グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十六−
            

智弥 様




「なあ、ゾロ」
 しばらく竜神が去っていった方を眺めていたルフィが、ゾロを見上げて言った。
 ゾロも胸の内を隠して、普段通りに返事をしてみせた。
「なんだ、ルフィ?」
「うん・・・」
 しかし、ゾロの瞳が痛みを孕んでいるのを見て取り、ルフィは一瞬口ごもる。だが、すぐに気を取り直して、疑問を口にした。
「あのな。最初にやったときは失敗したのに、次にやったときは成功しただろ。なんでだろ、と思ってさ」
 本当に聞きたいのは、こんなことじゃない。でも、さきほどの竜神との会話を詳しく聞いてしまったら、ゾロを追い詰めそうな気がしてルフィは訊けなかった。だから、ゾロにそうとは悟られないように別のことを口にした。意外と聡いゾロのことだから、単純明快な自分の思いなどお見通しだろうけど、と思いながら。
 ゾロは眉間にしわを寄せると、心底嫌そうに口を曲げた。ある意味自分の失態を話すようなものなので、ゾロとしてはできるなら話したくもないと思っている。
「・・・おまえ、それを訊くか?」
「おう、聞きたい」
 ゾロが確認のために訊けば、無邪気さを装いながらルフィは頷く。それを見たゾロは、軽く目を細めた。
 目を合わせようとすると、わずかに視線を逸らすその仕草から、いまのルフィの問いかけが決して本心からなされたものではないことがわかる。
 きっと本当に訊きたいことは、さきほどの竜神との会話のことだろう。
 だが、きっとルフィのことだからゾロの心中を察して、わざと違うことを訊ねたのだろう。本当に訊きたいことを無理矢理押さえ込んでまで。
 いまは、その心遣いがありがたかった。
 かの竜神の頼みを聞き届けることにはしたが、本当は自分でもまだ踏ん切りがつかないでいた。即断即決のゾロにしては、それはとても珍しいことだった。
 ゾロは何も気づかないふりをしつつ、ルフィの問いに渋々といった感じで答える。
「・・・あ〜、最初のは真言で、次はこの国の言葉だ」
「うん、それで?」
「・・・沙妖は異邦の妖怪だから真言とかで対処できたが、タカオカミノ神はこの国の天津神だから、異邦の言葉じゃなくて、この国の言葉で言い直したんだよ」
「なんで、わざわざ言い直したんだ?」
 かつて自分も師へとした質問を、ルフィもまた首を傾げて訊いてくる。
 それにいつかの自分を重ね合わせ、ゾロは軽く苦笑した。
「おまえだったら、どうだ。異国の言葉で何かを頼まれたとしたら」
「え?あ〜、そうだなぁ・・・」
 ゾロを支えていなければ、腕組みして考え込みそうなルフィに、ゾロはかつて自分がコウシロウから言われたことを重ねて言った。
「頼まれていることはわかっても、言葉自体がわからないから、どうしたらいいか戸惑うだろう?」
「・・・ああ!うん、そうだな!」
 ルフィはすごく納得したというように頷いた。ゾロのことがなければ、それこそぽんっと手を打つ勢いだ。
「まあ、そういうことだ」
「うん、そういうことか」
 調子良く相槌をうつルフィに、ゾロは絶対半分はわかっていないだろうなと思い、さらに苦笑を深めた。
 とりあえずの疑問が解消されたところで、ゾロはルフィの意識を他に向けるように、朗らかな口調で言った。
「さてと。んじゃ、あいつらのとこに戻るか」
「ああ。きっとやきもきして待ってるぞ。とくにナミが」
「ははっ、違いねぇ」
 そう言って互いに笑いあうと、二人と式神たちは本宮を後にした。


 本宮を出たあと、フランキーとブルックは妖怪の残党がいないか確認すると言って、ゾロたちより先に行くことになった。何事もなければ、そのままコウシロウの許へ報告に戻ることになっている。
 ルフィはゾロに肩を貸し、来るときは思いきり駆け抜けてきた参道を、今度はゾロの歩調にあわせてゆっくりと下っていった。
 気を抜くとすぐにでも足元がおぼつかなくなるゾロを、ルフィにしては珍しいほどの慎重さをもって支え、ようやくサンジたちがいる社まで辿りついた。
 その間、ロビンとチョッパーはよっぽど危ないと判断したとき以外は手を出さずに、ただ後ろをついていくだけだった。
 もちろん、手伝ったほうが早く歩けるだろうとわかっていたが、どことなく楽しげで誇らしげなそのルフィの様子に、なんとなくルフィがそれを譲らないような気がしたのだ。だから二人は傍観者に徹した。
 ゾロは社に近づくとルフィから離れ一人で歩きだした。それに対してルフィが不満げに唇を突き出したが、置いてきた仲間に余計な心配をかけないための配慮だとわかっているため、本当は体を支えてやりたい気持ちを押し止め、ただ寄り添って歩くだけに留めた。
 ウソップとナミは現れた二人を見て喜色を浮かべ、すぐさまそちらへと駆け寄っていった。
 何もわからないままに置いてきぼりをくらったにもかかわらず、二人はとにかくルフィとゾロの無事を喜んだ。ルフィとゾロもまた、全員が無事であることがわかり安堵の笑みを浮かべた。
 ゾロはナミの姿を見た途端、少しばかり驚いた。
 なぜなら、ナミは水干と袴を身につけて、頭には烏帽子を被って男装していたからだ。いくら夜分にルフィから連れ出されたからとはいえ、そのあたりはさすが並の姫ではない、勇ましい限りだと感心してしまった。
 ゾロは辺りを見回し、社を取り囲むように五箇所に独鈷杵が突き刺さり、その中心部に白い拵えの太刀が突き立てられているのを確認した。それらが作用しあって結界を張っている。
 いま張られている結界は、外部からの妖を退け、内部にいるものを護るためのものだ。妖には有効な結界だが、人間にはなんの制約もない。だから、ウソップやナミが結界を抜け出してもなんら障害にはならないし、人間ならば外から触れても何の影響もない。
 ゾロは結界の中心に進むと、太刀を地面から引き抜き、結界を解除した。そして太刀の側の地面に置いてあった白鞘を手に取ると、静かな所作で太刀を鞘に納め、流れるような動作で腰帯の右側に挿しこんだ。その間にチョッパーとロビンが独鈷杵を集め、袱紗にまとめて包み、そのままロビンが預かることにした。
 ウソップとナミは話を聞きたいという逸る思いを抑え、いったん都に戻るまでは本宮で何があったかという話はお預けにして、ひとまず下山しようということになった。
 しかし、いっこうにサンジが動く気配がない。話を聞いているのかどうか怪しいところで、相変わらずヨウカ―珱花を抱きしめたままの体勢だった。
 ゾロは軽く目を閉じると、ひとつ息を吐きだし、意を決して目を開いた。
「・・・その分だと、思い出したようだな」
「ああ、思い出した。おまえがあの時に言ってた意味も、ようやくわかったよ。手遅れだったみてぇだがな」
「・・・そうだな」
 どこか吐き捨てるようなサンジの言葉に、ゾロは無表情で答える。それから珱花へと視線を向けた。
「俺は、あんたの名前を呼ぶ権利をもたない。だから、ヨウカと呼ばせてもらう。いいか?」
「おまえ、いきなり何を・・・」
 突然のゾロの台詞に、サンジは訝しんで振り返る。しかしそれに、思ったよりもはっきりとした声で返事があった。
「はい。お気遣いありがとうございます」
 サンジの腕の中から抜け出し、珱花はしっかりと自分の足で立つと、ゾロに頭を下げた。
 珱花はゾロの心遣いに感じ入っていた。一介の精霊でしかない自分に、ここまで気を使ってくれるとは。
 精霊や妖にとって、意味のある名前は至宝ともいえるものだ。だからこそ、自分たちが敬意を払う相手にしか呼ばせない。それをわかっているからこそ、彼はあえて自分の名前を呼ばないのだ。「珱花」という名前は、サンジだけが呼べばいい、と―――。
 こんな陰陽師が、いままで都にいただろうか。珱花は、というより都に棲む雑鬼たちは、大半の陰陽師を信用していない。彼らは善悪関係なく、問答無用で祓ってくるからだ。
 陰陽師というものは常に、表面上は対等のふりをしながら、精神的には優位でいなければならない。対等であろうとすると、悪意ある妖はそこに付け入ってくるからだ。
 しかし、それは妖たちが認める陰陽師でなければ、そういった関係は成立しないため、ごく一部の者たちしかいないという現実がある。
 雑鬼たちが敬意を払うのは、信頼に値すると認めた者たちだけだ。そして、コウシロウは彼らの信頼を勝ち得ている。
 そしてゾロもまた、雑鬼たちを見下しても侮ってもいない。幼い頃は友人のように接していたが、成長するにつれて根本的な部分が変わり、いまでは妖に敬意を払うことはあっても、決して対等であろうとはしない。そして変わっていったのは、雑鬼たちも同じだった。
 雑鬼たちはいつだって、力ある、心あると認めた陰陽師には、相応の敬意を払うのだから。
 ゾロは珱花と対等であろうとしているわけではないし、敬意を払っているわけでもない。
 それはおそらく、この山の祭神に関わりあってのことだとわかる。
 それでも、珱花の気持ちを慮りあえて名前を呼ばないのは、彼の無自覚な優しさ故なのだろう。
「ヨウカ、あんたの本当の願いはなんだ?」
「本当の願い・・・」
 唐突なゾロの言葉に、珱花は忘れようとしていた願いが脳裏を掠め、軽く目を瞠る。
「ここの祭神に、あんたのことを頼まれた。一応、こっちに任せるってことで話はつけた。だからあんたの本願を聞きたい」
「そうですか・・・。ご迷惑をおかけします」
「いや、迷惑ってわけじゃないけどな。もとはといえば、俺が悪いんだし・・・」
 深々と頭を下げる珱花に、いたたまれない風情でゾロは首筋を撫でた。
「おい!いったい何の話を・・・」
「サンジ!ちょっと、こっち来い!」
 ゾロと珱花の話についていけないでいたサンジが、声を荒げて話に割り込もうとしたが、ルフィが厳しい声をあげてそれを遮った。あまつさえ、自分のほうに来いとまで言う。
 そのただならぬルフィの様子に、サンジは物言いたげにしながらも渋々従った。
 ルフィはそれを見届けると、ついとゾロに目線を送る。ゾロはそれを受けると軽く頷いた。
「ね、ねぇ、ルフィ。どうかしたの・・・」
「いいから、黙ってみてろ」
「黙ってって、言ったってなぁ・・・」
「頼む。ゾロのためなんだ」
「わ、わかった・・・」
 ウソップとナミも、ルフィとゾロの間に何かを感じ取ったのか、おろおろしながらもルフィの後ろに控えるしかなかった。
「サンジもだ。これから何があっても、こっから動くな」
「何があってもって、どういうことだよ?」
「いまにわかる。それから・・・覚悟しとけ」
「覚悟だぁ?いったい何の・・・」
「たぶん、別れる覚悟だ。ゾロがそう決めた」
「なっ・・・!?」
 前にいるゾロを見据え、ルフィは絶句しているサンジをよそに、それっきり口を噤んでしまう。そうなるともう、周りは黙って事の成り行きを見守るしかなかった。
 ゾロはサンジを珱花から遠ざけてくれたルフィに、それと同時に、嫌な役を押し付けてしまったことに、心中で感謝と謝罪をした。
 ゾロは珱花をまっすぐに見つめ、口を開いた。
「どうなんだ?あんたの本願は、いったい何だ?」
「私の本願は・・・」
 珱花は苦悩した。
 自分の身勝手な願いであるそれを、口にしていいのだろうか。今回の事態を引き起こした、それを。だけど彼は、それを聞きたいという。
 珱花は唇を震わせて、やっとの思いで声を発した。
「本当に、それを言っても・・・?」
「ああ、とにかく言ってみてくれ。聞かないことには判断できん」
「あぁ・・・」
 きっぱりと言い切るゾロに。珱花は感嘆の吐息をつく。
 本当に彼は自分の願いを叶える気でいるのだ。ならば、遠慮するのはかえって、彼の決意に対して失礼になる。
 珱花はようやく心を決め、それを口にした。
「私の本願は、もう一度、サンジ様に、花を咲かせた姿を見ていただくこと」
 それは、とうてい叶うわけのない願い。だって、この木にも自分にも、もうそれだけの力はないし、よしんば無事に春を迎えたとしても、もう二度と花が咲くことはないのだから。
 だが次の瞬間、珱花は目を瞠った。




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(2011.01.04)



 

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