グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十三−
            

智弥 様




 ゾロの狙いは、最初からそこにあった。
 瘴気の柱を一時的に弱め、そこに力を叩き込む。それが沙妖に届こうが届くまいがかまわない。ようは、自分からこちらに、仕掛けてくるように仕向けてみたのだ。
 沙妖の体が、さらさらと崩れる。それを見たルフィは確信した。
「やったか!」
「気をつけて!」
 だが、ロビンが警告を発した。
 一陣の砂渦が二人の横に降り立つ。そして、砂は男の姿をなした。
 二人ははっとして、とっさに二手に別れて飛び退った。
 その瞬間、それまで二人がいた場所の中央に、沙妖は右手を振り下ろしていた。
「なっ・・・!?」
「なんだぁ?」
 二人は驚愕した。沙妖の右手が触れた地面が、砂と化したのだ。
 あと一瞬でも避けるのが遅れていたら、二人のうちのどちらかが、あの手の餌食になっていたにちがいない。
「沙妖の右手には注意して。触れられたら、そこから体の水分を吸収されてしまうわ」
 ロビンの助言に、ゾロは舌打ちした。なんて厄介な奴なんだ。しかし、ゾロの目論みは成功したようだ。
 自尊心の強い奴ほど、侮っている者に反撃されると、頭にくるものらしい。
 しかし、ルフィは話を聞いていたのかいなかったのか、沙妖に殴りかかる。
 ルフィの拳が沙妖の鳩尾を捉えた、と思った瞬間、沙妖の体は砕け散った。
「うぇっ!?」
 ルフィは思わずたじろぐ。人を殴った感触はなく、それは紛れもなく砂の感触だったからだ。
 飛び散った砂煙から、沙妖の体が再生していく。
「不死身か・・・!」
 嫌でも、瞬時に理解させられた。ゾロは注意を促す。
「ルフィ、太刀をつかえ!間違っても、素手で殴りかかるんじゃねぇ!」
「わ、わかった!」
 ルフィは慌てて間合いをとると、太刀を構える。
 沙妖は手を振りかざす。指先が砂となり、鋭い手刀がルフィに襲いかかる。ルフィは本能に従って、すんでのところでそれを避けた。
 外縛印を結び、ゾロは沙妖を見据える。
「オンアビラウンキャン、シャラクタン!」
 さらに符を放って叫んだ。
「万魔拱服!」
 ぐわりと霊力が迸しる。符が白銀の刃に変じて、沙妖めがけて突進していく。
『ふん、小癪な!』
 沙妖の砂の刃が、白銀の刃を弾き飛ばす。恐ろしい妖力が、力ずくで捩じ伏せ瞬時に消滅させた。
 その瞬間を狙い、ルフィは太刀で斬り込む。
 しかし、沙妖はそれを予期していたかのように、再び砂となり、本宮の屋根の上にその身を移動させた。
 それと入れ替わるように、妖異たちが迫りくる。ゾロとルフィは、また無数の妖たちと対峙することとなった。
 ゾロは、自分のふがいなさに歯噛みした。
 ふいに、頭の芯がくらりと揺れ、視界が黒く染まり、ゾロの膝が砕けた。
 膝をついたゾロの許に、妖を斬り倒していたルフィが、慌てて駆け寄った。
「ゾロ!」
「大丈夫だ、問題ねぇ・・・」
 膝を押して立ち上がるも、ゾロはわずかによろめき、再び膝をついた。
 陰陽の術は、行使すれば体力を消耗する。術者が未熟であればあるほど、あるいは、術が強力であればあるほど、それに匹敵するだけの気力も削がれていく。ゾロの気力はすでに、限界をむかえていた。
 憎き方士は弱っている。
 それを見てとった妖怪たちは大きく回り込み、ゾロ目掛けていっせいに突進してきた。ルフィの持つ太刀が閃く。ゾロを取り囲み、襲い来るものすべてを容赦なく斬りすてていく。
 妖怪たちは絶命し、砂へと変わっていく。しかし、砂になった仲間を飛び越えて、妖怪たちが次から次へと突撃してくる。
 どれほどの数がいるのか、まったくきりがない。
「ゾロ!大丈夫か!?」
「ああ・・・すまねぇ」
 ゾロは、ようやく駆け寄ってきたチョッパーの手を借りて立ち上がり、屋根の上に佇む沙妖を睨みつけた。
(奴が、妖怪どもを指揮している。奴を倒せば統制は崩れる)
 ゾロはチョッパーの手を離して、両足で大地を踏みしめる。
「俺が奴をやる。周りの雑魚どもは頼む!」
『戯言を!』
 ゾロの叫びを受けて、沙妖が狂ったように嘲り笑った。
『おもしれぇ!ならば、どれほどのことがやれるかやってみろ!』
 ルフィを筆頭に式神たちが、ゾロの周囲を守って襲撃を蹴散らす。
 ゾロは沙妖を見据えて刀印を結んだ。
「ナウマクサンマンダボダナン、ギャランケイシンバリヤハラハタジュチラマヤソワカ!」
 ゾロの放つ霊力が、鋭く、冷たく、研ぎ澄まされていく。
「オンナウキシャタラニシダエイ、イダテイタモコテイタ・・・」
 大気が震え出す。瘴気で穢されたキブネの山が、大地が呼応して、封じられていた神気が縛めを解こうと猛り始める。
 ゾロは目を閉じて、強く念じた。
 キブネの祭神、水を司る竜神よ、生生嶺の神よ。おまえを縛る呪いの鎖を、重い瘴気を蹴散らす力を、この身に降ろせ。
「ナウマクサンマンダボダナン、ナンドハナウンドソワカ!」
 霊気の竜巻が生じたかと思うと、ゾロの周囲を取り囲み、苛烈な水気の塊が地中から巻き上がり、沙妖を襲う。
『なに・・・!?』
 沙妖の目が驚愕に見開かれた。これは、この凄まじい神通力は、この山がもつ本来の力だ。
 だが、沙妖の目が残忍にきらめいた。
『いますこし、及ばねぇなぁ』
 沙妖は両腕を広げると、激しい妖気の塊を水気の竜巻に叩きつけた。神気と妖気がぶつかり合う音が、山間にこだまする。
『もう少し楽しめるかと思ったが、ここまでのようだな』
 沙妖の力が竜巻を押し返す。キブネの神気はそのまま、ゾロに撥ね返ってきた。
「うわあっ!」
 ゾロは術のすべてをその身に受けて飛ばされる。とっさにチョッパーが獣型のまま真ん丸に膨らんでゾロを受け止めたが、弾みで杉の幹に叩きつけられそうになり、そこをロビンがいくつもの腕を咲かせて受け止めた。
 チョッパーは人型になると、ゾロを抱えてその場に座り込み、軽く揺さぶった。
「ゾロ・・・!」
 ゾロは力なく瞼を閉じている。それも無理もない、気力が削がれているうえに、凄まじい衝撃をもろに食らったのだから。
『この山の神とやらは、水神だったな。だが、こんな国の神など、俺には及ばねぇ。当然、口だけの方士もなぁ』
 くつくつと笑いながら、沙妖は目をすがめて、ゾロたちを一瞥した。
『悔しいだろうなぁ、神とやらは。俺に屈服させられ、雨も封じられたんだからなぁ』
 沙妖は意気揚々と高笑った。
『さて、茶番は終わりだ』
 沙妖はさらに、妖怪たちに攻撃を畳みかけるように命じた。
 あれだけいた妖異たちは、その数を激減させていた。だが、それは沙妖にとっては、いかほどの問題ではない。なぜなら、沙妖は最初から、誰ひとりとして信用していないからだ。
 それに、自分にはとうてい敵わないが、それでも秘めたる霊力は絶大なこの方士を喰らえば、いま以上の妖力がこの身に宿ることは必定。そのうえ、方士と共に乗り込んできた人間は、ほかに類を見ないほどに高尚で清冽な魂の持ち主のようだ。ならば、その崇高なる魂の器である肉体を喰らえば、いままでにないほどの力が全身に漲ることだろう。
 それさえ得られれば、配下など必要ない。なんの役にもたたないたくさんの妖異など、邪魔なだけだ。だが、まあ、相手の力を削ぐ程度にはなったのか。
 いまや妖異の大群は、その数を確実に減らしてきていた。


 ゾロは、うっすらと目を開けた。
「ゾロ、大丈夫か?」
 チョッパーがゾロの顔を覗き込む。心配そうなチョッパーの手の中で、ゾロはどこか遠くを見ているようだった。
「ゾロ?」
 再度、チョッパーが問いかけてくる。ゾロはようやく意識がはっきりしてきたのか、のろのろと身を起こした。
「くっ・・・いってぇ・・・」
 ゾロはずきずきと痛む背中に手を当てて、狩衣の上から爪をたてた。チョッパーがさらに心配げに、おろおろしだす。
 ゾロは痛みに息をつめながらも、辺りに目を配る。
 ルフィが、ロビンが、フランキーが、ブルックが、持てる力のすべてをもって、妖たちを退けている。ならば、いくら手負いの身とはいえ、自分ひとりだけが楽をするわけにはいかない。
 ゾロは顔をしかめて息を整える。
「ゾロ?」
 ゾロの体を案じて、チョッパーは手を差し延べてくる。ゾロはそれを片手で制して、口を開いた。
「もう一度、やる」
「で、でも、また撥ね返されたら」
 今度こそ、ただではすまないだろう。そう心配するチョッパーの胸元を、ゾロは軽く拳で叩くことで応える。
「ひとつ、思い出したことが、ある」
 ゾロの脳裏には、いつも大切なことを教えてくれる声があった。
『ゾロ君に、とっておきを教えておきますね』
 幼い頃の修行の最中に、どうしてもうまくいかないと思うときがあった。そんなときに、口元に穏やかな笑みを湛えて、教えてくれたのだ。
『どうしても駄目なときは、この国の言葉で、お願いするんですよ』
『なんで?同じことを言ってるのに?』
『そうですねぇ。でもね、ゾロ君。君も、例えば大陸の国の言葉でお願いをされたら、聞いてあげたいと思っていても、少しばかり戸惑ってしまうでしょう?』
 そのわかりやすい説明に、幼いゾロは、すんなりと納得したことを覚えている。
 ゾロはあがりそうになる息の合間に、必死に言葉を紡ぐ。
「・・・よ・・・自在を・・・えたるものよ、輝ける・・・ものよ・・・」
 ゾロが神呪を唱えながら、のろのろと立ち上がる。
「・・・あまねき諸仏に帰依したてまつる、――除災の、星宿に」
 ルフィはかすかに届いた呪文を聞いて、振り返った。
「ゾロ・・・!?」
 ロビンも気づき、ついで寄り集まってくる凄絶な神気の奔流に、息を呑む。
 ゾロを睥睨していた沙妖は、最後の悪あがきと高をくくっていたが、徐々に表情が変わっていく。やがてその目に、狼狽の色が浮かび始めた。
『馬鹿な・・・これは・・・!』
 さきほどまでとは、桁が違う。これほどの力をどこに持っていたというのか。
 ゾロは常の刀印ではなく、不動の秘印を結んだ。
「東方降三世夜叉明王、西方大威徳夜叉明王、南方軍多利夜叉明王、北方金剛夜叉明王」
 ルフィが愕然として、ゾロを見つめている。式神たちも、ゾロが放つ激しい力にのまれて立ちすくむ。
「圧伏せよ!浄めたまえ、摧破したまえ!呪縛の鎖を打ち砕き、出でよ・・・!」
 天と地を指示し、ゾロは叫んだ。
「―――タカオカミノ神!」
 轟音が、キブネの地中の奥深くから沸き上がった。
 封じられていたキブネの力という力のすべてが一点に集約し、屋根の上で硬直している沙妖目掛けて襲いかかる。
『馬鹿な!』
 沙妖の叫びは甚大な神気の渦にのまれ、妖の体もろともに掻き消える。そしてそれは、ゾロたちの周囲を埋めつくしていた異形たちをも、瞬時に消滅させた。
 ゾロは茫然と立ち尽くしていたが、やがてぐらりと後ろに傾いた。倒れかかったゾロを受け止めて、チョッパーは立ちすくんでいるルフィたちと顔を見合わせたあと、腕の中のゾロに視線を移した。
 ゾロは意識を失っていた。
 それもそのはずで、招神の儀を行った際に、クラオカミノ神によって根こそぎ持って行かれた霊力は、数日かかっても、まだいつもの半分ほどしか回復していなかったのだ。それなのに、立て続けのこの事態。もはや霊力も底をつきかけていた。それをここまで気力で補ってきての、最後の大技だ。意識も飛ばそうというものだ。
「ゾロ、すげえ」
 ルフィははっと我にかえり、思わず呟いた。
 ゾロはあとどれだけの、計り知れない力を秘めているのだろうか。それを考えただけで、ルフィは沸き上がる興奮に、ぞくりと身震いした。
 そのとき、さあぁっという音とともに、男が舞い降りた。怒りと憎しみでぎらぎらと目を輝かせた、沙妖がそこにいた。
「そんな・・・!」
「あの神気の渦にのまれたってぇのに!」
「耐えきっただなんて、そんなこと、ありなんですか!?」
 満身創痍でありながらも、しっかりと自分の足で立っている沙妖を、それぞれが驚愕の面持ちで見ていた。
 沙妖とは、あれだけの神気の奔流に耐えられるだけの妖力を持った妖なのだと、いまさらながらに気づかされた。




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(2010.11.12)



 

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