グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十一−
            

智弥 様




 枯れ枝を踏む音を聞きとめ、サンジとヨウカは振り返った。
「・・・来たか」
「お待ちしておりました」
 サンジは忌ま忌ましそうに呟き、ヨウカは期待に目を細めた。
 ゾロは立ち止まり、周囲を見回した。
 杉林の中に建てられた小さな社がある。その周囲に立ち並ぶ無数の杉から、憎悪を含んだ瘴気が漂っているのが感じられた。
「これは・・・」
 茫然と呟くゾロに、ヨウカが声をかける。
「これらすべては、沙妖の呪詛を受けています。呪詛は幹を降りて根を伝い、大地に染み込み、このキブネを封じ込めました」
「沙妖の呪詛、だと・・・?」
「はい。しかし、まだ沙妖の呪詛は成就しておりません」
「なぜ、そんなことがわかる?」
 淡々とした二人のやり取りに、サンジはただ、傍観するしかなかった。
「沙妖の呪詛は、あれが喰い殺した人々の無念と絶望、憤りを糧にしています。そして、呪詛はあと一人をもって成就します」
「俺は、その最後の一人ってわけか」
「はい。力のある人間を最後に、その命をもって、この国を支配するための礎にする、と。ですから、いまならば、まだ間に合います」
 ヨウカのきっぱりとした言い分に、ゾロはわずかに不信感を抱く。そして、それをそのまま口にした。
「そう言い切れる根拠はなんだ?」
 その疑問に、ヨウカは微笑んで答えた。
「それは、私が、呪詛の核となっているからです」
「えっ・・・!?」
 ヨウカの答えに、サンジが絶句する。ゾロはただ、得心した。
「ですから、私を祓ってください」
「ヨウカちゃん!なに言ってんだよ!駄目だ、そんなの!」
 静かにそう言ったヨウカに、サンジは慌てて詰め寄った。
「いいのです、サンジ様。すべては、私に責めがあります」
「だからって!」
「私が、願ってはいけないことを、願ってしまったから。だから私に、その責任を果たさせてください」
 ヨウカはサンジに、ふわりと微笑んだ。それは、サンジがあの日見惚れた、あの天女の微笑みだった。
「ヨウカちゃん・・・」
 サンジはその笑みに、ヨウカの覚悟をみた。
「おい、藻」
 サンジはゾロに凶悪な顔で向き直ると、強烈な蹴りを繰り出してきた。
「なにしやがる!」
 とっさに蹴りを躱したゾロは、サンジを怒鳴りつけた。
「ヨウカちゃんは祓わせねぇ!やりたきゃ、俺を倒してからにしろ!」
「なにとち狂ってやがる!」
「サンジ様!」
 制止の声をあげるヨウカには応えず、サンジは次々に蹴りを放つ。ゾロはそれを、体捌きで躱していく。
 そんな最中にも、ゾロは息を乱さぬように心がけ、できるだけ自然に見えるように前へと足を運び、そして、踏みしめるたびに、小さく唱える。
 左足を踏み出し。
「天篷」
 右足を進めて両足を揃え、さらに右足を進めて。
「天内」
 気取られないように蹴りを躱し、確実に大地を踏みしめていく。
 天輔、天禽、天心、天柱、天任。
 唱えるたびに、大地に潜んだ妖力が立ち上って渦を巻く。徒人であるサンジは、それに気づかない。
 ゾロはサンジの蹴りを、腕を振って受け流すと、地を蹴って、懐から符を引き抜いた。
「天英!」
 ゾロの軌跡が白く輝き、閃光を放つ。
 サンジは目を瞠った。驚きで、攻撃が止まる。
「これは・・・この形は、北斗・・・!?」
 ゾロは瞑目して精神を一点に集中した。
「清陽は天なり、濁陰は地なり。伏してねがわくば、守護諸神、加護哀愍したまえ!」
 キブネは気生嶺。聖なる気が生まれいで、竜の如く立ち上ると呼び称される霊峰。
「急々如律令―――!」
 ゾロの叫びが辺りに響く。
 声に驚愕の色を滲ませ、サンジはゾロに問う。
「おまえ、いったい何を・・・!」
「この山を、本来の姿に戻す!」
 ゾロはきっぱりと言い切った。


 ロビンとチョッパーは、無数の化け物たちすべてを倒すと、ゾロの許に駆けつけた。
 ゾロは印を組んだまま、前だけを見据えて動かない。
 桜の根本に、周囲を立ち上った円状の壁に囲まれ、胸元に張りついた呪符から白煙をあげているヨウカが、穏やかな表情でうずくまっていた。
 その傍には、茫然としたサンジが膝をついていた。
「ゾロ」
 ヨウカから視線を逸らさずに、ゾロはチョッパーとロビンに言った。
「おまえらは先に行け」
「ゾロは!?」
「俺は、しばらく動けねぇ」
 ゾロは本当に、そこから動けずにいた。
 ゾロの術により、呪詛は中断され、成就はもはやかなわない。
 だが、このまま瘴気を消滅させてキブネの霊力を復活させれば、ぎりぎりの均衡を保ちながらせめぎあっている怨嗟と神気が暴走し、ヨウカへとすべてが押し寄せるだろうことが予想される。
 ヨウカは木霊だ。肉体という器のない魂は、力の奔流におそらく堪えきれないだろう。
 だから、根深く食い込んだ瘴気のすべてを昇華し、神気を宥めて鎮静化させるまでは、ゾロはこの場を離れることができないのだ。
 それに、とゾロは自嘲した。
 元をただせば、自分の甘さがこの自体を招いたのだ。そうでなければ、サンジはいまこの場にはいなかったのだから。そして、サンジをも巻き込んだあげく、その彼の目の前で想い人を消し去るなど、さすがのゾロでもできなかった。
 だから、二人には先に行ってもらい、沙妖を牽制していてもらおうとゾロは考えたのだが、ロビンとチョッパーは黙然と頭を振った。
「あなたを残していくことはできないわ」
「もしいまここで、他の妖異たちが襲ってきたらどうするんだよ」
 もしそんなことになったら、ゾロは太刀打ちできずに容易く殺されてしまうだろう。そして、ヨウカの魂はかえってきた怨嗟の念に取り込まれ消滅し、サンジも奴らの餌食になってしまう。
「じゃあ・・・どうしろって言うんだよ」
 ゾロは焦れて言った。
「もちろん、このまま待つわ。待って、ここが片付いたら、一緒に行きましょう」
「その頃までには、援軍も到着するはずだよ」
 さも当たり前のように、ロビンとチョッパーは解決案を提示し、決定してしまった。
 ゾロはちっと舌打ちをすると、仕方なく頷いた。
「ロビン、ぐる眉を頼む。もう少しさがらせてくれ。チョッパー、辺りの警戒を頼む」
「承知」
 ゾロの指示に従って、二人は動き出す。チョッパーは人型をとり辺りを警戒し、ロビンはサンジに声をかける。
 いまのサンジには、ロビンの姿もチョッパーの姿も見えている。いつものサンジならば、ロビンを認めた瞬間にも美辞麗句を並べ立てるのだが、いまは精神的にそんな余裕もないのか、ただひたすらに、食い入るようにヨウカとゾロを見つめている。
 ロビンは、しかたのない子、とでもいうように、ため息を吐く。
「・・・愚かね。妖異の甘言に惑わされ、精霊として許されない道に入るなんて」
「そんな言い方はないだろう!」
 ロビンの辛辣な言葉に、サンジが激しく言い返した。が、相手が女性とわかると、ばつが悪そうにうなだれた。
 ヨウカの行動は、たしかに褒められたものではない。だが、悩んで悩んで、自責の念にかられ追い詰められてしまった。そこを沙妖につけ込まれた。だから、責められるべきはヨウカではなく、卑劣なあの妖だ。
 サンジは、ゾロが来るまでの間に、ヨウカの口からすべてを聞いていた。
 先刻にゾロに蹴りをみまったのも、サンジなりのけじめだった。サンジの蹴りを躱し、そのうえでゾロがヨウカに対して何かしらの行動に出たならば、そのまま彼にその場を任せようと決めたのだ。
 何かと衝突することの多い奴だけれども、人の情の機敏に疎い奴ではない。だからきっと、彼女のことも悪いようにはしないと、確信できる。
 だが、黙って任せるなんて、自分の性には合わない。だから、あれくらいは意趣返しだ。ありがたく受け取りやがれ。
「大丈夫よ。まだ、手遅れではないわ。いまならなんとか、彼女を助けられるわ」
 むずかる子供をあやすかのように、ロビンがサンジの背を撫でた。サンジはそれに、無言で頷いた。
「・・・あいつ、大丈夫なのか?」
 しばらくして、サンジがぽつりと呟いた。ロビンはサンジの背を撫でながら答える。
「ええ、大丈夫よ。・・・あの子は、たいしたものよ」
 この瘴気の中で、封じられ抑圧された、いつ爆発するともしれない神気を制圧し、吹き出す怨嗟からヨウカの魂を護っている。
「・・・本当に、たいしたものだわ」
 ロビンは心底から感嘆した。


 それから、どのくらい経ったのか。
 ヨウカの周囲から円状の壁が消え失せ、ゾロの全身から力が抜けた。放っていた術が役目を終えたのだ。
 ゾロが膝に手をつき、肩で息をする。気が緩んだら、膝が砕けてしまいそうな気すらしていた。
 ゾロはヨウカを救うために、ぎりぎりまで気力を削ぎ落とされていた。
「ご苦労様」
 ゾロは上体を起こし、ロビンとチョッパーを見渡し、軽く頷いた。
「少々骨がおれたがな。女の情念ほど、恐ろしいもんはねぇな」
 ゾロは、桜の根本にうずくまっているヨウカを、悲しげに見つめた。
「サンジ、あとは任せた」
 ここからは、サンジの出番だ。自分は、いないほうがいい。
 ゾロは本宮の方角を見やる。
「おまえは、これからどうするんだよ」
 サンジがヨウカを抱き起こしながら、ゾロの背へと問いかけた。ゾロは振り向くことなく、それに答えた。
「あとひとつ・・・いや、ふたつ、やることがある」
「そうか・・・」
 サンジはそれ以上、何もきかなかった。ゾロは前を見据えたままで、ロビンに声をかける。
「ロビン。すまないが、ここを頼む」
「ええ、心得たわ。こちらは気にせずに、行ってらっしゃいな」
 ロビンは笑顔で引き受ける。
「サンジ」
 ふいにゾロは呼びかけた。サンジはヨウカから顔を上げ、ゾロを見る。
「いい加減、そいつの名を呼んでやれ。名は一番短い呪、と言うからな。おまえが呼べば、少なくとも夏の間くらいはその魂、保つだろうよ」
 そう言うと、ゾロはサンジを見ることなく、本宮へ向けて走り出した。そのすぐあとを、チョッパーが追っていく。
 ゾロはわかってしまった。
 ヨウカはもう、長くはないということが。
 瘴気を浄化しキブネを本来の姿に戻したことで、ヨウカにも本来の寿命が戻ってしまったのだ。
 ヨウカは人の精気を取り込むことで、寿命をのばしていた。そうしなければならないほど、精霊としての力を失ってきていたのだ。
 だが、サンジが彼女の真名を呼べば、少なくとも存在を保つ程度には、力が回復するはずなのだ。なのに、サンジは彼女の真名をいまだに呼ばない。サンジが彼女の名を知らないはずはないのに。
 精霊や妖にとって、「名」というのは大事なものなのだ。名は彼らの本質をあらわし、彼らという存在を確立する「核」のようなもの。都に棲んでいる雑鬼たちとて、彼らだけの呼び名がちゃんとあるのだ。
「サンジ、ちゃんと呼んであげるよね」
 チョッパーが心配そうに後ろを振り返りつつ言う。
「さあ、どうだろうな。忘れてんじゃないのか」
 先程のサンジの様子から察するに、その可能性はかなり高い。
「今年の春のことなんだがなぁ。あいつにとっては、女を口説くのと同程度だったってことか」
「そんなの、彼女がかわいそうだよ」
「しかたないだろう。あいつは桜に精霊が宿っていたことなんか、知らなかったんだから」
「それは・・・そうだけど」
 二人は言い合いながらも足を止めることなく、傾斜を進んでいく。
 ふとチョッパーが耳をそばだて、後ろを振り返った。それに気づき、ゾロは立ち止まる。
「どうした、チョッパー」
「うん、援軍が来たよ」
 チョッパーが指し示す方から、たしかに人の声が聞こえた。
「この声は、まさか・・・」
 声の主に気づき、ゾロは愕然とした。
「おお〜い、待てよ〜、ゾロ〜」
 声はだんだんと近づいてきて、とうとうゾロの目の前に、その声の主が現れた。
「ルフィ・・・!なんで、おまえがここに・・・!」
「ん。コウシロウに言われた」
「師匠に!?」
「おう。ゾロを助けてやってくれって、これを渡されてさ。頼まれた」
 そう言ってルフィは、腰に差したものをゾロに見せた。




←10へ  12へ→

(2010.11.02)



 

戻る
BBSへ