グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十五−
            

智弥 様




 そんな感じで滔々と語った俺に、呆れたようにゾロは口を開いた。
「よくもまあ、ぺらぺらと口が回るもんだ。いい加減、それくらいにしとけ」
「ああ?まだまだ思いつくぜ、俺は」
 まだ言い足りない俺に、ゾロは渋い顔をした。
「いいから、やめとけ。後悔することになっても知らねぇぞ」
「・・・は?後悔?何言ってんだ、おまえ」
 いまいち要領を得ないうえに、珍しく喧嘩腰でないゾロの言葉に、俺は突っかかる間合いを逃してしまった。
「おら、行くぞ。ルフィたちが下で待ってんだ」
 さっさと歩き出したゾロに、俺は慌てて呼び止めて桜の木に近づいた。
「ああ、ちょっと待てって」
「ああ?」
 不機嫌そうに振り返ったゾロの視線を感じたが、俺はそれを無視して桜の木に手を当てた。
 桜の木を見上げて、俺はしばらく考え込んだ。ようやく納得できるものが浮かび、俺は満足して頷いてそれを口にした。
「うん、決めた。この桜の名前は、珱花だ。紐で繋いだ玉の飾りのように枝々に華を咲かせ、妖しい美しさを湛えた桜の木だから、珱花(ようか)」
「おい、サンジ!」
 ゾロが慌てたように声を上げた。俺は怪訝に思って、奴を見遣る。
 ゾロは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をして、桜の木を睨んでいた。が、さも仕方がないと言わんばかりに、がしがしと後頭部を掻いて盛大にため息を吐いた。
「ったく、しょーがねぇなぁ。・・・まあ、大丈夫、か」
 何かしら自分の中で折り合いをつけたのか、ゾロは渋々といった態で踵を返し歩き出した。
「じゃあね、珱花ちゃん。また来年、見に来るよ」
 そう言って俺は、ゾロの後を追いかけたんだ。

(そうか・・・君は、あの桜の・・・)
 そう考えれば、あの時のゾロの態度にも得心がいくというものだ。
 きっとゾロには、彼女の姿が見えていたんだろう。それと同時に、こうなる危険性も考慮したうえで、警告してくれていたんだろう。それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれればよかったんだ。本当に、相変わらず言葉の足りない野郎だぜ。
 しかし、だからといって、こうならないという保障はなかったにちがいない。
 何せ、いま抱きしめている彼女は、あの時自分が思い描いた女性そのままなのだから、恋に落ちないわけがなかったのだ。
 サンジは桜の木から腕の中の存在へと視線を移した。
 そして、思い出した記憶の中の名前を囁く。
「珱花、ちゃん・・・?」
 サンジの囁きが聞こえたのか、サンジの腕に抱えられたヨウカが綺麗に微笑んだ。


 庭に佇んでいたコウシロウは、ふと北方を見はるかした。
 北にそびえるキブネ山の上空には、暗雲が立ち込めている。
 コウシロウは感じていた。ゾロがタカオカミノ神を、闇の呪縛から解放したということを。
 かの神もまた竜神だ。久しく絶えていた雨が、じきに都にも降り注ぐだろう。
「コウシロウ、どうした?」
 後ろからシャンクスに声をかけられ、コウシロウは振り返る。
「いえ、あちらも片が付いたようです」
「なに、本当か!」
「はい。じきに雨が降りましょう」
「わかった、仕事を急がせよう」
 そう言って、シャンクスは邸の中へと取って返した。
 シャンクスとコウシロウは、兵衛府の者をつれて、ある邸に来ていた。
 コウシロウの探索により、祈雨の儀式を邪魔だてした者の住み処が割れたのだ。こちらの動きに気づかれる前にと、シャンクスは報告をうけてすぐに、捕縛の行動にでた。
 しかし、邸に乗り込んだときには、術者と思しき壮年の男は絶命していた。毒を盛られた形跡はなく、かわりに体中に獣の爪痕が無数についていた。コウシロウの見立てでは、呪詛返しにあったのではないかと思われた。その術者は、動物を殺して、その魂を呪詛や様々な術などに利用していた形跡があったからだ。
 儀式の妨害のときも、そういった動物たちの魂を式として使役して、神が宿るための依代を倒したと思われた。
 コウシロウがその場に漂う無数の動物たちの魂を浄化してから、シャンクスは証拠探しを始めた。だが、こちらの思惑に反し、左大臣に繋がる確たる証拠は発見できなかった。
 しかたがないので、とりあえず術者の遺体を運び出そうというところにきての、コウシロウの助言だった。
 作業を見守るコウシロウの隣に、物音ひとつさせずに一人の老人が現れ、コウシロウに声をかける。
「残念だったな」
「はい、ひと足遅かったようです。せっかく、あなたが助力してくださったというのに」
「まあ、気を落とさないことだ。次がある」
「・・・できることなら、この機会に片をつけたかったのですが」
「それは、わからなくもないが。焦らぬことだ」
「はい」
 コウシロウは視線を前に向けたまま、老人とやり取りを交わす。老人もそれを気にする風もなく、会話を続ける。
 それもそのはずで、この老人は、見鬼の才を持つ者でなければ見えないのだ。逆に、老人の姿が見えるということは、それ自体が驚異であるといっていい。なにしろ、陰陽寮に所属している者でも、この老人の姿を見ることができる者は少ないからだ。
 老人はアマテラスの後裔たる帝を見守るべく、遣わされた神使である。白髪で白いあご髭の老人の名をレイリーという。
 彼は基本的には、大内裏にいる帝の側近くに隠形して控えている。しかし、帝に、ひいては都に危機が迫ると、その時々で一番適役とされる者に、陰ながら助
力している。
 今回も例にもれず、雨が降らないという都の危機に、レイリーはコウシロウの許に現れたのだ。
 本来ならば、ゾロの前に現れてもおかしくはないのだが、レイリーはそうはしなかった。いや、できなかったというべきか。ゾロに自分の存在を教えるのは、まだ時期尚早であると判断したからだ。
 それに、コウシロウ自身が異邦の妖異と対峙することがないように、配慮した結果だった。
 もし万が一、彼が妖異と対峙し敗北するようなことがあれば、帝や都を護るものは誰もいなくなってしまう。彼の弟子と彼以外に、異邦の妖異と対峙できる者など、この国にはひとりとして存在しないのだから。
 それは、アマテラスの後裔であるはずの帝ですら、例外ではなかった。平安の初期のころであれば、妖異を捩じ伏せるだけの力をもった帝が存在していた。そして、その意をうけて化け物を退治ることができる者もいたのだ。だが、時は無情に流れこの国は平穏に浸り、異能の才を持つ者もその力を磨ぐ必要を失った。
 レイリー自身も、あと数代を経たのちに、自分の役目も終えると感じていた。そこにきての、ルフィの誕生だった。
 当代の帝の血筋を引く者たちの中で、最も色濃くその血をもつ者が現れたのだ。そして、彼を取り巻く、才能ある者たち。
 ルフィをかつての帝のように力をもった存在にするべく、レイリーはただ見守ることをやめた。時には厳しく、試練を与えることも必要だとわかったからだ。だからこそ、今回の事態にルフィをキブネに向かわせるよう、コウシロウに申し入れたのだ。
 そして、ルフィを支える者たちの存在も重宝だった。
 その中でもコウシロウの弟子たるゾロは、ルフィを育てるという意味では突出していた。ゾロのおかげで、ルフィは人の上に立つ者としての自覚と覚悟を持つようになった。
 ゾロは、普段は甘やかしていてもそういう場面が訪れると、一見突き放したようにみえるほどに、どこまでも厳しく接することができる。
 ルフィもそれをわかっているから、彼の期待と信頼に応えるように努力していく。そしてゾロもまた、ルフィの信頼を裏切らないように、つねに努力を怠らない。
 互いに高めあう存在としても、相棒としても、二人は最良の相手を見つけたともいえる。
 コウシロウは気遣わしげに、北方を見ている。
「大丈夫だとは思うが・・・。どれ、様子を見てこようか」
 コウシロウの憂慮を察して、レイリーは何気ない風を装って北方の山へと足を向けた。コウシロウはレイリーのその気遣いに、周りの者たちに怪しまれないように黙礼した。


「ルフィ!大丈夫かっ!?」
 門の近くまで撥ね飛ばされたルフィへと、ゾロはチョッパーに支えられながら漸う足を運び近づいた。
 声をかけても何の反応も示さないルフィに、ゾロの不安が募る。
 まさか、撥ね飛ばされたさいに、どこか怪我でもしたんだろうか。そんな不安に苛まれながら、ゾロはルフィの側にようやく辿りついた。
「おい!ルフィ・・・?」
 傍に膝をつきルフィの顔を覗き込んだゾロは、真剣な顔をして中空を睨んでいるルフィに気づき、口を噤んだ。
「・・・終わった、のか?」
 しばらくして、ルフィがぽつりと言った。ゾロはそれに頷いて、ルフィを労るように答えた。
「ああ、終わったよ。じきに、都に雨が降る」
「・・・そっか。終わったか!」
 次の瞬間、ルフィは勢いよく起き上がった。かと思うと、満面の笑みを浮かべてゾロを見た。
「ゾロ、お疲れ!」
 思いがけないルフィの労いの言葉に、ゾロは思わず面食らった。ついで、口元を綻ばすとゾロは肩から力を抜いた。いまさらながらに、ずいぶんと気を張っていたのがわかる。
「・・・ああ、お疲れ、ルフィ」
 どちらからともなく顔を見合わせると、互いの拳を合わせ、二人は笑いあった。
 そのとき、荘厳な神気が頭上に出現した。
 ゾロたちは顔を上げ、目を瞠った。
 白銀の竜が、宙に佇んで彼らを見下ろしている。透き通ったその眼の色は、谷川を流れる清水の瑠璃だ。
『我を解き放ったのは、お前たちか』
 荘厳な響きに満ちた女性的な声が響いた。
 ゾロはルフィの手を借りて立ち上がると、白銀の竜を見つめた。
「・・・タカオカミノ神で、あらせられますね」
 緊張しているのか、ゾロがいくぶん硬い声音を発した。
『いかにも。この身にかかった呪縛を砕き、解き放ってくれた礼を言おう。口惜しいことこのうえないが、我には彼奴を倒すこと、敵わなかった』
「いえ、礼などと恐れ多いことでございます」
 ゾロは恐縮して頭を垂れた。その謙虚な態度に満足したのか、竜神はわずかに目を細めた。
『クラオの言うとおり、お前たちは、人間にしては骨がありそうだ』
「お褒めに与りまして、光栄に存じます」
 恐縮した態を崩さず、ゾロはさらにへりくだる。
『それを見込んで、あれの処置をお前たちに任せようと思うが、どうだ』
 瞬間、ゾロの肩がぴくりと動く。それを感じとったルフィが、怪訝そうにゾロを見遣る。
「・・・いまのままでは、いけませんか?」
 頭を垂れたまま、ゾロはタカオカミノ神に伺いを立てる。しかし。
『我らは、あれを気に入っている』
 端的な物言いに、ゾロは思わず竜神を仰ぎ見る。その瞳には、どこか縋るような色を湛えていた。
「浄化はすでになされております。それでは、いけませんか」
 タカオカミノ神の瑠璃色の双眸とゾロの金緑の双眸が絡み合う。逆らうことを赦さないその眼光に、途端にゾロの表情が凍りつく。
 見透かされている。こちらの胸の内の想い、全てを。自分が犯した失態を。
 ゾロはそう感じた。これ以上、神には逆らえない。
 こちらは陰陽師とはいえただの人間、あちらは創世紀記にその名を轟かせる天津神だ。
 やるせなさを抱えたまま、ゾロは神意に従うしかなかった。
「・・・畏まりました」
 うなだれながらも、その声は力強く発せられた。
 ゾロが次に顔を上げたときには、そこに迷いの色はなく、何かを決断した顔だった。
「手段は、こちらに一任していただく、ということでよろしいでしょうか?」
『お前の力を見込んで頼んだのだ、それでかまわぬ。お前の思うがままにやればよい』
 寛大な神の言葉に、再びゾロは頭を垂れた。
「承知いたしました。必ず、かの方の未練を断ち切り、オカミノ神の御許にお返しいたしましょう」
『そうか。では我は、雨を降らせにいこう。ふた月ぶりの自由の雨だ』
 そう言うとタカオカミノ神は、鱗に覆われた長大なその身をくねらせそのまま天に飛翔し、雲の奥に消えていった。
 それを見送り、ゾロはこの後のことに想いを馳せ、苦悶の表情でぎりっと音がするほど奥歯を噛み締めた。




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(2010.11.30)



 

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