グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜 −十四−
智弥 様
『てめぇら・・・!殺してやる!』
憎悪に燃える目で、沙妖はまだ意識の戻らないゾロを凝視した。
沙妖は憎しみに我を忘れていた。
海を隔てた大陸全土の支配権をめぐって死闘を繰り広げた末に、沙妖は敗北をきっし、とどめをさされる前に、この地へと落ち延びた。
だが沙妖は、この国を支配し、仇敵である大妖を屈服させるだけの力を手に入れ、再びかの大陸に舞い戻り、自分をこんな島国へと追いやった仇敵を葬り去る腹積もりだった。
朽ちかけた桜に宿る精霊に甘言を囁き、効率的に人を喰らってきた。死闘によって極限まで削がれた力は、人間―それも、できれば霊性の高い人間の肉を喰らうことで取り戻せる。だからこそ、あの木霊は利用価値ありとして、手を差し延べてやったのだ。
これまでに浚ってきた人間の肉を食み、血を飲み下したことで、負っていた傷は完全に癒えた。あとは、あの方士さえ喰らえば、削ぎ落とされた妖力を取り戻せたというのに。
そうすれば、負わされた傷のすべては完治し、この国を大陸を支配するための足掛かりにできたものを。
だが、それは脆弱な存在でしかない、それこそ妖にとっては虫けらも同然の人間によって阻まれてしまった。沙妖は、自分の計画を妨害されたことが、なによりも許せないのだ。
このうえは、人間同士を争わせ、大地を血で覆わなければ、自分の溜飲が下がることはない。
だがその前に、自分の計画を台なしにした目の前の奴らを、血祭りにあげなければ気が済まない。もちろん、あの朽ちかけた桜の木霊にも、それ相応の報いをあたえてやる。
こいつらを八つ裂きにして殺した後に、方士のほうは生きたまま、腕を食いちぎり肩を潰し、砂で内腑をずたずたに切り裂いて、いっそ殺してくれと懇願するほどの苦しみを与えてやる。そして死した後は、肉の一欠片も血の一滴も、余すことなく貪ってやろう。
沙妖の眼が、残忍さを帯びる。
『俺の邪魔をした罪、その命で購わせてやる!』
「やれるもんなら、やってみろ!俺が相手だ!」
ルフィは秋水の切っ先を沙妖に向けて、駆け出した。
徒人でしかない人間が自分に立ち向かってくる様を見て、沙妖は嘲笑した。
『貴様ごときに、俺を倒せるはずがねぇ・・・!』
「んなもん、やってみなけりゃわかんねぇだろ!」
『黙れ!』
怒りに満ちた声が、辺りに響く。それと同時に、沙妖の体を渦巻く砂が取り囲む。そして、その中から現れたのは、砂色の硬いうろこをもつ巨大な蜥蜴の姿だった。
「口、でかっ!!」
「あれが、沙妖の本性よ!」
ルフィが蜥蜴の大きさに目を瞠っていると、ロビンが声を上げた。
大蜥蜴から凄まじい妖気の刃が放たれる。ルフィはとっさに秋水で防御しようとしたが、それよりも前に、見えない壁に遮られて、ルフィに届くことはなかった。
「援護はまかせて。あなたは沙妖にだけ、集中しなさい」
不思議がるルフィに、ロビンがそう言って、沙妖に集中するように促した。妖気の刃を阻んだのは、ロビンの結界だった。
ルフィは不敵に笑って答えた。
「わかった!ありがとな、ロビン!」
ルフィはあらためて秋水を構えると、再び沙妖に向かって走り出した。
ゾロを抱えて成り行きを見守っていたチョッパーは、ゾロが身じろぎするのを感じ、視線をそちらへと向けた。
ゾロの瞼が震え、その下から金緑の双眸がゆっくりと現れる。
「ゾロ、大丈夫か?」
「チョッパー・・・。奴は・・・どうなった?」
「それが・・・」
まだぼんやりとしているゾロの問いに、チョッパーは苦い顔をして本宮の方を見る。ゾロも顔だけをそちらに向け、そして目を見開いた。
「なっ・・・!?なんだ、ありゃ!」
目に飛び込んできたのは、大蜥蜴と、それに向かっていくルフィの姿だった。
「あの大蜥蜴が、沙妖の本性なんだ」
「なっ・・・!?馬鹿な!無事だったってぇのか!?」
動かない体を無理矢理動かして、ゾロはチョッパーの腕から身を起こす。チョッパーは慌てて、いまにもくずおれそうなゾロを支える。
あれが沙妖だとしたら、徒人のルフィが立ち向かうなど、死ににいくようなものだ。ゾロはとっさに、いま自分にできることを考える。
瞬時に考えを巡らせたゾロは、首にかけていた数珠を無造作に外す。
いまの自分には、ほとんど霊力が残っていない。だが、数日前にもしものときを考えて、コウシロウから与えられたこの数珠には、コウシロウの霊力が宿っている。数珠はくすんだ緑色の勾玉が四つついていて、青い玉を繋いだものだった。
これをいま使わずして、いつ使うというのか。
ゾロは数珠を握りしめて息を整えると、数珠の霊力を解放した。
フランキーとブルックが沙妖に攻撃を繰り出す。沙妖はそれを、妖気を爆発させて障壁を築き、左右からの攻撃を防いだ。
そこに、呪文が叩きつけられる。
「麻加連也、麻加連與、此矢に麻加連!」
無数の霊矢が放たれて、沙妖の全身を襲う。だが沙妖は、砂嵐を起こし、飛来する霊矢すべてを打ち落とした。
「なんだぁ!?」
足を止めて振り返ったルフィは、その先にいる人物を認めて安堵の笑顔をみせた。
「ゾロ!」
ルフィの声に、ゾロは頷くことで応える。
「封禁!」
沙妖を取り囲む球状の結界が、音もなく形成される。
気づいた沙妖は剣呑な色をその目に宿し、ゾロを睨んだ。
『方士か・・・!そこで待っていろ。こいつらを血祭りにあげた後で、お前を喰らってやるからなぁ』
沙妖は残虐に嗤笑する。禍々しくきらめく双眸がゾロを射貫いて、うっそりと細められた。
「ゾロには手を出すな!おまえの相手は俺だ!」
ルフィは太刀を振りかぶり、沙妖に向かって駆け出した。
ゾロは数珠を引きちぎって、玉を散じたあと、左の手で刀印を結ぶ。青い玉と四つの勾玉が光に代わり、沙妖の四肢に絡み付いた。
「縛!」
鋼のごとき光の枷が、沙妖の全身を完全に拘束する。沙妖は怒りに燃える眼光をゾロに向けた。
『てめぇ・・・!』
ゾロは臆することなく、沙妖の眼光を真っ向から受け止める。
「謹請、甲弓山鬼大神―――」
ゾロは呪文を詠唱する。
『おのれ・・・!』
沙妖が怒号し、妖力が噴き上がった。吹き付けてくる爆風は重さをもっていて、まるでおそいくる激流のようだった。ルフィがそれに圧され、わずかに後退る。
「此座降臨影向し、邪気悪鬼を縛り給え!」
ゾロの詠唱とともに、結界の中に清洌な霊力が満ち溢れ、それが沙妖の全身にのしかかる。さすがに重圧に堪えきれなくなった沙妖は、がくりと脚を折り腹をついた。
しかし、拘束されてなお、沙妖の妖力は威力を増し、砂が大きくうねってルフィに突進する。砂の蛇があぎとを剥いて襲いかかってくる。ルフィはそれを袈裟懸けに叩き斬る。
その隙に、沙妖は砂に姿を変えて逃げようとした。だが。
『なにっ!?』
沙妖は、砂に変わらぬ我が身を、信じられないように見た。
沙妖の全身を拘束した光の枷により、沙妖は砂に変わる力さえも封じられていたのだ。
「うおおぉぉ!」
ルフィは気合いとともに太刀を掲げ、ゾロの術で動きを拘束された沙妖の眉間に狙いを定めて、秋水を突き出す。
沙妖の眉間を、秋水が貫き通す。
言葉にならない絶叫が、沙妖の喉から迸った。
『てめぇ・・・この・・・餓鬼め、よくも・・・!』
沙妖は手を振り上げ、ルフィを取り押さえようと振り回す。
さらに周囲から水分を吸収しようと足掻く。
沙妖の手は渇きの魔手。しかし、触れた所は何の変化も見せなかった。
沙妖の体を貫いた降魔の太刀の力により、沙妖はその力のすべてを封じられた
のだ。
ルフィは太刀を動かそうと、腕に力を入れるが、沙妖を貫いた太刀はびくりと
も動かない。。
ルフィは自分の無力さに歯噛みした。
自分は、コウシロウやゾロのように、妖を退治する術を持っていない。太刀を
十分に振るえるだけの剣術の腕もない。だとしたら、もう自分にできることはこ
こまでなのだと、諦めかけた。
そのとき、ルフィの脳裏に荘厳な声が甦る。
―――我の助けが欲しいときは呼ぶがいい
ルフィは、まだ自分にもできることがある、ということに気づいた。
それに、ここまできて諦めたら、間違いなくゾロに叱責されてしまう。諦めるなど、自分らしくないと。
なによりも自分が、霊力も気力も擦り減らして、それでもなお諦めずにルフィへの助力を惜しまないゾロに、顔向けできなくなることはしたくない。
ルフィは呻きにも似た声を発した。
「クラオカミノ神・・・」
ルフィの腕にある数珠が光を帯びる。それに呼応するかのように、眉間を貫いた刃が仄かに輝き、凄まじい霊力が放たれ、それが沙妖の体を内側から灼く。沙妖の目が大きく見開かれる。
「力を・・・力を、貸せー!」
ルフィは全霊を振り絞って叫んだ。
それに応えるように、一条の光が天を奔り、沙妖の身体を貫いた。
衝撃でルフィは撥ね飛ばされる。
『馬鹿な!なぜ・・・俺が!こんな奴らに―――!』
それを最後に、沙妖は凄絶な神気にのまれ、絶命した。
社の周りに張られた結界の中で、ルフィとゾロが戻ってくるのを待っているウソップとナミは、突如聞こえてきた轟音にびくっと身を竦ませた。
「い、いまの、何の音だ?」
「さ、さあ?何だか、獣の雄叫びみたいだったけど・・・」
ウソップがびくびくしながら、ぎこちなく本宮の方を見遣った。それにつられてナミも暗闇の中、そちらへと目を向けた。
「ここ、大丈夫だよな?」
「だ、大丈夫に決まってるでしょ。結界が張ってあるんだから」
「そ、そうだよな!うん、大丈夫だ」
そう言いながらも落ち着きなく辺りを見回すウソップに、ヨウカを抱きしめたまま微動だにせず、ナミが声をかけてもこれまで何も答えずにいたサンジが声をかけた。
「おい、ウソップ」
「な、何だ、サンジ?」
そろそろとサンジに近づき様子を窺うウソップに、サンジはいまさらとも思える疑問を投げかけた。
「ここは、どこだ?」
「は・・・?おいおい、しっかりしろよ。ここはキブネだろ?」
「・・・キブネ」
ウソップの言葉に、サンジはのろのろと顔を上げ、辺りを見回した。その様子にウソップはため息を吐くと、さらに説明を加えた。
「ここは、本宮に続く参道の途中にある小さい社がある所だろ。ここまで、春に桜を見に来ただろうが」
「春に、桜を・・・」
そう呟いたサンジは、はっとして社の側にある桜の木を見つめた。
サンジの脳裏に、桜の光景が鮮やかに蘇る。
ここキブネは、桜の季節になると見事な景色が辺り一面に広がる。キブネとその隣に聳えるクラマの桜は『雲珠桜』という総称で呼ばれている。
常緑の森の中、桜が色鮮やかに咲く姿が、唐鞍のしりがいの飾金具にある雲珠と似ているから、とか、花の散る様が渦を巻いていたから、ともいわれてそう呼ばれるようになった。もちろん、それだけ美しい景色だ、数多くの歌も詠まれている。
そんな景色を見に、春にここをいつもの面々で訪れたのだ。この社まで来たのは、たしか俺とゾロだけだったが。
ゾロが社の側にある桜を見つめていることに気づき、俺もそちらへと目を向けた。
そこにあったのは、年月を感じさせる古い桜の木だった。
桜の花を所々にぽつりぽつりと咲かせた、一見するとみすぼらしい感じのする桜の木。それでもなお、凄絶で荘厳な佇まいを見せつけ、他の桜とは一線を画していた。
俺はその桜の木に釘付けになってしまった。ほけっとしたようになりながらも、思わず呟いていた。
「すげえ・・・。なんて、力強い桜なんだ」
夢見心地のように呟く俺を、ゾロは目を眇めて見遣っていたような気がする。
俺は桜を見つめながら、その桜に相応しい人物像を、できるだけ具体的に思い描いた。
「この桜を女性に例えるなら、そうだな・・・髪は濡れたような黒絹に白皙の顔、桜のような唇、華奢な体に儚げな雰囲気。無条件で守ってやりたくなるような姫だな。だけど、芯はしっかりとして、自分をちゃんと持っている、そんな女性だ」
その発想に、俺は満足して頷いた。
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(2010.11.30)