――まったくもって、難儀なものだ。
たかだか数十センチの表彰台に上がる、それだけの為に

高みへ上るその月を、支配しなければならないなんて。






Fly to catch the moon  −3−

            

高木樹里 様


「1対1やるぞー」
シュート練習を終えると、キャプテンの明るい声が土のコートに響いた。



師走の乾いた空気のところどころに、白い人の息がほわんほわんとまるでシャボン玉のように浮かんでは消えてゆく。
どんなに走って身体を温めても、指先はすぐにキンキンに冷えてボールが衝突する度鋭い痛みに貫かれる。


長い鼻を赤くさせたチームメイトが、ゾロの傍に来るなり愚痴り始めた。

「そもそもよー、ハンドってモンは本来体育館のスポーツなんだぜ?実業団の皆サマはオールシーズン体育館でやってんだぜ?そりゃあしがない高校生に体育館なんか勿体ねぇって言われても仕方ねーけどよ、体操とかバドミントンとか中じゃなきゃ困るスポーツが優先されるのも分かるけどよ、そんでもさ?冬だけは公式戦で体育館使わしてもらえるわけじゃん、俺らも。いくら、体育館汚されたくないからヤニの代わりに指に両面テープ巻け、とかいう無茶な要望されようと、体育館で、土の凸凹なしでドリブルとかできるわけじゃん。だからさぁ、冬季大会前くらい、学校での練習も体育館でやりてぇとこだよなー。バスケ部とかバレー部とか体操部とかバド部とか、1年中使ってんだから、少しくらい俺らも体育館使用のローテーションに混ぜてほしいよなー。バウンドの感じとか、やっぱ外と中じゃ違うじゃねーか。第一寒さがマシだし。めっちゃマシだし。こんな雪降りそうな中で俺もう何本突き指したと」
「うっせぇよ・・・やる気ねぇなら帰れテメェ」
「いいいやいやいややる気はあります、ありますとも!ただ俺様寒いの苦手で」

ドレッドヘアの友人は、翡翠の一睨みだけで冬将軍に攻撃された以上に震え上がり、ぶるんぶるんとちぎれんばかりの勢いで首を振った。




寒波が到来し、ここ1週間で風景から一気に色味が薄れていた。
海も、波は穏やかで荒れる気配は全くない。
あまりに平坦なままなので、凍ってしまったようにさえ思える。無論、そんなことはないのだが。

校内の随所に、霜が降りた。
校舎横の自販機のコーンポタージュが、急にひどく美味しそうに見えた。

残暑の厳しい神奈川において、寒天の月は、突然やってくる。



「じゃ、俺がまずDFやるぞ!」
ししっと笑って6mラインの少し前に陣取り、体勢低く構えるキャプテン。

「誰かパス出し頼む」
数m離れた位置で、ゾロが向き合った。

「お、ゾロからか?」
「オメェなんか抜いてやらぁ」
「抜かせるか!シュートする前に止めてやるっ」
「やってみろ。・・・オイ、とっとと始めるぞ」

ゾロの声に、1年生が慌てて送球した。


自分より前に放られたボールに駆け寄ってキャッチし、ゾロはそのまま両足でダン、と着地する。
DFと向き合う、刹那2人の間を走り抜ける、目線による駆け引き。
ゾロの重心が僅かに右に揺れる。が、相手は動じない。
身体が更に横にずれ、右足を1歩前に踏み出した。それに反応し、目の前の少年も横に動く。
敵の体重が一方に片寄った瞬間を見逃さず、ゾロはすかさず逆足を大きく踏み込んだ。
すぐさまついてこようとする相手の肩を、彼は空いた左手で抑えた。ボールをつかんだ右手がぐるんと大きく回るように少年の頭上を通過する。DFを完全に抜き去ったゾロは、落ち着いてシュートを決めた。

棒立ちになったDFが、猛烈に悔しがる。

「うがーっ!!ゾロの“肩抜き”ムカつくんだよぉ!お前やめろよなぁ!」

ゾロは、ニヤリと悪い笑みを浮かべて言い放った。

「なら、ルフィもやり返してみろよ」



バスケで1on1の勝負があるように、ハンドでも1対1の力が求められる。
目の前の相手を抜かないでは、ゴールには近づけないからだ。
堂々と接触が認められているハンドボールにおいては、突っ込んでくるOFを、守る者は体当たりで受け止めなければならない。
それはむしろ衝突と言うべき激しさを持つ、肉弾戦である。
そこで彼らは、人間の硬さを思い知る。
真正面から対決する度に、骨のぶつかる低い音と共に、浅く広く広がる鈍い痛み。
そこで手を離してしまってはいけない。強い人ほど、『ガツン』の後に更にゴリ押しで抜こうとしてくる。

先刻のゾロとルフィの例のように、キレイさっぱり抜かれてしまうこともあるのだが。



「おし次来ぉい!」
威勢の良い声を上げて、キャプテンが構え直した。



全員が一通り終わると、今度は試合と変わらない形式の6対6の練習に入った。


ハンドボールのOFとは、基本的に、6mのライン沿いに半円状に並ぶ敵DFを覆うように、更にもう一回り半円状に5人並ぶ。
真正面にセンターが来て、その左右にいる45度と呼ばれるポジションは、その名の通りゴールから45度くらいの位置にいる。
更にその外側、ゴールの横付近にサイドが1人ずつ。これで5人だ。
ポストというポジションは、敵DFの半円の中に1人混じって味方のお膳立てをする。キーパーは、自陣に残り後ろから声を飛ばす。
そうやって散らばって、各々が役割を持ちながら一つのゴールを目指す。


東高レギュラーメンバーは、2年生7人全員だ。

まず、主将(キャプテン)であるルフィ。左45度のエースポジションで、チームの盛り上げ役でもある。驚異的な瞬発力を武器に、敵を抜いてかわして点をもぎ取るシューターだ。
ゾロは副キャプテンで、ポジションはセンター。広い視野でゲームメイクを担当する傍ら、自分でもシュートを押し込みに行くパワーがある。
右45度はサンジがいる。元サッカー小僧で、口より手より先に足が出るのが玉に瑕だが、そのスピードはチームの主力の一部である。
右サイドにはウソップ。当たりは弱いが、シュートの狙いは随一だ。難しい右のサイドシュートを、抜群のコントロールで悉く入れる。
逆側、左サイドを努めるのは、長身が武器のブルックだ。身長があるのは良いのだが、骨だけかと思うほど細く、ウソップより更に当たりに弱いのが難点。
チョッパーはポストだ。気の弱い少年ではあるが、持ち前の体格で、ここぞというところは踏ん張ってくれる。
そして、キーパー・フランキー。身体を張ってゴールを守る、最後の砦にして絶対的な鉄人。


個性豊かで、持ち味もそれぞれなチームメイト達。
1年生も若干名いるが、彼らが日の目を見るのは、まだもう少し先になりそうだった。





しばらく12人の攻防が続いていた頃。

「おーす。やってっかー」

聞き慣れた暢気な声がして、一同は振り返った。


コートの入口に立っていたのは、1組の男女。
高3でありながらAO入試で大学入学を決めた為、ちょくちょく部に顔を出してくれる、ルフィの兄、元キャプテンのOB・エース。
そして、男子・女子ハンドボール部の顧問を引き受けている、世界史教師・ロビン先生。

「ちわーッス!!」
1年生がバッと頭を下げる。彼らの中でエースの存在は、雲の上とでも言うべきものだった。

「どしたんだ?ロビン」
堂々と教師を呼び捨てにする現キャプテン・ルフィ。しかしそれは彼だけに限ったことではなく、年が若く学生が親しみやす
いせいか、仲の良い生徒は「ロビン」とか「ニコちゃん」などと呼んでいた。そしてロビン教諭本人も、それを歓迎しているようだった。


エースが悪ガキのようにニヤリと笑う。
「お前らにステキなニュースだよ」

一様に頭上にクエスチョンマークを並べる部員達に向かって、ロビンは優美な大人の微笑を浮かべた。

「冬季大会の組み合わせの抽選結果が来たから、お知らせに来たの」


「ぉおおぉおっっ!?」
興奮と期待と不安のないまぜになったような雄叫びを上げて、2人に駆け寄る2年生達。
しかし、爛々としていた幾対もの瞳は、ビラミッド型の対戦表を映した瞬間、ピシリと音を立てて凍った。


「・・・まじ・・・?」
ウソップの唇から漏れた呆然とした呟きに、エースが可笑しそうにくっくと笑う。

無理もないだろう。

「あーあーお前ら、なんでよりによって、とか思ってんじゃねーだろなァ?」
からかうように言うエースの、可笑しそうなことと言ったら。

「新人戦負けたせいでシードが取れなかったからこうなったんだぞ?分かってっか?ん?」
数ヶ月前のたった一つの敗戦が、こんな形で自分達に圧し掛かってくるとは露知らず。
部員達は、口を半開きにしたまま、阿呆のようにぽかんとしていた。

「まぁ、壁は高いほどやり甲斐があると言うじゃない?胸を借りるつもりで頑張って頂戴」
あっけらかんと言い放つロビン。
そりゃそうだが、とゾロは思った。そりゃそうだが、いきなり最高峰にブチ当あたるこたぁねぇじゃねぇかよ。


事務的なだけの、トーナメント表。
紙の中央に陣取るピラミッドのその土台、各々違う長さの校名の実をぶら下げた、初手を示すさくらんぼ。

東高の双子の果実の片割れは、目下県内No.1の、私立七武海大学付属、だった。


「ありえね――――――ッッッ!!!」
「何だって新人戦の優勝校が来るんだよぉ!!」
「県で1位どころか全国で5位とかだったよなぁココ!?違ったか?!誰か違うっつってくれー!」

頭を抱えて身悶えする後輩を見て、エースは腹を抱えてケラケラと笑う。
ロビンも破顔してクスクスと声を漏らしていた。

「エース先輩ッ!何で笑えるんスかアンタは!」
「ひー、おっかし・・・お前らパニクりすぎだろー」
「当たり前だー!!1回戦から七大とか、シード権なかったにしても不運すぎるぅうぉぉ」
「だっはははは・・・俺もう知〜らね♪いーじゃん、天下の七大と戦えるなんて滅多にねぇぞ?頑張んな、やれることやりきって清々しくフルボッコにされてこいよ」
負ける前提で喋る先輩の言葉に、ゾロは別の意味で頭を抱えたくなった。

OBと言っても、こうやって甲斐甲斐しく指導に来てくれるとは言っても、所詮は現役を退いた身、コートの外の人間なのだ。
他人事だと思いやがって、と口に出さずに毒づく。



「楽しそーだなっ♪」

場違いなほど暢気な発言が聞こえて、一瞬、全員が「え?」と振り返った。

声の元を辿れば、ニィと笑ったその口は、黒髪の下、我らがキャプテンのもの。

「エースの言う通りだよ。県で一番強ぇとことやれるんだぞ!?俺らがどんくらい通用すんのか分かるじゃねぇか。つか、その試合勝ったら俺らが県下1位だろ?」
見事にけろりと言い切る。

そばかすだらけの兄の顔に、「そうこなくっちゃ」と笑みが走った。

「うっし!相手もハッキリしたことだし、練習だお前らー!!」
「ちょ・・・本気っすかキャプテーン!」
「あの七学ッスよ?!コテンパンにされるの分かりきってるじゃないスか!」
「まーまー、勝負は時の運だ!下剋上する気でやってやりゃぁ、分かんねーぞ」
「・・・決まっちまったモンは変えられねぇ。やるっきゃねーだろ」
「ゾロ先輩まで・・・まぁ、そうなんだけど・・・」

『七大』の名前にビビっている1年生に活を入れ、部活を再開するルフィ達。
頼もしくなったじゃないかと、エースの口元が緩んだ。



「なァ・・・先生」
「えぇ」
「あいつら、強くなるよ。俺らの代よりずっと」
「でしょうね」
「俺らが届かなかった高みにも・・・行っちまうかもしんねぇなぁ」
「私もそう思うわ」

エースは、少しだけ寂しそうに笑って、

「それは、ちょっと悔しいかも」

と口にした。




















空気の澄んだ湘南の寒夜は、星明りを頼りに歩ける。
むしろ、コンビニ一つない学校から駅までの短い道のりは、星明りしか頼るものがないのだが。

展望台の光が、くるくると回りながら夜空を貫き、どこまでも伸びていた。

「なーゾロ」
隣を歩くチョッパーが、マフラーの下から話しかけてくる。

「何だ」
「新人戦の2回戦さ、昼前に終わったじゃんか」
「・・・あぁ」
何故そんな話題を出すのだろうと、不思議に思った。
彼は、終わったことをうだうだ蒸し返す人間ではないと思っていたからだ。

「でも、負けて午後にオフィシャル(審判業)が入ったから、帰れなかった。俺、あのオフィシャルやったんだよね」
「・・・まぁ、オフィシャルなくても後の試合は見たかったから、帰らなかっただろうがな」
「俺さ!」
ふん、と白く鼻息を噴く。

「オフィシャル、じっくり試合見れねぇし、仕事多いし、キライだ!」
「・・・チョッパー、どうした?」
「だからもうやんねーぞ!」

そして、俯きつつも、しっかりした声で言う。

「負けなきゃ、無駄にやらされることもないもんな」


ゾロは、月明かりの下で、ふっと笑った。

「そうだな。もう、やりたくねぇなぁ」

「だから、勝とう」
「オフィシャルやりたくねぇからか?」
「それだけじゃないよっ!」





少年達の決意を、暗くなった海は、聞いていた。




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(2009.02.08)



 

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