グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十七−
            

智弥 様




「わかった、やれるとこまでやってみるさ。だから、あんたもがんばれよ」
 ゾロが笑顔でそう言ったのだ。
 やれるところまでと言ってはいるが、彼ならばきっと、花を咲かせるまで諦めることはしないだろう。だから自分にも諦めるなと、そう言うのだろうか。
(願っても、いいのですね・・・)
 珱花は口元を手で覆うと、そっと涙を流した。それを見たサンジが飛び出していきそうになったが、ルフィの気迫に圧されてその場に縫い止められたようになり、動くことができなかった。
 ゾロが古木に近寄り、触ろうと手を伸ばすが、一瞬その手を止め、珱花を見遣る。
「触ってもいいか?」
 律儀にも訊いてくるゾロに、珱花は涙を拭いながら頷く。本当に、どこまでもおかしな陰陽師だと、珱花はくすりと微笑んだ。
 珱花の了承を得たゾロは、幹に手を当て意識を集中する。いつもならば、それだけで色々なものが視えるのだが、いまはかなり深くまで集中しなければならないほどに、ゾロの霊力は極限まで削られていた。
 細心の注意を払い、古木に流れる力を読み解く。それだけでもゾロの息は徐々に上がっていく。それを固唾を呑んで見守るしかない珱花とルフィたち。
 やがて深々と息を吐き、ゾロが古木を見上げた。
「この周辺の力が、ほとんどこいつに集まってる」
 沙妖がどうやって、この神域の結界を破りキブネに入り込めたのか、ずっと疑問だった。
 だが沙妖が現れたとき、この周辺の霊気が薄まっていたのだとしたら、その時点では中に入り込めずとも、珱花に声を届けるくらいはできたにちがいない。
 そして珱花はそれに応え、結界に綻びができ、そこから沙妖は神域に入り込んだのだろう。
(ああ、そうか・・・)
 もしかしたら珱花は最初、この山の霊気だけを集めていたのかもしれない。だが、沙妖が何かしらの手段で珱花の意識に干渉し、人間の生気を集めるように仕向けられてしまったのだろう。この山を穢すための布石として。
 憶測でしかないが、たぶん外れてもいないだろう。
「さて、どうするかな・・・」
 ゾロは幹に手を当てたまま、しばし思案した。
 咲くための力は古木に集まっている。しかし、集めていた人間の生気は、さきほど怨嗟とともに浄化してしまった。そのために花を咲かせるにはどうしても足りないのだ。いまの力では、古木を維持するだけに留まっている状態だ。
 それに、問題はまだある。
 珱花は本来、この古木に宿る精霊だ。だが、サンジにより姿と名を与えられた。人間の言葉には言霊が宿る。それは、人間が思うよりもはるかに強力で、想いが強ければ強いほどそれは顕著になる。そのことを妖たちはよく知っていた。そのうえ沙妖の干渉を受けたことにより、古木から分離されてしまっている。これでは、花など咲かすことはできない。
 人間に当て嵌めて考えるならば、体に相当するのが古木で、魂が珱花だ。このふたつは離れていてはならないものだ。離れれば、必ず弊害がでる。
 これらを元に戻すには―――。
 ゾロは腰の太刀の柄をぎゅっと握り、自嘲気味に呟いた。
「恨まれる、だろうな・・・。いや、やると決めた以上いまさらか・・・」
 あいつらの目の前でそれをやるのはとてつもなく気が引けるが、それが自分に与えられた神からの命でもあり、何よりも自分がやると決めた。いまさら後戻りはできない。
 ゾロはロビンを顧みる。ロビンは心得たように、手にしていたものをゾロに渡した。
 ゾロは受け取ったそれを目の前にかざすと、何かを確かめるように目を細めて見つめた。
 ゾロが手にしているもの、それは秋水だった。
 本宮での決戦のあと、絶命して崩れ去り、跡形もなく消え去った沙妖がいた場所からロビンが忘れずに回収していたのだ。そのときにはもうルフィの頭の中からは、借り受けた太刀のことなどきれいさっぱり忘れ去られていたのだから。
「・・・ああ、やっぱり。まだ残ってるな」
 そう呟くとゾロは、徐に太刀を古木の根本付近に突き刺した。それから何やら呟くと、太刀が光り輝き、その光が地中から根を伝い、古木へと吸い上げられて
いった。
 瞬間、古木が息を吹き返したように脈打った、ようにルフィたちは感じた。
 それを確認し、ゾロは太刀を引き抜く。そしてそれを再びロビンへと渡した。受け取ったロビンはルフィへと近づき、ルフィの腰に挿したままの黒鞘にそっと、その刀身を納めた。
「・・・ヨウカ」
「はい。私はいつでも」
「・・・何か、言うことがあるのなら、いまのうちだぞ」
「そう、ですね・・・では、ひとつだけ、よろしいでしょうか」
「ああ」
 ゾロが神妙に頷くと、珱花は古木を背にしてサンジを見つめた。晴れやかな笑顔を浮かべる珱花に、サンジははっと息を呑んだ。
 なんだか、すごく嫌な感じがする。彼女はあんなにも綺麗に笑っているというのに、なんの不安もうれいもなく笑っているというのに、この落ち着かなさは何だろう。
「サンジ様」
 珱花に名を呼ばれ、サンジは無意識のうちに胸元を掴んでいた。不安で押し潰されそうだ。
「あなたに会えてよかった。本当は、いつまでも一緒にいたかったのですが・・・」
「な、何言ってるんだよ。いればいいだろう、いつまでもさ」
 まるで別れの言葉のような珱花の台詞に、サンジは慌てて言い募った。珱花は困ったように微笑み、先を続けた。
「あなたがいたから・・・あなたに名をつけていただいたから、魂だけの私に心が芽生えたのです。サンジ様、私の最期の願い、聞き届けていただけますか?」
「もちろんだよ。最後だなんて言わずに、何度だってきいてあげるから。だから、そんなこと言わないでくれよ」
「ありがとうございます、サンジ様。そう言っていただけて、珱花は本当に嬉しゅうございます」
 珱花は本当に嬉しそうに綺麗に笑った。その儚い姿に、サンジの不安は絶頂をむかえた。
「私が一番お見せしたかった姿、どうぞ見届けてくださいませ」
 そう珱花が言い終わると、珱花とサンジの間にゾロがすっと音もなく入り込む。その右手は腰の白鞘にかかり、左手は太刀の柄にかかっていた。
 鯉口を切る音が、サンジにはなぜか大きく聞こえた。
 瞬間、サンジは制止の声を上げていた。
「ゾロ!やめろ・・・!」
 言い終わるより早く、ゾロが抜き放った白刃が鮮やかに閃き、珱花の体を右肩から袈裟斬りにした。
「・・・っ!」
 全員がその光景に驚愕し、目を瞠った。
 しかし、斬られたその傷から血が流れることはなかった。
 振り下ろされたゾロの腕が流れるように動き、太刀は鞘へと元通りに納められた。
「ゾロ!てめぇ!」
 サンジはルフィに言われたことも忘れて珱花へと駆け寄り、その腕へと抱き留めようとした。
 しかし、珱花は満足そうにサンジに笑いかける。
「これでようやっと、私の願いが叶います」
 珱花が目を閉じると、その体が仄かに光りだした。そして目を瞠るサンジの目の前で珱花の体は桜の花となって、差し出され抱き留めようとしたサンジの腕の中から消えた。あとに遺された唐衣も、間をおかずに砂となって崩れ落ちてしまう。
「・・・そんな、ずっと一緒にいたいって、言ってたじゃないか・・・」
 茫然と呟きながら地に膝をつき、サンジは遺された砂に手を伸ばした。
「サンジ」
 ゾロがへたりこんでいるサンジへと声をかける。のろのろとサンジはゾロを見上げた。
「よく見ていろ。これが、ヨウカがおまえに見せたかった姿だ」
 ゾロはそう言って、桜の古木へと両手を押し当てた。
 サンジと珱花への想いを言葉に込めて、強い言霊として発する。
「―――櫻花・・・いま、咲き誇る」
 言い終わると同時に、古木から強い光が溢れ出す。それを全員が息をつめて見つめる。
 その見つめた先では、木の枝々が徐々に芽吹きだす。ついで蕾が膨らみ、次々とほころんでいく。
 そして、とうとう花が咲き乱れた。
 枝という枝の隅々までも桜の花が咲き乱れたその姿は、とても古木とは思えないものだった。
 その姿は、在りし日の桜の木の姿で、珱花が一番、サンジに見せたかった姿だった。
 桜の木全体が光り、夜の闇の中にもかかわらず、辺りは昼のように明るく照らしだされていた。その中で咲き誇る、桜の花。
 その場にいる全員が、息を呑んでそれを眺めた。
「―――・・・すごい・・・綺麗だ」
 この世のものとは思えないほどの美しさを湛えた桜の木を、サンジは座り込んだまま見上げ、そして咲きこぼれる桜に圧倒され茫然として呟いた。
 そんなサンジのうえに、桜の花がひらりはらりと、舞い散ってくる。花びらは次第に数を増やし、ひらひらと、はらはらと、辺りへと降り注ぐ。
 それはまるで乾いた大地へと降り注ぐ恵みの雨のように、嘆き悲しむサンジの心を癒すように、あるいはサンジを慈しむように、その体へと優しく降ってくる。
『ようやく、お見せできました。これで、私の未練はありません。ですから、サンジ様も笑顔で見送ってくださいませ』
 そこに珱花の心と想いを感じとる。
 サンジは唐突に理解した。
 この光は珱花の命の輝き、舞い散る花びらは珱花の想い。
 何もせずにいれば、夏を乗り切ることも可能なはずだった。だが珱花は、その残りわずかな命をもって、サンジのために花を開かせた。
 その珱花の想いに報いるために、サンジは無理に笑顔を浮かべる。
「・・・ああ。咲くそばから散る花びらで―――」
 まるで、花に抱かれているようだ―――。
 最後のほうは言葉にせず、サンジは呟いた。
 光が徐々に収束し、木の根本から、枝先から、木の中心へと集約していく。そして、すべての光が一点へと集まる。
 ゾロはその瞬間を見計らい、古木に注ぎ込んだ自分のわずかな霊力をすべて解放した。
 光が凝縮された刹那、鋭くまばゆいまでの光が天から降りてきた。全員が腕や手をかざし、光から目を庇う。その光がおさまると、辺りは再び暗闇に包まれていた。
「あ・・・桜が・・・」
 全員がそろそろと腕をおろしたあと、誰からともなくそう呟いた。
 闇の中に佇む桜は、先程までの花が咲き乱れた姿とはうってかわって、花も葉も何もなくなって立ち枯れてしまっていた。
「な、んで・・・さっきまではたしかに・・・」
 サンジは木の幹にそっと触れた。もう何の息吹も感じられない。
「こいつは、もう長くねぇの、わかってたのさ」
 幹に背を預け、腕を組みながらゾロはサンジに言った。
「・・・まさか、無理に咲いたから・・・?俺に見せるために・・・」
 痛々しそうにサンジは桜の木を見つめ、幹を撫でていた手を握りしめた。
「最期に、おまえに花を見せられてよかったんだと、俺は思うがな」
「最期に・・・」
「ああ。それが、こいつの本願だったんだからな」
 ゾロの言葉は、なぜかすんなりとサンジの胸に響いた。それでも、それを素直に受け止められなくて、サンジは俯いた。
「それでも俺は・・・彼女とずっと一緒にいたかったんだ・・・」
 それは無理だとわかってはいた。いつか自分は彼女を残して、この世を去ってしまうとわかっていても。
 それでも願わずにはいられなかった。
 サンジは珱花の最期の笑顔を思い浮かべた。
 本当に何の未練もない、一点の曇りもない美しい笑顔だった。
 それを護りたいと、いつまでも隣でそれを見ていたいと、そう願っていたのに。それも、もうできない。
 次第に、やるせなさが込み上げてくる。
 それと同時に、ゾロに対しての憤りも。
 いくら彼女の願いを叶えるためとはいえ、太刀で斬りつける必要があったのか。もっと他に、方法があったのではないのか。
 これがゾロでなければ、もしかしたら彼女はいまでも・・・。
 だが、彼女の願いは叶った。それは喜ばしいことだと思う。
 しかし、それでも・・・。
 喜怒哀楽の様々な感情がないまぜになって、サンジの胸で燻り始める。
 サンジは手で顔を覆うと、低い声で呟いた。
「彼女が願ったこととはいえ・・・恨むぜ、ゾロ」
 それが逆恨みだと、サンジにもわかっている。
 しかし珱花を失った喪失感を、何で埋めればいいのか、わからなかった。




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(2011.01.04)



 

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