グランドジパング平安草子〜邂逅篇〜 −7−
智弥 様
七
「師匠!俺、陰陽師になる!それも、剣の強い大陰陽師に!」
誇らしげに晴れ晴れとした顔でそう言い切ったときのゾロの脳裏には、初めて会ったときのルフィの笑顔が浮かんでいた。
「それは・・・本当にそれでいいんですね?無理をしなくてもいいんですよ」
もともと、ゾロを預かるのは元服までと決まっていた。その頃までにゾロが異形や妖などから自分で身を守れるように、コウシロウが陰陽の術を教え育てる。そこから先はゾロ自身に選ばせる、と双方で話はついていた。ゾロもそれは知らされている。
「無理なんかしてねえよ、師匠。俺がなりたいんだ」
「理由をきいてもいいですか?」
「うん。俺、今日のことで思ったんだ。陰陽師は文官だろ?それって、武術はからっきしって言われてるみたいだろ」
「ええ、まあ、そうですね」
実際、陰陽師は人外のものには有効な術を持ってはいるが、人間相手の荒事にはあまり向いていない者が多い、と思われているのも事実なうえに、たしかにそういう者は多い。
「それでさ、今回みたいに大勢に囲まれたときはやっぱり、対抗手段は必要だなって思ったんだ。それに、師匠の言いつけは守らなきゃいけないし」
ゾロは幼い頃に、コウシロウに何度も諭された。
『いいですか、ゾロ君。人にむけて、術をうってはいけませんよ』
九字を人にうってはいけない、剣印をむけてはいけない。力のある者がそんなことをすれば、術をうけた相手は確実に大怪我をする。へたをすれば、死んでしまう。だから、術で、人を傷つけてはいけないよ、と。
呪詛を返すのはしかたがない、それが陰陽師の仕事の一環なのだから。しかし、それ以外では術で人を傷つけないと約束した。
だが幸いなことに、それに代わる手段をゾロは持っている。
「それで、剣の強い・・・ですか」
「うん。それで、ブルックとフランキーが言ってたんだけど、呪詛とかを使った貴族の足の引っ張り合いって、昔からよくあったんだろ?」
「そうですね。たしかに、よくありました」
「ルフィが元服して出仕するようになったら、そういうことに巻き込まれるかもしれないだろ。そんときに、俺が助けてやれたらなって思ったんだ」
「それで、陰陽師になるんですね。大陰陽師というのは?」
「どうせやるなら、上を目指そうと思ってさ。それこそ、師匠を越えるような、全ての陰陽師の頂点に立つようなさ」
そう言ってゾロは、頬を掻きながら照れ臭そうに笑った。
「助けてあげたいのは、ルフィ様だけですか?」
「えっ!?あ〜・・・それはぁ・・・」
コウシロウがわざとらしく問いかけてくるのに、ゾロは頬を赤らめてそっぽを向きながら、ぽそっと言った。
「出来ることなら、あいつら全員、俺が護ってやりたい・・・だから、強くなるよ、俺」
「そうですか。では、私もこれまで以上に、指導を厳しくしていきますね」
「はい!よろしくお願いします!」
ゾロは元気よく返事をし、頭をおもいっきり下げた。コウシロウはそれに、穏やかに頷いて応えた。
「ゾォ〜ロォ〜?ゾロォ〜?お〜い」
「・・・んあ?」
揺り起こされ、ゾロは目を覚ます。
「んあ?じゃねえよ。もう日ぃ暮れたぞ」
「ああ・・・わりぃ、寝てた」
「疲れてんのはわかるけどよ、もう寝んなよ。もうすぐなんだからさ」
これから起こることを想像し、期待に満ち溢れた笑顔でそう告げるルフィ。ゾロはそれを眩しそうに目を細めて見つめる。
「わかったよ。ほら、前に座っとけ」
「おう!」
元気よく頷いてルフィは道のすぐ傍にある大きな岩が鎮座している所へと戻ると腰を下ろす。その左隣りには同じように腰を下ろすウソップ、右隣りにはナミ、さらにその隣りにサンジの姿。ゾロはそこから少し離れた木の根本に腰を下ろし、幹に背を預けて座っていた。思っていたよりも早く目的地にたどり着き、日が暮れるまでと、待っているうちにうたた寝をしていたようだ。
水の音が絶え間なく響いているこの場所は川がすぐ傍を流れていて、しかも高地ゆえに夏の盛りでも驚くほど涼しい。おかげですっかり寝入ってしまった。
道すがら話していた思い出話のせいか、ずいぶんと懐かしい夢をみたものだと思う。陰陽師になるとコウシロウに宣言した、あの日の夢。
あの時にコウシロウが浮かべた、暖かでありながらも、どこか複雑そうな色を含んだ微笑が今も脳裏によみがえる。だが、ゾロとて今は陰陽生。星読みも式占も得意ではないが、自分なりにそれらを読み解き、コウシロウが重く口を閉ざしているものが何なのかとか、あの時のコウシロウの表情の意味とか、自分たちの星宿についてなど、ある程度は把握したつもりだ。だから、なんとなくわかってしまったルフィの出生。
ルフィ自身まだ知らないことだろうが、おそらく当代の中で、天孫の血を一番色濃く受け継いでいる存在。
だからといって態度を変えるつもりはゾロには毛頭ない。彼らにとって、今のままが自然なのだから。
それにしても、知らなかったとはいえ『大陰陽師になる』などと、我ながらずいぶんと大きくでたものだと、いまさらながらに思う。それがどれほど大変な道程なのか出仕して初めてわかった。コウシロウが四十歳を越えるまで陰陽師にならなかったのは、忙しさはさることながら、しがらみに囚われて身動きがとれなくなることを懸念したからだろうと、今ならわかる。
それがわかってからは、『大陰陽師』という目標はかわらないが、偉くならなくてもいいから本当にそれらを必要としてくれるひとたちの役に立てたらなぁ、と思うようになった。
実際、出仕してからというもの、いろいろとあったのだ。本当にいろいろと。
コウシロウに敵対心を持つ陰陽師にコウシロウへの当てつけのように供として怨霊調伏に連れ出されて置き去りにされたあげく、左肩あたりから右脇腹まで袈裟掛けに斬られ全治二年の大怪我を負うし(そうなりながらもしっかりと調伏はしたが)、完治間際にはなぜかさまよえる魂に身の内の深くに依り憑かれせっかく回復してきた体力と気力と霊力を根こそぎごっそり奪われたところで(もちろんしっかり未練を断ち切り成仏させたが)、たちの悪い風邪を引き込み咳と微熱が治まらずますます体力が削がれさらに半年寝込み、そこから体力を回復させ出仕出来るようになるまでにさらに半年を費やし、ようやく出仕した時には始めに寝込んでから三年もの月日が経っていた。
おかげでその間にあった春と秋の年に二回の除目での昇進も当然なく、三年ぶりに出仕してみれば晴れて直丁から仕事のやり直しとなった。ゾロがつい最近まで直丁をしていたのには、こういう背景があったのだった。
だがゾロとて、ただ寝ていたわけではない。起き上がれるようになってからは、邸にあるコウシロウの様々な蔵書を徹底的にひもとき、圧倒的に不足している知識を補おうと努力した。時々書を片手にコウシロウに質問などもした。そんなふうに、いままで感覚でやってきたところに変に知識を入れたせいか一時期、視たり聴いたりするのに余計な力が入って感覚がおかしくなったことがあった。だがその感覚が掴め元に戻ったとき、ゾロの実力は全体的に底上げされていた。惜しむらくは、それらを披露する場がなかったことだ。
木々に覆われ月影すら射さない闇の中に、ひとつふたつと小さな淡い青白い光が浮かび上がり始める。それらは徐々に数を増やし、ゆったりと、時折ゆるやかに明滅を繰り返しながら群舞を披露してくれる。
それらを驚かさないように息を呑み、出来るだけ気配を殺し、闇に舞い踊る無数の螢火に魅入っているルフィたち。
おもむろにゾロは懐から土器を取り出し、脇に置いておいた瓶子を手に取り酒を注ぎ、くいっとあおる。蛍に魅入っている彼らに声をかけることなく、群舞を乱さないようにゾロらしからぬ静かな所作で一連の動作を行う。
左大臣家からコウシロウが賜った酒なので、質も味も極上だ。邸でコウシロウと飲んでもよかったのだが、その当のコウシロウに持たされたのだ。
ルフィがそれに気づき目線で問うてくるのに、ゾロは軽く土器を掲げることで応える。その意味に気づきルフィは笑う。
『まぁた、飲んでんのか』
『おう、うまいぞ。飲むか?』
『いらねぇ。見てろよ』
『見てるよ』
互いに声を出さずに唇の動きだけで会話をする。それを怪訝に思ったのか、ナミが振り返ってゾロを見る。ゾロは軽く瓶子を振ってみせた。それだけで二人の無言のやり取りを諒解したらしい。呆れたような笑みを浮かべると、手をひらひらと振って前に向きなおった。
会話にするならば、「おまえも飲むか?」「今はいらないわよ」と、いったところだろうか。
そういえばと、ふとゾロは思い出す。
まるで、塵あくたを掃き清めるがごとくに愁いを祓う。ゆえに、酒の異称を玉箒とするのだ、と聞いたことがある。
まるでルフィそのものだな、と思った自分の発想がおかしくて、ゾロは喉の奥でくっと笑った。では自分は、いや、自分たちはルフィという酒に酔わされているのかもしれないな、などとらちもないことを思う。
螢火の乱舞を見るともなしに見ながら酒をあおっていたゾロだったが、一人で飲むにはいささか多すぎる量だった酒は、やがて空になった。
幼馴染み組に目を向ければ、まだ夢中になって群舞を見つめている。その姿に、昨日の夜のうちに、今日の止雨の祈願を行っておいてよかったとゾロは満足げに笑う。もし雨など降ってしまったら台なしになるところだった。
さきほどから、さりげなさを装ってナミの肩に腕を回そうとしては、そっけなく打ち払われているサンジ。それでも懲りずに挑戦し続ける姿はいっそ涙を誘うほどに憐れで、笑いが込み上げてくるほどには滑稽だ。ウソップはなにやら身動いているが、手先が器用な彼のことだから、おそらく婚約者への手土産でも用意しようというのだろう。ナミの横では、いつのまにやらナミにしこたま殴られたらしいルフィが、両手で頭を抱えてうめいていた。はしゃぎだそうとしてナミにやられたのだろうと、その姿で察しがついた。
六年前に知り合った仲間たち。
並んで座るその後ろ姿を、ゾロは感慨深げに見守る。
遊び相手といえば幼馴染みで自分よりいくらか年上の少女と悪戯好きの雑鬼たちという自分に、それ以外で初めて向けられた同年代の親しげな眼差し。自分へと向けられた屈託のない笑み。小馬鹿にしたような挑戦的な態度。のばされた自分よりいくぶん小さな手。
満面の笑みを浮かべるルフィ、こまっしゃくれたようなところがあるナミ、同い年のせいかなにかと張り合うサンジ、年下なのに細かな気遣いをみせるウソップ、そんな彼らがそれぞれに自分の名を呼んでくれた日のことを覚えている。
それは、まるで昨日のことのように鮮やかに、すべての情景は瞼の裏に、心の一番優しい部分に、刻まれている。
とうとう堪えきれずにルフィが騒ぎ出す。それによって螢火が一瞬にして掻き消え、三人に怒られたうえに殴らていた。その喧騒はもうしばらく続きそうだ。
そう判断し、ゾロは頭の後ろで手を組むと木にもたれかかり目を閉じる。
とりあえず、いまはもう少し寝ることにしよう。
あの日、シャンクスに挨拶をする前にルフィに連行されたゾロは、いったんナミの部屋を後にし寝殿へと向かった。
寝殿の近くまできたときに、漏れ聞こえたコウシロウの声に、思わず足を止めたゾロの耳に聞こえたその内容。
慈愛と自信に溢れたその言葉に、ゾロは目を瞠った。ついで目頭が熱くなる。
――きっと大丈夫ですよ。ゾロは私が唯一と定めた後継。必ずや、ルフィ様のお力となりましょう。そして、ルフィ様の器は彼らと共に、すべての試練を乗り越えましょう
その時、ゾロは自分自身に誓いをたてた。
そして、自分に課したそれを忘れないために、その日からゾロは母方の姓を名乗っている。
『ロロノア・ゾロ』と。
――ルフィや皆が望むなら、そのために俺は心を砕き、力を貸すと誓う
六年前の邂逅に思いを馳せれば、胸のうちは優しい想いに満たされてあたたかかった。
FIN
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(2010.04.20)