごめん』は、悪いと思ってる『ごめん』じゃねえ・・」
その不自由な体勢でごそごそと動いているのは、その下で服を身につけているからだろう。怒っているような口調は、恥ずかしさの裏返しのようだ。
「ほーら、ご飯ができたわよ」
猫の仔を呼ぶようにちょいちょいと手招きすると、ゾロはようやく毛布から顔を出した。

朝になって見つかった火種で火を入れた囲炉裏の上に、古びた鍋が吊るされ、小屋に常備していた米で作った白い粥がぐつぐつと湯気を上げている。ゾロが取り出した茶碗にそれを盛り、お互いに向き合いながら「いただきます」と礼をして食べ始めた。
米以外の食料は置いていなかったので味付けも塩を少し振った程度だが、昨日の昼から何も食べていないナミにとってそれは十分に満足できる食事だった。食べる夢もいいものだ、と自分に微笑む。

「・・うめえ」
ぼつりと呟いたゾロの顔を見やる。
「あったけえ飯は、久しぶりだ」
その言葉に、ゾロがこの小屋自体に帰ってこれたのも久しぶりなのだろうと、ナミは悟った。
苦笑を押さえつつ、何度もおかわりを要求するゾロにある限りの粥をついでやる。鍋が空になった頃に、ゾロはようやく怒りもおさまってきたのか、打ち解けた表情を見せ始めた。
「御馳走さまでした」
「はい。お粗末さまでした。この私の手料理食べられるなんて、あんた幸せ者よ。本当なら1000ベリーは頂くところだけど、まあ今日は特別サービスで無料にしてあげるわ」
「って、この米は俺のだろうが!」


茶碗と鍋を水瓶の水ですすぎ、丁寧に水分をふき取ってから棚にしまい直すと、ゾロは早速ごつい靴を履き始めて、ナミにも支度をするように言った。
「何よ。もっとゆっくりしなさいよ。あんた病み上がりなんだし・・」
「病気じゃねえよ」
「あんな高熱、出た後は身体だってきついでしょ」
「休んでる暇はねえんだ」
壁に立てかけた三本の刀を、腰に差す。
振り返ったそのゾロの表情は、からかわれて拗ねていたり、朝食に満足した少年のそれでは、すでにない。

「あいつにはもう後がねえ。今日は、向こうから来るな」
それが昨日の大虎のことだと、聞くまでもなかった。




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(2005.03.28)

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