グランドジパング平安草子〜鎮魂篇〜  −三−
            

智弥 様




 妻戸から明るい月の光が差し込み、単衣姿のゾロを白くぼんやりと浮かび上がらせている。
 ゾロのはだけた胸元からは、昔負った上体を二分するような大きな袈裟掛けの古傷が覗き、柳色の髪は肩から背へと流れ、月の光を浴びて銀の光沢を帯びている。
 そしてナミを見下ろす金緑の瞳には、本気でナミを心配し、安堵する優しい色を湛えていた。
 光の加減によっては金色にも見えるその瞳は、柔らかな月の光にも似ていて、ナミはゾロから目を逸らすことができなかった。
「ナミ?」
「えっ、や、その、あの」
 固まっているナミの様子を訝るゾロの呼びかけに、ナミは慌てて目を逸らす。顔が熱くなってくるのがわかった。
「ナミ姫、袿を。ゾロ、いつまでもそんな格好でいないで、せめて袿だけでも羽織っていらっしゃいな」
 ナミにはそっとささやくように、ゾロにはたしなめるように、ロビンが声をかけてくる。
 言われてからナミは、はっと自分の姿を見下ろす。そういえば、寝んでいたから単衣一枚だった。ゾロもいまさら思い出したようにナミから目を逸らし、ばつが悪そうにひとこと「悪い」と言うと、部屋を出ていった。
 ナミは差し出された袿を羽織り、すっかり冷たくなってしまった手を火照る頬に当てる。いまはその冷たさが気持ちいい。
 ゾロは無愛想でぶっきらぼうで粗野で粗暴なところはあるし、一見そうとは見えないうえに表立っては示さないのだが、実は仲間内でもっとも情が深い。
(あれは反則よねぇ。ゾロのくせに)
 優しい柔らかな色を湛えたゾロの瞳。
 もっとああいう顔を他でも見せれば、恐いとか近寄り難いとか誤解されないのにと思う。しかもその誤解を解こうともせずにいるのだから始末におえない。
 それにしても、ゾロがあんなにも、夜の闇と月の光が似合うだなんて。ルフィとは正反対だなと思う。ルフィは真昼の明るさと太陽の光がよく似合う。
 そう、ルフィをすべてを照らし誰にでも降り注ぐ暖かで優しくも厳しい光を持つ太陽とするならば、ゾロは聖も邪もすべてを内包する深遠なる闇を従えながらも、その日々で表情を変え冷たくも優しい柔らかな光を持つ月だ。表裏一体にして、生きとし生けるものにはなくてはならないもの。
 ルフィは自分がこうだと決めたらそれに向かって澱みなく突っ走り、ゾロは清濁併せ呑んだうえで自分の道を突き進む。似ていないようで、二人の根本は似通っているような気がする。
 では、自分は彼らにとって何なんだろう、などとらしくもないことを考えてしまう。
「大丈夫?」
 声をかけられて、そういえばこの人は誰だろうと、ナミはロビンを見やる。
「あなたは、誰?」
「私はロビン、コウシロウの式神よ。いまは神気を強めて、徒人のあなたにも見えるようにしているの」
「コウシロウ様の式神・・・じゃ、あの丸々としたたぬきみたいなのも?」
「ああ、あの子は」
「俺はたぬきじゃねぇ、馴鹿だっ!ほらっ、角!」
 たぬき扱いされたチョッパーは、憤慨して自身の頭部に生えている角を指し示して、馴鹿であることを主張する。
「・・・しゃべった」
「はぅっ!」
 ナミは呆然と呟いた。チョッパーは慌てて几帳の陰に隠れるが、また頭隠して尻隠さずの姿勢だった。
「逆・・・なんじゃない?」
 指摘され、チョッパーはそろりそろりと体勢を入れ替えた。それに、遅いわよ、とナミは苦笑を浮かべる。
「で、あなたは誰?となかいってなに?」
「お、俺は、ゾロの式で、チョッパーっていうんだ。馴鹿っていうのは、遥か西の大陸の寒冷地に住む鹿の一種だよ」
「へえー。しきっていうと、式神とは違うの?」
 ナミにはどちらも同じようなものに思える。それがわかったのか、ロビンはくすりと笑うとわかりやすく説明をした。
「式は陰陽師に使役される妖や霊、精霊のことをいうの。そして、使役される神を式神と呼ぶのよ。チョッパーは馴鹿の精霊だから、式なのよ」
「へえー、そうなんだ」
 ナミは初めて知った陰陽用語に素直に頷いた。
 そこに、妻戸を叩く音が響いた。
「あー、いいか、ナミ?」
「ゾロ?あ、うん、大丈夫よ、入って」
 ナミは慌てて袿の前を合わせ、居住まいを無意識に正して、ゾロを迎え入れた。
 気まずそうな顔で入ってきたゾロはしっかりと狩衣と狩袴を着て、髪は面倒だったのか首の後ろでひとつに括っていた。すでにいつも通りの、照れ隠しで仏頂面をするゾロでナミはほっとする。それと同時に、少々不機嫌にもなる。
 なにもそんなにしっかり着替えなくてもいいじゃない、と思うも、あらぬ噂をたてられてナミが傷つかないようにという、ゾロなりの配慮であることも重々承知しているのだが、ナミとしては、こんなにきれいでかわいい私と噂になるのは嫌だっていうのっ、といった感じで少々おもしろくない。こういうところは何気に律儀だったりするのだ、ゾロは。
「あー・・・、大丈夫か?」
「あ、うん。もう大丈夫、落ち着いた」
「なら、いい。女房たちの様子も伺ってきたが、ロビンの結界のおかげで騒動には気づかなかったみたいだな」
「そう、よかった」
「・・・さっきのあれ、なんのつもりだ?」
 ゾロが憮然として訊く。ナミは改めてゾロを見つめた。
「さっきの人、私になにかを言いたかったんじゃないかと思って」
 まだ冷たい手をすり合わせて、ナミは言う。それを見て心配そうな色を瞳に宿すゾロに頷いて、ナミは西対の方を見る。
「あの琴は、あの女の人のものだったのよ」
 それからナミは口元に手を当てて、考えるように目を伏せた。
「絃の音色がしたわ。あれは多分、琴の絃よ」
 ゾロは頷いた。鳴弦だと思っていたあの音は、楽器の絃の音だった。
 しばらく思案していたロビンは、険しい目をして言った。
「どうやら、その琴が鍵のようね。見てみましょう」
 蝋燭に火を点して足元を照らしながら西対に渡り妻戸を開くと、微かに埃っぽい空気が流れ出てきた。
 灯りをかざして目を凝らすと、奥に座している女の影が見えた。
 ナミはゾロの腕を掴んだ。ゾロがそっと頷くと、指の力が弱る。
 女は琴の前に座って、うつむいていた。たおやかな指が、いつのまにか覆いを取り去られていた琴の絃に添えられているが、女が指を動かしても絃は動かない。
 なのに、琴の音色が生じた。ゆるやかに響く音色は、胸が締めつけられるような旋律を紡ぐ。
 ずっと聞こえていたのは、間違いなくこの琴の音だ。
 女は琴を爪弾きながら、静かに涙を流していた。
『・・・・・・』
 ぽつりぽつりと何かを呟いているようだが、いかんせんゾロたちには彼女が何を言っているのかがわからない。
 ゾロは眉を寄せて考えた。
 さきほど突然駆け抜けた光景に、心臓が急激に跳ね上がり、ロビンがいることや、結界を張っていることとかは一瞬ですべて吹っ飛んで、ゾロは部屋を飛び出してきた。
 しかし、こうやって見ていると害意は感じられない。
 琴の音色が、深い悲しみに彩られて震えている。
 しばらくそれを見ていたロビンが、藍色の瞳をきらめかせた。
「・・・あの人、あの琴に心を残しているわね。何かあるのかしら」
「心残りがあるってぇことか?」
「多分ね」
「だが、昼間あの琴に触れた時は、俺は何も感じなかったんだがなぁ」
 納得のいかない風情で訝しんでいるゾロは、眉間にしわをよせた。だが、すぐに思考を切り替える。
「まあ、それはいい。だが、あの女が出てきた原因がわからねぇとなぁ」
「だよねぇ。思い残すことがあるから、琴に依ってるわけだし。それをどうにかしてほしいってことなのかなぁ?」
 チョッパーは腕を組んで、思案した。そんなチョッパーを見下ろして、ゾロは同じような顔をしながら頭を掻いた。
「・・・まぁ、ナミに危険がねぇならいいさ。ナミ、すまなかったな」
 さすがに申し訳なさそうなゾロに、ナミは肩を竦めた。
「べつにいいわ、こんなことになるなんて私も思わなかったし。お互い様ってことにしましょ」
 ゾロは嘆息した。ナミに気を使わせてしまった。夕餉のあと、ナミに言われたからといって、琴を再度確認しなかったのは自分たちの非である。
 しばらく琴を爪弾いていた女は、やがて落胆するかのように首をうなだれると、そのまますうっと掻き消えた。だが、悲哀の念は消えていない。彼女の心はまだあの琴に依っている。
 そっと妻戸を閉めて、一同は主屋に引き返した。
 ナミの部屋に戻ったゾロたちは茵の周りに座った。ゾロとロビンはナミを危険にさらしたとして、しきりに反省している。
「あの女のことは、こちらの失態だな」
「そうね、完全に私の失態だわ。外部からの侵入を防げても、中にもともといるものに関しては考えていなかったわ」
「それを言うなら、こっちが先だな。俺がもっと早くに気づいていれば、何かしらの手は打てたんだ。ロビンのせいじゃねぇ」
 この邸にもとから住んでいる雑鬼たちを消滅させてしまうわけにもいかず、彼らが自由に動けるように、彼らに影響が及ばないようにという配慮をロビンがしていたため、それが逆に仇になってしまった。
 しかしそれでもゾロは、けっしてロビンを責めることはない。こういう事態になった時、すべて自分の未熟さ故として受け止め、失敗点はしっかり反省し、次に繋げていくのだ。それが好ましくもあり、その半面、信頼されていないようにも感じて、少しばかり寂しい気もするロビンとチョッパーだった。
「この邸、何かいわくつきなんじゃねぇだろうな?」
「それはないんじゃないかしら。もしそうだったなら、ゾロにわからないはずがないでしょう」
「そう、だよなぁ」
 死霊憑きの無人邸とかいういわくつきなら、怨念とか漂う負の残留思念などからその時の情景がゾロに視える時がある。だが今回それはなかった。だから、そういうおどろおどろしいものはないはずなのだ。
「悪意は感じられねぇから、祓うのは大変じゃないとは思うんだがなぁ」
「ねぇ、ゾロ。なんとかしてあげられないの?あの人、私を殺そうとしているわけじゃないのよ。できることなら・・・」
 ナミがすがるように見つめてくる。
「・・・なんとかと、言われてもなぁ」
 ゾロはあらぬほうを見て、困ったようにがしがしと頭を掻き回す。だがその顔はすでに、ナミの希望を叶えようとしているようで、ロビンはなにやら含むような眼差しでゾロを見やった。気づいたチョッパーが不思議そうに小首を傾げるのに、ロビンは意味深に微笑むだけだ。
 ゾロが怪訝そうにロビンを見る。
「なんだ、ロビン?」
「いいえ。ナミ姫がそう仰るなら、どうにかしなくてはね、ゾロ」
「そうなんだが」
 心底困ったように、ゾロが唸る。
「当時を知るものに尋ねる、というのはどうかしら」
「なに?」
「この周辺に棲息しているものたちなら、大概の事象は記憶していると思うのだけど」
「ああ、その手があったか。時間もまだ夜明けにはしばらくあるし、ちょっくら行ってくっか」
「ゾロ」
 ナミが不安そうにゾロを呼ぶ。
「わかってる。とにかく、おまえはもう一度寝てろ」
 ゾロとロビンに勧められ、再びナミは茵に横になった。
 燈台を消すとまったくの闇になる。整えられた几帳の向こうにロビンが控えているのがわかった。
 そっと息をついて、ナミは袿の下で手のひらを胸元に当て、首から下げた匂い
袋を単衣の上から握るようにして、目を閉じる。
 この匂い袋は、シャンクスに引き取られた時に北の方が見知らぬ所に来て心細いだろうからと、手ずから作ってくれたもので、ナミにとってはお守りのようなものだった。
 霊が迫ってきたあの時、ナミは心の中で幼馴染みたちの名を叫び、最後に叫んだのがゾロだった。そうしたら、本当に来てくれた。
 ゾロはいつもいつも、ルフィたちとは違う形で自分を気にかけて助けてくれる。
 頼りきりではいけないとは思うし、なにか自分にできることがあればいいのにといつも考えている。
(そういえば、伽羅には破邪退魔の力があるって、前にゾロが言ってたっけ。今度、匂い袋でもあげようかな・・・)
 目を閉じて思案しているうちに、意識が眠りの海にとけこんでいった。




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(2010.06.08)


 

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